「そんなバカな話って、あるかよ……!」
俺は思わずそう叫んでいた。
こんな状況は想定外で、どうしようもなかった。
爆弾を発見した時点で今回も乗り越えたと、そう確信していたが、そうではない。むしろそこまでがスタートラインで、終わりの始まりだった。
「くっ……八方ふさがり、というやつか」
「そんな話じゃねぇよ、アレン。こいつら――」
アレンの漏らした声に、俺は少しだけ声を震わせる。
そして、こう口にするのだった。
「自分たちの命さえ、犠牲にしようとしやがってる」
姿を現した『イ・リーガル』の反体制派。
彼らの寿命もまた、俺たちと同じ時を示していた。
◆◇◆
拘束されながらも、俺は深呼吸をして状況を判断する。
この場にいる全員の命が尽き果てるまで、残り――――2時間。
反体制派の全員が武装しているのに対して、こちらはほぼほぼ丸腰の状態だった。俺が持つ護身用のナイフが2本と、拳銃が一丁。
相手も学生が武器を持っているとは思っていなかったのか、それらは見つからずに済んだ。しかし、後ろで手を縛られた現状ではどうしようもない。
「考えろ。思考を、止めるな――」
長く息を吐き出して、目を細める。
この状況でなにかを行動を起こすことは、確実に悪手だった。下手を打てばその場で銃殺――最悪の場合、タイムリミット前に皆殺し。
それでも、行動を起こさなければジリ貧だ。
つまり俺はここで、数少ない正解の行動1つのみを取らなければならない。
「――兄弟。少しだけ、訊きたいことがある」
「どうした、アレン」
そう考えていた最中だった。
隣に座るアレンが、おもむろにそう訊いてくる。
訊き返すと彼は、俺以外の誰にも聞こえない声量でこう言った。
「どうしてお前は、あの集団が命を懸けていると考えた?」
「……………………」
それは、俺の先ほどの発言について。
さっき思わず口にしたことを、アレンは気に留めていたらしい。
「ここに爆弾を仕掛けたのは、アイツらだと――そう思ったからだ」
しかし、俺は真偽を告げずにそうはぐらかした。
この状況ではあるが、アレンが『裏切り者』である可能性がなくなったわけではない。それに加えて、俺の力は説明しても信じられない類のそれだった。
そう思って、口を噤む。しかし彼は納得していない様子で――。
「いいや。お前がその程度の推測で、あのように取り乱すとは思えない」
「それは俺のことを買い被りすぎだ。普通の高校生だぞ、俺は」
「お前みたいな学生がいるか。なにか、あるのだろう?」
「……………………」
そう、静かに問いかけてくる。
無言を貫くと、彼は小さくふっと笑い、こう言った。
「聞かせてほしい。ミコト、お前の見ているものをな……」
一度、言葉を切り。
「同じ女を愛する男として、な」――と。
それを聞いて、俺はハッとした。
驚いてアレンの顔を見ると、冷や汗をかきながらも口元には笑みを浮かべている。やや緊張感をもった呼吸に、サングラス越しの瞳には、嘘を感じられなかった。
その眼差しは反対側で気を失う――ミレイに向けられている。
「アレン、お前……」
「さて、兄弟。ここから先は大きな賭けになるかもしれない」
彼は、声のトーンを落として言った。
「乗るか、はたまた乗らないか。――どっちを選ぶ?」
まるで俺のことを試すかのように。
それを耳にして、俺は自然と笑みを浮かべていた。そして、迷いなく――。
「今さら、そんな賭け――屁でもないさ」
その波に乗ってやることにした。
『へい、そこの元兄弟――少し、話をいいか?』
『ん、お前は……』
アレンは母国語で、反体制派のリーダー格に話しかけた。
どうやら2人は顔見知りらしく、リーダー格はニタリと笑みを浮かべたように思われる。そして、どこかアレンを小馬鹿にしたようにこう言うのだった。
『お前はついて行く相手を間違えたな。本当に、昔から情に流されやすい奴だ』
『ずいぶんな言いようじゃないか。まぁ、否定はしないが――』
『どうした、話しかけたということは命乞いか?』
『いいや? 少しだけ、報告したいことがあってな』
『報告したいこと、だと……?』
だが、彼の言葉に声色を変える。
どうやら、相手の興味を引くことに成功したようだった。アレンは挑発的な笑みをその綺麗な顔に浮かべ、リーダー格を見つめてこう口にする。
『このままだと、お前たちも死ぬことになる――と言ったら、どうする?』
