寿命の見える少年と幸薄少女、硝煙の香り。








「……悪いな。あいにく一撃で殺せるほど、射撃は上手くないんだ」




 ――静寂を打ち破ったのは、俺のそんな一言。
 ふくらはぎを撃ち抜かれて倒れ込むリーダー格に、息を整えてからそう告げた。
 クラスメイトは俺の方を見て、皆一様に呆然と口を開いている。それは当然だと思えた。陰キャな俺が、どこかへ消えたかと思えば、いきなり銃を持って現われたのだから。しかも、人を撃ったし……。

「この、ガキ……っ!?」

 目出し帽から覗く蒼い眼差しは、明確な敵意を滲ませていた。歯を食いしばりながら注意をこちらに向けている。それなら、ここからは彼に任せよう。
 俺は照準をリーダーへと合わせたまま、こう叫んだ。

「アレン、あとは頼む!」
「――任せろ、兄弟!!」

 するとすぐに、アレンが立ち上がって銃を構える。
 意識を取り戻したらしいミレイを庇いながら、総勢10余名の敵へ――。


「悪いな。俺は弟分のように、下手くそではないんだ」


 そう言って的確に、反体制派の手元を撃ち抜いていった。
 クラスメイトは悲鳴を上げる。たしかに普通の学生にとっては、刺激が強いだろうと思えた。中には意識を失う者もいたが、こればかりは仕方ないか。

「ふぅ……」

 制圧されていく集団を見て、俺は今後について少しだけ考えた。

 アレンは俺の兄貴分で、俺はマフィアの一員で。
 それはもう、隠しようのないことだった。それならせめて、ミレイだけはこの場から切り離さなければならないだろう。
 これから続いていく、彼女の学生生活のために……。

「アレン、お疲れ様」

 俺は、まるでいつものことのように彼にハイタッチを求めた。
 するとこちらの意図を理解したのだろう。アレンは一つ頷いてから手を掲げた。そして小気味の良い音を鳴らし、同時に俺は高校生活に別れを告げる。
 身動きを取れなくなった反体制派を縛り上げて、他の学生たちに言うのだ。


「みんな、元気でな」――と。


 もう戻れない。
 その覚悟をもって、笑いながら。


◆◇◆


 学生を外へと解放し、教室に残ったのは俺とアレン、そして反体制派だけ。
 爆弾の処理は、思いの外スムーズに終わった。寿命も元通りになって、一息つく。窓の外を見ると、どうやら警察や機動隊が突撃の準備を進めているようだった。
 クラスメイトの一部はマスコミから質問を受けているようで、しかしそれを教員たちが庇っている。騒然とする向こう側とは異なり、こっちは静かなものだ。

「良かったのか、ミコト」
「ん、なにが?」

 そんな中で、不意にアレンがそう訊いてきた。
 俺が首を傾げると、大きなため息が聞こえてくる。

「なにが――なんて、馬鹿なことを言うな。お前はミレイお嬢様のために、自らの平穏を投げ捨てた。普通の学生であることをやめて、こっちの世界を選んだ」
「…………あぁ、そうなるな」
「辛くないわけがない。今なら――」
「アレン。こんなの今さらなんだよ、ホントに」

 机に腰かけて、窓の外を眺めたままで。
 俺はこう続けた。


「俺のすべてはミレイのために。そんなの、ずっと前に決めてたんだ」


 そう、その決意はあの日。
 ミレイのことを初めて抱きしめた、あの朝からずっと。

「ミコト……」
「だから、さ! お前やミレイ、それにダースが気に病むことじゃないんだ。俺は俺のまま、きっと『サイゴ』の時まで笑っていると思うよ!」

 だから、胸を張ってそう言えた。
 笑いかけると、アレンは静かに視線を逸らす。

「――って、なに泣いてるんだよアレン!? 恥ずかしいな、おい!」
「本当に、お前はバカな男だな。どうしようもない……っ!」

 目頭を押さえて、涙声で語る彼に俺は苦笑いを浮かべた。
 そして同時にこう思う。こんなに人情に篤い男が、裏切るわけがない、と。


「それなら、残る可能性は――」


 俺は自分の頬を叩いて、気合を入れた。
 そして、窓に映る自身の寿命を確認して呟く。



「俺にはもう、時間がない」




 ――残り2週間。
 それが彼女の未来を切り開くため、俺に許された時間だった。


 





 ――日本の高校を海外マフィアが占拠。
 このニュースは、世間を大きく賑わせることになった。テレビでは連日のようにこれを取り上げていたし、フランスの『イ・リーガル』とはどんな組織で、目的はなにか。有識者が見当違いな話をしているのは、ある種でどんなバラエティーよりも面白かった。

