そしてラーベさんと別れて僕は散歩兼見回りを再開した。ちなみにエーデルもここでラーベさんの方についていった。お仕事頑張ってください。
「それで、どうかしら? お茶しない?」
が、なぜかミレットさんがついてきた。
「お茶ですか……お茶があると嬉しいですねぇ」
ミレットさんに言われて気づいたが、茶を久しく飲んでいない。
この世界において茶は嗜好品であると同時に薬品でもある。植物性ビタミンを取りにくい山岳の国などは茶葉の輸入が絶たれたら本気で死人が出たりする。その一方で、貴族や王族が高貴な趣味として嗜むことも多い。ちなみに緑茶はなく、発酵させた紅茶が主流だ。
で、僕はローレンディア王族の中では割と質素な生活をしている方ではあるが、茶だけは別であった。地球にいた頃はコーヒーや紅茶ばかり飲むカフェイン中毒であった。茶葉の産地に出張することだってあった。
そもそも茶葉というのは、緑茶であろうがイギリスやインドで親しまれる紅茶であろうが、あるいは中国のプーアル茶であろうが烏龍茶であろうが、基本的にチャノキの葉からできるものである。つまり地球と味が大して変わらないのだ。僕にとって遠き故郷を思い出す味なのである。
「……実は、ありますわよ」
ミレットさんの耳打ちは、それはそれは甘やかに、そして蠱惑的に僕の脳に響いた。
「ほ…‥‥本当ですか?」
「ついでに砂糖とバターも。茶に入れるのはお好き? あるいは茶はストレートで飲んで、もらった栗の粉で菓子を作るのも魅力的ですわね。でもわたくし一人で食べてしまうのは気がとがめるし……ご一緒してくださらない?」
僕は紅茶党であると同時に、甘党である。
菓子も久しく食べていない。ここに目をつけるとは、なかなかやるじゃありませんか。
「そういうことでしたら、ぜひご一緒させていただければ」
「あら、嬉しいですわ」
僕はミレットさんにほいほいとついていき、バルディエ銃士団が使っている大テントへと入る。
ミレットさんの部下たちは僕への興味を隠しきれないのか、背中にちらちらとした視線を感じる。屈強な男もいれば、屈強な女もいる。全員ちょっとワイルドな風貌だ。洗いざらしのシャツとズボン、編上靴。シャツの上には上着も何もつけずに直接ガンベルトやナイフの鞘を下げている。何か海賊とあまり変わらない。
本来の彼らはかっちりとした軍服のような姿をしていたが、流石に全員分の服を調達できるほどでもないのだろう。それにこの島はちょっと蒸し暑い。ずっとマントを着ているミレットさんがちょっとおかしいのだ。暑くないのかな。「こっちよ」
ミレットさんに促されて向かった先は、大テントの一番奥だった。
生地を張ってパーテーションのようにしているだけではない。どこから持ってきたのか、瀟洒なテーブルや椅子、化粧台といった調度品が置かれている。
また壁側の生地を切り抜いて作られた窓からは真昼の日差しが入り、中央のテーブルと椅子を美しく照らしている。言い換えるならば、開拓団のテントが兵舎で、ここは士官用テントといった雰囲気だ。
「どうしたんです……って、あ、これ、船長室にあったものですか」
「流石、目敏いですわね。あの男の割には良い趣味をしていたから、少々アイテムボックスに入れてしまいましたの」
「……大きいですね」
アイテムボックスとは、商人系クラスが使用できるスキルの一つだ。
四次元なのか異次元なのかはわからないが、謎の空間に荷物を収納できる。と言っても、何でも収納できる汎用的なアイテムボックスというのは便利だが、収納領域がひどく狭い。反対に自分のクラスに関連した物品に限定すれば、その収納領域は格段に大きくなる。彼女のスキル、ウェポンボックスもそうだろう。おそらくは銃火器に限定することで利便性を向上させている。
「欲しい?」
「素敵だなと思いますが、今は自分で作るのに夢中で」
「それができるのが素晴らしいことですわ」
ミレットさんと共に椅子にかけて向かい合った。
侍女がしずしずとテーブルに茶器と菓子を持ってきて、そつのない手付きで茶を入れた。
琥珀色の液体がカップに満たされていく。