『なん、だって……?』
◆◇◆
「アレン、上手くやってるかな。いいや――信じよう」
俺は人気のない廊下を走り、職員室へと向かっていた。
目的はあの盗撮男が使っていたスマホの確保。おそらくだが、爆弾は1つだけではなかった。複数個所に設置されていると考えるのが適当だろう。
だから、アレンが隙を作っている間に俺は教室を抜け出したのだ。
そしてこの作戦を実行するためには――。
「驚くよな、そりゃ……」
彼に、俺の力を説明する必要があった。
どうして反体制派が命を懸けて、この作戦に挑んでいると思ったのか。その裏付けとなる証拠として、話さざるを得なかった。
アレンは一瞬だけ呆けた顔をしていた。
しかし、少しだけ笑った後にこう言ったのだ。
「信じるぜ、兄弟」――と。
その上で、彼はある予想を立てた。
それというのは、あの反体制派が『爆弾の存在を知らない』というもの。
アレンの話によると、いくら組織に忠誠を誓っているとはいえ、そのような馬鹿げた作戦を決行するのはあり得ないということらしい。
すなわち、彼らもまた騙されており、捨て駒ということだった。
「結果としてその予想は正しかったわけだ。アレンが話しかけたら、明らかに動揺していたからな。――なに言ってるかは、分からなかったけど」
俺は手持ちのナイフで縄を切り、反体制派の隙を突いて抜け出したのだ。
あとはアレンが時間を稼いでくれているかどうかだが、ここからはもう信じる他ないだろう。彼が『裏切り者』である可能性は捨てきれないのが苦しかった。
それ故に、これは一種の賭け。
しかし何もしなければどの道、俺たちの寿命は尽きるのだ。
それならば、乗らないわけにはいかない。他でもない、かけがえのない――。
「ミレイを助けるためには、これしかない……!」
誰もいない職員室に到着する。
そしてしらみつぶしに物色して、俺は見つけた。
「よかった、あった……!」
盗撮男のスマホ。
俺はそれを起動して画像フォルダを確認した。
すると分かったのは、画像は全部で8枚だということ。そして、
「ん、どこかに画像を送信している?」
あの男が、どこかにメールで画像を送っていたことだった。
「宛名は――『Mr.dollar』」
おそらくは、偽名だろう。
しかし、俺の中には確信に近いものがあった。それは――。
「こいつが、きっと……」
『裏切り者』に、違いないという確信が。
◆◇◆
『く、くくくっ――アレン、お前も嘘が下手な奴だ』
『な、に……?』
ミコトが教室を出て行った後に、リーダー格の男がそう言った。
アレンは眉をひそめる。そんな彼の様子を見て、男は僅かに覗く目を細めた。
『オレ様はそんなチンケな嘘にかかるほど、馬鹿じゃないぜ? ――このミッションを達成すれば、組織の中でも有数のポストと金を約束されてるんだ』
そして、おもむろに銃口を――ミレイに向ける。
気絶する彼女は身動きが取れず、その他のクラスメイトは悲鳴を上げた。
『それじゃ、サヨナラだ――アレン』
『くそったれ……!』
間髪を入れずに銃声が鳴り響く。
直後に、教室の中は静寂に包まれた。
「……悪いな。あいにく一撃で殺せるほど、射撃は上手くないんだ」
――静寂を打ち破ったのは、俺のそんな一言。
ふくらはぎを撃ち抜かれて倒れ込むリーダー格に、息を整えてからそう告げた。
クラスメイトは俺の方を見て、皆一様に呆然と口を開いている。それは当然だと思えた。陰キャな俺が、どこかへ消えたかと思えば、いきなり銃を持って現われたのだから。しかも、人を撃ったし……。
「この、ガキ……っ!?」
目出し帽から覗く蒼い眼差しは、明確な敵意を滲ませていた。歯を食いしばりながら注意をこちらに向けている。それなら、ここからは彼に任せよう。
俺は照準をリーダーへと合わせたまま、こう叫んだ。
「アレン、あとは頼む!」
「――任せろ、兄弟!!」
するとすぐに、アレンが立ち上がって銃を構える。
意識を取り戻したらしいミレイを庇いながら、総勢10余名の敵へ――。
「悪いな。俺は弟分のように、下手くそではないんだ」
そう言って的確に、反体制派の手元を撃ち抜いていった。
クラスメイトは悲鳴を上げる。たしかに普通の学生にとっては、刺激が強いだろうと思えた。中には意識を失う者もいたが、こればかりは仕方ないか。
「ふぅ……」