 だが、それと同時に取り上げられるのは――俺のこと。
 事件当日から行方不明となった男子高校生。マスコミは俺の家を囲んで、家族から事情を聞き出そうとしていた。泣き崩れる海晴に、両親。
 その姿に胸は痛んだが、それでももう戻ることは出来なかった。

 迷惑をかけている。
 それでも、これが俺の選んだ道なのだから……。

「俺の家族には、被害が及ばないようにしてくれたか?」
「あぁ、当然な。これはオレの義務の一つだ」
「そっか、ありがとう――アレン」

 俺はとある一室の窓際に立つアレンに訊ねた。
 すると彼は、すぐにそう頷いてくれる。感謝しかなかった。
 せめて海晴たちは『イ・リーガル』と無関係であってほしい、と。それが日本の学生であった俺の、最後の願いだった。

 もっとも、海晴は俺がどうなったかに感付いてそうだが。
 寿命を見る限りは、無理をすることはなさそうだ。

「それで、兄弟――お前の寿命について、だが」
「あぁ、あと1週間だよ。それまでに、一連の事件に決着をつけないとな」

 なんてことない、と。
 そう思って答えたのだが、アレンは少し沈んだ表情になった。そして、


「……オレは、お前と出会えてよかったと思っている」


 静かに、そう口にする。
 その言葉は本心からのものだろう。
 今にも泣き出しそうなアレンの声に、俺は――。

「ありがとうな、兄弟」


 ただただ、感謝を込めて。


「さて。それじゃ、もうそろそろ作戦を決行しますか!」

 俺は勢いよくソファーから立ち上がった。
 ここからは、本当に一か八かの選択が続く修羅の道。
 そのことを理解しているからだろう。アレンは最後にこう訊いてきた。


「ミレイお嬢様には、なにも伝えないのか?」――と。


 それは、微かに俺の胸を揺さぶる。
 しかし小さく微笑んで、こう伝えるのだった。


「大丈夫。この気持ちは『最期』まで――」


 ――胸の中に、仕舞っておくから。


「さぁ、行こう!」


 俺はあえて、それを呑み込んで歩き出した。


 





「悪いな、アカネ。変なことに巻き込んで……」
「構いません。むしろ、ここで手を貸さなければ気が済みませんわ。それに、わたくしも無関係ではないですから、ね」

 実家を離れた俺は御堂邸に身を寄せていた。
 それはミレイやアレン、そしてダースも同じくだ。少しばかりの気後れはあったが、素直に甘えさせてもらうことにする。
 あのまま同じ場所に留まっていては、いつ襲撃を受けるか分からない。
 その点で御堂邸なら、セキュリティも整っているし、最適だった。

「それで、あの話は本気ですの……?」
「あぁ、本気だよ。本当はこんな手を取りたくはないけど――学校が休校になってる間に片付けないと、ミレイの生活に支障も出る」
「本当に、赤羽ミレイが基準なんですのね。ミコトは」
「ははは、それほどでも!」
「褒めてはいませんわ……」

 だだっ広いリビングで今後について話し合っていたのだが、何故か呆れられてしまった。俺の話はそんなに変だったのか、自分では分からずに首を傾げてしまう。
 そうしているとアカネが咳払い一つ。
 真剣な表情で、こう言うのだった。

「でも、もしかしたらミコト自身が危険な目に遭うかもしれませんわよ?」

 それは俺の覚悟を問うようなもの。
 昨夜遅くに、俺はアカネにある作戦を伝えた。その内容を驚きをもって迎えた彼女は、最後にそう確認する。
 不安が大きいのだろう。
 しかし、それを打ち消すように俺は笑ってみせた。


「大丈夫だよ。きっと、後悔はしないから!」


 そして、そう告げる。
 もう迷いなんてなかった。あるはずがない。
 俺の命はあの日から、あの子のために捧げられているのだから。


◆◇◆


 ――御堂邸の正門前。
 ダースは、そこで番をしていた。
 集中を切らさない彼に、労うように俺は声をかける。

「お疲れ様、ダース」
「あら。ミコトちゃん? どうしたのかしら」

 すると、彼はその顔にいつもの優しい笑みを浮かべ、こちらを出迎えた。ミレイも彼のことは母親代わりだと、そう語っていたが、偽りはないように思われる。
 慈愛に満ちたその表情は、マフィアである以前に、一人の人間としてのそれだ。
 そんなダースに、俺はやや遠慮がちにこう言う。

「いや、ちょっとだけ。ダースと話をしておきたいと、そう思ってさ」

 彼にはたくさん訊きたいことがあった。
 ミレイのこれまで、そして彼女の両親のこと。さらには、あの日に見せてもらった写真に映る光景について。たくさんの、知りたいが詰まっていた。
 今日はその中でも、最も重要なことを訊ねることにする。

