大会当日。穂南は落ち着いた心境で競技場に居た。予選は順当に勝ち進むことが出来た。頭の中は一面の夏の青空みたいで黒い染みはひとつもなく、次の決勝でもきっといい成績が残せそうな気がしている。

やがて100mの決勝の時間がやってきて、穂南は他の高校の生徒と共にスタートラインに並んだ。

この期に及んで、頭が澄み渡っているのが不思議なくらいだった。動悸も最小限、体に変な強張りもない。いける、そう思った。

「On your mark」

一列に並んだ挑戦者たちが一斉にタータンの上に手を付き、構える。

「Set」

穂南は目を閉じた。耳を澄ませて、ピストルの音を聞くために。

(勝った時のことを考える……)

目を閉じた一瞬に、脳裏に思い浮かぶ。この真っ青な夏空の下で、一番にゴールラインを走り抜けることを。

『めちゃくちゃ燃えんだよ』

(うん、燃える)

そう思って足に力を籠めた瞬間に。
パン! とピストルが鳴った。走者が一斉にスタートする。ぐん、と、曲げていた脚が伸びるのと同時に、鼻先一つ分、穂南は他の走者より前へ出た。

(いける!)

目の前180度、誰も居ない視界を突き進む。風を切る皮膚の感触が驚くほど気持ちいい。

視線の先に開(ひら)けているゴールラインを見つめたまま、穂南はその一直線上にある観客席に、人影を見つけた。

(……!)

前後させる脚が空気を切って行く。走り抜けたゴールラインをそのままに、穂南はその向こうへと走った。……観客席に、安藤が居た。

「安藤くん!」
「すげー! ホントに一等かよ!」

目を大きく開き、驚きで笑っている安藤に、穂南は言う。

「あんたのおかげだ! あんたのおまじないが効いたんだ!」
「俺もお前のおかげで頑張ろうって思えた! 大学で野球もう一度やる! またマウンドに立ちたいんだ! 前みたいにじゃなくても良いから、俺も前を向きたい!」
「うん、頑張って! 野球は一人が勝負を背負う必要はないから、チームプレーをしたらいいと思う!」
「ははっ、ホントだな! 穂南の言う通りだ!」

穂南のエールに安藤が輝く太陽のように笑った。穂南の胸に、高揚した気分が浮かび上がる。気が付いたら、声を発していた。

「ねえ、もう一個、勝負して良いかな? あんたのこと、好きだ!」

安藤は穂南の言葉を聞いて、ぱちりと瞬きをした。

「一人で走ってても、あんたが後ろに居るような気がしたんだ! だから、めちゃくちゃありがとう!」

穂南の笑顔に、安藤は大口を開けて微笑んだ。

「頑張るあんたが一等賞だ!」

安藤が穂南に向かって手を差し伸べる。穂南が応じて手を伸ばすと、安藤が穂南の手を掬い取って握った。夏の暑い空の下で走ってべたべたの手だったけど、安藤が気にした様子はなかった。それどころか、嬉しそうに穂南を見る。

「変だね。この前まで、あんたのこと嫌いだったのに」
「いーじゃん。恋って、そういうもんだよ」

安藤が清々しいほど明るく笑う。




きらきら眩しく輝く夏の日差しの向こう側へ伸びる道を、二人は一緒に歩み始めた----。