制圧されていく集団を見て、俺は今後について少しだけ考えた。
アレンは俺の兄貴分で、俺はマフィアの一員で。
それはもう、隠しようのないことだった。それならせめて、ミレイだけはこの場から切り離さなければならないだろう。
これから続いていく、彼女の学生生活のために……。
「アレン、お疲れ様」
俺は、まるでいつものことのように彼にハイタッチを求めた。
するとこちらの意図を理解したのだろう。アレンは一つ頷いてから手を掲げた。そして小気味の良い音を鳴らし、同時に俺は高校生活に別れを告げる。
身動きを取れなくなった反体制派を縛り上げて、他の学生たちに言うのだ。
「みんな、元気でな」――と。
もう戻れない。
その覚悟をもって、笑いながら。
◆◇◆
学生を外へと解放し、教室に残ったのは俺とアレン、そして反体制派だけ。
爆弾の処理は、思いの外スムーズに終わった。寿命も元通りになって、一息つく。窓の外を見ると、どうやら警察や機動隊が突撃の準備を進めているようだった。
クラスメイトの一部はマスコミから質問を受けているようで、しかしそれを教員たちが庇っている。騒然とする向こう側とは異なり、こっちは静かなものだ。
「良かったのか、ミコト」
「ん、なにが?」
そんな中で、不意にアレンがそう訊いてきた。
俺が首を傾げると、大きなため息が聞こえてくる。
「なにが――なんて、馬鹿なことを言うな。お前はミレイお嬢様のために、自らの平穏を投げ捨てた。普通の学生であることをやめて、こっちの世界を選んだ」
「…………あぁ、そうなるな」
「辛くないわけがない。今なら――」
「アレン。こんなの今さらなんだよ、ホントに」
机に腰かけて、窓の外を眺めたままで。
俺はこう続けた。
「俺のすべてはミレイのために。そんなの、ずっと前に決めてたんだ」
そう、その決意はあの日。
ミレイのことを初めて抱きしめた、あの朝からずっと。
「ミコト……」
「だから、さ! お前やミレイ、それにダースが気に病むことじゃないんだ。俺は俺のまま、きっと『サイゴ』の時まで笑っていると思うよ!」
だから、胸を張ってそう言えた。
笑いかけると、アレンは静かに視線を逸らす。
「――って、なに泣いてるんだよアレン!? 恥ずかしいな、おい!」
「本当に、お前はバカな男だな。どうしようもない……っ!」
目頭を押さえて、涙声で語る彼に俺は苦笑いを浮かべた。
そして同時にこう思う。こんなに人情に篤い男が、裏切るわけがない、と。
「それなら、残る可能性は――」
俺は自分の頬を叩いて、気合を入れた。
そして、窓に映る自身の寿命を確認して呟く。
「俺にはもう、時間がない」
――残り2週間。
それが彼女の未来を切り開くため、俺に許された時間だった。
――日本の高校を海外マフィアが占拠。
このニュースは、世間を大きく賑わせることになった。テレビでは連日のようにこれを取り上げていたし、フランスの『イ・リーガル』とはどんな組織で、目的はなにか。有識者が見当違いな話をしているのは、ある種でどんなバラエティーよりも面白かった。
だが、それと同時に取り上げられるのは――俺のこと。
事件当日から行方不明となった男子高校生。マスコミは俺の家を囲んで、家族から事情を聞き出そうとしていた。泣き崩れる海晴に、両親。
その姿に胸は痛んだが、それでももう戻ることは出来なかった。
迷惑をかけている。
それでも、これが俺の選んだ道なのだから……。
「俺の家族には、被害が及ばないようにしてくれたか?」
「あぁ、当然な。これはオレの義務の一つだ」
「そっか、ありがとう――アレン」
俺はとある一室の窓際に立つアレンに訊ねた。
すると彼は、すぐにそう頷いてくれる。感謝しかなかった。
せめて海晴たちは『イ・リーガル』と無関係であってほしい、と。それが日本の学生であった俺の、最後の願いだった。
もっとも、海晴は俺がどうなったかに感付いてそうだが。
寿命を見る限りは、無理をすることはなさそうだ。
「それで、兄弟――お前の寿命について、だが」
「あぁ、あと1週間だよ。それまでに、一連の事件に決着をつけないとな」
なんてことない、と。
そう思って答えたのだが、アレンは少し沈んだ表情になった。そして、
「……オレは、お前と出会えてよかったと思っている」
静かに、そう口にする。
その言葉は本心からのものだろう。
今にも泣き出しそうなアレンの声に、俺は――。