「ダースにとって、ミレイはどんな存在なんだ?」
「ミレイお嬢様のこと、ね」

 それは、彼の娘といっても過言ではないミレイについてのこと。
 ダースはあの子のことを、どう思っているのか。
 俺はそれが知りたくて仕方なかった。

「そう、ね――」

 彼はこちらの質問に、少しだけ悩んだ後にこう答える。


「敬愛するボスの愛娘。最初は、そう思っていたわ」――と。


 ゆっくりと、言葉を選んで語り始めた。

「以前に写真を見せたけど、私たち――ボスとお嬢様のお母様、そして私は学友だったの。中でもボスと私は幼馴染みでね? 彼の家のことは、昔から知ってたわ」

 そこで一度、言葉を切ってから彼は目を細める。
 昔を懐かしむように。そして――。

「そんなある時に、あの人が留学してきた。色々あって、仲良くなるにはそれほど時間は必要なかったのよ。それと同時に、ボスが彼女を好きになるのも、ね?」
「いまの俺が、ミレイを好きになるみたいに?」
「ふふふ。ミコトちゃんほど、急激ではなかったけどね」

 そんな彼に問うと、冗談めかしたように笑った。
 でもすぐに、深く息をついて続ける。

「私が二人を守ろうと思ったのは、自然な流れだったわ。ただ、ある抗争の中で彼女は亡くなって――産まれたばかりのお嬢様と、失意に暮れるボスが残された。それから、少しずつ『イ・リーガル』の内部がギクシャクし始めて、私たちは逃げることになったの」

 ――だから、お嬢様はご両親の顔をほとんど知らないの、と。
 少し寂しそうに、胸に手を当てて。

「でも、こうやって日本にやってきて良かったと思うわ」
「ん、それってどういう……?」

 話はそこで終わりかと、俺は話しかけようとした。しかし、不意に笑顔を向けられて首を傾げる。するとダースは、頬に手を当てて呆れた。
 そしてふっとため息をついて……。

「これは、お嬢様も大変ね」――と。

 そんな、よく分からないことを言うのだった。
 頭上に疑問符を浮かべるこちらを、彼はくすくすと笑う。

「いつか分かればいいの。それが、いつかにもよるけど、ね?」

 さて――と。
 話はここまで、といった風にダースは口にした。
 どうやら、そろそろ本題に入ろうと、そういうことらしい。

「それで、ミコトちゃん? ――例の作戦は、今夜なのね」

 声のトーンを落として、真剣な表情になりそう言った。
 俺はその言葉に頷く。そして、こう告げた。


「あぁ、今夜こそ決着をつける。『裏切り者』は――」



 固唾を呑んで、その名を口にする。







「アレンだ」――と。


 






『ミコト。アレンが家を出ましたわ』
「そうか、了解」

 俺は1人、今はもぬけの殻となった闇医者のいた部屋にいる。
 御堂邸からさほど距離のない、そして人気のないここにアレンを呼び出したのだ。アカネとダースにはそのことを確認してもらっている。
 都合上、スマホで連絡を取り合えるのはアカネだけ。
 彼女は緊張した声色で、俺にこう言った。

『でも、本当にアレンが? なにを根拠に、そう言っていますの』
「それは、これから分かるさ」

 だが、その問いかけに俺は半端な答えを返す。
 一つ息をついてから、銃の中にある残弾を確認した。カチャリ、と小気味の良い音。たった1発のそれを見て、また仕舞う。
 これからの勝負のためには、心細いものだった。
 それでも、変な動きをすれば計画が破綻するのは目に見えている。

「それに、俺が命を張らないで――誰が張るっていうんだ」

 残り1週間を切った寿命。
 どんな策を練っても、それが増えることはなかった。
 だとすれば俺の命はやはりそこまで、ということ。それまでにミレイを取り巻く環境を変えなければならなかった。きっと、それが俺の命の意味。

「なぁ、アカネ? 一つ、いいか」
『なんですの?』

 そう思って、俺はアカネにこう声をかけた。


「アカネ。俺がいなくなっても、ミレイの友達でいてやってくれるか?」――と。


 瞬間、電話口からでも彼女が息を呑むのが分かった。
 しばしの間を置いてから、明らかに涙ぐんだ声が聞こえてくる。

『――もちろん、ですわ。それを貴方が望むなら』
「ありがとうな。アカネ……」

 酷なことを言っている自覚はあった。
 それでも、アカネがそう答えてくれたことで、憂いはなくなる。何故なら彼女は『裏切り者』ではないのだから。友人として、信用に足る人物だった。

