――さて。
色々と試してみて、分かったことをまとめていく。
まずこの数字はその人間の寿命で、まず間違いなかった。最近亡くなった有名人など、その写真を見てみるとピタリと当てはまったからだ。
そして、もう一つ。
これは意外なことでもあったのだけど、人の寿命というのは常に動くものらしい。
運命で決まってるとか、産まれた時から決まってるとか。そういうのではなくて何かの拍子に、コロッと寿命が延びたりする。逆もまた然り。
同級生の寿命を日々確認して、それがよく分かった。
というか、この力に目覚めた初日に目をこすって、それだけで寿命が1日延びたのだ。そのことを考えると、運命というやつは案外に気紛れなのかもしれない。
で、ここからが本題なのだけれど。
俺はこの力を使って、これから何をするのか――ということだった。
例えば今にも死んでしまいそうな人を救ったり? そういった正義の味方的な活動に勤しむのか、と。そう訊かれたら答えはノーだ。
「日々これ、平穏なり……」
俺は机に突っ伏して、そう口にする。
凄い力が宿ったとしても、俺は平凡な高校生に他ならない。
人一人に出来ることなんてたかが決まっているし、下手をすれば逆効果になったり、という可能性だってあった。だとすれば、何もしないのが一番だ。
俺は平凡な高校生活を送る。
そう決めたのだった。
「おう、坂上! 今日、転校生が来るって知ってたか!?」
「……ん、マジ?」
……と、思っていた時だ。
早速、日常的ではないイベントが発生した。
もっとも、夏休み明けのこの時期に転校生がくるのはおかしくない。だったら、俺の日常は変わることなく過ぎていってくれるはずだった。
「マジだよ。しかも、かなり可愛いって話だぜ?」
「へー……」
テンション高く話すクラスメイトに、俺はやや生返事。
興味がまったくない、と言ったら嘘になる。だが興味津々だと言ったら、それはそれで嘘になるのだ。要するに宙ぶらりん。
ソワソワはしないけれども、ちょっとしたワクワク。
そんな感じだった。
「おーい、席に着けー!」
「お! 噂をすれば、やってきたぜ!」
さて。そんなわけで、その女の子の登場だった。
俺はまだ眠たい頭を持ち上げて、黒板の方へと目をやる。すると――。
「――かわ、いい」
俺の心は、一瞬で奪われてしまった。
黒板に書かれた名前は――『赤羽ミレイ』といった。
ハーフなのか、瞳の色は蒼く。色素の薄い、長い髪の美少女だった。透き通るような肌の色に、整った顔立ちは見る者を惹きつけて離さない。
スラリとした体躯に、紺色のセーラー服は良く似合っていた。
「赤羽は……坂上の隣が空いているな。そこに座りなさい」
「はい……」
あまり明るい性格ではないのだろう。
赤羽は担任の指示に従うように頷くと、こちらへとやってきた。
「……よろしく」
そして、俺と目が合って一つ会釈。
着席して、おもむろに机を寄せてきてこう言った。
「教科書、まだないの。見せてくれる……?」
少し、上目遣いに。
俺は完全に硬直していたが、高速で首を縦に振って机の中に仕舞いっぱなしだった教科書を引っ張り出した。それを広げると彼女はまた一つ頷いて、
「ありがとう」
小さく微笑んで、そう口にした。
瞬間――俺の頭の中で、教会の鐘が鳴り響く。
可愛すぎる――!
なに、この可愛い生物!
俺は悶えそうになるのを、どうにか堪えて笑い返す。
ぎこちないそれに、赤羽はまた小さく笑うのだった。
「…………」
こういう非日常だったら、全然歓迎だなぁ……。
俺は先ほどまでの決心を思いっきり方向転換して、天井を見上げた。
◆◇◆
――翌日、俺は満面の笑みで登校した。
こんなに学校にくるのが楽しいなんて小学生の頃、近所のさっちゃんに惚れてた時以来だ。嬉しい出来事があると寿命も延びるのか、俺はさらに長生きになっていた。100の大台を突破である。
「おっはよう!!」
そんなわけで、先に教室にきていた赤羽に元気よく声をかけた。
すると彼女は律儀に頭を下げて――。
「おはよう。坂上くん」
そう、言った。
「え…………?」
だけど、俺の思考はそこで凍り付いた。
その理由というのは、彼女の頭上にある。
昨日までは、どこにでもある普通の人のそれだった。
だけど今朝のそれは……。
「う、そ……だろ?」
今日この日の16時を示していた。
「どういうことなんだ……?」
放課後、俺は赤羽のことを追跡していた。
これは決してストーキングとかではないぞ? 必要なことだ。
帰る方向が真逆らしい彼女は、俺の知らない道を進んでいった。見失わないように、そして気付かれない距離感を保ちながら息を殺す。
同時に考えるのだ。
どうして赤羽の寿命が激減したのか、を。
「あれか? バタフライエフェクト……、とかいうやつ?」
出てきたのは昔、どこかで聞きかじった単語。
最初の朝のように目をこすったことで、小さな波が発生した。それは次第に大きなうねりとなって、他の事象となる。そんな感じの意味だった気がする。
「いや、それにしたって……」
突然すぎるだろ?
