寿命の見える少年と幸薄少女、硝煙の香り。





 赤羽ミレイの寿命は延長された。
 先ほどの一件のことは謝罪していま、帰り道を歩いている。
 突然に突き飛ばしたことで怒られたり、あるいは嫌われることも考えた。それでも、ミレイは苦笑いを浮かべて――。

「大丈夫だよ。……よくあるから」

 そう口にした。
 よくある、というのはどういうことか。
 確実に言えるのは、それというのは俺が彼女を突き飛ばしたことではない、ということだった。ミレイは自分が狙撃されたこと理解している。
 そして、それを「よくある」と、そう表現した。

「ミレイ、あのさ……?」
「どう、しました。ミコトくん」
「あー、いや。やっぱりなんでもない」

 俺はその違和感を訊こうとして、踏み止まる。
 それを訊かれると察知したのだろうミレイの肩が、大きく弾んだのだ。それはつまり、彼女自身そのことを訊かれることを、その先に踏み込まれることを恐れている。その証拠に他ならなかった。

「…………」
「…………」

 だから、互いに無言の時間が続く。
 そしてそれは、永遠に続くようにも思われた。その時だ。



「お嬢様ぁん! 申し訳ございませんでしたぁん!」



 …………ん?
 なんだろうか、空気をぶち壊す男性の声が聞こえた。
 しな垂れかかるような、背筋が凍る声色。それが、後方から……。

「……うわぁ」

 自然とそんな声が漏れた。
 内股で走り寄ってきたのは、声の主に相違ないように思われる。
 屈強な2メートル以上はありそうな身体を黒服に包み、サングラスをかけていた。二つに割れた顎に、突き出された分厚い唇。そして、腋をキュッと締めている。そんな感じで両手を上げながら、彼はこちらへとやってきた。

「……ダース」
「やっぱり、知り合いなんだ……」

 その男性――ダースの名を口にしたミレイに、俺はがっくりと肩を落とす。
 出来れば関わりたくはなかったが、関係者なら仕方ない。
 俺は小さく会釈をしてみせた。すると、

「あらぁ? 礼儀正しい、可愛い子じゃない。わたし、興奮しちゃう!」
「その反応、手順を数段飛ばしてませんか?」

 そんなことを言うので、俺は初対面にもかかわらず冷めた声でツッコむ。
 ダースはそれを受けてくすりと笑った。しかし突然、

「それよりもぅ、お嬢様――申し訳ございませんでしたぁ!」

 ミレイに向かって、深々と頭を下げる。
 そこには先ほどまでのふざけた色などなくて、心からのそれがあった。
 どういう意味なのかは分からなかったが、俺はひとまずミレイの反応を待つことにする。すると彼女は柔らかく微笑んで、髪を撫でながら答えた。

「……大丈夫です。ミコトくんが、守ってくれましたから」

 そう、少しだけ悲しげに。
 俺はそんなミレイに、かける言葉を持たなかった。
 それに反応したのはダースという男性。彼は俺を見ると、こう口にした。

「小さな英雄さん? この度は、うちのお姫様を守ってくれてありがとう」
「は、はぁ……。どういたしまして……?」
「だけど――」

 そして、声色を変えて続ける。




「ミコトちゃん? 貴方はもう、関わらない方が良いわ」――と。




◆◇◆


 俺はダースと二人きりで話をすることにした。
 さっきのことがあったが、ミレイの寿命は大丈夫そうだ。そのため心苦しいが、ここは状況把握のために離れた方が良い。
 どうやらこの話をするのは、ミレイが嫌がる様子だったから。

「それで、どういうことなんですか?」

 それでも視界に入る位置に彼女を置いて、俺は突然現れた男性に訊ねた。
 彼は少し考えると、こう訊き返す。

「むしろ、ミコトちゃんがどこまで知っているか。それが知りたいわ」
「なにも……。俺はあくまで、ミレイの友達なだけです」
「友達……、ね」

 なんだろう。俺の返答に、ダースの瞳が潤んだ気がした。
 だがすぐに気を引き締めると、彼はこう言う。

「お友達なら、もっと距離を置いた方が良いわ。命が惜しければ……」
「命が、惜しい――だって?」

 それに、俺は眉をひそめた。
 ハッキリとしない、大事なところを隠されている。そう思えた。
 だから、ダースの目を真っすぐ見つめてこう告げる。

「もう、はっきり言って下さい。ミレイは――」

 それは、決定的なこと。


「彼女は、何者なんですか……?」


 その問いかけに、相手は鋭い眼差しでこう返した。

「ミレイお嬢様は――」

 事実だと、それに込めて。




「フランスのマフィア――『イ・リーガル』のご令嬢よ」






 ダースは俺にこう語った。

「ミレイお嬢様は『イ・リーガル』のトップ、J・D・スロート様の愛娘。日本人の母親との間に産まれた子供なの。赤羽というのは、母方の姓よ」

 静かに、まるで赤子に聞かせるように。

「……順調にいけば、後々には『イ・リーガル』を束ねるはずだった。ところが、内部で派閥が出来てしまってね? 命を狙われたお嬢様は各国を転々として、最後にこの日本に逃げてきた」