「ありがとうな、兄弟」
ただただ、感謝を込めて。
「さて。それじゃ、もうそろそろ作戦を決行しますか!」
俺は勢いよくソファーから立ち上がった。
ここからは、本当に一か八かの選択が続く修羅の道。
そのことを理解しているからだろう。アレンは最後にこう訊いてきた。
「ミレイお嬢様には、なにも伝えないのか?」――と。
それは、微かに俺の胸を揺さぶる。
しかし小さく微笑んで、こう伝えるのだった。
「大丈夫。この気持ちは『最期』まで――」
――胸の中に、仕舞っておくから。
「さぁ、行こう!」
俺はあえて、それを呑み込んで歩き出した。
「悪いな、アカネ。変なことに巻き込んで……」
「構いません。むしろ、ここで手を貸さなければ気が済みませんわ。それに、わたくしも無関係ではないですから、ね」
実家を離れた俺は御堂邸に身を寄せていた。
それはミレイやアレン、そしてダースも同じくだ。少しばかりの気後れはあったが、素直に甘えさせてもらうことにする。
あのまま同じ場所に留まっていては、いつ襲撃を受けるか分からない。
その点で御堂邸なら、セキュリティも整っているし、最適だった。
「それで、あの話は本気ですの……?」
「あぁ、本気だよ。本当はこんな手を取りたくはないけど――学校が休校になってる間に片付けないと、ミレイの生活に支障も出る」
「本当に、赤羽ミレイが基準なんですのね。ミコトは」
「ははは、それほどでも!」
「褒めてはいませんわ……」
だだっ広いリビングで今後について話し合っていたのだが、何故か呆れられてしまった。俺の話はそんなに変だったのか、自分では分からずに首を傾げてしまう。
そうしているとアカネが咳払い一つ。
真剣な表情で、こう言うのだった。
「でも、もしかしたらミコト自身が危険な目に遭うかもしれませんわよ?」
それは俺の覚悟を問うようなもの。
昨夜遅くに、俺はアカネにある作戦を伝えた。その内容を驚きをもって迎えた彼女は、最後にそう確認する。
不安が大きいのだろう。
しかし、それを打ち消すように俺は笑ってみせた。
「大丈夫だよ。きっと、後悔はしないから!」
そして、そう告げる。
もう迷いなんてなかった。あるはずがない。
俺の命はあの日から、あの子のために捧げられているのだから。
◆◇◆
――御堂邸の正門前。
ダースは、そこで番をしていた。
集中を切らさない彼に、労うように俺は声をかける。
「お疲れ様、ダース」
「あら。ミコトちゃん? どうしたのかしら」
すると、彼はその顔にいつもの優しい笑みを浮かべ、こちらを出迎えた。ミレイも彼のことは母親代わりだと、そう語っていたが、偽りはないように思われる。
慈愛に満ちたその表情は、マフィアである以前に、一人の人間としてのそれだ。
そんなダースに、俺はやや遠慮がちにこう言う。
「いや、ちょっとだけ。ダースと話をしておきたいと、そう思ってさ」
彼にはたくさん訊きたいことがあった。
ミレイのこれまで、そして彼女の両親のこと。さらには、あの日に見せてもらった写真に映る光景について。たくさんの、知りたいが詰まっていた。
今日はその中でも、最も重要なことを訊ねることにする。
「ダースにとって、ミレイはどんな存在なんだ?」
「ミレイお嬢様のこと、ね」
それは、彼の娘といっても過言ではないミレイについてのこと。
ダースはあの子のことを、どう思っているのか。
俺はそれが知りたくて仕方なかった。
「そう、ね――」
彼はこちらの質問に、少しだけ悩んだ後にこう答える。
「敬愛するボスの愛娘。最初は、そう思っていたわ」――と。
ゆっくりと、言葉を選んで語り始めた。
「以前に写真を見せたけど、私たち――ボスとお嬢様のお母様、そして私は学友だったの。中でもボスと私は幼馴染みでね? 彼の家のことは、昔から知ってたわ」
そこで一度、言葉を切ってから彼は目を細める。
昔を懐かしむように。そして――。
「そんなある時に、あの人が留学してきた。色々あって、仲良くなるにはそれほど時間は必要なかったのよ。それと同時に、ボスが彼女を好きになるのも、ね?」
「いまの俺が、ミレイを好きになるみたいに?」
「ふふふ。ミコトちゃんほど、急激ではなかったけどね」
そんな彼に問うと、冗談めかしたように笑った。
でもすぐに、深く息をついて続ける。
