――それは、十数年前のこと。
フランス某所で一人の男が、複数人を相手に戦っていた。
男の名前はダース。マフィア――『イ・リーガル』の一員であり、その首領の右腕とも呼ばれている者だった。彼はいま、敬愛するボスの妻を警護している。
「奥様、もう少しで仲間と合流できます」
「ふふふ、貴方がいれば百人力ね? ――昔から、本当に頼りになります」
「やめてください。こんなところで昔話なんて、縁起でもありませんから」
どこか突き放したような、そんな口調でダースは言った。
学生時代からの仲とはいえ彼の恋敵。そして今では、自分の大切な人の最愛の相手だった。組織の一員として尽くすと心に誓ってはいるものの、複雑であることに変わりはない。それを知ってか知らでか、ボスの妻――赤羽コノハは、くすりと笑った。
「気にする必要なんてないでしょう? ダースが守ってくれますもの」
「それは――絶対ではありません。奥様……」
冗談めかす彼女に、ダースはどこか苛立った声色で応える。
二人に対して敵の数はその倍以上。この状況で冗談を口にできるコノハの精神が、ダースにはまるで理解が出来なかった。
ため息をつきながら、戦況を確認する。
正直なところ、増援がない限り勝利はあり得なかった。
ある建物の中に身を隠しているが、それを取り囲むように敵は配置されている。
「これでは、ジリ貧です。どうか奥様だけでも――」
「それはいけませんよ。旧友を見殺しにして、私に逃げろと言うのですか?」
「しかし、この状況ではどうしようも……!」
ダースの訴えに、首を縦に振らないコノハ。
頑として譲らないその姿勢は、まさしくマフィアの妻として正しかった。だが、その正しさがダースにとっては苛立ち以外のなにものでもない。
しかし、自身の上に立つ者の意見を無碍にもできない。
そのことに舌を打とうとした――その時だった。
「ねぇ、ダース? もしも、私がいなくなったら――」
不意に、コノハが窓の外を見て微笑んだ。
そして何かを覚悟したように言う。
「ミレイのこと、守ってね?」
その直後だった。
部屋のドアが乱暴に開かれ、銃を手に持った男たちがなだれ込んでくる。ダースはとっさに銃を構えて、そして引き金を――。
「――――コノハ!?」
それは、一瞬の出来事だった。
鳴り響く数多の発破音と共に、ダースの前に出たのは――コノハ。
彼女は微笑みながら、銃弾の雨に身を晒したのだ。そのことに怯んだのはダースだけではない。敵もみな瞬間に、なにが起きたのか理解できずに立ち尽くした。
その最中に、ダースには見えた。
彼女の口がこう動くのを。
『お願い、ね……? 私の宝物を、親友に任せます』――と。
刹那にダースの中では何かが弾けた。
声もなく銃を引き抜き、弾丸を打ち放つ。
「ああああああああああああああああああああああああああっ!」
そして、直後に絶叫した。
悲鳴にも近い声が、建物全体にこだまする。
やがて出来上がるのは、真っ赤な血の海だった。
「コノハ、コノハ――!」
すべてが終わり、ダースは親友の身を起こす。
すでに息はなくしかし、口元には優しい笑みが浮かんでいた。そんな彼女の遺体を抱きしめて、ダースは大粒の涙をこぼすのだ。
そして思う。
思ってしまった。
『あぁ、よかった』――と。
これで、自分は呪縛から解き放たれるのだと。
愛憎という名の呪縛から、ついに解放される時がやってきた。
「あああ、ああああああああああああああああああああああああっ!?」
だがすぐに、その邪悪な思考に気付き絶叫する。
そしてある結論に至った。
「コノハは、私が――殺した?」
それから十数年の間。
彼は、その時の自責の念に苛まれることとなる。
◆
そして、それにも終わりがやってきた。
ダースはその生涯を終えて、深い眠りにつく。
すべてが終わった。自分の役割は、あの少年に任せた。
『――結局、私は何がしたかったのでしょう?』
暗い闇の中で、ダースは思った。
されども答えは出ない。
きっとそれは、あの時の自分しか知らない。
あの日、コノハの最期を目の当たりにした時の、邪な気持ちを抱いた自分だけ。
だけども考えてしまうのだ。
もしあの時に、もっと違う結末を辿っていたのなら――。
『それは、たられば、ね。どうしようもない、でも……』
自分は、親友に顔向けできるのだろうか。
願うならば最後にもう一度だけ、彼女に謝罪したかった。
守れなくて、ごめんなさい。
貴女の宝物を最後まで、守れなくて――と。
『ありがとう、ダース。もう十分ですよ?』
『え……?』
そう思った時。
不意にそんな声が聞こえた気がした。
そして、完全に意識が消えていく瞬間に、その答えへと辿り着いた彼は――。
『あぁ、それなら。良かったわ……』
大粒の涙を流しながら、笑みを浮かべたのだった。
◆◇◆
中庭にある墓の前で、俺たちは手を合わせていた。
そこに眠るのは大切な家族であり、ミレイの理想の母親だ。
「ダースは、満足してくれたかな」
俺は面を上げると同時に、ミレイにそう問いかけていた。
それはあの時の行動が最善だったのか、という憂いがあるから。要するに俺の中では、まだ後悔があったのだ。
彼もまた、一緒に笑って生きる道があったのではないか、と。
そう思えて仕方がなかった。
「大丈夫ですよ、ミコトくん」
「え……?」
悩んでいると、力強いミレイの声がする。
驚いて彼女の方を見ると、そこにあったのは慈愛に満ちた表情。
ミレイは大きく深呼吸をすると、ダースの墓を撫でながらこう言った。
「きっと――」
それは、憶測でしかないけれど。
「お母さんたちは、私たちの未来に賭けたんだと思います」
そうではないか、と。
不思議と腑に落ちる答えだった。
「だから、これで良かったんです。ダースは、それを分かっていました」
すっと身を寄せてくるミレイ。
俺はそれを受け止めながら、墓石に向かって小さく頭を下げる。
そして、改めて誓いを立てた。
『貴方の娘は、俺が責任をもって守ります』――と。
俺にはなんの取り柄もない。
強いて言えば寿命が見えるくらいで、それ以外には何もない。
「そろそろ、飯かな? ――冷えてきたし、行こうか」
「そうですね!」
ミレイにそう声をかけて、踵を返した。
しかし、もう一度だけ振り返って、こう呟くのだ。
「いつの日か、またみんなで――笑おうな」
静かに、それでも確かな決意を込めて。
再会を誓ったその言葉は、いつの日かきっと果たされるだろう。
俺はその日まで――最愛の人を守り続ける。