 俺は強く拳を握りしめる。

「今日のように、彼女は命を狙われ続ける。場合によっては事故にみせかけて、とかね。貴方とは住む世界が根本から違うの、ミコトちゃん」
「住む世界が、違う……?」

 そして、ようやく絞り出したのはそんな声だった。
 それは夜風に流れて、ダースにのみ届く。彼は小さく一つ頷いて言った。
 サングラスを外して、蒼の瞳で俺のことを見つめて――。




「だから、もう関わるのはやめなさい。死にたくないなら」――と。


◆◇◆


 ――自室のベッドに倒れ込み、俺は仰向けになるよう寝返りを打った。
 なんの実感もわかない。今日起きたことはあまりにも非日常的で、非現実的で、非常識なことだった。もっとも、常識に至っては『日本の』という言葉が付くが。
 だが、そんな細かいことはどうでも良い。とにもかくにも、今まで平々凡々な学生生活を送ってきた俺にとっては、完全にキャパオーバーだった。

「…………」

 ため息もでない。
 薄く開いた口は塞がらないし、全身に力が入らない。
 だって、思いもしなかった。普通に人生を送っていて、死にたくないなら、なんて言われるなんて。そんなのラノベとかアニメの中だけだと思ってた。

 それでも、現実なんだよな、と思う。
 目を閉じればまだ、あの銃撃の時のことがよみがえってきた。
 赤羽ミレイはフランスマフィアの娘であり、その命を狙われている。それはどう足掻いても現実なわけで、俺にはどうしようもないことだった。

「どうしようも、ない……」

 そう。そうだとも。
 俺には無関係なことだったと。
 今ここで、そうだと割り切ってしまえばすべてが終わりだった。

「そんなの……!」



 ――でも、できなかった。



「赤羽は、ミレイは――彼女だって普通の女の子のはずなんだ!」



 俺はそう口にして、身を起こす。
 今日見た彼女の仕草や、子供に話しかける姿、そして何よりも普通の暮らしがしたいと。そう語っていた姿には、普通の女の子であることしか感じなかった。
 そこにマフィアだとか、命の危機だとか、関係ない。

 俺は、ただ一人の友人として。

 赤羽ミレイのことを守りたいと、そう思った。
 惚れた腫れたはもう、いっそのこと度外視。いまはただ――。


「気合を入れろ、坂上命……!」


 ドン、と胸を強く叩いた。
 口から漏れた決意は、誰の耳にも届くことはない。


◆◇◆


「おはよう、ミレイ! 今日もいい天気だな!」
「えっ……? ミコト、くん?」

 翌朝――俺は校門の前にいたミレイに声をかけた。そして、

「悪いけど、少しだけ時間いいか?」

 人気のない校舎裏へと彼女を呼び出す。
 ミレイは驚きに目を見開きながら、しかし拒否することはなかった。

「……で、話なんだけど」
「はい……」

 俺がそう切り出すと、彼女は身を固くする。
 キュッと拳を胸の前で握りしめ、今にも泣き出しそうな顔でうつむいた。俺はそんなミレイに向かって、迷いのない結論をぶつける。



「俺が、ミレイのことを守る。何があっても」――と。



 それは、彼女にとっては想定外のことだったらしい。

「えっ……!?」

 またも目を見開くと、頬に一筋の涙が伝った。
 呆然とした表情。そんなミレイは、どうにか言葉を絞り出した。

「そんな、私にかかわったら――」

 ――命が危ないのに、と。
 そう現実を口にしかけて彼女は、唇を噛んだ。
 色んな感情がない交ぜになっている。そのように思われた。
 だから、そんな不安を打ち消すように俺は笑みを浮かべてこう伝える。


「俺はミレイの初めての友達だ。大好きな友達が困っていたら、手を差し伸べる。それは当たり前のことで、どんな状況になっても変わりはしない!」


 そして、おもむろに手を差し出した。
 これは意思表示。俺はもう、決意表明をした。
 あと、それを受けるか決めるのはミレイの方だった。


「ミコト、くん……!」


 震えた声で、彼女は――。



「ありがとう……!!」



 言って、こちらの手を取った。
 瞬間に俺は、彼女を強く抱きしめる。
 胸の中で泣きじゃくるミレイ。そんな彼女を守るように。


 どんな未来が待っていようとも、この決意だけは変わらない。
 運命とやら、どこからでもかかってきやがれ……っ!


 




 ミレイを守ると宣言した夜のこと。
 俺は自分の部屋で計画を練っていた。なにかと問われれば、いかにすれば彼女が普通の女の子として暮らせるか、というもの。
 マンションに送り届けた後は、ダースと初日の黒服男性がいる。そのため俺が基本的に注意するのは、彼女の寿命が急に短くならないか、ということ。
 そして、もう一つは彼女を笑顔にすることだった。

「…………んー」

 とは、思ったものの。

「お、思いつかねぇ……!」

 女の子と遊ぶ機会なんてまるでなかった俺だ。
 そんなわけで、妙案がちっとも思い浮かばなかった。先日のデートはほとんど雑談してただけだし、スイーツは食べたけど、それ以外にミレイが喜びそうなものが思い浮かばない。いいや、そもそも普通で良いのか? 話はそこからのようにも思えて……。

「あがぁ――っ!? 駄目だぁ!!」

 俺は椅子からベッドへとダイブ。
 そして、己の甲斐性のなさに小さく涙するのだった。
 するとその時――。


「お兄ちゃん、なに騒いでるの? うるさいんだけど……」


 光明が差した。

「あ……」

 そうだった。
 年頃の女の子が、我が家にはもう一人いるではないか。
 坂上海晴――俺の一つ下の高校一年生。こいつ、それなりに流行を気にしているらしく、そういった情報については俺よりも詳しい。
 だとすれば、ここはもう兄の威厳だとかそんなのどうでもいい。


 大好きな女の子を笑顔にするためだ。
 俺はいかなる犠牲をもいとわない――!