昨日の今日で、寿命が縮みすぎだった。
俺はコソコソと隠れながら、周囲にも気を配る。車の動きや、不審者(俺ではない)がいないか、そして上空からなにか飛来しないか、等々。
とにかく考えられるだけのことを考察した。
でも、どうしてここまでするかって? ――その答えは単純明快だ。
「惚れちまった以上は、放って置けねぇよ……!」
好きになった女の子を目の前で失うなんて、馬鹿げている。
それも、まだ仲良くもなっていなかった。
「……さて、人気のない道に入ってきたけど」
いよいよ彼女の自宅が近付いてきたのか、細道に入ってきた。
左右に家々が並んでいる、少し寂れた場所だ。
「まさか、通り魔とか。そんなレベルだったら、きついぞ……?」
俺はゆっくりと歩きながら、思わずそう呟いた。
人が二人並んで歩くのがやっとな道。そんなところで、もしも凶器を持った人間がきたら、回避することは困難だった。
「それでも、やるしかない……か」
俺は弱くなりかけた気持ちを奮い立たせる。
もうすぐで、運命の時間だった。ここまでやってきて、何を尻込みしているんだ。俺はなにをやってでも赤羽を守りきる。そう決めたのだから……。
「あと、1分……」
俺は時間を確認して、改めて周囲を見渡した。
道の奥から人がやってくる気配はない。だとすれば、上空……?
「――――――!?」
その時、ハッキリ見えた。
とある民家のベランダにぐらぐらと、不安定な鉢植えがあるのを。
そしていよいよ、時刻が16時を指し示した瞬間。何の前触れもなしに、突風が吹いた。それは鉢植えを大きく揺らして――。
「あぶねぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇえっ!!」
とっさに俺は駆け出していた。
こちらの絶叫に、驚いて振り返った赤羽。
そんな彼女を抱きしめると、押し倒すようにして転がった。すると、
――ガシャン!!
ちょうどそのタイミングで、鉢植えが落下してきた。
まさしく、先ほどまで赤羽が立っていたその場所に……。
「坂上、くん……?」
困惑する彼女の頭の上の数字を確認した。
そこには、極めて一般的といえる長さの寿命が示されている。
「良かったぁ……!」
俺は心の底から安堵して、そんな気の抜けた声を漏らすのだった。
◆◇◆
「ありがとう。坂上くん……」
「え、いや、ど……どうってことないよ!!」
近くの公園のベンチに腰かけて、俺と赤羽は一休みしていた。
結果として彼女の命を救った形となったわけだが、それを誇るような気持ちは湧かない。好きな人を守ることに理由なんてないからだ。
だから今、俺の中にあるのは達成感だけ。
夕日に染まった空を見上げて、ふっと息をつくだけだった。
「……明日の朝、なにかお礼するね?」
「お、お構いなく! それよりも、今度は気をつけて帰ってくれ!」
俺が言うと、赤羽はふっと微笑んだ。
赤い日差しに照らされた少女の顔には、どこか年不相応の艶やかさ。
そして、ふわりと舞った風になびく髪を押さえて立ち上がる。そんな赤羽の姿に見惚れていると、こんな声が聞こえてきた。
「お嬢様。その方は、ご学友ですか?」
その声の主は、サングラスをかけた黒服の男性。
彼は俺に対して恭しく礼をしたかと思えば、すぐに赤羽の方を向いた。
お嬢様と呼ばれていたが、もしかして――使用人、的な人なの? わーお……。
「はい、そうです。遅くなってすみません」
「いえ、大丈夫ですよ」
二人はそんな短い会話をすると、歩き出した。
その途中で赤羽は一度、こちらを振り返って……。
「ばいばい」
儚い笑顔で、そう手を振った。
か、かわええええええええええええええええええええええええええええっ!?