「私が二人を守ろうと思ったのは、自然な流れだったわ。ただ、ある抗争の中で彼女は亡くなって――産まれたばかりのお嬢様と、失意に暮れるボスが残された。それから、少しずつ『イ・リーガル』の内部がギクシャクし始めて、私たちは逃げることになったの」
――だから、お嬢様はご両親の顔をほとんど知らないの、と。
少し寂しそうに、胸に手を当てて。
「でも、こうやって日本にやってきて良かったと思うわ」
「ん、それってどういう……?」
話はそこで終わりかと、俺は話しかけようとした。しかし、不意に笑顔を向けられて首を傾げる。するとダースは、頬に手を当てて呆れた。
そしてふっとため息をついて……。
「これは、お嬢様も大変ね」――と。
そんな、よく分からないことを言うのだった。
頭上に疑問符を浮かべるこちらを、彼はくすくすと笑う。
「いつか分かればいいの。それが、いつかにもよるけど、ね?」
さて――と。
話はここまで、といった風にダースは口にした。
どうやら、そろそろ本題に入ろうと、そういうことらしい。
「それで、ミコトちゃん? ――例の作戦は、今夜なのね」
声のトーンを落として、真剣な表情になりそう言った。
俺はその言葉に頷く。そして、こう告げた。
「あぁ、今夜こそ決着をつける。『裏切り者』は――」
固唾を呑んで、その名を口にする。
「アレンだ」――と。
『ミコト。アレンが家を出ましたわ』
「そうか、了解」
俺は1人、今はもぬけの殻となった闇医者のいた部屋にいる。
御堂邸からさほど距離のない、そして人気のないここにアレンを呼び出したのだ。アカネとダースにはそのことを確認してもらっている。
都合上、スマホで連絡を取り合えるのはアカネだけ。
彼女は緊張した声色で、俺にこう言った。
『でも、本当にアレンが? なにを根拠に、そう言っていますの』
「それは、これから分かるさ」
だが、その問いかけに俺は半端な答えを返す。
一つ息をついてから、銃の中にある残弾を確認した。カチャリ、と小気味の良い音。たった1発のそれを見て、また仕舞う。
これからの勝負のためには、心細いものだった。
それでも、変な動きをすれば計画が破綻するのは目に見えている。
「それに、俺が命を張らないで――誰が張るっていうんだ」
残り1週間を切った寿命。
どんな策を練っても、それが増えることはなかった。
だとすれば俺の命はやはりそこまで、ということ。それまでにミレイを取り巻く環境を変えなければならなかった。きっと、それが俺の命の意味。
「なぁ、アカネ? 一つ、いいか」
『なんですの?』
そう思って、俺はアカネにこう声をかけた。
「アカネ。俺がいなくなっても、ミレイの友達でいてやってくれるか?」――と。
瞬間、電話口からでも彼女が息を呑むのが分かった。
しばしの間を置いてから、明らかに涙ぐんだ声が聞こえてくる。
『――もちろん、ですわ。それを貴方が望むなら』
「ありがとうな。アカネ……」
酷なことを言っている自覚はあった。
それでも、アカネがそう答えてくれたことで、憂いはなくなる。何故なら彼女は『裏切り者』ではないのだから。友人として、信用に足る人物だった。
だとするなら、いったい誰が『裏切り者』なのか――。
「そろそろ、動くかな」
それを考えて俺が、小さく漏らした時だった。
『ミコト、今――』
「あぁ、聞こえた――動き出したか!」
一発の銃声が、スマホ越しに。
俺は自身の予想が的中したことに、幾ばくかの悲しみを覚えた。
だけども、それに浸っている暇はない。
「――ミレイ!」
愛しい女の子の名前を口にして、俺は御堂邸へと駆け出した。
◆◇◆
――数分前。
ある部屋に一人の男性が現れた。
その人物は、目的の相手――ミレイがそこにいないことを確認して、舌を打つ。おそらくは騙されたことへの苛立ちだろうか。
しかし、そこまで悲観しているわけでもないらしい。
すぐに切り替え、部屋を出ようとした。
「――――動くな」
そんな男性に銃口を向ける者があった。
彼は静かに、感情を殺したような鋭利な声をかける。人情深い彼ではあるが、今ばかりは冷徹にならなければならない。
何故なら、目の前にいるのは敵なのだから……。
「本当にお前が『裏切り者』だったんだな」
淡々とした口調で、いつもとは違う声色で。
それがきっと、マフィア――『イ・リーガル』としての彼だった。
しかしそんな彼に、相手はなにも応えずに振り返る。そして無言のまま、銃を取り出した。二人は互いに銃口を向け合いながら、静かに呼吸を重ねる。
