嵐は過ぎ去った。

 大雨と風は凄まじいものでテントが何度か傾きかけたが、元船員など体格の良い男たちが中心となって柱を支え、何とかしたようだ。元船員たちはロープの扱いもうまく、緩んだり外れたりすることもなかった。

 僕がぐーすか寝てる間に鉄火場が始まって終わったことは申し訳なく思うが、これはこれで良かったとも言える。僕とエーデルだけが完全に開拓団全員の命運を握っている状況は良くない。彼らは過剰に僕におもねり、自由な発想や行動が失われ、人生の目標を立てることができなくなる。

 ただそれだけならまだしも、〝僕に気に入られること〟以外の物事に無関心になり、刹那的(せつなてき)な快楽しか求めなくなってしまうのが最悪の事態だ。結局僕が頑張れば頑張るほど治安が悪くなる恐れもある。

 僕も追放される前は文官や外交官と一緒に仕事をしていたが、王族を恐れるのではなくて自分の意志で仕事をしろと口を酸っぱくして言ってきた。あと、親父殿があまりにも無茶苦茶を言うなら権限や立場を利用してごまかしたっていいし、最悪は他国に亡命したっていいとさえ言ってしまった。

 外交官は親父殿の無茶を何とかするために今も頑張っていることだろう。頑張った結果として殺されていないといいのだが。

 それはともかく、ワーカホリックな日本人的な発想ではあるが、人間には〝自分は自分の足で立って生きている〟という実感が必要なのだと思う。

 そして〝嵐を防ぎきった〟という実感は、開拓団員たちに希望をもたらした。

 今までは僕が水作りや塩作りを命じてもおっかなびっくりという感じであったが、今では「もっと教えて」「他に仕事はないか」と尋ねてくるくらいだ。ちなみに、もっとも多かった質問は食料確保についてだ。僕は、釣りと狩りを解禁することにした。どうやら浜で取れる海産物は大陸とあまり変わらず、〝見たこともない甲殻類(こうかくるい)を食べて毒で死ぬ〟ということもなさそうだった。

 そんな風に生活が軌道に乗り始めた頃、客人が訪れた。

「な、何だこれは……?」

「ずっ……ずるくない……?」

 しかも、二グループ同時にだ。

 もちろんここは無人島なので、客人なんて心当たりある人しかいない。

 レーア族とバルディエ銃士団だ。

「「……何でお前がここにいる!」」

 そしてそれぞれのリーダーの、マリアロンドさんとミレットさんがまたも喧嘩を始めそうな気配を醸し出した……が、実行に移されることはなかった。

 それはなぜかと言えば、一目瞭然だ。明らかに彼女たちは疲弊している。

 マリアロンドさんの優美にウェーブのかかったクリーム色の髪は、まるで荒ぶる獅子のたてがみのごとくぼさぼさだ。豪雨と暴風をもろに浴びて、ろくに手入れする暇もなかったのだろう。風格漂う革鎧も傷つき、あるいは紛失して、見るも無残な有様だ。

 そしてミレットさんも、さらさらとした銀髪がこの世に未練を残した亡霊のごとくゴワゴワである。自慢のマントの裾はぼろぼろで、その下の気品あるワンピースも泥だらけ。マリアロンドさんと同じくらい、ひどい姿をしている。

 彼女らの後ろに控える一族郎党はもっとひどい。女性も多いので、じろじろ見てしまうのは少々忍びない。

「あー、お二人とも、お疲れのご様子ですね」

「むしろあなたたちの方こそ、よくそんな綺麗な状態でいられるわね。スキルでテントを作った……だけでもなさそうだし」

 呆れ気味にミレットさんが答えた。

「いろいろと幸運に恵まれましてね。そちらはいかがでした?」

「ご覧の通り。魔物を倒しながら探索を続けて、拠点になりそうな良い場所を探して……そしたら嵐にあってこのざまよ。向こうも似たようなもんじゃないかしら」

 ミレットさんがなげやりな態度で肩をすくめた。

「で、こちらに休憩に来たというわけですね。怪我人や病人はどれほど?」

「……こっちの方は、病人の心配はありませんの。治癒魔法の腕が良いのがいるもの。ただスキルを使いすぎて消耗が激しくって……雨風を凌いでゆっくり休める場所を貸してくださらないかしら」

「すぐにご用意できるものですね」

 病人や怪我人のための寝具類、そして衣服なども鋭意生産中だ。ラーベさんが機織りスキルとエーデルの羊毛を活用してどんどん作り出している。しかも、彼女の機織りスキルにはとても素晴らしい効果があった。形状だけではなく色を自由に変化させられるのだ。

 実際、僕は下着類とアロハシャツと七分丈のズボンを作ってもらった。他の人のための衣服もぼちぼち増えつつあり、ボロボロのミレットさんたちの前にこの姿で出るのはちょっと罪悪感がある。

 だが今の姿は何よりも雄弁にこちらの余裕を物語っている。着替える訳にもいかない。これは救援要請であると同時に、取引でもあるのだ。善意だけで譲歩し続けては長期的にお互い不幸な結果となる。

「もちろんタダとは言わないわ。キングオックス二十三頭、ウイングスネークが十八匹。アースブル十一頭。どれも食用可能な魔獣の肉よ。あなたたちにとっては貴重な品々なんじゃないかしら」

