「うわあ、タイムスリップしたみたいっ」

 小走りで私が真っ先に向かったのは、窓際の一番後ろ。ガタンと椅子を引っ張り出し、そこへ座る。

「うちの学校ね、席とか健康診断の順番とか、なにかと誕生日順で決めることが多かったの。だから三月末が誕生日の私は、いつもこの席が定位置だったんだ。新学期となると大体ここからスタート。周りのみんなは羨ましがってたけど、いつも端っこの私はクラスに馴染むのに手間取って困ってたよ」

 ぐらんぐらん。椅子を前後に揺すって記憶を辿り寄せる。

「あーそうそう、そういえばいつもこんな景色だったなーっ。みんなの後ろ姿見ながら、『あ、あの子寝てるー』とか、『あ、あの人お菓子食べながら授業受けてるー』とか、色々ヒューマンウォッチングしてさあ。それは一番後ろの席の特権だねっ。早弁してもそんなに気付かれなかったし」

 そんな回想をして楽しんでいると、アオは遠く離れた廊下側、一番前の席に座った。

「じゃあ俺は四月三日生まれだから、新学期はここスタートだね」

 同じ学年、同じクラス。それなのにアオのいる場所は遥か彼方に感じた。ぎゅるると疼くは鳩尾(みぞおち)の辺り。

「教室ってこんなに広かったっけ……」
「え?」
「だって、アオがすごく遠くに感じる」

 これだけの距離で不安になるのに、果たしてアメリカとの遠距離恋愛など続けられるのだろうか。しかもアオが日本に帰ってくる確率は三パーセント。その三パーセントに、希望はある?

 悶々と葛藤していると、それをアオが見破った。

「遠いよ、教室の端っこと端っこだもん。そしてアメリカはそれより遠い」

 私は下唇を噛んで、そんなことを言ったアオを睨む。

「で、でもっ。アオは帰ってきてくれるでしょ?」
「帰ってきたいよ」
「じゃあ帰ってくればいいじゃんっ」
「だから三パーセントの確率でしか帰ってこられないんだって」
「なんでっ」
「用事があるから」
「三パーセントでしかその用事は片付けられないの?」
「そう」
「じゃあ絶対片付けてよ!そしたら三パーセントだってなんだって、また会えるんだから!」

 自分でも信じきれていないのに、アオの前では強がる自分に驚いた。だけどそれを信じなくては、潰れてしまいそうだった。

 この話になると、奇妙な沈黙が流れてしまうのは毎回同じ。アオは「ベランダで食べるか」と話を逸らした。

 校庭を見下ろしながらジュースで乾杯。足の裏が真黒になるだとか、そんなことは何も気にならなかった。

「サッカー部員も大変だなあっ。こんな暑い中でも練習あって。感心感心」

 肌を茶色に焦がしながらスポーツに勤しむ彼等を見て、アオがおじさんくさい台詞を吐く。雰囲気を変えようとしてくれている彼に私も合わせた。

「アオは学生時代なんの部活だったの?」

 おにぎりをひとくち齧ってそう聞くと、アオも頬張ったそれを片頬に寄せて答えた。

「俺は帰宅部」
「え、意外」
「そう?」
「意外だよ。ちょこまか動き回るの好きそうなのにっ」
「あはは。ちょこまか」

 そこまで話してふと気付く。そういえば中学時代のアオは、あまり登校していないと言っていた。
 気まずくはなりたくない。だから声のトーンを上げる。

「うちの中学はさ、みんなどこかしらの部に所属しなきゃいけなかったんだよねー。だから帰宅部とか羨ましいなあっ」

 何かしら特別な理由がない限り、許されなかった帰宅部への所属。それを許可された者は同学年ではひとりしかいなかった。不登校気味だった彼の顔は思い出せないけれど、たしか名前は──

「いいもんじゃないよ、帰宅部なんか」

 そのひとりの名前を思い出そうとしていると、手すりに背を預けたアオが言った。

「帰宅部なんて名前だけで、部活動じゃないじゃん」

 怒っているとも不機嫌ともとれるアオの態度。だけど次の瞬間には笑って「寧々の部活はなんだったの?」だなんて聞いてくるから、単に私の思い過ごしなのだろうと判断した。