俺は完全に心臓を射抜かれた。
遠くなっていく彼女の背中を見送りながら、悶える。
「うおおおおおおおおお…………!」
そうして、その日は終わりを迎えるのだった。
◆◇◆
――そして、翌日。
俺は今日もウキウキで登校した。
昨日はハプニングだったけど、今日からは平凡なスクールライフだ。
「おはよう! 赤羽!!」
そんなわけで、俺はまたも元気よく彼女に挨拶。
すると、柔らかく微笑んで赤羽は言った。
「うん、おはよう。坂上くん」
だが、俺は固まった。
何故なら――。
「………………………………ゑ?」
赤羽の寿命が、また短くなっていたのだから。
「ど、どういうことだよ……」
週末、俺はゲッソリとショッピングモールへやってきていた。
初めて赤羽を救った日から、数日が経過。しかし、その翌日にも赤羽の寿命は極端に短くなっていた。それが指し示した日付というのが、今日である。
日曜の夕方に、赤羽ミレイは死ぬことになっていた。
そのため、俺は思い切ることにした。
死なせたくないのなら、もういっそ自分の監視下に置くようにしておけばいい。
そんなわけで、俺は赤羽に告げたのだった。
『今度の日曜、俺とデートしてくれないか?』――と。
――いや、さ。
こういうのって、もうちょっと先のイベントじゃないの。
なんで俺は、出会って数日の女の子をデートに誘ってるのさ。そんなキャラじゃないよ、その場で聞いてたクラスメイトもポカンとしてたよ。
でも、もっと衝撃を与えたのは赤羽の反応だった。
『…………はい』
頬を赤らめて、口元を隠しながらそう言って視線を逸らしたのである。
まさかの一発OKという珍事だった。
はてさて、そんなわけで俺は生涯初のイベントに挑もうとしている。
女の子(しかも美少女)とのデートだ。浮き足立つのを必死にこらえながら、しかしどうしても胸躍ってしまう。そして、同時に緊張で汗が止まらなかった。
でもそこで、もう一度しっかりと気持ちを切り替える。
「いいや。今日の一番の目的は、赤羽の命を救うことだ」
そうだった。
もはや順序が分からなくなっていたが、それだけは大切なことだ。
優先するべきは、その時間までに赤羽の寿命を決定付ける原因を突き止めて、排除すること。それが不可能だったら、先日のようにギリギリにでも回避することだった。なるべく、そうはなりたくないけど……。
「ふー……!」
俺は大きく息をついて、胸の鼓動に静まるよう言い聞かせる。
その時だった。
「あの、坂上くん? ……こんにちは」
彼女の声が聞こえたのは。
「ん、赤羽か――」
俺は鈴の音のような声のした方へと視線をやる。
すると、そこに立っていたのは……。
リンゴーン、リンゴーン、リンゴーン……!
またもや、教会の鐘が聞こえた。
俺は言葉を失って、その場に立ち尽くす。
「あの、変じゃないかな……?」
赤羽はそう言った。
身に着けているのは真っ白なワンピース。
もうね、清楚。清楚オブ清楚’sって感じだった。
小物入れも愛らしいデザインで、しかし過度に主張しない。
こんなん、可愛すぎるでしょぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!?
俺は思わず、その場でうずくまる。
いかん。頭が沸騰して、まともに赤羽の顔を見れない。
「だ、大丈夫ですか……?」
そんな俺を心配したのか、彼女は近寄ってしゃがみ込む。
ふわりと香ったのは、石鹸のそれ。
「だい、りょう、びゅ……」
俺は舌足らずな返答をした。
ふらふらと立ち上がり、頬が熱くなるのを堪える。
「それじゃ、い……行こうか」
そして、ぎこちなく続けるのだった。
すると赤羽は――。
「……はい!」
そう言って笑う。
そんな感じで、俺の人生初デートは幕を上げた。
赤羽と行動を共にしていると分かったのは、彼女の寿命はとても簡単に変化する、ということだった。例えば母親とはぐれて泣いている子供に話しかけたら、数分だけだったがそれが伸びたりする。しかし何かの拍子に笑うと、直後にはその数分を大幅に超える時間が削れていた。
とても容易く運命が、特に悪い方へ変わる女の子。
赤羽ミレイは、そういう意味では幸薄い少女なのだとそう言えた。
「………………」
美人薄命、とは言うけれども。
これはあまりに可哀想だと、そう思われた。
同情なのかもしれない。しかし、俺は間違いなく赤羽に惚れていた。一目見た瞬間から、この子は俺にとっての天使なのだと、そう確信したのだ。
だとしたら、彼女を守ろうとすることに理由なんて要らなかった。
「……坂上くん?」
「え、あ……ごめん。少し、ぼーっとしてた」