茶もそうだが、茶器も持っていたのか。なかなか用意周到な人だ。
「どうぞ、召し上がって」
「ありがとうございます。故郷を思い出しますね。まあ良い思い出はあんまりないんですが、茶を楽しむ時間は素晴らしかったです」
「ローレンディアねえ。わたくしも苦い思い出しかありませんわ」
と、言いながらミレットさんは紅茶に砂糖を入れる。
僕はそのままだ。
菓子……栗粉のパンケーキを楽しむにはやはりストレートの方が良い。
「その口ぶりでは、私の母国と戦争を?」
「ええ。雇われたことも戦ったことも」
「彼らは人間より魔獣を信用していますからね。まあ自分の使役する獣を信用するのは良いのですが、人間のビジネスパートナーを軽視するんだから困ったもんです。お金や支払いも無頓着ですし、まったく」
「何ともローレンディアらしからぬ王子様とは思ってたけど、筋金入りのようですわね。王室では苦労したでしょう?」
やれやれと肩をすくめる僕を見たミレットさんが、くすくすと微笑む。
「苦労しましたよ。ま、それがこの有様でしてね」
「悔しくはないのかしら? 復讐や報復は考えない?」
「さて、自分の手で復讐しようとは思いません。むしろ自分の処遇は妥当なところだろうとは思ってますし。親父殿…‥王にちょっと逆らいすぎてしまいました」
おや、とミレットさんが首をひねった。
「父に逆らうのが罪だなんて、大変ね」
「ミレットさんはそうでもなかったんですか?」
「わたくしの父上は戦場で死にましたわ」
どきりとするような言葉を投げかけられた。
が、言葉を放ったミレットさんの表情は、さっぱりしたものであった。当たり前でしょう? とでも言わんばかりだ。
「負け戦の殿を務めました。傭兵ながらあっぱれと勲章ももらって……良い死に方をしました。血気盛んな人で、戦争をやめた後の人生を歩む方がきっと苦痛だったでしょう。幸福だと思いますわ」
「根っからの戦士なんですね」
そういう人は確かにいる。ローレンディアにいる兄弟も、そんな感じの戦いこそ我が人生という感じの人ばかりだ。
「むしろ大変なのは母でしたわ。父の兄弟にあてがわれそうになったり、血筋が良いだけの馬鹿を団長に据えようとする馬鹿がいたり。そこで母自ら銃を持ち出して決闘をして勝って、ようやく落ち着きました。母も現役は引退して、今は静かに田舎で暮らしておりますの」
「では……ここから出なければいけませんね」
「最終的には行き来できるようにしたいところですが、別にここを拠点としても構いませんのよ」
「あれ?」
「ああ、そういえばバルディエ銃士団の目的は伝えておりませんでしたわね。遥か遠く昔に失った古代王国を見つけて、その血筋をもって国を興すこと。それこそが我らの目的ですの」
「古代王国……」
それは、今のような戦乱の時代に入る前に存在したと言われる大陸の統一王国のことだ。海の外から来る異国を簡単に打ち払い、山岳を支配する邪竜や海底に巣くう大鮫など、人の身では到底倒すことなどできないはずの大魔獣さえも降伏させたらしい。クラスやスキルに関する知識も豊富で、今では失われた最強格のクラス【力天使】、【死神】、【大魔導】などを育成することもできたのだとか。
「これは秘密ですのよ。バルディエ銃士団は古代王国の宰相の末裔なのです」
「……なるほど、そうきましたか」
僕は静かにうなずく。
だがそれにミレットさんがなぜか驚いた。
「あら、信じますの? 証拠など何もない与太話を」
「今ある王国の来歴を辿れば、多くは古代王国に行き着きますから。今生き残っている国以外にも、古代王国の知識を口伝で残し続ける一族がいるだろうとは思っていました」
古代王国が滅びたのは五百年もの昔のことだ。
その末裔が現代にいるとして、受け継いだ遺産の全てを失ってしまっていてもまったく不思議ではない。武具、美術品、骨董品、書物など、形あるものはほとんど残っていないだろう。
だがこの世界において過去から未来に伝えられるものは形ある物品ばかりではない。
それは、力そのものだ。