 ミレットさんが部下に合図をする。

 すると、部下たちは大きな大きな牛の肉を持ってきた。解体の技術をすでに持っているのだろう。すでに皮は剥ぎ取られ、もも肉、ばら肉といった部位に分けられている。そしてどれもがとんでもなく大きい。横に置かれた頭部を見ればその大きさは一目瞭然で、顎から頭の天辺までで一メートル近くある。

「見せるために一頭分だけ解体してそのままにしてあるけど、他は魔法でしっかり凍らせてあるわ。長持ちするはずよ」

 流石だ。こっちの求めるものをきっちり把握している。

 僕たち開拓団は、深刻な食糧不足に悩まされていた。今現在、船の備蓄であった小麦を消費しながら生活している。海辺の資源を散発的に収穫するだけではとてもとても足りない。一週間二週間なら耐え凌げるが、一か月越せるかはひどく怪しかった。

 そして食料を得るためには平原から出て魔獣うごめく森や山を探索するか、あるいは同様に魔獣が泳ぐ大海原に船で出て網で掻っさらうか、二つに一つだ。

「ふっ、肉だけで食いつなげると思っているのか? これだから狩りの素人は困る」

「何よ!」

「それに、いくら島が巨大だとはいえ乱獲(らんかく)して数が減っては元も子もない。金になりそうなものを取れるだけ取るというのは愚か者のすることだ」

「たくさん取ることができませんでした、の予防線を張っておきたいの? 小賢しいじゃない」

「ふん……アレを出せ」

 マリアロンドさんが部下に指示を出す。

 すると彼女の部下は、ミレットさんたちとはまったく異なるものを持ってきた。

「これは……」

 そこに置かれたのは、大きな大きな(とげ)だらけの球体だ。

 日本でもよく見かける、あるものを巨大にした姿だとも言える。

「植物系魔獣イビルプラントの上位種、モーニングスターと呼ばれる魔獣だ。枝を腕のようにしならせ、この棘だらけの球体を振り回して攻撃するが……これは木の実なのだ」

「なるほど……栗ですか」

 直径二メートルほどの栗だ。棘を除外して可食部位だけで考えても直径一メートルほどにはなるだろう。そんな巨大な栗を、マリアロンドさんたちはごろごろと転がすように持ってきた。

「普通の栗のような甘みはないらしいが毒はない」

「それに炭水化物が豊富です。これは素晴らしいですね……!」

「タンスイカブツ?」

 マリアロンドさんが首をひねった。

「平たく言えば小麦やパンなどで補っている栄養をこれで補える、という訳ですね。粉末にして焼けばパンやクッキーのようにもなりますし」

 日本の縄文時代のレシピに、縄文クッキーというものがある。どんぐり、くるみ、そして栗といった木の実を石臼(いしうす)のようなもので挽いて粉にし、塩や獣肉などと共に焼き上げたものだ。あるいは現代にも栗の粉を使ったパンも、いわゆるオーガニック食品的な扱いで現代地球に存在していた。

「パン」

「パンかぁ」

「焼きたてのパンが食べられるの!?」

 グループ問わず、全員が期待を寄せた。

 この世界の主食はやはり麦が多い。そして貧困層の食事はかちかちに固まった黒パンや、大麦をそのまま粥にしたものなどが多く、焼きたての柔らかいパンとなると中間層や高所得者層のもの、というイメージが何となくある。僕は米派ではあるが、より良い主食への渇望はよく分かる。

「あまり期待しないで下さい。小麦粉とは違いますし、うまく柔らかく膨らむかはわかりませんので」

 栗粉だけで作ったパンがまずかったら、栗粉と備蓄の小麦を混ぜて焼くなども検討しなければいけない。だが贅沢な悩みでもある。食料がないことに比べたら。

「栗は焼いて食べるものと思っていたが、なるほど、そういう使い道もあるのか」

 マリアロンドさんが興味深そうに呟く。

 だが、ミレットさんは面白くなさそうな顔をしていた。

 自分の狩猟(しゅりょう)の成果で負けたと思っているのだろう。

「あー、肉も非常にありがたいです。足のある獣や空を飛ぶ獣はここを襲ってくるとも限りませんし、ある程度狩りをしてこちらのテリトリーを主張するのも大事ですから」

 と、僕は一応フォローしてあげることにした。

 これも一つの事実ではあるし、この先を考えるとバルディエ銃士団とレーア族のパワーバランスが崩れるのもよくない。均衡状態(きんこうじょうたい)を保っておきたい。

「そ、そうですわ。わたくしたちがいなければ魔獣がここに来ていたかもしれませんのよ。そこをご理解してほしいものね」

 いつもの癖なのか、ミレットさんはきしんだ髪をかき上げる。何だかんだでワイルドな気配が漂い、何ともサマになっている。

「ふん、お前たちがそんな長期的な考えをしていたとは考えにくいがな。狩り尽くしてしまって後で困るお前らの顔が目に浮かぶようだ」

「何ですってぇ……!」

 ぐぬぬとミレットさんが顔を(しか)める。

 が、以前のようにわなわなと震える手が武器を握ることはなかった。契約内容を覚えてくれているようで安心する。

「えー、おほん。そのあたりにしてください。本来であればもう少し雑談をしながら条件を詰めていきたいところですが、そういう余裕もないでしょう? テントを開放しますからひとまず体を休めてください」

 僕の言葉に、ミレットさんもマリアロンドさんも一瞬救われたような顔をした。が、お互いに似たような顔をしてしまったことに気づいて恥ずかしそうに顔をお互いから逸らす。

 気が合うようですねと茶々を入れるのは止めておいた。