目の前のステージは、すごく大きい。
「すごい立派だね。緊張してきた……!」
 となりで奏が、大きなため息をつく。
「奏!緊張しないでいいんだよ。歌えなくっても間違えてもいい。聴く人の心に響けばそれでいいよ!」
 花は満開じゃなくても美しいんだから、完璧を貫かなくてもいいはずだ。
「そうだね」
 奏は笑顔を浮かべて、空を見上げる。
 きっと、天音ちゃんと話してるんだろう。
「6番bouquetさん!準備お願いしまーす」
 進行のお姉さんがわたしたちを呼ぶ。
 ついに始まるんだ。
 わたしたちの、最初で最後のステージが。
「響子。ありがとう」
 奏は、一瞬だけわたしを抱きしめて微笑む。
 頑張ろうねの気持ちを込めた行動だって分かってるのに、顔が真っ赤になってしまって。
 火照った顔を手で扇ぎながら、奏の後を追いかけた。

         *

「こんにちは!bouquetです」
 ステージに立ったとたん、奏はマイクを取った。
 ライトが当たって輝くその姿は、歌手のライブみたいだ。
 でも、その声はちょっと震えてて。
 わたしが奏に近寄ろうとしたら、彼はこっちを見て大丈夫、と口を動かした。
「僕たちの歌が、あなたに届けばいいな。そういう思いで歌います。それじゃあ、聴いてください」
 となりでマイクを握る奏から、頑張るぞって気持ちが伝わってくる。
 そして、彼は息を吸って、ついに歌を歌った。
 奏の歌声は、優しくて、あたたかくて。何度も天音の歌を聴いてきたはずなのに、感動して泣きそうになる。
 涙を堪えてわたしも弦を弾く。
 最初に歌うのは、猫柳。アップテンポな曲だから、ライブの最初にぴったりだ。
 奏は、ひとつひとつの言葉を語りかけるように歌う。そして、観客みんなを見ながら歌う。
 奏の高音がうまく出ない。声が震えてうわずる。
 それでも、席を立ってどこかへ行く人はいない。奏の声が外れるたびに、みんな奏を見守ってる。頑張れって声が聞こえてくる。
 奏、大丈夫だよ。
 みんな奏を責めたりせずに、手拍子を打ってくれる。
 奏の歌で会場がひとつになってるよ。すごいよ。
 奏が最後のフレーズを歌い終えた瞬間、会場に拍手が巻き起こる。
 奏はその光景に目を見開いて、ゆるゆるとわたしの方を向く。
 こんなことってあるの……?そう聞こえた気がした。
 あるんだよ。そう口を動かして微笑む。
 奏は、自分が思ってるより何倍もすごい人だ。大きなものを抱えて背負って、それだけでもすごいのに、歌を歌って、誰かの心を動かして。
 そんなことを考えながら、楽譜をめくる。
 たぶんリンドウは、天音ちゃんが奏に向けて書いた曲だ。
 わたしがいなくなっても、奏は幸せになってね……って。どこか切なさがあるのは、命の終わりを感じていたからかもしれない。
 リンドウだけじゃない。他の曲もみんな、天音ちゃんが遺したものだと思う。ほんとは奏と2人で演奏したかったはずだ。
 ──天音ちゃん、聴いててね。
 奏と目を合わせて、掛け声を合図にキーボードとギターの演奏を始める。
 すると、観客の人たちが、左右に手を振り始める。
 ステージから見るその光景は、まるで波みたいだ。
 奏は、キーボードを弾きながら微笑んでいる。歌声も元気が出てきて、リンドウの優しいサビにぴったりだ。
 その笑顔が観客席にもうつって、笑顔の花が咲いていく。
 奏は、楽しそうに音を鳴らす。
 こんな姿を見たのははじめてだ。
 奏は歌い終わって、ゆっくりキーボードから手を離す。
 顔を上げた奏の表情は、今までにないほど爽やかで晴れやかだった。
「みなさんの明日に、小さな幸せが溢れていますように。大切な人がその隣で笑っていますように」
 奏の頬を、ひとすじの涙が伝う。
 奏と突然会えなくなって、わたしも分かったんだ。毎日誰かと笑っていることが、音楽が溢れていることが、どんなに幸せか。
 奏は、ひとりひとりを見つめて、最後にわたしに向いて笑う。
 そして、キーボードを弾き始める。
 奏は優しく優しく鍵盤を押して、今までにないほど丁寧に、柔らかい声で歌う。
「ありがとう。ありがとう。ずっと側にいてくれて。約束してくれますか?これからもずっと側にいることを」
 奏が1番のサビを歌ったとたんに、ぼろぼろ泣き出す。
 きっと、天音ちゃんのこと、思い出しちゃったんだよね。
 ずっと一緒にいると思ってた天音ちゃんが、急にいなくなって。寂しかったよね。つらかったよね。
 奏はピアノを弾く手を止めて、歌を止めてしまう。
 でも、わたしが止めさせない。2人で立ち向かうって決めたから。
 今までより強くギターを弾いて、そして大きく息を吸う。
 奏の歌には到底敵わない、我ながら下手な歌だ。
 うわずる声に、ひとりの声が重なる。観客のお兄さんだ。それをきっかけに、ひとり、ふたり、どんどん歌が広まっていく。
 ついには、みんなで大合唱になった。
 天音ちゃんに届くほど大きな声が会場に響く。
「ありがとう。ありがとう。これまで笑っていてくれて。約束してくれますか?ずっと幸せに生きることを」
 奏は涙を拭って、ピアノに手を添える。
 そして、ゆっくりゆっくりメロディーを弾き始めた。
 最後のサビ、奏が力強く音を鳴らす。
 会場の人たちも、泣いたり笑ったりしながら歌を歌う。
 音楽って、こういうものだよ。
 みんなの心を通じ合わせるのが音楽。
 誰かの心に寄り添うのが音楽。
 会場にいる人たちの瞳は、星を散りばめたみたいにきらきら輝いている。
 そして今この瞬間、音楽を楽しんでいる。
 奏が泣きながら笑って、最後のフレーズを歌う。
 どうか、彼ら──奏と天音ちゃんの音が、鳴り止むことがありませんように。
 2人の音楽が、ずっと響き続けますように。
 そんな願いを込めて、最後の音を奏でた。