船から持ち出した大きな鍋に海水を入れ、魔法を使って沸騰させる。

 その鍋の上に、急ごしらえで作った焼き物のフタを置いている。そこで立ち上る水蒸気が冷やされ、水滴となって中央に集まり、真水がこぼれ落ちる。そこをコップなどの器で受け取る……という仕組みだ。構造としては古いタイプの蒸し器に近いと言えば分かるだろうか。蒸し器の中でぽたぽた垂れてくる水滴を一箇所に集めるようにしただけである。

「結構大変ね……川を探して汲むんじゃダメなの?」

 ラーベさんが鍋を眺め、汗をぬぐいながら呟いた。

 その通りですねと僕はうなずき、説明を始めた。

「川は、島の緑が豊富なことから考えて確実にあるでしょう。しかしそういう場所には強い魔獣が生息しているものですし、川の水を汲めても綺麗にして飲用にするという手間がかかります。なので塩と一緒に手に入れようと思います」

 にしたって、海水を蒸留するにしたって効率が悪いのも事実だ。もっと効率的な方法は幾らでもある。

 だが、一番直感的にわかりやすいというメリットもある。海水を水と塩に分離するということはいったいどういうことなのか一目で分かる。学習効果が高い。

「いいですか。海水を蒸発させれば水と塩に分離されるわけです。水というものは個体の氷、液体の水、気体の水蒸気の三種類の形状があるわけですが、水に溶け込んでいるものは水と同じ温度で気体になるわけではないんです。水を一度気体にして水の中に溶け込んだものを分離させることを蒸留と呼びます」

 物質の三態は、錬金術の基礎だ。ついでに理科の基礎だ。

 ていうか錬金術って化学とあまり変わらない。このあたりの基礎教養を持っている僕のような転生者は、錬金術師クラスに最初から向いている。ちょっとしたチートである。

 だがそうした基礎教養がない人や、学校教育のない環境の人が錬金術やそれなりに知識を要するスキルを発現させることはごく稀である。錬金術師のアトリエや工房に下働きを始めて、門前の小僧よろしく錬金術師が何をやっているのか目と耳で盗むことのできる一種の天才でなければ、ほぼありえない。

「錬金術は理論を学び、地道な手順を繰り返して、結果として身につけるものです。興味のある方がいれば後でもっと詳しく教えます」

 とは言ったが、皆、あまり興味はなさそうだ。

 年かさの人たちはこれを続ける苦労を想像してちょっとうんざりしている。無邪気に眺めているのは十代の少年や少女くらいのものだ。ま、いいさ。興味を持つ人が一人二人いるだけでも十分な成果だ。

「とりあえず、ある程度必要量は確保しちゃいますか……【錬金術師:分離】」

 僕はスキルを発動させた。

 今、実験している鍋とは別の、海水を溜め込んだ樽に向かって発動させる。

 そして不純物……というか塩や微生物などを分離させて純粋な水だけを取り出し、別の空き樽へと突っ込む。

「おお……」

「すげえ……」

 皆、僕のスキルを見て驚愕してる。

 まあ尊敬の目で見てもらえるのは嬉しいんだが、これはこれでちょっと問題がある。

「あ、これ、そのまま飲まないでくださいね。塩分はありませんが腹を下しますので」

「腹を下す? 汚れてるようには見えへんのですが……」

 とある少女が質問をした。

 青い髪の毛はぼさぼさで目が半分隠れており、手も足も痩せている。

 だが血色が悪いというわけではない。

 何ていうか運動不足タイプのスレンダーって感じだ。

「普段僕らが飲んでいる水は、多少の不純物があるんですよ。目には見えないごくごく微量というレベルでの話にはなりますが。そうした不純物がまったくない水は胃や腸の栄養素さえも洗い流してしまうんだとか」

「なるほど……高位の精霊や天使の放つオーラに生物がダメージを負うのとおんなじやね」

「ん、んん……似てるような違うような……」

「ああ、でも確かに神聖な気配も邪悪な気配もないんか……違うか……。じゃあ、ただ単に、綺麗すぎる水がそういう性質だってことですか?」

 良い質問ですね。

 この子、飲み込みが早いぞ。

「ですね。不純物が一切ない純粋な物質は、不純物が含まれたごく普通の物質とは異なる性質を持つ、というわけです」

「そういえば古代のドワーフが、純粋な鉄や純粋な金を作り出そうとしてたって話を聞いたことがありますわ。ただの成金趣味かと思うとりましたけど、ちゃんと理由があったんですなぁ」

「へぇ、そんなことが」

 あれ、なんかレベルが高い話になってきたぞ?

