ポタリ、冷たいアスファルトに涙の染みが落ちた。
裏悲しい風に乗って、僕をただ静観するような、そんな闇に溶ける声が聞こえてきたんだ。

──なんだ?
僕以外はこの場所に誰もいないはずなのに。

ショックのあまり、幻聴が聞こえるようになってしまったのか。
今もこんなに、彼女の顔が脳裏をよぎって仕方がなかった。

こんな僕を羨ましいと言ってくれた。
格好いいと言ってくれた。
大好きだと言ってくれた。
だけれども、僕はこんなにも非力なのだ。嗚咽を漏らして、冷たい地面に丸くなっていることしかできない。

彼女の声がもう一度聴きたい。
もう一度、僕の名前を呼んでほしい。

自らの死を選択させてしまうだなんて、そんなの、悲しすぎるじゃないか──。


「うっ、ああっ…ああ」
「泣いてばかりでは、変わるものも変わらないぞ、愚か者め」
「……っ、え?」


また、冷たい夜の風に乗せて誰のものかも分からない声が聞こえてきた。
顔を上げて周囲を確認する。
僕の背後には1匹の黒猫が座っていた。


「もう一度云う。あの娘を助けたいか」
「ね……こ?」
「いかにも。小僧、猫が口をきくなんてあり得ないといった顔をしているな」


僕は、ショックのあたり頭がどうかしてしまったのかもしれない。
身を何度も擦ってみたが、妙に達観した声は猫の口の動きに合わせて聞こえてきた。しかも、この鈴の首輪は──どこかで。


「君は……」
「妾と貴様は、何もはじめて会ったわけではないだろう。今しがたそこから飛び降りた哀れな娘とともに、寺の境内にて戯れてやったはずだが? 妾はその辺を彷徨いているただの猫ではないというのに、不敬にも撫でくり回しおって」


寺の境内。
まさか、あの時の黒猫だというのか。

それにしても猫が口をきけるわけがない。
それなのに、何故僕には言葉が分かるんだ。


「愚かな人間は何故、簡単に死にたいと口にするのだろうな。己が人生はこれでおしまいだ、誰も味方はおらぬと諦めて、自ら命を絶つ者が耐えぬのだ」

膝をついて涙を流している僕のまわりを、黒猫は悠々と歩き回る。
月明かりに妖しく照らされているこの子の足もとをよく見て目を丸くする。
──…透けていたからだ。


「小僧よ。ここから飛び降りをしたとて、楽に死ねると思うか」
「……っ、やめて、沢多さん、はっ」
「このくらいの高さの建物から身を投げたとて、まず楽には死ねんだろうな。下に生えている木々にでもぶつかりさえすれば、意識など飛ばぬ。地面に叩きつけられた激痛は想像もできぬものだろう。一思いに殺してほしいともがき苦しみながら、地獄を味わって死んでゆくのだ」


とっさに耳を塞いだ。
あまりに辛すぎる内容だったからだ。
沢多さんが苦しんで死んでゆくところなんて考えたくもなかった。

それなのに、この黒猫はこんなショッキングな内容も淡々と口にする。
チリン、と浮世離れしている鈴が静かに鳴った。


「妾の散歩コースであるあの寺の境内にて会うた時にはすでに、娘にはひどい死相が出ておった。じゃから気になって貴様らの行く末をこうして見ておったのだが、なんとまあ人間というものはこうも非力なのだろうな」


──死相?
あの時から?

僕と肝試しをした時にはすでに、沢多さんは自ら命を絶ちたいと思っていたというのか。
いや、違う。そうじゃない。僕にできることがまだあるはずで。

「っ、うっ、はあっ」
「なんじゃ? 娘が目の前で飛び降りる様を目撃して、ただ腰を抜かして泣いておったというのに。急に立ちあがろうなどと」
「……っ、彼女を助け、ないとっ! まだ息があるかもしれないっ! 下に降りて、先生を呼んで、救急隊を……」
「──無駄だ、もう助からぬ。娘の命の灯火はもうまもなく完全に消え失せる。延命を施そうとも、再び眼を開けることはないだろう」
「そんなことっ……言わないで! 嫌だっ、彼女が死んでしまうなんてそんなのあんまりだっ…! 嫌だ嫌だ嫌だっ…!」
「そうメソメソと泣くでない。あの娘の魂は幸いにも、まだ冥界にはやってきてはおらぬ」