レアクラス。レアスキル。あるいはスキルによって保証される血統の正しさ。
「ウェポンボックスに収納されている銃。あれ、もしかして古代王国から伝えられているものじゃありませんか?」
「……別に、銃は珍しくないと思うわよ? 魔法を使えない貴族子女が護身用に持っていることもあるのだから」
「ですが戦場で銃を効果的に使用したり、あるいはその発展型をスキルで具現化させたり……というのは相当珍しいと思います」
この世界に、銃は存在する。
だが武器として一般的と言えるほどではない。スキルや魔法による遠距離攻撃の方がよほど、経済的であるからだ。銃が高度に発達すれば恐ろしい兵器となる……という想像ができるのは地球の知識がある僕くらいのもので、普通なら研究・開発するメリットなどないと判断するものだ。
ミレットさんたちが銃にこだわっているのは何か理由があるはずだと、僕は睨んでいた。
「……鋭いですわね。まあ、誘った甲斐があったというものよ。正直、どうやって信じてもらえばいいか迷ってたのが馬鹿馬鹿しいくらい」
はぁ、とミレットさんが額に手を当てて深々と溜め息をついた。
ちょっと会話のリズムを崩してしまったようで申し訳ない。
「ええと、そもそも何で秘密を打ち明けてくれたんですか……?」
「お礼と提案をするためですわ。何のお礼かは、言うまでもありませんわね」
確かに言うまでもない。
ミレットさんたちにテントを提供しなければひどいことになっていただろう。バルディエ銃士団は屈強であり野営の経験も多いだろうが、魔獣を倒しながら嵐を耐え凌ぐのは相当な苦労があったはずだ。
「取引ですから、そんなに畏まることもありませんよ。僕らは守ってくれる人がいなければ安穏と生活も開拓もできないんですから」
「でも最低限、身を守ることもできるでしょう?」
「最低限ですよ。防衛に力を全て割り振ったら他のものが疎かになりますから。だから僕としては、今後も良好な関係を維持したい」
「なら、そのために欲しいものはないの?」
「欲しいもの? お肉と安全ですかね……?」
「それはわかっていますわ。それ以外に欲はないかと聞いているんですの」
妙な風に話が進んだ。
あれは欲しくないか、これは必要じゃないかと、妙に厚遇するような提案が出された。食料であったり、開拓団内部で作る目処が立たなさそうな嗜好品や美術品であったり。
確かに申し出はありがたい。が、相手の要求も見えてこないのに「ください」とお願いするわけにもいかない。いやお茶とパンケーキは美味しくいただいちゃってるので説得力がないかもしれないが。
「あなた……甘いものとお茶以外に欲しいものってないの?」
「いや欲しいものは幾らでもありますよ。でも島の外に出られるわけでもないんですから、自給自足できる状態を作らなきゃいけないわけで」
「……ここを開拓して成果を上げても、あなたの祖国の人は気づきもしないのよ? それでもいいの?」
「むしろ気づかれたくないんですが」
その言葉に、ミレットさんがますます驚いた。
「……あなたの行動は的確で、人の上に立つ者として立派だわ。てっきりわたくしは、その名誉をもって王子に復権するのかとばかり思っていました」
「嫌ですよ。まあ故郷に愛着があるかないかで言えばありますけど、面倒事の方が遥かに多いですし」
「本音みたいですわね……だから不思議に思っていましたわ」
「不思議?」
「人々を導く者は野心を抱いている」
「や、野心ですか」
そんな大それたものは持ってないと思うけどな。
「何も野心とは功名心や利益を目指すものばかりではありませんわ。言い換えれば、夢と言ってもいい」
「ああ、なるほど」
「あなたにはそれがある。この島をより良い村に、より良い街に……より良い世界にしようとしている。好きな女や好きな男のためでもなく。自分を追放した故郷の誰かに見せつけて威張るためでもなく。ただひたすらに純粋無垢な野心だけで動いている」
「そこは夢と言ってほしいのですが」
「嫌ですわよ。あなたはそんな甘っちょろい言葉で動いているわけではありませんもの」