「……つかぬことをお伺いしますが、お名前は? あとできればここに来る前のお仕事なども」

「ああっ、えろうすんません、あては星見(ほしみ)教団(きょうだん)巫女(みこ)をしとりましたフォルティエと申しやす。あてのお祖父様が何だか次の教皇選挙に負けちゃったとかで一族もろとも離散(りさん)して、奴隷になっちゃいました」

「ほあっ!?」

 マジか、何だそれ、と言いそうになった。それくらい驚いた。

 星見教団とはその名の通り、星を見て占いをする宗教団体だ。

 だが宗教団体と言っても、実態としては気象庁、あるいはそれに類する独立行政法人に近い。この世界におけるクラス【占星術師(せんせいじゅつし)】が扱う占星術、つまり星占いとは、極めて実用的なスキルなのだから。

 教団幹部ともなれば一週間以内の天気はほぼ百パーセント当たる。また天候予測ほどの精度はないが、天寿(てんじゅ)や病死など、他人の手が介在する殺人でない死なども占うことができるらしい。一か月や一年といった長期スパンになるとそれこそ「占い」を超えるものではないが、決して軽視して良い存在ではない。

 そのため、どの国も教団から占星術師の派遣を要請しており、小国でも最低一人、中規模の国家であれば十人近くが在籍している。大国ともなれば、占星術師の上級者である「巫女」などが常駐して王に助言している。僕もローレンディアにいた頃には、ウチに派遣されていた占星術師とよく話をしていた。色んな国を見てきたので知識が豊富で、会話していて楽しいのだ。

 そんな訳で、星見教団はこの大陸において大きな権勢を誇っている。教団の本拠地はまさに本部の建物があるだけで広大な土地から税を取り立てているということもないが、各国が教団を支援しているので財政的に困るという話はまったく聞いたことがない。軍事的にもまったく問題がない。星見教団を攻撃するような国があれば他の国がこれまでの利害を捨てて連携して攻撃してくるだろう。そうした独立した地位を確保しているのが星見教団である。

 そんな組織がどうして〝巫女〟を手放すのだろうか。

「何で?」

「いやぁ、詳しいことはようわからんのですけど……。何だか開拓団も星見ができる人を探してたらしくて、相当大金を積んだそうです。で、あてに白羽(しらは)の矢が立って。あても派遣先が見つからなくて暇してたんですわ」

「……派遣先が見つからない? どの国も人手不足だとは思いますが」

 しかもこの子、少々言葉遣いが変だ。大陸の西の方の方言をしているようで、ところどころ東側の方言や、別の地域の方言が微妙に混ざっている。色んな国で仕事をしている占星術師にありがちな言葉遣いで、しっかりとその土地その土地で仕事をしている腕利きである証拠だ。持て余されるような人材とは考えにくい。

「と、思うんですけどねぇ。でもなんか良さそうな派遣先は誰かに取られちゃいましたし。無駄飯ぐらいも悪いんで困っちまいまして。だからまあ、奴隷でもいいかなって」

 何となくわかった。僕と似たようなケースだ。

 星見教団は基本的に実力主義社会だ。占いや予報を当てられるという占星術師としての強さがなければ、血統に優れていようが権力を握っていようが、いずれは実力ある者に取って代わられる。

 そんな教団の社会において、追い出した派閥に属していた者が、復讐心(ふくしゅうしん)を燃やして実力を発揮し続けることもありえる。

 また星見教団での暗殺は、僕が知らない範囲ではあるのかもしれないが、表向きは厳に禁じられている。

 占星術師の能力は貴重であると同時に、王、貴族、平民すべてに恩恵を与える。教団員の暗殺は普通の殺人よりも遥かに重い罪だ。たとえ相手が同じ教団の占星術師であっても。

 となると、敗北した政敵へのペナルティは「追放」がもっとも無難な良い落としどころなのだろう。開拓地の奴隷ともなれば、たとえ目覚ましい活躍を見せたとしても容易に教団本部に戻ることもできない。

「ええと、フォルティエさん、錬金術に興味がある? それとも星見教団の巫女として占星術を続けたい感じですか?」

「まあ、この島の範囲くらいの天気なら片手間でも読めますんでぇ。こういうのやりながら塩作りとかも問題ないと思いますわ」

「温度とか湿度とか測れます?」

「占星術師クラスのスキルにそういうのありますんでぇ。ちびっと得意ですわ。【占星術師:天候計測】」

 フォルティエが腕をまっすぐ上に伸ばし、人差し指を天に向ける。

 今までぬぼーっとしていたフォルティエの表情が、静謐(せいひつ)で神秘的なものになる。

 スキルによって現れた、彼女だけが見える情報に集中しているのだ。

 占星術師スキルを極めた者は、こうした一種のトランス状態に陥る。腕が良い証拠だ。

「現在の天気、曇り。温度二三度、湿度八五パーセント。気圧九八六ヘクトパスカル。現在は小康状態ですが島の西側の大規模な低気圧が発達しながらこの島に近づいており、十二時間以内に前線が島の反対側の浜に接することとなるでしょう。天気の急変が予想されます。雨戸を閉め、屋内への避難を推奨します。水路の様子を見に行くなどもお控えください」

 全員がぽかんとした顔でフォルティエの声を聞いている。

 先ほどまで妙になまっていたはずの声も、妙に無機質な丁寧語となった。

 何かこう、占星術師の言葉って既視感があるんだよな。なぜか単位も地球と同じだし。

 だがそんな懐かしさに浸っている場合ではない。

 彼女の言葉を正確に理解できたのは僕だけだ。

「てっしゅー! 急いで村に戻りますよ! ハリーハリー!」

 皆が僕の言葉に困惑した。従おうとする者もいれば、きょろきょろと左右を見てどうすれば良いか分かっていない者もいる。

「手持ち無沙汰な人は全員、荷物持ちです! キャンプ地に帰りますよ! 嵐が来ます!」

 その言葉に、ようやく全員が僕の危機感を理解した。

 テント暮らしの僕らが何の対策もなく嵐に襲われたら、凄まじいことになると。