「海晴サマ! お願いがあるであります!!」
「え、なに急に――キモいんですけど」
「ぐふっ……!?」

 おのれ、海晴の奴め――的確に傷付くことを遠慮なく言ってきやがる!
 だが、今日の俺はその程度では屈しないのだ。
 深々と頭を下げ、

「頼む、俺と一緒に――」


 その願いを口にした。


◆◇◆


 その週末のこと。俺は、近所の駅前を歩いていた。
 隣にはミレイ――ではなく、海晴である。何故かというと、俺が妹に願い出たからだった。『頼むから、女の子の喜ぶことを教えてほしい』、と。
 まぁ、その代償は大きかったわけだが……。

「話題のクレープデラックス、奢りだからね? 分かってるよね」
「分かってるよ! ……くそ、小遣い日までもつか?」

 そんなわけで。
 俺は財布の中身と威厳を代償に、知識を得たのだった。
 いまはその帰り。海晴のいうところの『クレープデラックス』なるものを買いに向かっていた。そうしていると、唐突に妹はこう口にする。

「それにしても、お兄ちゃんが三次元の女の子に興味を持つなんてね?」
「なんだよ、人をキモヲタみたいに……」
「いや、オタクでしょ」

 反論すると、そんな言葉が返ってきた。
 一刀両断。

「で? なんだよ。なにが言いたいんだ?」
「いやー? お金の使い道なんて、ラノベかマンガ、アニメのDVDしかなかった兄が成長したんだな、と。妹の私としては嬉しい限りなのよ」
「……ずいぶんな言いようだな、おい」
「でも、事実でしょ?」
「…………」

 海晴はててて、と先を歩くとこちらを振り返った。
 そして、こう言う。


「いまのお兄ちゃんは、たぶんカッコいいよ!」――と。


 満面の笑みで、本当に嬉しそうに。
 しかし俺はそれに対して、不満をぶつけるのだった。

「『たぶん』は余計だろ……?」
「これからに期待、という意味ですよ~、っだ!」 

 すると、ころころと笑うのだ。
 その反応に、俺は呆れて肩を落とそうとした。その時だった。


「ん、アレって……?」


 どこか、見覚えのある人物を見かけたのは。
 それは最初にミレイを助けた日に、彼女を迎えにきた黒服の男性だった。
 服装は少しラフなそれだったが、サングラスをかけた顔立ちはそのままだから分かる。そして、そんな彼の隣を歩くのは……。


「――――っ!?」


 ミレイだった。
 それだけなら良い。休日なのだから、と思った。
 しかし見過ごせないことがある。それというのは、もちろん――。


「また、少なくなってる!」



 またもや、彼女の寿命が短くなっていることだった。


 





「お兄ちゃん、なにやってるの……?」
「静かに! いいか、音をたてるなよ?」

 俺は早速、ミレイと黒服の男性を尾行した。
 流れとはいえ海晴もついてきてしまったが、これは不可抗力。
 なるべく家族は巻き込まないように。そう思っていたが、仕方なかった。

「昨日はまだ、そんなに短くなかったはず」

 リミットは2時間後。
 昨日、学校で会った時はまだ余裕があったはず。
 それだというのに、いったいなにが彼女の寿命を縮めたのか。その可能性を考えると、相変わらず肝が冷える。だけど、俺は深呼吸をして思考を巡らせた。

「あの男は、ボディーガードのはず」

 状況を改めて確認する。
 いま、俺たちがいるのは街角を曲がった先にある路地裏だった。
 普段なら間違えても入らない、そんな場所。そこにミレイは警護の男性と二人きりで入っていった。そして、迷わずに進んでいく。
 それを考えると、何かしらの目的がある、ということか。
 そうなると――。

「ねぇねぇ、お兄ちゃん? これってストーカー?」
「ぶふっ……!」

 そのタイミングで、後ろに隠れた海晴がそんなことを言いやがった。
 俺の思考はそこで一度、寸断される。

「な、なに言ってんだ!?」
「だって。お兄ちゃんの好きな人って、あの女の子なんでしょ? それを黙って追いかけるなんて、正直言って気持ち悪いよ」
「うるさいな! これには、深いわけが……」

 身の潔白を証明するために、俺は小声で必死に訴えた。
 だが、そうしていると。

「……って、見失った!?」

 いつの間にか、ミレイたちはどこかへ消えていた。
 ええい。こんなアホな会話のせいで、あの子を死なせてたまるもんか!

