硝子の一件が終わり三ヶ月経った頃、変彩宝石堂では楔がうんうんと唸っていた。
「今度は一体何を悩んでいるんだい、お前は」
「やはり矢野硝子に返金した方が良くはないか」
「またその話かい?うちは時価でやってるからいいんだよ」
「いつもは一件につき宝石一つでやっているだろう。罪悪のアレキサンドライト本体は報酬として受け取る契約だが、その他の原石は報酬に含まれていない。」
「いいじゃない、別に。どうせ人間は触れないんだから」
楔は宝石を並べて収納する起毛のケースをずらりと並べていた。
それは硝子の原石と磨き上げられたアレキサンドライトたちだった。磨かれたそれらはどれも美しく、相当な値が付くというのは火を見るよりも明らかだ。全部で五十個はありそうで、いったいどれほどの価格になるのだろうか。
金緑はひょいと一つ摘まんで宝石を覗き込むと、アレキサンドライトに金緑の瞳が映り一段と美しい。
「だが兄上は最初から原石をちょろまかしていたではないか。あれは明らかに契約に反する行為だぞ」
「買い取った時に追加料金を払ったよ。それにお前だって食べたでしょう」
「あれは維持費だ。尖を俺の肉体に留めるためには彼女との絆が必要だ」
「じゃあ必要経費を貰ったって事でいいじゃない」
「それでもまだ差額がある。せめてマージンを支払うべきだ。少なくともクリソベリルの分は矢野硝子に渡すべきだ」
「ああ、そうか。クリソベリルも出て来たんだっけ」
硝子のアレキサンドライトとは別に、クリソベリルも並べられていた。
実は、尖が消えたその場にはクリソベリルも散らばっていたのだ。それはまるで尖の瞳と同じような石だった。
形を整えれば良い商品になるだろうけれど、楔は商品として売り出したくは無いとでも言いたげだ。
「クリソベリルは『静かに見守る』という石だ。彼女を守っていた尖の心そのものだろう」
「『ロマンチックなシグナル』という意味もあるね。アレキサンドライトの『愛の充実』に加えて『ロマンチックなシグナル』とは縁起が良いね。硝子ちゃんにはきっと素敵な出会いがあるよ。じゃあそれは奥にしまっておいで」
「上手いことを言って流そうとしても駄目だぞ。これは矢野硝子へ渡す。良いな」
楔の追及を逃れようとしたけれど逃げられず、金緑は大きなため息を吐いた。
「じゃあお前またあの子をここに招き入れるのかい?せっかく原石を手放すことができたのに、余計な原石に囚われでもしたらどうするの」
「金だけ持って行く。小切手にしてくれ」
「まだ売れてないんだから支払うお金なんて無いよ。むしろ置き場の無い宝石を管理してあげてるんだから感謝してほしいね」
「またそういう屁理屈を」
はあ、と楔は頭を抱えた。渋い顔をする弟に金緑は諦めて向き合った。
「大体ね、アレキサンドライトは報酬としてはイマイチなんだよ。売価が高すぎるから売れない」
「俺たちの売上と彼女へ支払うべき費用は関係の無いことだ。それにあれだけ辛い思いをしたのだ。先立つ資金くらい渡してやりたい」
「いつも言ってるけどね、依頼者に肩入れするのお止めよ。そんなんだからしなくてもいい辛い想いをするんだよお前は」
「それこそ彼女には関係の無い話だ」
依頼者に無関心な兄と依頼者の気持ちを優先する弟。まるで正反対の意見で一向に交わる気配は無い。
金緑は鬱陶しそうな顔をしてため息を吐いた。
「じゃあこうしよう。そのクリソベリルで商品を作って売る。そうしたら原価分を彼女に渡して利益分だけうちが貰う。予算はお前に任せるよ」
「ふむ。ならばその販売期間は定めさせてもらうぞ。製作期間を除いた販売期間で三カ月だ。その時点で売れ残っていたら現物か換金して返す」