そんな決意を改めて固めていると、少女がこちらの顔を覗きこんできた。
俺はほんの少し驚くけど、さっきまでの緊張はない。
「なんの話、だったかな? 赤羽さん」
ベンチに腰をかけた俺たち。
右隣に座る赤羽に、そう訊き返した。
「坂上くんの、ご家族のお話ですよ?」
「あぁ、そっか。そうだったね」
すると返ってきたのは、そんな言葉。
彼女はまた、くすりと笑ってから興味深そうにこちらを見た。
「……でも、こんな話しても楽しくなくない? 大丈夫なのかな」
俺は幸せそうな赤羽の反応に、変な不安を覚える。
だから、そう問いかけた。
「そんなこと、ないです……。ご両親がいて、妹さんがいて。4人で幸せな暮らしをして、それで毎日が平凡に過ぎていくなんて。素晴らしいに決まってます」
「赤羽さん……?」
すると、彼女はやや悲しげな表情を浮かべてそう口にする。
俺が首を傾げると自分の声色に気付いたのか、赤羽は慌ててこう続けた。
「あ……! い、いえ。私のお父さんは、毎日お仕事で出かけてますし。お母さんは――私が産まれた時に亡くなってしまったので、いいなぁ……って」
うつむき加減になって。
そんな、悲しい境遇を微笑みながら語るのだった。
「転校ばかりで、友達も少ないですし。だから、坂上くんに誘っていただいて……とても嬉しかったです」
「赤羽、さん……」
最後に、赤羽は自嘲気味に笑った。
コロコロと変わるその表情も、すべてが悲しい変化ばかり。
俺はそんな彼女の顔を見て、話を聞いて、拳を強く握りしめた。そして、
「だったら、この街でたくさん友達を作ると良いよ! 俺の家に飯を食いにきても良いし、今まで大変だった分だけ楽しんで暮らしていこう!!」
そう、自然とその小さな手を取って口にしていた。
これは一目惚れなんかではない。そんな、一時の感情ではなかった。
俺はいま、この女の子の力になりたい、幸せにしてあげたいと心から思っていた。だから、真っすぐに蒼色のその瞳を見つめる。
「坂上、くん……」
「もう水臭いよ! 俺らはもう友達だ! 下の名前でいいよ、ミレイ!」
ニッと笑って、そう言うと彼女は声を震わせて言った。
「……ありがとう。ミコト、くん」
柔らかく、そして優しく。
俺が好きになったその笑みを、もう一度見せてくれたのだった。
◆◇◆
そして、その時がやってきた。
彼女の寿命が尽きる、その間近だ。
俺はあえて、彼女を近くの空き地へと誘った。
「どう? 昔はここで親父とキャッチボールとかしたんだよ」
「そうなんですね……」
そんな雑談を交えながら、俺は周囲に注意を払う。
見晴らしが良いこの場所なら、と。そう考えたのだった。
車が突っ込んでくるか? それとも、もっと他のなにかか? ――少なくとも、これだけ分かりやすい場所にいれば対応できるはず。
「風が気持ちいいですね……」
「あぁ、そう――」
そして、不意にミレイが髪を撫でてそう言った。
その時だ。異変に気付いたのは。
「――――――――!?」
その瞬間に、俺は彼女を突き飛ばした。
突然のことに、抵抗することもできずに地面に転がったミレイ。
短い悲鳴。
でも、そんなものよりも……。
チュインッ!
目の前を、鋭い風切り音と共に通り過ぎていったなにか。
それに俺は慄いていた。
「う、そ……だろ? はは……」
見えたのだ。
ミレイの額に、赤いレーザーの点が。
その直後のこと。つまり、今のは――。
「馬鹿じゃねぇの? ここ、日本だぜ……?」
――間違いなく、銃撃だった。
赤羽ミレイの寿命は延長された。
先ほどの一件のことは謝罪していま、帰り道を歩いている。
突然に突き飛ばしたことで怒られたり、あるいは嫌われることも考えた。それでも、ミレイは苦笑いを浮かべて――。
「大丈夫だよ。……よくあるから」
そう口にした。
よくある、というのはどういうことか。
確実に言えるのは、それというのは俺が彼女を突き飛ばしたことではない、ということだった。ミレイは自分が狙撃されたこと理解している。
そして、それを「よくある」と、そう表現した。
「ミレイ、あのさ……?」
「どう、しました。ミコトくん」
「あー、いや。やっぱりなんでもない」
俺はその違和感を訊こうとして、踏み止まる。
それを訊かれると察知したのだろうミレイの肩が、大きく弾んだのだ。それはつまり、彼女自身そのことを訊かれることを、その先に踏み込まれることを恐れている。その証拠に他ならなかった。
「…………」
「…………」
だから、互いに無言の時間が続く。
そしてそれは、永遠に続くようにも思われた。その時だ。
「お嬢様ぁん! 申し訳ございませんでしたぁん!」
…………ん?