褒められてるのかな、それ。
「ねえ、あなた。孤独を感じたことはない?」
唐突な問いかけに、どきりとした。
「何でそんな質問を?」
「私には、父や母には言えない夢……いえ、野心がありますのよ。古代王国の在り処を見つけて血筋の正しさを証明したら、それでおしまい。国を興すなど諦めて戦場働きを辞めて平和に暮らすの。王子はどう思われます?」
「それは……とても素敵な野心かと」
僕は素直に褒めた。
が、ミレットさんの顔には皮肉っぽい微笑みが浮かんでいる。
「これ、他の団員には中々言えないものですのよ。特に死んだ父には口が裂けても言えません。お前には傭兵としての誇りがないのかと枕元に立ってきますわ」
バルディエ銃士団は傭兵団として名を馳せてきた。
名誉の死を遂げた人も多いのだろう、ミレットさんの父のように。
迷宮を探索する冒険者であろうと、雇い主を転々とする傭兵であろうと、一つの国を守り続ける兵や騎士であろうと、戦争を厭うことは惰弱とされる。ローレンディアは特にその気風が強いが、他の国や組織にもそうした風潮はあると言わざるをえない。
「戦場から戦場へと渡って戦うことを嫌とは言いませんわ。ずっとそのように生きてきたし、戦うべき時に戦わないよりは、戦い続ける生き方の方が好きですもの。でも、わたくしの子や孫の代になっても同じ生き方をするべきとも申しません。やがて戦国の世も終わるでしょうから」
「……でしょうね。昔は百を超えるほどあった国々も、今や戦争によって十の国しかありません。どの国が勝つか負けるかはともかく、昔のような小競り合いの戦争も減り、五十年後、百年後には傭兵の働き場もなくなっているかもしれません」
祖国、ローレンディア王国は多くの国を平らげた。
だがそれは現在残っている他国も同じことで、どの国も決して弱国などではない。
現状、ローレンディアがもっとも多くの土地と兵を持っており覇権にもっとも近いとはいえ、必ずしも盤石とは言えない。
そんな状況でただ一つ言えるのは、ローレンディアが勝って大陸に覇を唱えるか、あるいは諸国が連合してローレンディアを打倒し大陸に覇を唱えるか、結論が出る日はそう遠くない……ということだ。
となれば、傭兵もいずれは用済みとなる。
新しい国を興すなど、もっと不可能になる。
「今はお題目でしかなく、わたくしのスキルが古代王国から伝えられたものと話しても只のおとぎ話とみなされてしまいます」
「……でしょうね」
銃というものの強さを知らなければ僕も懐疑の目を向けていたと思う。
「この傭兵団を立ち上げた初代は失われた故郷を……安住の地を求めてのこと。そのためにスキルを子々孫々に伝承した。だからこそ、いつかその旅は終わらせなければいけない。どんな形に落ち着くにしろ、わたくしが最後の傭兵団長となることがわたくしの野心よ」
「それは……素晴らしいですよ!」
僕は、思わず立ち上がってミレットさんの手を取った。
珍しく彼女は赤面して視線を外す。
「僕も、常々そう思っていました!」
「そ、そうなの?」
「この世界は戦争に満ち溢れています。強者は戦いに明け暮れ、弱者は虐げられ、奴隷にされ、誰もがそれを良しとしている。そうしなければ大事なものを守れないのも真理です。いつか大きな戦いが終わりを迎える日まで」
僕は今、いつになく興奮していた。
こんなことを語れる人など、今まで出会ったことがない。
「でも僕はちんたら待っているのは性に合いません。自分の手で作りたい。自分たちのための安住の地を。平和な国を」
その言葉に、ミレットさんも熱い視線を返した。
「そこまで考えている人は少ないし、話せる人はもっと少ないんですの。正直、馬鹿にされるんじゃないかと思って話すのが怖かったわ」
「いえ、とても素晴らしいことだと思います! わかります、その気持ち!」
僕の言葉に応えるように、ミレットさんは僕の手を握り返した。
「とっても良かったわ。それじゃ王子、結婚しましょうか」
「はい! ……はい?」
反射的にうなずいてしまったが、いや、待ってほしい。
今、結婚って言いました?
