あれから硝子は毎日変彩宝石堂に通っていた。
 狐面という怪しい出で立ちの男の紹介なんて、安全性の保障になりはしない。そもそもあの男が誰なのか硝子は知らないのだから。
 それでも硝子は足を運ばずにはいられなかった。自分の身体から零れる石の正体を知りたかったのだ。他に何の手掛かりも無い現状で、あの石に触る事の出来る金緑と楔との縁は保ちたい。
 この先の人生が石だらけなんてごめんだった。

 なんて。

 (……ううん、そうじゃない。私はただこの人に会いたいだけだ)

 金緑は優しく、そして美しかった。
 アレキサンドライトの瞳の前ではどれだけ高価な宝石であっても霞んでしまう。
 淡く輝くようなふわりとした象牙色の髪のひと筋までもが宝石のようだった。いいや、その美貌と柔らかな微笑みは硝子にとって宝石なんかよりもずっと魅力的だった。

 金緑は硝子の顔を覗き込むと、ふふ、と小さく笑いながらするりと首に手を回した。

 「え!?な、なん、ですか!?」
 「じっとして」

 金緑の髪が硝子の頬をくすぐった。
 繊細で柔らかな髪から風呂上りのようにシャボンのような良い香りがした。硝子はわずかに触れられた首筋が厚くなるのを感じた。
 あれ、おや、と何かに苦戦しているようで、金緑は数十秒ほどそうしていた。
 そしてようやく終わり、よし、と満足そうに頷くと、陳列されている宝石の間から鏡を取り硝子に向けた。
 硝子は促されるままに金緑の持っている鏡を見ると、硝子の首元にはライムグリーン色の宝石が付いたシンプルなネックレスが着けられていた。
 まるで内側から光が放出されているかのような眩さに硝子はぱちぱちと瞬きをした。
 手入れされていないせいで艶が無く枝毛だらけの髪と、何年も着倒しているワンピースに宝石はあまりにも不釣り合いなのは言わずもがなだ。
 それなのに金緑は素晴らしい、といって微笑んだ。

 「ああ、よく似合う。さすが僕の姫だ」
 「これ売り物ですよね。私お金無いから試着なんて駄目でうs」
 「違うよ。これは君への贈り物だ」
 「……え?」
 「お誕生日おめでとう」
 「え、あの、いえ、その、ど、どうして誕生日なんて……私言ってないですよね……」
 「これはクリソベリル。硬度が高いから普段使いのアクセサリーに向いているんだ。アレキサンドライトはこれの変異種なんだよ」

 金緑は硝子の問いには答えず、そろりとネックレスをなぞってこれ以上ないほどの美しい微笑みを浮かべた。
 それがあまりにも美しすぎて、凡人の硝子は居ても立っても居られず目をそらした。

 「え、ええと、でも、贈り物なんて、そんな、こんな高価な物頂けません」
 「いいんだよ。君からはとても大切なものを貰うことになるのだからね」
 「わたし、から、ですか?でも差し上げられる物なんてなにも……」
 「あるさ」

 ふふ、と金緑は嬉しそうに笑った。
 両手で包み込むように硝子の頬に手を添えて顔を引き寄せ微笑むと、ネックレストップのクリソベリルをつんと突いた。

 「僕が欲しいのは君の心だ」
 「こ、こころ?」
 「そうだよ。安心おし。君のことは僕が磨いてあげるから」
 「み、みがく、って、あの、それは、その、あの……」
 「君の心は僕のものだ」
 「あ、の……」
 「他の人にあげないと約束してくれるかい?」

 磨くとは一体どういうつもりなのか、その言葉の意味を推測して硝子はかあっと顔を赤くした。
 金緑は目を泳がせる硝子の唇を撫でると、ん?と答えを催促するように微笑んだ。
 硝子はその微笑みに逆らうことはできず、自分でも築かないうちにこくりとゆっくり頷いていた。

 その後も二人はぴったりと寄り添って店内の宝石を見て回っていたが、その様子を陰で見ていた楔はため息を吐いた。
 そしてフロアに転がっている硝子の原石を摘まみ上げ、つう、と石の輪郭をなぞった。