沈黙が続く。
それを打ち破ったのは――。
「どうして、だ……」
後から入ってきた者による、こんな問いかけだった。
相手は静かに、同じく静かに一言。
「さぁ、ね」――と。
小さく、笑った。
そして次の瞬間――。
一発の銃声が、鳴り響く。
「が――!?」
それはきっと、一瞬の気の緩み。
微笑みがあまりに思い出深い、それだったから。
だから『アレン』は、即座に反応することができなかった。
「本当に、甘いわね。――アレン」
うずくまる彼を見下ろしてから、もう一人は部屋を出て行った。
最後にそんな言葉を残して……。
アレンは一人となり、苦々しい表情を浮かべてこう言うのだ。
「どうしてだ。『ダース』……ッ!」――と。
――数日前。
俺はアレンに作戦を伝えた。
それは、アレンが『裏切り者』だと伝えることで本物を炙り出す、そんな賭け。俺がアレンを呼び出し、あえて守りをがら空きにした。そう見せかけたのである。
もちろん、ミレイは別の場所に隠れてもらって、だ。
『すべては、オレたちだけで――か』
『穴だらけの作戦だと思う。それでも、やるしかないんだ』
この作戦は、アカネにも伝えていない。
何故なら、僅かながら彼女にも疑惑があったからだ。
それと同時に、本当の『裏切り者』へのアピールの意味もあった。本気で俺がアレンを敵だと誤認している、という誤情報の発信。
あとは、どちらかが網にかかってくれることを祈る。
本当に穴だらけの作戦だった。
『……分かった』
『いいのか、アレン?』
それでも、俺の兄弟は頷いてくれた。
思わず訊ねると、彼は微かに頬を緩めて言うのだ。
『オレは兄弟を信頼し、尊敬しているからな』――と。
それは、少し意外な言葉だった。
『信頼、はいいとして……尊敬?』
まったく想定外のそれに首を傾げると、アレンはこちらの肩に手を置く。
そして、真っすぐな視線を俺の顔に向けるのだった。
『あぁ、尊敬だ。ミコトのような力があれば、もっとたくさんのことが出来たはず。それこそ私欲を満たすような、汚い使い方を。だがお前は、その力を純粋に――ミレイお嬢様のためだけに使ってきた』
――きっとそれは、並大抵の気持ちでできることではない、と。
アレンは、俺の今までを肯定してくれた。
『………………ありがとう、アレン』
すると自然、感謝の言葉がこぼれる。
力を抜けば感情もこぼれそうになってしまったが、どうにか堪えた。それは本当に最後まで、『最期』のその時まで、我慢しなければならない。
だから、笑った。
ちゃんと笑えているか、自信はなかったけど。
『こちらこそ、だ。――兄弟』
結局、どんな顔をしていたのだろうか。
アレンは俺の表情を見て、歯を食いしばりながらそっと抱きしめてきた。彼の肩は震えている。だから、あやすように背中をポンポンと叩く。
俺は自分のことを、つくづく幸福な男だと、そう思った。
だって、こんなに想ってくれる人たちに出会えたのだから……。
◆◇◆
『すまない、兄弟――俺の責任だ』
「心配するな、アレン。すぐにそっちに向かうから!」
無線の先からアレンの声がした。
しかし、彼がダースを前に感情的になるのは、想定の範囲内。
だから俺はすぐに、次のフェイズに移った。それは相手よりいち早く、ミレイのもとへとたどり着くこと。ここからは時間の問題だった。
「アカネ! ダースの動きは分かるか!?」
『いま、3階ですわ! 赤羽さんはどこにいますの!?』
息を切らせて、俺は御堂邸の前までやってくる。
これなら間に合いそうだ、と。俺はそう思いながらアカネへ伝えた。
「地下室、あの金庫の中だ!」――と。
◆
――御堂邸管制室。
アカネはミコトからの情報を受け取り、監視カメラの画面を切り替えようとした。しかし緊張からかその手は震え、思ったように作業は進まない。
「分かりましたわ。今すぐに――」
それでも、それを表には出さないように彼女はミコトに語りかけようとした――その時。カチャリ、という音が彼女の後ろから。
そして、聞き慣れた男性の声。
「あら、なにが分かったのかしら?」
「――――――!」
背中にはなにか、無慈悲で冷たいものが突き付けられた。
声の主は間違いない――ダース。彼は息を呑むアカネとは対照的に、どこか余裕を感じさせる声色でこう続けるのだった。