 だとするなら、いったい誰が『裏切り者』なのか――。

「そろそろ、動くかな」

 それを考えて俺が、小さく漏らした時だった。

『ミコト、今――』
「あぁ、聞こえた――動き出したか!」


 一発の銃声が、スマホ越しに。


 俺は自身の予想が的中したことに、幾ばくかの悲しみを覚えた。
 だけども、それに浸っている暇はない。

「――ミレイ!」

 愛しい女の子の名前を口にして、俺は御堂邸へと駆け出した。


◆◇◆


 ――数分前。
 ある部屋に一人の男性が現れた。
 その人物は、目的の相手――ミレイがそこにいないことを確認して、舌を打つ。おそらくは騙されたことへの苛立ちだろうか。
 しかし、そこまで悲観しているわけでもないらしい。
 すぐに切り替え、部屋を出ようとした。

「――――動くな」

 そんな男性に銃口を向ける者があった。
 彼は静かに、感情を殺したような鋭利な声をかける。人情深い彼ではあるが、今ばかりは冷徹にならなければならない。
 何故なら、目の前にいるのは敵なのだから……。

「本当にお前が『裏切り者』だったんだな」

 淡々とした口調で、いつもとは違う声色で。
 それがきっと、マフィア――『イ・リーガル』としての彼だった。
 しかしそんな彼に、相手はなにも応えずに振り返る。そして無言のまま、銃を取り出した。二人は互いに銃口を向け合いながら、静かに呼吸を重ねる。

 沈黙が続く。

 それを打ち破ったのは――。

「どうして、だ……」

 後から入ってきた者による、こんな問いかけだった。
 相手は静かに、同じく静かに一言。

「さぁ、ね」――と。

 小さく、笑った。
 そして次の瞬間――。




 一発の銃声が、鳴り響く。




「が――!?」

 それはきっと、一瞬の気の緩み。
 微笑みがあまりに思い出深い、それだったから。
 だから『アレン』は、即座に反応することができなかった。

「本当に、甘いわね。――アレン」

 うずくまる彼を見下ろしてから、もう一人は部屋を出て行った。
 最後にそんな言葉を残して……。


 アレンは一人となり、苦々しい表情を浮かべてこう言うのだ。





「どうしてだ。『ダース』……ッ!」――と。



 





 ――数日前。
 俺はアレンに作戦を伝えた。
 それは、アレンが『裏切り者』だと伝えることで本物を炙り出す、そんな賭け。俺がアレンを呼び出し、あえて守りをがら空きにした。そう見せかけたのである。
 もちろん、ミレイは別の場所に隠れてもらって、だ。

『すべては、オレたちだけで――か』
『穴だらけの作戦だと思う。それでも、やるしかないんだ』

 この作戦は、アカネにも伝えていない。
 何故なら、僅かながら彼女にも疑惑があったからだ。
 それと同時に、本当の『裏切り者』へのアピールの意味もあった。本気で俺がアレンを敵だと誤認している、という誤情報の発信。

 あとは、どちらかが網にかかってくれることを祈る。
 本当に穴だらけの作戦だった。

『……分かった』
『いいのか、アレン?』

 それでも、俺の兄弟は頷いてくれた。
 思わず訊ねると、彼は微かに頬を緩めて言うのだ。


『オレは兄弟を信頼し、尊敬しているからな』――と。


 それは、少し意外な言葉だった。

『信頼、はいいとして……尊敬?』

 まったく想定外のそれに首を傾げると、アレンはこちらの肩に手を置く。
 そして、真っすぐな視線を俺の顔に向けるのだった。


『あぁ、尊敬だ。ミコトのような力があれば、もっとたくさんのことが出来たはず。それこそ私欲を満たすような、汚い使い方を。だがお前は、その力を純粋に――ミレイお嬢様のためだけに使ってきた』


 ――きっとそれは、並大抵の気持ちでできることではない、と。
 アレンは、俺の今までを肯定してくれた。

『………………ありがとう、アレン』

 すると自然、感謝の言葉がこぼれる。
 力を抜けば感情もこぼれそうになってしまったが、どうにか堪えた。それは本当に最後まで、『最期』のその時まで、我慢しなければならない。

 だから、笑った。
 ちゃんと笑えているか、自信はなかったけど。

『こちらこそ、だ。――兄弟』

 結局、どんな顔をしていたのだろうか。
 アレンは俺の表情を見て、歯を食いしばりながらそっと抱きしめてきた。彼の肩は震えている。だから、あやすように背中をポンポンと叩く。
 俺は自分のことを、つくづく幸福な男だと、そう思った。