「海晴、お前はここで待ってろ! いいな!?」
「あ、え? ちょっと、お兄ちゃん!?」


◆◇◆


「くそ、どこに行ったんだ……?」

 俺は路地裏を駆け回って、彼女たちを探した。
 しかしすでに、どこかの建物の中に入ってしまったのか。どこを見回しても、それらしい影に出会うことは叶わなかった。
 次第に焦りが強くなってくる。
 ここまでか、と。そんな気持ちまでもが生まれた、その時だった。

「ん、この声は――ミレイ!?」

 微かにだが、彼女の声が聞こえた。
 それは一つの建物の中から。俺は少し考えてから――。

「いいや、考えてる場合じゃない、よな」

 すぐにそう結論付けて、そこへと足を踏み入れた。
 その瞬間。



「――――動くな、手を挙げろ」



 カチャリ、と。
 右側頭部に、黒く硬いなにか冷たいものを突き付けられた。
 聞こえたのは男性の声。その声には、聴き覚えがあった。それは、

「ほう。ずっと尾行されているから、誰かと思えば……」

 ミレイの護衛の男。
 彼は感情のこもらない声で、そう言った。

「お嬢様のことをつけていた、か。そういえば、あの時もそうだったな」

 男性は淡々と言葉を並べていく。
 どうやら、俺のことをかなり警戒している様子だった。

「お、俺は――」
「おっと、喋るなよ? 数秒でも長く生きていたいならな」

 弁明を計ろうにも、その権利さえ奪われる。
 不味い、と。背筋を冷たいものが伝っていった。
 このままでは、ミレイを助ける前に俺が死んでしまうかもしれない。それではダメだ。しかし、寿命が見えるだなんて話が、こんな状況で通じるとは思えない。

 静寂の中には、張り詰めた緊張感。
 その中で、心臓の鼓動音だけがやけにうるさい。

「さて、状況から考えて。お前は消しておいた方が良さそうだな」

 そして、ついに男性はそう口にした。
 引き金に指をかける音。俺は、ここまでかと、唇を噛んだ。





「――――待って、アレン!」





 瞬間、悲鳴に近い彼女の声が聞こえた。
 男性の動きが止まる。

「ミレイ……?」

 俺は声のした方向――薄暗い店内の、その奥へと視線をやった。
 すると、そこにいたのは……。




「…………へ?」




 思わず、そんな声が漏れた。
 そこにいたのは、アニメキャラのコスプレをした彼女だったのだから。

 






「コスプレショップだったのか、ここ……」

 俺はようやく周囲を確認して、そう漏らした。
 並んでいるのはどれも、有名なアニメの制服や戦闘服などのコスチューム。
 ぶっちゃけ俺にとっても幸せな空間。だが、意外なのはまさかミレイが……。

「……ミレイ、アニメとか好きなの?」
「あ、あの……その!」

 有名なロボットアニメ、そのツンデレヒロインの戦闘服を着ながら小さくなるミレイさん。着ている服こそ同じだが、性格は正反対の少女がそこに。
 店に置いてあったソファー、その対面に座ったミレイは顔を真っ赤にしていた。
 するとそんな状況を見て一人、苛立つ人物がいる。

「お前、お嬢様を愚弄しているのか?」

 それは護衛の男性――アレン。
 彼はこういった趣向はないのか、とかく居辛そうにしていた。
 しかし大切なお嬢様のためか、鬼のような表情を浮かべている。俺はそんな彼に笑いかけながら、こう答えるのだった。

「あー、大丈夫。ノープロブレム。自分もアニメとか好きだから!」

 そう、実は俺はヲタなのだ。
 とはいっても、割とライトな層ではあると思ってる。
 ソシャゲの課金は隔月で20000円。好きなラノベは厳選して、アニメのグッズが出る時はそちらを優先しているし、結構考えている方だと思えた。

「む……そう、なのか?」
「そうそう。だから、なに? いわゆるフレンズっての? そんな感じ!」

 重苦しい表情を変えないアレンに、俺は軽妙な口調で語りかける。
 すると徐々にだが、彼も警戒を解いてくれたようだった。

「とりあえず、お前はお嬢様の敵ではない――それは分かった」

 ふっと息をつき、サングラスを外す。
 現われたのは何とも、ムカつくほどに綺麗な顔だった。
 キリッとした金の眼差し。眉間に傷跡があったが、それもまた逞しさを感じさせた。まさしく美男というやつだ。イケメンだ。
 若干のジェラシーを抱いたが、俺はすぐに気持ちを切り替える。

「そうそう。とりあえず、銃からは手を離して、な?」
「………………」
「無言!?」

 苦笑いしながらツッコみを入れてしまった。
 どうやら、このアレンという男はなかなかの堅物らしい。
 俺は仕方なしにミレイの方へと向き直った。そして、寿命を確認する。

「あと、30分」

 小声でそう呟いて、息をついた。
 そうなってくるともう、逃げたりする時間はない。
 何度も言うが『寿命が見える』などという世迷言は、聞いてもらえない。

「だったら――」

 どうにか集中して、アレンと一緒に危機を切り抜けるしかない。
 そう思った時だった。

「誰だ――!」
「え!?」

 彼が叫び、入口に銃口を向けたのは。
 予定の時間よりも圧倒的に早い。そのことに困惑していると、




「な……!?」




 視線をアレンと同じ方向に向けた時、息を呑んだ。
 そこにいたのは、海晴だった。



「どう、して……?」



 だけれども。
 俺が驚愕したのは、それだけじゃない。
 海晴が泣きじゃくった顔で手にしていたのは――。



「お、お兄ちゃん……!」


 震え声で、俺を呼ぶ。
 彼女の手には、一つの銃が握られていた。


 