「どうやら、ミコトちゃんと繋がっているみたいね。それで、アカネちゃん? 貴女に訊きたいことがあるんだけど、答えてくれるかしら」
「…………………」
彼女は何も言わない。
だがしかし、ダースはそれでも構わないように、こう口にした。
「ミレイお嬢様は、どこ? ――教えてくれるわよね」
弾丸を装填する音が、ガランとした管制室に。
アカネは、思わず発狂しそうになる心を落ち着かせながら――不敵に笑った。そして肩越しに『裏切り者』を見つめながら、こう言う。
「残念ですわね。わたくし、こう見えて義理堅いんですの」――と。
それは、紛れもない拒否の意思だった。
「そうなの。残念ね」
「えぇ、本当に残念ですわ」
「ならもう、貴女に用はないわ」
淡々としたやり取りの後。
管制室では、少女の悲鳴がこだました。
『はぁい、ミコトちゃん? 聞こえているかしら』
「あぁ、良く聞こえてるぜ」
スマホ越しに聞こえてきたダースの声に、俺は小さく苦笑しつつ答えた。
アカネの悲鳴には思わず立ち止まってしまったが、すぐに気持ちを切り替えて駆け出す。二人がやられたのなら、尚のこと急がなければならなかった。
現状でミレイを守れるのは俺しかいないのだから。
『さて、少しばかり昔話でもしましょうか』
スピーカー設定にしてあるそこから、ダースのそんな声が聞こえた。
耳を傾けつつも、俺は先を急ぐ。
『昨日、話したわよね? ――私とボス、そしてあの女の関係を』
答えないでいると、彼は淡々とそう語り始めた。
『私は憎かったの。私からあの方を奪った、あの女がね? 誰よりもボスのことを知っているのは、ずっと一緒にいた私だったのに! あの女はポッと出のくせに、私から大切な人を奪い取った!!』
そして、それは次第に狂気を持っていく。
地獄の釜のような熱量がこもった声色には、恐怖すら抱いた。彼の怒りは見当違いの方向へと向かっている。しかし、怒りというのはそういうものだろう。
制御不可のそれは我を見失わせて、判断力を鈍らせる。
怒りは狂気へ。
そして、その狂気は殺意へと移り変わるのだ。
『だから、私は殺したの――どさくさに紛れてだけど、私があの女を殺した』
でも、間違った感情の発露は精神を蝕む。
崩壊へと至らせる。
『でも、まだ憎くて、苦しくて仕方ないの! だから、今度は――』
その結果が、このダースという男なのかもしれない。
『ミレイを殺す。――この手で、ね』
◆◇◆
「ミレイ、大丈夫か!!」
「ミコトくん、無事だったのですね!?」
地下室――金庫の中に辿り着くと、そこには寝間着姿のミレイがいた。
俺が声をかけると彼女は涙目で、そう叫ぶ。俺の胸に飛び込んできて、大粒の涙を流すのだ。その背中を撫でて、落ち着くようにそっと抱きしめる。
きっとミレイも、今の状況を薄々に感じているのだろう。
だから、心優しい彼女は涙していた。
「早く、早くアレンと御堂さんを助けに行かないと……!」
「大丈夫だよ、ミレイ。落ち着いて」
「でも、ミコトくん!」
混乱しているのだろう。
ミレイが悲鳴に近い声でそう言うのを、俺は静かになだめ続けた。
そして、そうしているうちにタイムアップ。だけれども、こうなるのは分かっていた。だから俺は地下室に現われた気配に向かって、こう声をかけるのだ。
「よう、ダース。覚悟は出来てるか?」――と。
すると、その気配はピタリと足を止めた。
くすりと笑ってから、彼――ダースはこう答える。
「あら、それはこっちの台詞じゃない? ――ミコトちゃん」
「そうでもないだろ。もしかしたら、俺がお前を殺すかもしれない」
「うふふ、残念ね。あり得ないわよ、だってミコトちゃんはここで死ぬもの」
振り返り彼を見ると、そのタイミングで足元に鏡が転がってきた。
拾い上げるとそこに映っていたのは――。
「……………………」
俺の寿命だ。
示しているのは、1週間後ではない。
「どうかしら、ミコトちゃん。それを見ても平静を保てるかしら?」
――残り10分程度。
それが、俺に残されたミレイを守れる時間だった。
「あら、意外と驚かないのね? もしかして、そんな短くなかったかしら」
「そうでもないさ。でも、やっぱり知ってたんだな」
「うふふ……」
ミレイを背に、俺はダースと言葉を交わす。