 だって、こんなに想ってくれる人たちに出会えたのだから……。


◆◇◆


『すまない、兄弟――俺の責任だ』
「心配するな、アレン。すぐにそっちに向かうから!」

 無線の先からアレンの声がした。
 しかし、彼がダースを前に感情的になるのは、想定の範囲内。
 だから俺はすぐに、次のフェイズに移った。それは相手よりいち早く、ミレイのもとへとたどり着くこと。ここからは時間の問題だった。

「アカネ! ダースの動きは分かるか!?」
『いま、3階ですわ! 赤羽さんはどこにいますの!?』

 息を切らせて、俺は御堂邸の前までやってくる。
 これなら間に合いそうだ、と。俺はそう思いながらアカネへ伝えた。


「地下室、あの金庫の中だ!」――と。





 ――御堂邸管制室。
 アカネはミコトからの情報を受け取り、監視カメラの画面を切り替えようとした。しかし緊張からかその手は震え、思ったように作業は進まない。

「分かりましたわ。今すぐに――」

 それでも、それを表には出さないように彼女はミコトに語りかけようとした――その時。カチャリ、という音が彼女の後ろから。
 そして、聞き慣れた男性の声。

「あら、なにが分かったのかしら?」
「――――――!」

 背中にはなにか、無慈悲で冷たいものが突き付けられた。
 声の主は間違いない――ダース。彼は息を呑むアカネとは対照的に、どこか余裕を感じさせる声色でこう続けるのだった。

「どうやら、ミコトちゃんと繋がっているみたいね。それで、アカネちゃん? 貴女に訊きたいことがあるんだけど、答えてくれるかしら」
「…………………」

 彼女は何も言わない。
 だがしかし、ダースはそれでも構わないように、こう口にした。

「ミレイお嬢様は、どこ? ――教えてくれるわよね」

 弾丸を装填する音が、ガランとした管制室に。
 アカネは、思わず発狂しそうになる心を落ち着かせながら――不敵に笑った。そして肩越しに『裏切り者』を見つめながら、こう言う。


「残念ですわね。わたくし、こう見えて義理堅いんですの」――と。


 それは、紛れもない拒否の意思だった。

「そうなの。残念ね」
「えぇ、本当に残念ですわ」
「ならもう、貴女に用はないわ」

 淡々としたやり取りの後。




 管制室では、少女の悲鳴がこだました。



 





『はぁい、ミコトちゃん? 聞こえているかしら』
「あぁ、良く聞こえてるぜ」

 スマホ越しに聞こえてきたダースの声に、俺は小さく苦笑しつつ答えた。
 アカネの悲鳴には思わず立ち止まってしまったが、すぐに気持ちを切り替えて駆け出す。二人がやられたのなら、尚のこと急がなければならなかった。
 現状でミレイを守れるのは俺しかいないのだから。

『さて、少しばかり昔話でもしましょうか』

 スピーカー設定にしてあるそこから、ダースのそんな声が聞こえた。
 耳を傾けつつも、俺は先を急ぐ。

『昨日、話したわよね? ――私とボス、そしてあの女の関係を』

 答えないでいると、彼は淡々とそう語り始めた。

『私は憎かったの。私からあの方を奪った、あの女がね? 誰よりもボスのことを知っているのは、ずっと一緒にいた私だったのに! あの女はポッと出のくせに、私から大切な人を奪い取った!!』

 そして、それは次第に狂気を持っていく。
 地獄の釜のような熱量がこもった声色には、恐怖すら抱いた。彼の怒りは見当違いの方向へと向かっている。しかし、怒りというのはそういうものだろう。
 制御不可のそれは我を見失わせて、判断力を鈍らせる。

 怒りは狂気へ。
 そして、その狂気は殺意へと移り変わるのだ。

『だから、私は殺したの――どさくさに紛れてだけど、私があの女を殺した』

 でも、間違った感情の発露は精神を蝕む。
 崩壊へと至らせる。

『でも、まだ憎くて、苦しくて仕方ないの! だから、今度は――』

 その結果が、このダースという男なのかもしれない。


『ミレイを殺す。――この手で、ね』


◆◇◆


「ミレイ、大丈夫か!!」
「ミコトくん、無事だったのですね!?」

 地下室――金庫の中に辿り着くと、そこには寝間着姿のミレイがいた。
 俺が声をかけると彼女は涙目で、そう叫ぶ。俺の胸に飛び込んできて、大粒の涙を流すのだ。その背中を撫でて、落ち着くようにそっと抱きしめる。
 きっとミレイも、今の状況を薄々に感じているのだろう。
 だから、心優しい彼女は涙していた。