 ――どういう、ことだ?
 俺の頭の中はしばし、その言葉で埋め尽くされた。
 出入口で銃を向けている人物は、間違いなく俺の妹である海晴。彼女は大粒の涙をたたえて、震えた手でそれを持っていた。
 対するのはアレン。彼は息を殺し、まるで死んでいるかのように動かず。
 そして、ブレることなく銃口を海晴に向けていた。

「アレは、お前の妹か?」

 状況を確認していると、アレンは俺にそう訊く。

「あぁ、そうだ。だけど――」
「見れば分かるさ。何者かに脅されているのだろう」

 こちらの肯定に、被せるようにそう答えがきた。
 たしかに、そう考えるのが妥当だろう。海晴が銃を持っているとは考えにくい、というかあり得ない。妹はきわめて一般的な日本の高校生だ。
 表情や手つきから見ても、動揺が見て取れる。

「…………」

 俺はミレイの寿命を確認した。
 そこには相も変わらず、残り僅かなタイムリミットが示されている。
 反対に海晴の方は――どうやら、この場は生き残るであろう。そう思わされる寿命が頭上にあった。そうなってくると、考えられる可能性はなにか。
 この場に、他に人の気配はない。店主もどこかへ消えていた。

 すなわち、この4人で事は完結する。

「考えろ……!」

 何も行動を起こさなければ、ミレイが死ぬのは確定してる。
 だとすれば、俺の取るべき行動は……。

「お前――ミコト、といったか」
「……どうした、アレン」

 考えていると、ピタリと固まったままアレンが口を開いた。
 こちらが聞き返すと、こう続ける。


「威嚇射撃だ。お前の妹の銃を狙い撃つ――いいか?」


 それは、自身の腕に絶対の自信があっての発言だった。
 つまりは海晴のそれを撃ち落とし、この場を切り抜けるという可能性。しかし、

「…………ダメだ」

 俺は首を左右に振った。
 このままの運命なら、何らかの形でミレイは死ぬのだ。

「どうした。やはり、妹の心配か?」
「………………それは」

 考えろ、考えるんだ――!
 俺は思考を巡らせる。そして、ふと見上げた視線の先にあるものを見た。
 その直後だ。

「もう、限界だ。行くぞ――!」
「くっ……!?」

 アレンが引き金に指をかけて、力を込めた。
 それを察知したのか、海晴もまた――。


「いやあああああああああああああああああああああああああああああっ!?」


 そう、悲鳴を上げながら引き金に指をかけた。
 その瞬間に、俺は考えるよりも先に行動に移していた。

「な、馬鹿かミコト!」
「ミコトくん!?」

 ミレイとアレンの声を後ろに聞きながら。
 俺は……。



 ――ダン、ダンッ!!



 銃声。
 そして、右腕と左脚。
 2か所に激痛が走った。


「い、てぇ……!」


 俺は痛みに眉をしかめる。
 日本に住んでいて、銃で撃たれるなんて経験するとは思わなかった。いいや、正確には自らその弾に当たりに行ったという方が近いのだけど……。

「お、兄ちゃん……?」
「安心しろ、海晴。お前も俺が守るから……」

 しかし、いつまでもそのままではいられない。
 俺は痛む足を引きずって、妹のもとへと歩み寄った。そして、彼女を優しく抱きしめて頭を撫でる。銃を取り上げて、へたり込むその身を支えるのだった。
 すると海晴は、とうとう堪え切れなくなったらしい。


「う、うええええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇんっ!」


 泣きじゃくった。

「大丈夫。もう、大丈夫だからな?」

 そんな妹をあやすように、俺はそう語りかける。
 その最中に、ちらりとだけミレイの方を見た。彼女の寿命は――。


「良かった。正解、だったみたいだな……」



 しっかりと、延長されていた。

 





「闇医者、って……日本にもいるんだな」

 傷口が熱を持っているためか、やけにボンヤリする思考。
 そんな中で俺は、いまや下らない物事への感動を覚えていた。こんなのゲームとかの中でしか見たことがない、医師免許を持たない暗部の医者。
 そのもとへ担ぎ込まれた俺は、患部に包帯を巻かれていた。
 幸いに弾は貫通してくれていたらしく、大きな手術は必要ない、とのこと。

「お兄ちゃん……」
「海晴。うなされてるな……」

 ベッドに腰かけた俺は、そこで眠る妹を見た。
 海晴はあの後、意識を失ったのだ。相当に緊張していたのか、あるいは兄を撃ったことがそこまでショックだったのか。理由は定かではないが。
 とにかく、結果的に妹を殺人犯にしなくてよかった。
 勝手な憶測ではあるが、海晴の撃った弾はミレイに向かうはずだったのだろう。