「すみません、今ちょっと聞き違えたかもしれなくて、何とおっしゃいました?」
「あなた、プロポーズを二度も言わせるおつもり? ひどいお人ね」
「いや、プロポーズって……え、マジで結婚って言ったんですか……?」
「だって当たり前じゃないかしら? わたくしたち、この島から数年間出られませんのよ。あなた、私にずっと独身でいろっておっしゃるの?」
「いやいやいや、そういう話ではなく」
と言いつつも、僕は、いや待てよと思い直した。
ミレットさんにとって僕を結婚相手として考えるのは、ごくごく自然なことだ。
詳しいことは聞いていないが、彼女はおそらく年齢は二十歳前後。この世界においては結婚適齢期……というか、嫌な言い方をすると少々行き遅れている。
そして、傭兵団のリーダーである以上、相手にもそれなりの能力や家格を求めなければいけないだろう。傭兵団内部においてミレットさんより強い人がいるならば次期リーダー候補の育成を兼ねて結婚することもありえるだろうが、今までのバルディエ銃士団を見ている限り、ミレットさんの強さが突出しているワントップの組織だ。補佐する人間はいるようだが、片腕とまで言える人はいないだろう。
となると、ミレットさんが結婚相手に求めるもの。
それは自分と同格の、傭兵団の外の男性だ。
僕じゃん。
一方で僕も、結婚相手を探そうと思った時には開拓団の軋轢がないかを考えなければいけない。資源も食料も何もかも足りていない状況で、人間関係が由来のトラブルを招いてなどいられない。結婚はデッドオアアライブである。失敗すれば開拓団が潰れる可能性がある。
となると、自分と同格の相手が一番適切である。
「あの、確かに僕が結婚相手となるのはよく分かりました。ミレットさんが僕と同じ思いを抱いてるのは非常に嬉しい……んですが」
「ですが、なに?」
「僕とミレットさんがくっつくと、割を食う人もいますよね?」
ミレットさんの口が、にやあっと三日月のように歪んだ。
あっ、わざとですね。
「あなたのスキル、和睦でしたっけ? あれは素晴らしいものですわね……。直接対決さえ避ければ、報復を恐れずに先手必勝でどんどん行動できるんですもの」
「すみません、換気扇の電気切り忘れたんで帰っていいですか」
「何をおっしゃってるのかよくわかりませんわね。ゆっくりしてくださいましね。お客様がお疲れよ! 寝所にご案内しなさい!」
その声と共に、ミレットさんの部下が三人ほど現れた。
彼女らの手には何やら物騒なものが握られている。
「その手に持ったロープは何でしょう……?」
「錬金や付与魔法を弾く素材でできたロープよ。魔獣を捉えたり捕虜を捕縛したりするのに便利で、愛用しておりますの」
まずい。油断してしまった。
せめてエーデルと別れるべきではなかった。ここでミレットさんの思惑に流されるのはこの島全員の命運を揺るがしてしまう。何とか逃げなければ。僕は、もう一つの備えがうまく成功することを期待して声を意識的に大きくする。
「お、落ち着いて下さい! わかりやすい報復がなくてもまずいですよ! マリアロンドさんに対抗するつもりでしょうけど、パワーバランスが崩れたら元も子もありませんよ!」
「そこはマリアロンドが考えれば良いことですわ。それとも、マリアロンドがあなたに求婚するのを指を咥えて見てていろと? おそらくあの女、わたくしと同じようにしますわよ」
「で、で、ですが……ああ、そうだ、傭兵団が婿を取るということでしょう!? 普通は団員を納得させるための力試しや決闘なんかがあるんじゃないですか!?」
「結婚相手に運試しに三つの箱を選んでもらいますの。わたくしの肖像画が入った箱があるのでそれを選べばめでたく成婚ですわ。大丈夫、ゆっくり選びなさって。十年ほどかけてじっくりと選んで構いませんので。もちろん今日挑戦しようと数年後挑戦しようと、きっと正解を選んでくださると信じておりますわ。ああ、もちろん、わざと負けようだなんて考えても無駄でしてよ」
「そっちこそイカサマ前提じゃないですかそれは!」
これは進退窮まった……と思っていた、その時のことだった。
凄まじい勢いで飛んできた何かが、テーブルとその上の茶菓子を破壊した。
轟音と共に茶器とテーブルの破片が乱舞する。
「ミレット! 男を手籠めにするとは見損なったぞ!」
「マリアロンドさん!」
飛び込んできたのは、レーア族のマリアロンドさんだった。
クリーム色の豊かな髪が躍り、槍が振るわれてロープや家具を破壊していく。
だが人間は一切傷ついてはいない。ほんのわずかな距離で人体を避けている。
素晴らしい妙技だ。
「【銃鍛冶師:ウェポンボックス】!」
ミレットさんたちは驚きつつも、即座に戦闘態勢を取る。
銃ではなくナイフだ。
あれ、何でだ? 室内だからか?
確かに選択としては正しいのだろうが、刃物でマリアロンドさんに勝てるものだろうか。
僕の思った通り、呼び出されたナイフはすぐさま槍の一撃によって弾き飛ばされた。
「ハッ! この距離でオレに勝てると思うなよ!」
そう言い放ちながら、マリアロンドさんは僕を米俵か何かのごとく担いだ。
「助かります!」
「黙っていろ、舌を噛むぞ!」
「くっ、待ちなさい!」
そして僕を抱えたまま凄まじい速度でテントを脱出し、飛ぶように去っていた。