「本当にしっかり者だね、お前は。それでいいよ」
「では誓約書だ。ここにサインをしてくれ」
楔はにやりと笑って一枚の書類を取り出した。
そこには『誓約書』と書かれており、とてもこの場では読み切れないほどの制約文がつらつらと書かれていた。今ここで話したばかりの内容が何故サインをするばかりの形で完成されているのだろうか。
金緑はじとっと楔を睨みつけた。
「……お前、最初からこのつもりだったね」
「さっさとサインしてくれ」
「はいはい。本当に可愛い弟だよ、お前は」
呆れたのか感心したのか、金緑は諦めてさらりとサインをした。印鑑まで要求されて、兄への信頼度の無さがうかがえる。
金緑のサインと捺印を確認すると、楔は満足そうに大きく頷いた。
「よし。ではデザインを考えねばな。兄上、価格帯はどうするのが良いか。傷物は訳あり品として値下げすれば……うむ、社会人女性が手に取りやすい一万円以下で出すとしよう。質の良い物はショーケースに並べる見栄えの良いものが作れそうだ。首飾りと指輪、耳飾りあたりはすべて揃いで作ればまとめて買ってくれる客もいるだろう。魔除けという題目も女性に響くようだし、数珠と根付にもしよう。しかし低価格帯の種類がもう少し欲しいな。ああ、そうだ。爪に貼る部品にすれば安価で個数も」
「はいはいはいはい。好きにおしよ」
楔の長い話が始まるとすっかり面倒くさくなったようで、金緑はひらひらと手を振って部屋を出た。
「兄上!アレキサンドライトはしっかりと宝飾品にしておくのだぞ!」
「分かっているよ」
楔はまだ何か叫んでいたけれど、はいはいと流して金緑は自室へと戻った。
金緑の自室には報酬で得たけれどまだ売り物になっていない宝石たちが並べられている。
そこには硝子から回収した宝石も並んでいた。
「罪悪の変彩金緑石か」
店内にもこの部屋にも、その宝石は硝子の生んだそれだけだった。
金緑は自分の瞳と同じその宝石を手に取り陽に透かして見ると、とても罪悪から生まれたとは思えない美しさだった。
「僕も君のように美しい二面性だったらよかったんだけどなあ」
あーあ、とため息を吐くと、金緑は大切そうにケースへと戻した。
そしてその横には小さなクリソベリルの欠片が並べられている。姉弟のように寄り添った二つの宝石を羨ましそうに眺めると、金緑はぱたりと蓋を閉じて鍵を閉めた。
ふう、と一息ついて座ってお茶でも飲もうとしたけれど、店の方から愛しい弟の声が響いてきた。
「兄上、研磨の依頼客が来たぞ!」
金緑はがっくりと肩を落として、仕事の話ばかりだねお前は、とため息を吐いた。
店に行くと、そこにはおどおどと何かに怯えたような女性が立っていた。その手には大きな赤い石が握られていて、金緑はそれをじいっと見つめると、にっこりと美しく微笑んだ。
「あ、あの……研磨をお願いできるって聞いたんですけど……」
「うん。やっているよ。《誘惑のルビー》の原石だね、それは」
楔は女性の手から石を受け取りくるくると眺めると、うむと頷いて金緑に手渡した。
金緑もそれをじいっと見つめると、ちらりと店の隅に追いやったダンボールを見た。そこには大量のルビーが詰め込まれていて『ワゴンセール用在庫(40%OFF)』と書かれている。
金緑はげんなりと嫌そうな顔をしたけれど、兄上、と楔の厳しい視線が飛んでくる。
こっそりとため息を吐いてからくるりと女性の方を振り向いた。
そしてにこりと美しく微笑むと、女性は顔を赤くした。楔はまたか、と大きなため息を漏らす。
「それじゃあ研磨を始めようか」
変彩金緑石の瞳が埋め込まれた金緑の素顔は今日も美しかった。