「とりあえずは、良かった――か」
「良くないでしょう。なにを感慨に耽っているのかしら?」

 そう言うと、ツッコみを入れられた。
 声の主は――ダース。

「いや、良かったというか。誰も傷つかなかったわけだし……」

 出入口に腕組みして立つ彼の言葉に、俺は苦笑いをしてそう答えた。
 ダースはアレンの連絡ですぐにあの場に駆けつけたのだ。そして今、こうやって俺たちの護衛をしてくれている。殺風景なコンクリ部屋にオネェ。
 なかなかにシュールな光景だったが、それは置いておくとしよう。

「誰も傷つかなかった、ね……ミコトちゃん。貴方はお馬鹿さん?」

 俺の返答にやや苛立った様子でダースは言った。
 それはこちらを心配してなのか、あるいは以前の忠告を受け入れなかったことへの憤りなのか。もしくは、その両方である可能性もあった。
 とにもかくにも、この後に雷が落ちてくるのは予想がつく。
 そう思っていたのだが……。

「……はぁ。もういいわ」

 だが、存外にあっさりとした反応だった。
 彼はそう言うと、おもむろにこちらへやってくる。

「お嬢様を守ってくれたナイト様ですからね。感謝しないと……」
「ナイト様って、大げさな」

 そして、俺の肩に手を置いてそう口にした。
 思わず謙遜の言葉が出たが、ダースはゆっくりと首を左右に振る。

「そんなことないわよ? 現にミコトちゃんがいなかったら、お嬢様は亡くなっていたわ。妹さんを巻き込んでしまったのは残念、というところだけど……」

 彼は海晴に慈愛の眼差しを向けた。

「私たちの反抗勢力に脅されただけで済んだのは、不幸中の幸いね」
「不幸中の幸い……?」

 俺はその言葉に首を傾げる。
 すると、ダースは大きく頷いて言った。

「えぇ、そうよ。『イ・リーガル』の鉄則は、目撃者や駒は殺すこと。放置しておいては足がついてしまうから、ね」
「………………」

 そこには、やはり俺たちとは感覚の違いがある。
 一般人である俺と海晴には、まずない考えだと思えた。いいや、考えは分かる。しかし、それを平然と言ってのける辺りが、裏社会の人間たる所以か。
 俺は一つ息を呑んでから、それでもどうにか気持ちを落ち着けた。
 ここまできたら、引き下がれないのだから。

「それで、ミレイは……?」
「お嬢様はいま、アレンと一緒に本部へと報告を行っているわ。ボスも今回の一件を無視はできないでしょうし、何より貴方たちのことをどうするかを考えないと」
「海晴は、巻き込まれただけだ。何も悪くはない……!」

 俺は思わず声を荒らげた。
 すると、ダースは口元に人差し指を当ててウィンク。そして、

「それは心配しなくていいわ。ミレイお嬢様が取り計らってくれると思うから――ただ、一番の問題は貴方なの。ミコトちゃん?」

 そう話した。

「え、俺……?」

 俺は彼の言葉に首を傾げ、訊き返す。
 ダースはふっと、そこからは真剣な表情になって続けるのだった。

「ミコトちゃんは、今回の問題に深く踏み込み過ぎた。そして何よりも『イ・リーガル』の内情も知ってしまった。先日程度のことなら揉み消せたかもだけど、こうやって巻き込まれた以上は――私たちも放置するわけにはいかないの」
「それって、つまり……」

 ――俺はもしかしたら、消されるかもしれない、ってことか。
 そう口にしかけて、やめた。代わりに大きく息をついて、呼吸を整える。

「あら、取り乱さないのね?」
「大丈夫。ある意味で覚悟してたことだから」
「ふーん、なるほどね。肝が据わってるというか、意思が固いのかしら」

 ダースはくすりと笑って、だがすぐに表情を引き締めた。
 その時だ。ドアをノックする者があったのは。

「入るぞ」

 短くそう言って、ドアを開けたのはアレン。
 彼の後ろにはミレイがいた。彼女は、俺を見ると――。


「ミコトくん……っ!」
「おわっ!?」


 一直線に、抱き付いてきた。
 ふわりと女の子の香りがして、気が緩んでしまう。
 しかしすぐに気付く。ミレイは、

「泣いてるのか? ミレイ」
「だって、ミコトくん! 私、どうしたら良いのかって……!」

 泣いていた。
 その顔は見えなかったが、たしかに泣いていた。
 俺はそんな、マフィアの娘とは思えない、優しい彼女の背を軽く叩く。

「安心して。俺は死なないから、絶対に」
「そんなの、分からないですよ……!」
「約束するから、絶対だ」

 ゆっくりとミレイの身体を押し返し、そのくしゃくしゃの顔を見て笑った。
 大粒の涙を流す彼女に、俺は誓うのだった。

「大丈夫。俺はそんな簡単にはくたばらないから!」

 根拠はない。
 だけれども、不思議とそう口にできた。
 なにか特別なものに後押しされるように、俺はそう約束をする。

「友達の言うことは、信じる! ――だろ?」
「ミコトくん……」

 呆然とするミレイに、俺はそう言った。
 すると、そこで……。


「いい雰囲気のところ申し訳ないが、ミコト――話がある」


 アレンの声があった。
 彼はこちらを見て、真剣な表情を浮かべる。

「あぁ、話……ね。俺はどうなるんだ?」
「その顔を見るに、ある程度の覚悟は出来ているらしいな」

 俺が答えると、彼は仏頂面に薄く笑みを作った。
 そして、こう口にする。それは俺の今後について……。


「ミコト、お前は我々のことを深く知りすぎた。それは本来、許されないイレギュラーだ。そのためボスと意見を交換し、その処遇を決めた」
「………………あぁ」


 俺は頷く。
 殺されるか、監禁されるか。
 どちらか、そう思われた。だが、

「ミコト、お前はこれから――」


 アレンの口にしたそれは、あまりに想定外の言葉だった。




「我々『イ・リーガル』のファミリーとなってもらう」


 