互いに感情のこもらない声。こちらはあえてそうしているのだが、相手方は果たしてどうか。笑っているようで、笑っていないそれと表情。不気味にも思えたが、これから相手にする男は狂人なのだ。
その程度の違和感、今回は無視した方が良いのかもしれない。
だが、これだけは訊いておこう。
「どこで、気付いたんだ?」
そう思って、問いかけた。
いったいどこで、俺の力の存在に気付いたのか。
するとダースはふっと微笑み、銃口を向けてこう答えた。
「おかしいって思ったのは、初めて会った時よ。だっていくらレーザーに気付いたとして、即座に狙撃があると判断した上で、あんな行動を取れる者はいない」
――ましてや、一般人ならなおさら、と。
彼はそう言った。そして、
「2つ目に、コスチューム店での行動。この辺りから確信に変わってきたわ――ミコトちゃん。貴方、御堂の家での時もそうだけど、鏡でなにかを確認したわよね」
そう続ける。
そこまで言われれば、最後の判断はいつか、俺にも分かった。
「それで、体育館裏でのあの行動か。もし俺が止めなかったら、本気で――」
「えぇ、死んでいたわ。その可能性に目を瞑って、自殺しようとしたのだから」
「狂ってるな。まさか自分の命を投げ出してまで確認を取るなんて、思いもしなかったよ。お陰様で、俺の推測はどれも後手に回ることになった」
こちらの言葉に、ダースは目を細める。
「あら、狂ってるのはミコトちゃんもそうじゃない?」
「それほどでもないさ。あいにく、俺はそこまで大物じゃない」
そう言って俺は笑った。
自分の寿命は残り10分未満だと、その事実を胸に。
「そうね、貴方はそんな大物ではない。だって――」
そして、ダースは俺の胸中を見透かすかのようにこう告げた。
「いっつも、震えていたものね? この家にきてからはずっと、まるで赤ん坊のように。夜一人きりになると、ベッドで泣いていた」――と。
彼は凶悪な笑みを浮かべて言うのだ。
それこそ、弱者を見下すように。
「いまだって、逃げたくて逃げたくて仕方ないのでしょう? ――本職を舐めないでね。それくらい一目見れば分かるの。きっと、アレンもね」
「……………………」
なにも、言い返せなかった。
だってそれは、覆しようのない真実だったから。
「ここまでよく頑張ったわね――ミコトちゃん? 今からでも遅くはないわ、この一件から手を引きなさい。そうすれば、もう少しだけ生きれるわよ」
俺の呼吸が、微かに乱れているのを察知したのだろう。
最後にダースはそう口にした。
でも、俺は首をゆっくりと左右に振り――。
「そうじゃねぇよ、ダース。お前は勘違いしている」
そう言った。
ほんの微かにだが、彼は眉をひそめる。
その姿を見て、俺はしっかりと銃を向けてこう伝えた。
「俺はな、ここで引いたら――それこそ、死んじまうんだよ」
それは、決意の言葉。
「ミレイのために捧げたこの命。ここで臆病風に吹かれちまったら、それまでの想い、すべてを否定することになる。それは、俺の『魂の死』だ」――と。
俺はミレイが好きだから、ここまでやってこれた。
こんなに誰かを好きになるなんて、思いもしなかった。
情けなかった俺を男にしてくれたミレイに、感謝しかなかった。だから、ここで引くという選択肢はまず、あり得ない。たとえそれで――。
「ミコト、くん……?」
「あぁ、ミレイは心配するなって。すぐに終わることだ」
事情が読み取れないのだろう。
ミレイは、目を見開いて戦況を見つめるだけだった。
そんな彼女に俺は初めて――。
「愛してるよ、ミレイ」
この胸の想いを伝えた。
言葉にした直後に、感情の奔流が俺を襲う。
目頭が熱くなり、涙がこぼれ落ちた。ダースに向けていた銃口は揺れ、膝には力が入らない。今まで無視を決め込んできた恐怖に対する怯えが、顔を出した。
それでも、言葉にして良かったと。
もしかしたら、ミレイにとっては呪いとなるかもしれないけど。
それでも俺は最後の最後に、この胸に秘めた純粋な気持ちに向き合った。
「さぁ、ダース。そろそろ終わりにしようか……!」
ふっと、息をつく。
鏡で確認するまでもない。
きっと、今の俺はとてつもなく不細工だ。
そんな俺でも。
なんの取り柄もない俺でも。
誰かのためになら、こんなに強くなれるのだ。
「えぇ、いらっしゃい。ミコトちゃん?」
彼の言葉を合図に始まる。
俺は一直線に、ダースの懐へと向かって駆けだした。
背中に、愛しい女の子の悲鳴を受けながら……。