なんだろうか、空気をぶち壊す男性の声が聞こえた。
しな垂れかかるような、背筋が凍る声色。それが、後方から……。
「……うわぁ」
自然とそんな声が漏れた。
内股で走り寄ってきたのは、声の主に相違ないように思われる。
屈強な2メートル以上はありそうな身体を黒服に包み、サングラスをかけていた。二つに割れた顎に、突き出された分厚い唇。そして、腋をキュッと締めている。そんな感じで両手を上げながら、彼はこちらへとやってきた。
「……ダース」
「やっぱり、知り合いなんだ……」
その男性――ダースの名を口にしたミレイに、俺はがっくりと肩を落とす。
出来れば関わりたくはなかったが、関係者なら仕方ない。
俺は小さく会釈をしてみせた。すると、
「あらぁ? 礼儀正しい、可愛い子じゃない。わたし、興奮しちゃう!」
「その反応、手順を数段飛ばしてませんか?」
そんなことを言うので、俺は初対面にもかかわらず冷めた声でツッコむ。
ダースはそれを受けてくすりと笑った。しかし突然、
「それよりもぅ、お嬢様――申し訳ございませんでしたぁ!」
ミレイに向かって、深々と頭を下げる。
そこには先ほどまでのふざけた色などなくて、心からのそれがあった。
どういう意味なのかは分からなかったが、俺はひとまずミレイの反応を待つことにする。すると彼女は柔らかく微笑んで、髪を撫でながら答えた。
「……大丈夫です。ミコトくんが、守ってくれましたから」
そう、少しだけ悲しげに。
俺はそんなミレイに、かける言葉を持たなかった。
それに反応したのはダースという男性。彼は俺を見ると、こう口にした。
「小さな英雄さん? この度は、うちのお姫様を守ってくれてありがとう」
「は、はぁ……。どういたしまして……?」
「だけど――」
そして、声色を変えて続ける。
「ミコトちゃん? 貴方はもう、関わらない方が良いわ」――と。
◆◇◆
俺はダースと二人きりで話をすることにした。
さっきのことがあったが、ミレイの寿命は大丈夫そうだ。そのため心苦しいが、ここは状況把握のために離れた方が良い。
どうやらこの話をするのは、ミレイが嫌がる様子だったから。
「それで、どういうことなんですか?」
それでも視界に入る位置に彼女を置いて、俺は突然現れた男性に訊ねた。
彼は少し考えると、こう訊き返す。
「むしろ、ミコトちゃんがどこまで知っているか。それが知りたいわ」
「なにも……。俺はあくまで、ミレイの友達なだけです」
「友達……、ね」
なんだろう。俺の返答に、ダースの瞳が潤んだ気がした。
だがすぐに気を引き締めると、彼はこう言う。
「お友達なら、もっと距離を置いた方が良いわ。命が惜しければ……」
「命が、惜しい――だって?」
それに、俺は眉をひそめた。
ハッキリとしない、大事なところを隠されている。そう思えた。
だから、ダースの目を真っすぐ見つめてこう告げる。
「もう、はっきり言って下さい。ミレイは――」
それは、決定的なこと。
「彼女は、何者なんですか……?」
その問いかけに、相手は鋭い眼差しでこう返した。
「ミレイお嬢様は――」
事実だと、それに込めて。
「フランスのマフィア――『イ・リーガル』のご令嬢よ」
ダースは俺にこう語った。
「ミレイお嬢様は『イ・リーガル』のトップ、J・D・スロート様の愛娘。日本人の母親との間に産まれた子供なの。赤羽というのは、母方の姓よ」
静かに、まるで赤子に聞かせるように。
「……順調にいけば、後々には『イ・リーガル』を束ねるはずだった。ところが、内部で派閥が出来てしまってね? 命を狙われたお嬢様は各国を転々として、最後にこの日本に逃げてきた」
俺は強く拳を握りしめる。
「今日のように、彼女は命を狙われ続ける。場合によっては事故にみせかけて、とかね。貴方とは住む世界が根本から違うの、ミコトちゃん」
「住む世界が、違う……?」
そして、ようやく絞り出したのはそんな声だった。
それは夜風に流れて、ダースにのみ届く。彼は小さく一つ頷いて言った。
サングラスを外して、蒼の瞳で俺のことを見つめて――。
「だから、もう関わるのはやめなさい。死にたくないなら」――と。
◆◇◆
――自室のベッドに倒れ込み、俺は仰向けになるよう寝返りを打った。
なんの実感もわかない。今日起きたことはあまりにも非日常的で、非現実的で、非常識なことだった。もっとも、常識に至っては『日本の』という言葉が付くが。
だが、そんな細かいことはどうでも良い。とにもかくにも、今まで平々凡々な学生生活を送ってきた俺にとっては、完全にキャパオーバーだった。
「…………」
ため息もでない。
薄く開いた口は塞がらないし、全身に力が入らない。