「早く、早くアレンと御堂さんを助けに行かないと……!」
「大丈夫だよ、ミレイ。落ち着いて」
「でも、ミコトくん!」

 混乱しているのだろう。
 ミレイが悲鳴に近い声でそう言うのを、俺は静かになだめ続けた。
 そして、そうしているうちにタイムアップ。だけれども、こうなるのは分かっていた。だから俺は地下室に現われた気配に向かって、こう声をかけるのだ。

「よう、ダース。覚悟は出来てるか?」――と。

 すると、その気配はピタリと足を止めた。
 くすりと笑ってから、彼――ダースはこう答える。

「あら、それはこっちの台詞じゃない? ――ミコトちゃん」
「そうでもないだろ。もしかしたら、俺がお前を殺すかもしれない」
「うふふ、残念ね。あり得ないわよ、だってミコトちゃんはここで死ぬもの」

 振り返り彼を見ると、そのタイミングで足元に鏡が転がってきた。
 拾い上げるとそこに映っていたのは――。


「……………………」


 俺の寿命だ。
 示しているのは、1週間後ではない。

「どうかしら、ミコトちゃん。それを見ても平静を保てるかしら?」




 ――残り10分程度。
 それが、俺に残されたミレイを守れる時間だった。


 





「あら、意外と驚かないのね? もしかして、そんな短くなかったかしら」
「そうでもないさ。でも、やっぱり知ってたんだな」
「うふふ……」

 ミレイを背に、俺はダースと言葉を交わす。
 互いに感情のこもらない声。こちらはあえてそうしているのだが、相手方は果たしてどうか。笑っているようで、笑っていないそれと表情。不気味にも思えたが、これから相手にする男は狂人なのだ。
 その程度の違和感、今回は無視した方が良いのかもしれない。

 だが、これだけは訊いておこう。

「どこで、気付いたんだ?」

 そう思って、問いかけた。
 いったいどこで、俺の力の存在に気付いたのか。
 するとダースはふっと微笑み、銃口を向けてこう答えた。

「おかしいって思ったのは、初めて会った時よ。だっていくらレーザーに気付いたとして、即座に狙撃があると判断した上で、あんな行動を取れる者はいない」

 ――ましてや、一般人ならなおさら、と。
 彼はそう言った。そして、

「2つ目に、コスチューム店での行動。この辺りから確信に変わってきたわ――ミコトちゃん。貴方、御堂の家での時もそうだけど、鏡でなにかを確認したわよね」

 そう続ける。
 そこまで言われれば、最後の判断はいつか、俺にも分かった。

「それで、体育館裏でのあの行動か。もし俺が止めなかったら、本気で――」
「えぇ、死んでいたわ。その可能性に目を瞑って、自殺しようとしたのだから」
「狂ってるな。まさか自分の命を投げ出してまで確認を取るなんて、思いもしなかったよ。お陰様で、俺の推測はどれも後手に回ることになった」

 こちらの言葉に、ダースは目を細める。

「あら、狂ってるのはミコトちゃんもそうじゃない?」
「それほどでもないさ。あいにく、俺はそこまで大物じゃない」

 そう言って俺は笑った。
 自分の寿命は残り10分未満だと、その事実を胸に。

「そうね、貴方はそんな大物ではない。だって――」

 そして、ダースは俺の胸中を見透かすかのようにこう告げた。




「いっつも、震えていたものね? この家にきてからはずっと、まるで赤ん坊のように。夜一人きりになると、ベッドで泣いていた」――と。




 彼は凶悪な笑みを浮かべて言うのだ。
 それこそ、弱者を見下すように。

「いまだって、逃げたくて逃げたくて仕方ないのでしょう? ――本職を舐めないでね。それくらい一目見れば分かるの。きっと、アレンもね」
「……………………」

 なにも、言い返せなかった。
 だってそれは、覆しようのない真実だったから。

「ここまでよく頑張ったわね――ミコトちゃん? 今からでも遅くはないわ、この一件から手を引きなさい。そうすれば、もう少しだけ生きれるわよ」

 俺の呼吸が、微かに乱れているのを察知したのだろう。
 最後にダースはそう口にした。

 でも、俺は首をゆっくりと左右に振り――。


「そうじゃねぇよ、ダース。お前は勘違いしている」


 そう言った。
 ほんの微かにだが、彼は眉をひそめる。
 その姿を見て、俺はしっかりと銃を向けてこう伝えた。


「俺はな、ここで引いたら――それこそ、死んじまうんだよ」


 それは、決意の言葉。


「ミレイのために捧げたこの命。ここで臆病風に吹かれちまったら、それまでの想い、すべてを否定することになる。それは、俺の『魂の死』だ」――と。



 俺はミレイが好きだから、ここまでやってこれた。
 こんなに誰かを好きになるなんて、思いもしなかった。
 情けなかった俺を男にしてくれたミレイに、感謝しかなかった。だから、ここで引くという選択肢はまず、あり得ない。たとえそれで――。