 ――翌朝。
 俺は大欠伸をしながら、学校を挟んで反対側へと向かっていた。
 時刻はまだ早朝5時。街も目覚めていないし、当然に人足も少なかった。そんな中を真っすぐに、ある場所へと向かう。それというのは……。

「あぁ、早いな――ミレイ。おはよう!」
「ミコトくんっ! おはようございます!!」

 あの日の公園で、ミレイと待ち合わせをするためだった。
 秋へと移り変わる頃合いに、俺たちの関係は以前から少しだけ変化する。恋人だとか、そういうのではないけれど――友達よりは、心が近い関係だ。

 どうしてこうなったのか。
 話は当然に、アレンからの提案があったあの日にさかのぼった。


◆◇◆


「ファミリー……?」

 俺はその単語を聞いて、まず疑問符が浮かんだ。
 ファミリー、すなわち家族。というのは、マフィアの世界で組織の仲間を表す呼び名だった。そのことは過去に映画で見たから知っている。
 だが、それということは……。

「俺に、マフィアの一員になれ……ってこと、なのか?」

 つまるところ、そういうことだった。
 しかし、そこからが問題だ。正直なところ意味が分からなかった。
 首を傾げていると、事の流れを教えてくれたのはミレイ。彼女は潤んだ瞳で俺を見つめて、少しだけ不安そうにこう告げた。

「お父さんにミコトくんのこと、話していたの。そうしたら――その、とても面白い少年だな、って。将来の有望株として、組織に入ってほしいって言ったの」
「…………へ? お、俺が!?」

 驚いて声を上げると、小さく頷く少女。
 しかしそこで、アレンがこのように補足した。

「だが、これは苦肉の策でもある。お嬢様を救った人間を始末はできない。かといって、放置をすることもできなかった。だから、監視下に置く結論に至った」

 それは、感情が排除された論理的な帰結。
 なるほどミレイの言葉を理詰めで語るとそうなる、か。
 俺は一つ頷いて、アレンに向かって確認をするように問いかけた。

「でも、そうなると条件がありそうだな」――と。

 仮にも相手はマフィアだ。そういった組織だ。
 だとすれば、それ相応の交換条件や何かがあって然るべきだろう。

「あぁ、それなのだがな――」

 そう思ったのだが、アレンの口から出たのは意外な言葉だった。


「ミレイお嬢様を裏切らなければ、それでいい――とのことだ」
「え……?」


 思わず呆けてしまう。
 それってことは、つまり……。

「今まで通りにしていれば、それでいい……ってことか?」
「………………うむ」

 そういうことだった。
 俺はつまり、これまで通りにミレイの友達として彼女を大切にする。
 それこそが『イ・リーガル』の一員になる条件であり、役割だと云えた。

「それなら――」

 少し考えてから、俺は了承しようとする。
 その時だった。

「待ちなさい! そんな簡単に決めるべきではないわ!!」

 ダースが厳しい表情で、そう声を上げたのは。
 彼は腕を組んで、こちらを睨むようにして口にした。

「こちらの世界にやってくる意味――それを軽く考えてはいけないわ。毎日が生きるか死ぬか、その境目を歩くようなことなの。正義か悪、そんな二元論で語れないものも出てくる。ミコトちゃんには、その覚悟があるの?」
「それ、は……」

 そう言われて、ほんの微かに尻込みする。
 言うまでもないが、これまでの人生を一般人として歩んできた俺だ。そんな身がいきなり、生死を賭けた日々に飛び込む勇気を持つなど、簡単ではなかった。
 それを見透かしていたダースは、鋭くそれを指摘したのである。

「……ダース」
「ごめんなさいね、ミレイお嬢様。でも大切なことだから……」

 どこか悲しげな声で彼を見るミレイ。
 しかし、それでもダースは意見を曲げることはなかった。
 そうしていると、間に割って入ってきたのはアレン。彼はこう提案した。

「あぁ、だからオレから提案がある」
「提案……?」

 首を傾げると、アレンはこう続ける。


「ミレイお嬢様を守るため、ミコトの判断力を貸してほしい」――と。


◆◇◆


 そして、今に至る。
 通学路を歩きながら、俺は一つ息をついた。

「学校での、ミレイの護衛――か」

 そう、それが提案された内容だ。
 俺は仮のファミリーとして、学校でミレイを守る。
 それと同時に、緊急時には二人に連絡を入れて事態の鎮静化を図る。俺の身の安全はアレンとダースが保証する、というものだった。
 たしかに、普通の高校生である俺にできるのはそれが限界に思える。
 アレンは感情に流されない、そういう男らしかった。