 「整ってきたな」

 この前までごつごつしていた硝子の原石がカットされ始めていた。

*

 硝子は生活必需品以外を買わない。
 服は高校の頃から着ているワンピースが二着と高校の制服だった黒いプリーツスカート、施設で貰った誰かのお古のブラウス。そして寝巻用のTシャツが数枚しか持っていない。
 物持ちが良いといえば良いのだが、必要最低限が整っていると言っていいかは疑問だ。
 出勤する時は化粧をせざるを得ないので最低限は揃えているものの、本当に最低限だ。マニキュアや口紅など、あった方が良いけれど無くてもいいものは買わない。生活費に余裕など無いのだから、無駄遣い厳禁が硝子の信条だ。
 美容室に行くこともほとんど無い。前髪くらいは自分で切るし、腰あたりにある毛先も自分で切れる。どうにもならなくなったら行くけれど、ショートヘアと違って結んでしまえば誤魔化しがきく――という考えのもと、美容室へは行かない。

 だが決して美容意識が低いわけでは無い。
 買える物なら買いたいし、試供品が配布されていれば貰って使う。ネイルだってやってみたいし派手なお化粧だってやってみたい。
 そういう意欲はあるのだ。無いのはお金である。
 そうやって二十四年間生きてきた硝子だったが、今日はいつもと違っていた。

 「金緑さん、こんばんは」
 「待っていたよ、僕の姫。ん?おや?今日はいつもと雰囲気が違うね」

 仕事帰りに訪ねた硝子はいつもより派手なメイクとネイル、髪は鎖骨より少し長い程度に切っていた。ばさばさだった髪が今日は艶やかになっている。
 そして新品のワンピースに身を包み、硝子は気恥ずかしそうに俯いた。
 
 「へ、へん、でしょうか……」
 「いいや、とても魅力的だよ。何だか緊張してしまう。ああ、僕ももっとちゃんとした格好をしてくればよかった」
 「そんな……」

 楔ほどでは無いが、金緑は変わった服装をしている。
 下はシンプルな白いパンツなのだが上に着ているのは和服のようで、その造りは袍によく似ている。着ている枚数が一枚だからボリュームは無いが、日本の日常で見る服装ではない。
 象牙色の髪に白い砲に白いパンツという全身白の姿は妙と言えば妙なのだが、さらりと着こなすその姿には神々しさすら感じる。
 この服装を常用する金緑の『ちゃんとした格好』がどんなものかは気になったけれど、硝子は人生初のオシャレを褒められた嬉しさでいっぱいだった。
 そんな硝子に気付いているのかいないのか、金緑はいつものように、ふふ、と小さく笑った。

 「その服ならこれが似合いそうだね」
 「……猫の目みたいですね」
 「これはキャッツアイ。アレキサンドライトと同じ種類の石なんだよ」
 「これがですか?全然違う……」

 硝子は金緑が手に取った指輪を覗き込んだ。
 猫目のような石はカジュアルで可愛らしいが、アレキサンドライトとは全く別の石のように見えた。
 手渡されたキャッツアイの指輪は十二万円というそれなりに高い金額だったが、金緑の瞳と見比べてみるとまるで子供の玩具だ。
 ふうん、と関心を示さない硝子の様子をくすりと笑い、金緑は硝子の肩を抱き寄せた。

 「え!?あ、あの、え!?」
 「キャッツアイが違うんじゃない。アレキサンドライトが違うんだ。これは特別な石だから」
 「と、とくべつ?」
 「そう。特別なんだよ、僕の姫」
 「あ、あの、ええと」

 金緑は硝子の肩から頬を抱き寄せるように手を滑らせる。特別だよ、と耳打ちして、一層強く硝子の頬を抱き寄せた。
 それ以上近付けられたら唇がふれてしまう。あと何秒後かにはきっと触れている。そう解っているのに硝子は動けなかった。
 どういった感情かは分からなかったけれど、硝子の唇はかたかたと小さく震えている。そして金緑の唇が硝子の唇に触れようとしたその瞬間、コン、と机をたたく音がした。

 「兄上。そろそろ刻限だ」
 「きゃあ!」
 「ありゃ」
 「俺はもう行く。鍵は閉めて置け」

 相変わらず狐面のせいで楔の感情は読み取れなかったが、どこか棘のある言い方で吐き捨て出て行ってしまった。
 明らかに不愉快そうなその態度に、硝子はつい言葉を失ってしまった。

 「ごめんね。弟は虫の居所が悪かったようだ」
 「い、いいえ。こちらこそすみません。お出かけだったんですね」
 「気にしなくていいよ。そんな事より、明日もまた来てくれるかい?」
 「も、もちろんです!」
 「ふふ。約束だよ」

 そう言って、硝子は金緑に見送られて変彩宝石堂を後にした。
 明日もまた会えるという約束に硝子は浮かれていた。浮かれていたから忘れていたのだ。

 「君はアレキサンドライトになれるかな、罪悪の姫」

 硝子は自身から溢れる石の謎を何一つ解いていないということを。