「ミコト、くん……?」
「あぁ、ミレイは心配するなって。すぐに終わることだ」

 事情が読み取れないのだろう。
 ミレイは、目を見開いて戦況を見つめるだけだった。
 そんな彼女に俺は初めて――。








「愛してるよ、ミレイ」








 この胸の想いを伝えた。
 言葉にした直後に、感情の奔流が俺を襲う。
 目頭が熱くなり、涙がこぼれ落ちた。ダースに向けていた銃口は揺れ、膝には力が入らない。今まで無視を決め込んできた恐怖に対する怯えが、顔を出した。



 それでも、言葉にして良かったと。



 もしかしたら、ミレイにとっては呪いとなるかもしれないけど。



 それでも俺は最後の最後に、この胸に秘めた純粋な気持ちに向き合った。



「さぁ、ダース。そろそろ終わりにしようか……!」



 ふっと、息をつく。
 鏡で確認するまでもない。
 きっと、今の俺はとてつもなく不細工だ。



 そんな俺でも。
 なんの取り柄もない俺でも。
 誰かのためになら、こんなに強くなれるのだ。



「えぇ、いらっしゃい。ミコトちゃん?」



 彼の言葉を合図に始まる。
 俺は一直線に、ダースの懐へと向かって駆けだした。


 
 背中に、愛しい女の子の悲鳴を受けながら……。

 





「大丈夫ですの!? アレン!」
「あぁ、大丈夫だ。最悪、左肩が動かなくなる程度だろう」
「それは大丈夫とは――いいえ。それよりも、いまはミコトたちですわ!」

 管制室を出たアカネとアレンは、地下室を目指していた。
 互いに傷は負っているが、命にかかわるものではない。アカネに至っては、ほぼ無傷だと言ってもよかった。あの時の銃声は彼女の身動きを封じるためのもの。
 その後に打撃によって意識を失った少女は、管制室に横たえられていた。
 アレンがやってくるまで、アカネはただ眠っていたのである。

「それにしても、ダースはどういうつもりですの……?」
「分からない。ただ――」

 肩を押さえつつ走りながら、アレンはそこまで口にして、しかし言葉を呑み込んだ。そして、あることを思い出す。それは、取り留めもないダースとの会話だ。
 数年前にアレンとダースは、まだ幼いミレイの寝顔を見ながら語り合った。
 短い、本当に何気ないやり取り。
 それでも――。




『私が退場した時、ミレイお嬢様のことは――アレンに任せるわ』




 なにかが、引っ掛かった。
 彼は『死』という言葉を用いなかった。
 それはまるで、舞台から降りることを表現するような……。

「ダース。お前は、もしかして……」

 ――いずれこうなることを理解していたのか、と。
 そんな考えが、アレンの脳裏をよぎっていった。だが、それを彼はぐっと飲み込んで駆ける。答えは考えても出ないだろう。
 おそらくは、それを知っているのはダース、ただ一人。

「くそっ――どうして、一人で抱え込むんだ!」

 アレンは吐き出すように言った。


「オレたちは、ファミリーだろう!?」――と。


 そして、間もなく地下へと続く階段というところで。

「アレン、今の……!」
「あぁ、急ぐぞ!!」


 一発の銃声。
 静寂の中に広がったそれは、次第に溶けていった。


◆◇◆


『お嬢様は、将来どんな女性になりたいですか?』

 年端もいかない少女に、ダースは問いかけた。
 自分はこの少女にとっての母親代わり。されども、憎き相手の娘。倫理の天秤にかけて、日々苦悶するのもまた己の罪なのだと、彼は考えていた。
 そんな中で生まれたちょっとした余暇に、ダースはミレイに訊ねたのだ。


 ――貴女の将来の夢はなんですか、と。


 この子に将来なんてない。
 明るい未来など約束されずに、闇社会を生きることになる。
 そんな当たり前を思いながらもダースは、幼いミレイにそう問いかけた。

『んー……』

 玩具で遊びながら、おもむろにミレイは首を傾げる。
 そして、しばし考えた後に言うのだった。


『ダースみたいな、やさしいお母さんになりたい!』――と。


 それは、夢のような返答。
 望んでも手に入れられなかった、そんな未来への可能性。
 ダースは息を呑んで、そして小さく微笑む。叶わないと思っていても、この子のことが憎くても、それでもきっと、この純心に逆らうことは出来ない。
 彼はそんな確信を持った。
 その上で、自分の取るべき行動はなんなのか。

