「おつかれさま」
わたしが到着すると、奏はいつもこう言う。どれだけ疲れていても、その言葉だけで心がふわっと軽くなる。
普段ならそのまま自由に過ごすところだけど、今日は美紗に勧められた『猫柳』を聴くことにした。
イヤホンをつけて、再生ボタンを押す。
すると流れる軽やかなメロディー。スターチスとは違ってテンポが速めで、青春って感じの爽やかな曲だ。
『どれだけ心が折れても、自分にしかできないことに挑戦しよう。頑張ってきたんだから大丈夫』っていうメッセージが込められてるんじゃないかな。
その証拠に、ギターを頑張ろうって気持ちが湧いてきた。萎れてた気持ちも、すっかり元通りだ。
もしかしたら、美紗は渡辺先輩に叱られて自信がなくなってるのに気付いてたのかもしれない。
明日、ありがとうって伝えよう。
そんなことを考えながら、もう1度音楽を再生する。
すると、目の前に奏の顔が現れた。
「わぁっ!?」
「ごめんね!?なんの曲聴いてるのかな〜って気になっちゃって……」
「そうだよね、気になるよね。『猫柳』って曲聴いてたんだ」
奏は、目を大きく見開いて、
「猫柳って、…………あ、天音の……?」
と口にした。まるで、信じられないとでも言う風に。
奏が驚いてる理由が分からないけど、とりあえず頷く。そしたら彼は、そっか、と嬉しそうに笑った。
今日の奏は、なんだか不思議だ。
どこかふわふわした、考えてることが読めない表情をしてる。
「猫柳、僕も好きだよ。猫柳ってどんな花か知ってる?」
だけど、次の瞬間にはいつもの奏に戻って、優しい笑みを浮かべてた。
「猫のしっぽみたいにふわふわした花なんだよ。それで、花言葉が素敵でね。努力は報われる……って言うんだよ」
「詳しいね……!あ、スターチスも知ってたりする?」
「うん、知ってるけど……急にどしたの?」
そこで、弦楽部に入ったことや、先輩に叱られたこと、先輩や美紗に天音の曲を教えてもらったことを奏に伝えた。奏と一緒に音楽をするために入部したっていうのは、まだ秘密だけど。
「その先輩と、今日はうまくいかなかったかもしれないけど、響子なら大丈夫だよ。音楽は、人と人とを繋いでくれるから。」
音楽は、人と人とを繋ぐ──。
奏の言葉を、心の中で繰り返す。
あたたかくて優しい言葉は、じんわりと心を温めてくれる。
「それと、一緒にギターの練習しない?僕、天音の歌が大好きなんだ。だから、一緒に天音の曲を演奏したい!夏祭りの準備もできてないし、ちょうどいいかなって」
「いいの?」
ついに奏と音楽ができるのが嬉しくてすぐに返事をしたら、奏は「もちろん!」と満面の笑みで笑ってくれた。
まず、2人で演奏する曲を決めた。
『スターチス』と『猫柳』は絶対だ、という意見は2人で一致した。
スターチスは、渡辺先輩に聴いてもらう曲だし、それに、雰囲気が奏そのままだ。優しくて、あたたかい。
それを奏に伝えたら、「僕のイメソンってこと?」と笑われてしまった。でも、確かにイメソンだ。聴いたら奏の笑顔が浮かんでくるような、そんな曲だから。
そして猫柳は、天音の曲で1番流行ったと言っても過言ではない曲らしい。なんでも、猫柳から天音の人気が出て、そこからスターチスの大ヒットまで辿り着いたそうだ。
つまり、猫柳はたくさんの人が知っているということ。それに、元気が出て、スピード感がある曲だから、夏祭りにぴったりだね、ということで、猫柳も演奏することになった。
「明日にでも楽譜準備しないとだなぁ。早いほうがいいよね?」
「うん。わたし譜読み遅いから、速めだと嬉しいな」
奏に任せきりで申し訳ないけど、奏は「僕が提案したことだし」と微笑んでくれた。
ほんとに奏は優しい。
そんな優しさも好きだ。
「あとは、響子のイメソン探さなきゃだな〜」
奏に見惚れていたら、彼はこう呟いた。
「イ、イメソンなんて歌わなくていいよ!」
「いや、歌う!僕たち相棒なんだから、僕だけなんてだめ。それか、スターチスも歌うのやめる?」
「それはだめ!」
だって、スターチスこそ、奏と演奏したい曲なんだから。
そう思って、つい反射で言ってしまった。
そうしたら奏は、「僕に任せといて。見つけてくるから」とニッと笑った。
奏にわたしのイメソンを選んでもらえると思うと、ちょっと嬉しい。
そんなことを考えながらギターを触っていたら、いつのまにか帰る時間になっていた。
奏にさよならを言って帰ろうとしたら、引き止められた。
「響子、今週末空いてる?響子とお出かけしたいんだ」
「今週末……は、空いてる!」
わたしの答えに、奏ははじけるような笑顔を浮かべる。
その笑顔は、おひさまみたいに明るい。
奏と会うたびにどんどん『好き』が増えていく。