「そういえば、体育祭がもう少しですね」
「ん、あぁ。そうだね」

 そう考えていると、ミレイが話しかけてくる。
 どこか楽しげに。

「私、そういった催しが初めてなので楽しみです!」
「ははは、帰宅部にはキツいんだけど」

 無邪気に喜んでいる少女に、俺は少し苦笑いをした。
 しかし、気持ちを切り替える。自身の持つ想いを確かめて、頷く。


 そして、改めて誓うのだった。
 こんな日々を続けられるように、俺が彼女を守ろう――と。

 




 それは休み時間に起こった。
 いくら護衛をするといっても常にそばにいる、というわけにはいかない。だがせめて目の届く範囲にいるようにする。それだけは約束だった。
 そんなわけで俺は、自分の席に気怠く座りながらミレイのことを眺めている。彼女はいま、他の女学生から誘われて何やら雑談をしていた。

 たどたどしい様子で受け答えするミレイ。
 しかし、そんな光景もまた日常の一場面だった。
 本日は平穏なり。彼女の寿命も大きく変化していないし、大丈夫だろう。

 そう思っていた時だった。

「坂上ってさ、赤羽と仲良いよな?」
「ん、なんだよ急に」

 不意に、そう声をかけられる。
 それは前の席の男子生徒――名前は田中。

「いいよなぁ! どうしてお前が、学園のアイドルとお近付きになってるんだよ!」

 彼はそう言って頭を抱えるのだった。
 ちなみに、学園のアイドルというのはミレイのこと。
 今さらながら彼女は学校の中でも一、二を争う美少女だった。そのため転校初日から校内は彼女の話題で持ち切りとなり、今では知らぬ者のいない有名人だ。
 もっとも、あの子がそれを自覚しているかは不明だが……。

「なんでって、隣の席だし……」
「そうだとしても、一緒に登下校とか聞いてないんですけど!? お前、自分が学校内で噂されてるの知らないのか!?」
「……え、俺もかよ」

 それは初耳だった。
 彼女と登下校するようになって数日だが、もう噂になっているのか。

「まぁ、それには事情があってだな。笑ってもいられないんだ」
「どんな事情でも羨ましいよ。替われよ~……」
「はははは……」

 田中が大きくうな垂れる。
 彼にミレイの素性を聞かせたら、どうなるだろうかとも思った。
 きっと、顔を真っ青にして先ほどの言葉を撤回するのだろう。言わないけど。

「さて、と――ん?」

 馬鹿げたことを考えている自分にも、軽く苦笑いしつつ。俺は視線をミレイの方へと戻した。すると、ある変化に気付く。
 なにやら女子生徒が騒がしい。
 それに、ミレイも見当たらなかった。どうしたのだろうか。

「どこいくんだ? 坂上」
「いや、ちょっとトイレに……」

 俺は適当に嘘を口にして田中を振り切り、教室の外へと出た。
 そして、右手を見るとすぐに異変に気付く。

「なんだ、この人だかりは……?」

 それは、人の波だった。
 男女比は半々といったところか。
 みなが口々に何かを言って、背伸びしながら何かを見ていた。勘ではあるが、ミレイはきっとこの奥にいるような気がする。
 そんなわけで例に漏れず、俺も背伸びをして奥を見た。
 するとそこには――。

「あ、ミレイだ。……男子生徒と、話してる?」

 やはり、彼女がいた。
 そしてその正面には一人の男子生徒。
 顔ははっきり見えなかったが、スラリとした体躯の三年生だ。

「なぁ、いったいどうしたんだ?」
「ん――告白だよ、告白!」
「あぁ、なるほど」

 近くにいた生徒に訊ねて、すぐに状況を理解した。
 なるほど。それは、もはや見慣れた光景の一つだった。
 先ほども述べたように、ミレイはすでに学園のアイドルとなっている。そんなわけだから、一日に複数人から告白される、なんてのもザラにあった。

 しかし、こんなに騒ぎになっているのは――なんでだ?

「まぁ、いいか。危険があるわけでもないし……」

 俺は彼女の寿命をしっかり確認して、教室に戻ることにした。
 すると、それとほぼ同時に……。

「あ、決着したのか」

 女子生徒の『えー!?』という声。
 それと、男子生徒の歓喜の声が聞こえた。
 つまるところは、そういう結果だったのだろう。俺はそれならと、ミレイが戻ってくるのを待った。そして、人波が流れるのを待つこと数分。

「お疲れ、ミレイ」
「あ、ミコトくん!」

 彼女が戻ってきた。
 念のために、俺はこう訊ねる。

「で、どうしたの?」――と。

 すると、彼女はこう答えた。

「えっと、お断りしました……」

 それを聞いて、俺は少しだけ胸を撫で下ろす。
 だけどそれ以上は特に気にすることなく、こう言うのだった。

「それじゃ、教室に戻ろうか」
「はい、そうですね!」

 俺の言葉に、柔らかく微笑むミレイ。
 穏やかなその表情に、こちらもまた自然と微笑むのだった。

 日常の一幕。
 それは何てことなく、過ぎ去っていくのだった。