『それじゃ、一つ賭けをしましょう?』
『…………?』

 そう考えて、ダースはほとんど考えなしにミレイに提案していた。
 しかしそれは、決して彼女に対してではなく――。


『お嬢様を守る、素敵な王子様が現れるかどうか、ですよ』


 きっと、自分に与えた一つの可能性だった。





「あぁ、懐かしいわね……」

 ダースは、懐かしい夢を見たようにそう呟いた。
 それでも俺は、そんな彼に何も言葉を返すことが出来ない。
 どうしてだろうか。涙があふれ出して、止めることが出来なかった。

「どう、して……!」

 それでも、どうにか絞り出す。
 彼への問いかけを。


「どうして、撃たなかったんだ――ダースッ!!」


 震える手から、ただの鉄の塊となったものがこぼれ落ちた。
 それでも放たれた弾丸は間違いなく、ダースの心臓を打ち抜いているだろう。止めどなく溢れ出す血が、それを物語っているようだった。
 涙に濡れるそんな俺を、そっと抱きしめる彼。
 その温もりはいつ、なくなってしまうのだろうか。

「ねぇ、ミコトちゃん。私には――あと、どれくらい時間があるの?」

 優しく、いつもと変わらない声色で。
 ダースは俺にそう問いかけた。

「――5分、だ」
「そう。ありがとう、ね」

 膝をついて、彼はそう礼を口にする。


「それだけあれば、少しはお話もできるわね」


 そして、視線をミレイの方へと向けてこう言うのだった。





「賭けは、貴女の勝ちですよ。――ミレイお嬢様?」



 






「ダース、貴方……」
「私は二つの顔を持っていました。貴女の母親を殺した咎人としての顔と、貴女の母親代わりとしての顔――最初は前者だけが大きくて、どう苦しめてミレイお嬢様を殺そうかと、そればかりを考えていたのです」

 掠れた、しかしよく通る声でダースは語った。
 自らのこれまでの行いを素直に、憂いを失くすように。

「でも、できなかった……。たとえ貴女の母親が憎くても、貴女は私の愛したあの人の娘ですもの。どっちつかずな気持ちのまま、私はあの日――貴女に一発の銃弾を放った。だからでしょうね、それはミコトちゃんによって阻まれた」

 口の端から、一筋の血を流しながら。
 それでも今までのことを語ろうと、必死に。
 彼はその顔を涙で、くしゃくしゃにしながら懺悔するのだ。

「私は決めました。この子――ミコトちゃんが、あの日に冗談めかして賭けた王子様なら。私がそれを認められたら、潔く身を引きましょう、と」

 俺の頭を撫でながら、ダースはそう笑った。
 そして、こう叱咤激励する。


「ほら、王子様がそんなに泣き崩れていてどうするの? 貴方はその手で、間違いなくお姫様を守ったのよ。悪い魔女の手から救い出した英雄なのだから」――と。


 それを否定したかった。
 ダースはそんな人間ではない、と。
 たしかにミレイが憎かったのかもしれない。だけどきっと、その何倍も、何十倍も、ミレイのことを大切に想っていたに違いない人だったのだ。

 その終わりが、こんなのって――ないだろう?

 たしかに、ダースの犯した罪は拭いきれない。
 それでも彼が彼女を愛した気持ちは、計り知れないものだったのだから。

「みんな! ――ダース!?」
「ミコト!!」

 その時だった。
 地下室に、アカネとアレンが現れた。
 彼らは血相を変えて、俺たちのもとへと駆け寄ってくる。

「二人とも、無事だったのか……」

 束の間の安堵に、俺も力が抜けてしまった。
 すると同時に――。


「……ダースっ!」


 力尽きたように、大きな身体がすり抜けるように倒れ伏した。
 みんなが彼を囲み仰向けに起こす。アレンは止血を試みるが、それでももう間に合わないことは明白だった。何よりも、俺の目にはそれが見えるのだ。


 あと――1分。


 なにか、彼の生涯の手向けに相応しいものはないか。
 考えるが、まるで思いつかない。

 焦燥感が全身を覆いかけた。
 その瞬間――。


「ミレ、イ……?」


 おもむろに、ミレイがダースへと歩み寄った。
 そして静かに目を閉じ、



「ありがとう。大好きな――」



 こう口にする。





「大好きな、お母さん」――と。





 ――あぁ、それはなんて慈悲深い言葉なのか。
 なんてそれは、清らかな感謝なのか。
 俺は見た。


『お世話に、なりました……』






 最後に、言葉にならないけれども、ダースの口がそう動いたのを。
 彼は最期にいつもの微笑みを浮かべて、息を引き取った。




 大切な、家族たちに看取られながら……。