自転車を止めて、ギターを背負いなおす。
 ギター。あの夢の中のギター弾きの男の子に憧れて、小6のときに始めた。
 最初はギターの弾き方さえも分からなかった。
 でも、5年近く弾いてれば、出したい音を出せるようにはなる。
 わたしは、聴いた人を惹きつける、魔法みたいな音色は奏でられない。
 でも、わたしの目標はギタリストとして生きていくことじゃない。
 視線の先、堤防の階段に座って夜空を見上げる人影。
 彼に駆け寄って、ぽんと肩を叩く。
「遅くなってごめん。待った?」
 振り返った彼のアーモンド型の瞳がわたしを捉える。
「すっごい待った」
 いたずらっ子みたいに笑うのは、伊吹奏。わたしの、期限付きの相棒だ。

         *

 わたしと奏が出会ったのは、1ヶ月くらい前。
 無性にギターが弾きたくなって、人気のない場所を探していたら、声をかけられた。
 後から訊いたら、家出しているのかと心配になって見にきてくれたらしい。

『こんばんは。大丈夫ですか?』

 そうやって尋ねてくれたときの優しい微笑みは、今でも忘れられない。
 
『ちょっとお話ししませんか?……って、不審者みたいですね』

 そのとき見せてくれた笑顔も、優しくて、すてきだった。
 それから、近く堤防沿いまで移動しながら、お互いのことについて話した。
 同じ高校2年生と聞いたときは、すごくびっくりした。奏には妹がいるそうで、わたしも弟がいるから、その話で意気投合してすぐに仲良くなった。
 あと、先を行く彼がほんの少しだけ口ずさんだメロディーも忘れられない。どこか懐かしい、優しい声だった。ちょっとしか聞こえなかったけど、そのメロディーは、今もわたしの頭を流れ続けている。

『ギターしてるの?もしよかったら聴かせてほしいなぁ』

 奏はわたしが背負ったギターを指差しながらそう言った。
 ギターを弾くのはかまわない。でも、わたしは歌えない。まわりの女の子たちよりも低い声に、「歌いたい」って気持ちが邪魔されてしまう。

『無理して歌わないでいいんだよ。つらい思いして音楽しても、楽しくないでしょ?響子の音楽が聴けたら、それでじゅうぶん。それに、ギター弾くなら歌わなきゃいけないってことはないし。ギター弾くのも嫌だったら断っていいんだよ。』

 低い声がコンプレックスだから歌えない、と言ったら優しく頷いてくれた。
 その笑顔と言葉がわたしの心を救ってくれた。
 ギターだけでもいい?と尋ねたら、もちろん、とでも言うように微笑んでくれた。
 
『すごい!響子の音、あったかくて、すっごい好き!』

 ギターを弾き終わった後、奏はキラキラした瞳でそうまくしたてた。
 緊張でリズムが速くなってたし、あんまり綺麗な音は出せなかった。
 でも、奏の言葉はお世辞には聞こえなかった。
 わたしの音楽を好きだなんて言ってくれた人は初めてで、心臓がぶるぶる震えた。嬉しかった。すごく、すごく。

『ねぇ、響子。これ、興味ない?』

 興奮が冷めないわたしに見せてくれた、1枚のチラシ。毎年この近くの公園で開かれてる夏祭りのチラシだった。
 そして、奏が指差す先に「ライブコンサート」の文字。お祭りの最初、10組くらいの音楽が演奏されるイベントだ。

『もし良かったら、僕と一緒に出ない?響子と僕の音楽、相性いいと思うんだ』

 奏の歌はすてきで、聴き惚れてしまうくらいだった。でも、わたしは素人なのに。
 さすがに一緒に出るのは申し訳ないよと断ったけど、奏は首を振って微笑んだ。

『響子と一緒に奏でてみたいんだ』

 奏1人で出た方が成功するのに。そう思ったけど、言葉を呑み込んだ。
 記憶の中、頭の奥底で、何かがチカッと閃いたから。
 もう1度、彼の歌を聴きたいと思ったから。
 ゆっくり頷くと、奏はやったぁ!と子どもみたいに無邪気な顔で笑った。
 そして、月明かりの下、約束した。

『僕らは夏祭りまでの期間限定ユニットだよ』

 小指を絡め合って、嬉しそうに笑う奏。
 その夜に見たいくつもの笑顔が忘れられないのは、──恋に落ちたからだ。たぶん。
 でもそれは、一目惚れじゃなくって、一耳惚れなんだろうな、と思う。

         *

 毎日、この堤防沿いに集まってはいるけど、いまだに奏と一緒に音楽をしたことがない。
 期間限定で、しかも夏祭りまであと2ヶ月くらいしかないのに、大丈夫なのかな。
 こっそり奏に目をやれば、また星を眺めてる。
 奏は毎日空を見つめる。星が見えない曇りの日も、ずっとだ。それか、わたしのギターを聴いて微笑むくらい。
 奏がここでしてることといえばそのくらいで、そもそも、奏の音楽をちゃんと聴いたのは1回きりだ。
 かくいうわたしも、ギターを弾くのはちょっとだけ。気が付けば奏を見つめてる。
 ほんと、恋ってめんどくさい感情だ。
 こんな気持ちを抱いてしまった自分が恨めしい。
 はぁぁ、とため息をつくと、奏がわたしを振り向いた。
「なんかあった?大丈夫?」
 しかも間近で顔を覗き込まれて、顔に熱がのぼる。
「大丈夫、元気だよ」
 ガッツポーズをして見せると、「ならいいけど……」と奏は顔を遠ざける。
 そして彼は俯いて、黙り込んでしまう。
 わたしはギターを取り出して、弦を弾く。
 そのメロディーは、無意識にあの2人の音をなぞってたみたいだ。
 なんで夢の中の歌を、こんなにはっきり覚えてるんだろう。
 不思議に思って手を止めてしまう。
「やっぱり響子、疲れてるよ」
 その姿が疲れてるように見えたのか、奏が顔を上げる。
 あんまり心配させるのも悪い。そう思って、彼の視線を振り切るようにギターをかき鳴らす。
 その音で、気付けなかった。
 奏が「ごめんね……僕が歌ってあげられなくて……」って呟いたのが。