だって、思いもしなかった。普通に人生を送っていて、死にたくないなら、なんて言われるなんて。そんなのラノベとかアニメの中だけだと思ってた。
それでも、現実なんだよな、と思う。
目を閉じればまだ、あの銃撃の時のことがよみがえってきた。
赤羽ミレイはフランスマフィアの娘であり、その命を狙われている。それはどう足掻いても現実なわけで、俺にはどうしようもないことだった。
「どうしようも、ない……」
そう。そうだとも。
俺には無関係なことだったと。
今ここで、そうだと割り切ってしまえばすべてが終わりだった。
「そんなの……!」
――でも、できなかった。
「赤羽は、ミレイは――彼女だって普通の女の子のはずなんだ!」
俺はそう口にして、身を起こす。
今日見た彼女の仕草や、子供に話しかける姿、そして何よりも普通の暮らしがしたいと。そう語っていた姿には、普通の女の子であることしか感じなかった。
そこにマフィアだとか、命の危機だとか、関係ない。
俺は、ただ一人の友人として。
赤羽ミレイのことを守りたいと、そう思った。
惚れた腫れたはもう、いっそのこと度外視。いまはただ――。
「気合を入れろ、坂上命……!」
ドン、と胸を強く叩いた。
口から漏れた決意は、誰の耳にも届くことはない。
◆◇◆
「おはよう、ミレイ! 今日もいい天気だな!」
「えっ……? ミコト、くん?」
翌朝――俺は校門の前にいたミレイに声をかけた。そして、
「悪いけど、少しだけ時間いいか?」
人気のない校舎裏へと彼女を呼び出す。
ミレイは驚きに目を見開きながら、しかし拒否することはなかった。
「……で、話なんだけど」
「はい……」
俺がそう切り出すと、彼女は身を固くする。
キュッと拳を胸の前で握りしめ、今にも泣き出しそうな顔でうつむいた。俺はそんなミレイに向かって、迷いのない結論をぶつける。
「俺が、ミレイのことを守る。何があっても」――と。
それは、彼女にとっては想定外のことだったらしい。
「えっ……!?」
またも目を見開くと、頬に一筋の涙が伝った。
呆然とした表情。そんなミレイは、どうにか言葉を絞り出した。
「そんな、私にかかわったら――」
――命が危ないのに、と。
そう現実を口にしかけて彼女は、唇を噛んだ。
色んな感情がない交ぜになっている。そのように思われた。
だから、そんな不安を打ち消すように俺は笑みを浮かべてこう伝える。
「俺はミレイの初めての友達だ。大好きな友達が困っていたら、手を差し伸べる。それは当たり前のことで、どんな状況になっても変わりはしない!」
そして、おもむろに手を差し出した。
これは意思表示。俺はもう、決意表明をした。
あと、それを受けるか決めるのはミレイの方だった。
「ミコト、くん……!」
震えた声で、彼女は――。
「ありがとう……!!」
言って、こちらの手を取った。
瞬間に俺は、彼女を強く抱きしめる。
胸の中で泣きじゃくるミレイ。そんな彼女を守るように。
どんな未来が待っていようとも、この決意だけは変わらない。
運命とやら、どこからでもかかってきやがれ……っ!
ミレイを守ると宣言した夜のこと。
俺は自分の部屋で計画を練っていた。なにかと問われれば、いかにすれば彼女が普通の女の子として暮らせるか、というもの。
マンションに送り届けた後は、ダースと初日の黒服男性がいる。そのため俺が基本的に注意するのは、彼女の寿命が急に短くならないか、ということ。
そして、もう一つは彼女を笑顔にすることだった。
「…………んー」
とは、思ったものの。
「お、思いつかねぇ……!」
女の子と遊ぶ機会なんてまるでなかった俺だ。
そんなわけで、妙案がちっとも思い浮かばなかった。先日のデートはほとんど雑談してただけだし、スイーツは食べたけど、それ以外にミレイが喜びそうなものが思い浮かばない。いいや、そもそも普通で良いのか? 話はそこからのようにも思えて……。
「あがぁ――っ!? 駄目だぁ!!」
俺は椅子からベッドへとダイブ。
そして、己の甲斐性のなさに小さく涙するのだった。
するとその時――。
「お兄ちゃん、なに騒いでるの? うるさいんだけど……」
光明が差した。
「あ……」
そうだった。
年頃の女の子が、我が家にはもう一人いるではないか。
坂上海晴――俺の一つ下の高校一年生。こいつ、それなりに流行を気にしているらしく、そういった情報については俺よりも詳しい。
だとすれば、ここはもう兄の威厳だとかそんなのどうでもいい。
大好きな女の子を笑顔にするためだ。
俺はいかなる犠牲をもいとわない――!
「海晴サマ! お願いがあるであります!!」
「え、なに急に――キモいんですけど」
「ぐふっ……!?」
おのれ、海晴の奴め――的確に傷付くことを遠慮なく言ってきやがる!
だが、今日の俺はその程度では屈しないのだ。
深々と頭を下げ、
「頼む、俺と一緒に――」
その願いを口にした。
◆◇◆
その週末のこと。俺は、近所の駅前を歩いていた。
隣にはミレイ――ではなく、海晴である。何故かというと、俺が妹に願い出たからだった。『頼むから、女の子の喜ぶことを教えてほしい』、と。
まぁ、その代償は大きかったわけだが……。
「話題のクレープデラックス、奢りだからね? 分かってるよね」
「分かってるよ! ……くそ、小遣い日までもつか?」
そんなわけで。
俺は財布の中身と威厳を代償に、知識を得たのだった。
いまはその帰り。海晴のいうところの『クレープデラックス』なるものを買いに向かっていた。そうしていると、唐突に妹はこう口にする。
「それにしても、お兄ちゃんが三次元の女の子に興味を持つなんてね?」
「なんだよ、人をキモヲタみたいに……」
「いや、オタクでしょ」
反論すると、そんな言葉が返ってきた。
一刀両断。
「で? なんだよ。なにが言いたいんだ?」
「いやー? お金の使い道なんて、ラノベかマンガ、アニメのDVDしかなかった兄が成長したんだな、と。妹の私としては嬉しい限りなのよ」
「……ずいぶんな言いようだな、おい」
「でも、事実でしょ?」
「…………」
海晴はててて、と先を歩くとこちらを振り返った。
そして、こう言う。
「いまのお兄ちゃんは、たぶんカッコいいよ!」――と。
満面の笑みで、本当に嬉しそうに。
しかし俺はそれに対して、不満をぶつけるのだった。
「『たぶん』は余計だろ……?」
「これからに期待、という意味ですよ~、っだ!」
すると、ころころと笑うのだ。
その反応に、俺は呆れて肩を落とそうとした。その時だった。
「ん、アレって……?」
どこか、見覚えのある人物を見かけたのは。
それは最初にミレイを助けた日に、彼女を迎えにきた黒服の男性だった。
服装は少しラフなそれだったが、サングラスをかけた顔立ちはそのままだから分かる。そして、そんな彼の隣を歩くのは……。
「――――っ!?」
ミレイだった。
それだけなら良い。休日なのだから、と思った。
しかし見過ごせないことがある。それというのは、もちろん――。
「また、少なくなってる!」
またもや、彼女の寿命が短くなっていることだった。
「お兄ちゃん、なにやってるの……?」
「静かに! いいか、音をたてるなよ?」
俺は早速、ミレイと黒服の男性を尾行した。
流れとはいえ海晴もついてきてしまったが、これは不可抗力。
なるべく家族は巻き込まないように。そう思っていたが、仕方なかった。
「昨日はまだ、そんなに短くなかったはず」
リミットは2時間後。
昨日、学校で会った時はまだ余裕があったはず。
それだというのに、いったいなにが彼女の寿命を縮めたのか。その可能性を考えると、相変わらず肝が冷える。だけど、俺は深呼吸をして思考を巡らせた。
「あの男は、ボディーガードのはず」
状況を改めて確認する。
いま、俺たちがいるのは街角を曲がった先にある路地裏だった。
普段なら間違えても入らない、そんな場所。そこにミレイは警護の男性と二人きりで入っていった。そして、迷わずに進んでいく。
それを考えると、何かしらの目的がある、ということか。
そうなると――。
「ねぇねぇ、お兄ちゃん? これってストーカー?」
「ぶふっ……!」
そのタイミングで、後ろに隠れた海晴がそんなことを言いやがった。
俺の思考はそこで一度、寸断される。
「な、なに言ってんだ!?」
「だって。お兄ちゃんの好きな人って、あの女の子なんでしょ? それを黙って追いかけるなんて、正直言って気持ち悪いよ」
「うるさいな! これには、深いわけが……」
身の潔白を証明するために、俺は小声で必死に訴えた。
だが、そうしていると。
「……って、見失った!?」
いつの間にか、ミレイたちはどこかへ消えていた。
ええい。こんなアホな会話のせいで、あの子を死なせてたまるもんか!
「海晴、お前はここで待ってろ! いいな!?」
「あ、え? ちょっと、お兄ちゃん!?」
◆◇◆
「くそ、どこに行ったんだ……?」
俺は路地裏を駆け回って、彼女たちを探した。
しかしすでに、どこかの建物の中に入ってしまったのか。どこを見回しても、それらしい影に出会うことは叶わなかった。
次第に焦りが強くなってくる。
ここまでか、と。そんな気持ちまでもが生まれた、その時だった。
「ん、この声は――ミレイ!?」
微かにだが、彼女の声が聞こえた。
それは一つの建物の中から。俺は少し考えてから――。
「いいや、考えてる場合じゃない、よな」
すぐにそう結論付けて、そこへと足を踏み入れた。
その瞬間。
「――――動くな、手を挙げろ」
カチャリ、と。
右側頭部に、黒く硬いなにか冷たいものを突き付けられた。
聞こえたのは男性の声。その声には、聴き覚えがあった。それは、
「ほう。ずっと尾行されているから、誰かと思えば……」
ミレイの護衛の男。
彼は感情のこもらない声で、そう言った。
「お嬢様のことをつけていた、か。そういえば、あの時もそうだったな」
男性は淡々と言葉を並べていく。
どうやら、俺のことをかなり警戒している様子だった。
「お、俺は――」
「おっと、喋るなよ? 数秒でも長く生きていたいならな」
弁明を計ろうにも、その権利さえ奪われる。
不味い、と。背筋を冷たいものが伝っていった。
このままでは、ミレイを助ける前に俺が死んでしまうかもしれない。それではダメだ。しかし、寿命が見えるだなんて話が、こんな状況で通じるとは思えない。
静寂の中には、張り詰めた緊張感。
その中で、心臓の鼓動音だけがやけにうるさい。
「さて、状況から考えて。お前は消しておいた方が良さそうだな」
そして、ついに男性はそう口にした。
引き金に指をかける音。俺は、ここまでかと、唇を噛んだ。
「――――待って、アレン!」
瞬間、悲鳴に近い彼女の声が聞こえた。
男性の動きが止まる。
「ミレイ……?」
俺は声のした方向――薄暗い店内の、その奥へと視線をやった。
すると、そこにいたのは……。
「…………へ?」
思わず、そんな声が漏れた。
そこにいたのは、アニメキャラのコスプレをした彼女だったのだから。
「コスプレショップだったのか、ここ……」
俺はようやく周囲を確認して、そう漏らした。
並んでいるのはどれも、有名なアニメの制服や戦闘服などのコスチューム。
ぶっちゃけ俺にとっても幸せな空間。だが、意外なのはまさかミレイが……。
「……ミレイ、アニメとか好きなの?」
「あ、あの……その!」
有名なロボットアニメ、そのツンデレヒロインの戦闘服を着ながら小さくなるミレイさん。着ている服こそ同じだが、性格は正反対の少女がそこに。
店に置いてあったソファー、その対面に座ったミレイは顔を真っ赤にしていた。
するとそんな状況を見て一人、苛立つ人物がいる。
「お前、お嬢様を愚弄しているのか?」
それは護衛の男性――アレン。
彼はこういった趣向はないのか、とかく居辛そうにしていた。
しかし大切なお嬢様のためか、鬼のような表情を浮かべている。俺はそんな彼に笑いかけながら、こう答えるのだった。
「あー、大丈夫。ノープロブレム。自分もアニメとか好きだから!」
そう、実は俺はヲタなのだ。
とはいっても、割とライトな層ではあると思ってる。
ソシャゲの課金は隔月で20000円。好きなラノベは厳選して、アニメのグッズが出る時はそちらを優先しているし、結構考えている方だと思えた。
「む……そう、なのか?」
「そうそう。だから、なに? いわゆるフレンズっての? そんな感じ!」
重苦しい表情を変えないアレンに、俺は軽妙な口調で語りかける。
すると徐々にだが、彼も警戒を解いてくれたようだった。
「とりあえず、お前はお嬢様の敵ではない――それは分かった」
ふっと息をつき、サングラスを外す。
現われたのは何とも、ムカつくほどに綺麗な顔だった。
キリッとした金の眼差し。眉間に傷跡があったが、それもまた逞しさを感じさせた。まさしく美男というやつだ。イケメンだ。
若干のジェラシーを抱いたが、俺はすぐに気持ちを切り替える。
「そうそう。とりあえず、銃からは手を離して、な?」
「………………」
「無言!?」
苦笑いしながらツッコみを入れてしまった。
どうやら、このアレンという男はなかなかの堅物らしい。
俺は仕方なしにミレイの方へと向き直った。そして、寿命を確認する。
「あと、30分」
小声でそう呟いて、息をついた。
そうなってくるともう、逃げたりする時間はない。
何度も言うが『寿命が見える』などという世迷言は、聞いてもらえない。
「だったら――」
どうにか集中して、アレンと一緒に危機を切り抜けるしかない。
そう思った時だった。
「誰だ――!」
「え!?」
彼が叫び、入口に銃口を向けたのは。
予定の時間よりも圧倒的に早い。そのことに困惑していると、
「な……!?」
視線をアレンと同じ方向に向けた時、息を呑んだ。
そこにいたのは、海晴だった。
「どう、して……?」
だけれども。
俺が驚愕したのは、それだけじゃない。
海晴が泣きじゃくった顔で手にしていたのは――。
「お、お兄ちゃん……!」
震え声で、俺を呼ぶ。
彼女の手には、一つの銃が握られていた。