「あら、どうしてそう思うのかしら?」
俺の言葉にダースは微笑む。
理由を訊ねるその声には、どこか冷たい色があった。
まるでこちらを殺さんとするような敵意を向けたそれに、固い唾を呑み込む。しかし出てしまった言葉は、もう戻らないのだ。俺は真っすぐに受け止めて、
「理由はいくつかあるけど――」
そう切り出した。
「一番おかしいって思ったのは、ミレイが誘拐された時だよ」
「……そう。あの時、私も怪我をしていたけれど?」
ダースは首を傾げる。
そんな彼に向かって俺は、深呼吸1つ、こう続けた。
「怪我をしていたとかは関係ないんだ。おかしいんだよ。敵がわざわざ、ミレイをどこに連れ去ったかを話すわけがない。それなのに、ダースはミレイがどこに連れ去られたのか、断言してみせた。事実そこにミレイはいた。けれどもそれを知っているってことは、つまり――」
俺は拳銃を取り出し、こう宣言する。
「内通者以外に、あり得ない」――と。
凶器を向けて。
ダースは笑みを崩さずにそれを聞いていた。
なるほどね、と。小さく頷いてから、こう言った。
「たしかに、その可能性はあり得るわ。私が御堂財閥に情報を流していたかもしれない。――でもね、ミコトちゃん? こうとも考えられないかしら」
「……それは、どういう意味だ?」
余裕を持った声色で、彼はそれを口にする。
「私はあえて御堂に情報を流した――『スパイ』だ、ってね?」
そして、それは俺に迷いをもたらした。
「どういう、ことだ……?」
「ここまでバレてるなら、もうハッキリ言うわ。ミコトちゃんの言う通り、御堂に情報を流したのは――他でもない、私よ」
「………………」
沈黙していると、ダースはさらに続ける。
「私は御堂財閥と『イ・リーガル』の反体制派が、繋がっている情報を得ていたの。そして、そこに大きな金の流れがあることも掴んでいた。だから――」
「あえて、ミレイを危険な目に遭わせた、ってのか!」
「それは申し訳ないことをしたわ。あそこまで相手が早く動くとは、思っていなかったの。でも、結果として御堂財閥から反体制派への金の流れは止められた」
「結果論じゃダメだろ! 彼女の命がかかってるんだぞ!!」
「………………」
彼の主張に俺は声を荒らげた。
信じられない。そんな危険を冒すなんて、信じられなかった。
何よりも守らなければならない女の子の命を、組織を守ることと天秤にかけるなんて。少なくとも、俺には思いつきもしない考えだった。
俺の怒りにダースは沈黙する。
そのままの状態で、しばしの間が生まれた。
どれほどの時間をそうやって過ごしただろうか。
不意に、ダースはこう言った。
「ミコトちゃんは、ミレイお嬢様のことが好きなのよね?」
それは、あまりに場違いな質問。
俺は思わず呆気に取られて、銃を下げてしまった。
「私はね、実はボスのことが好きなの。心から敬愛している」
それを見て、彼はこちらに歩み寄りながら語り始める。
「だから、そんな方の娘であるミレイお嬢様を殺めるなんて、できないの」
ダースは、俺の手から銃を取った。
そしておもむろに、自らの側頭部に銃口を突き付ける。
「これは、絶対の忠誠よ。でも、もしそれが間違いなのだとしたら――」
彼はまた、優しく微笑んで引き金に指をかけた。
「私はここで退場するわ」
目を疑った。
俺には分かった。
彼が本気なのだと、俺には分かった。
「ダース……!?」
何故なら、彼の寿命が一気になくなっていったのだから。
一発の銃声が、体育館裏に鳴り響いた。
心臓が張り裂けんばかりに、脈打っている。
呼吸が荒くなっていた。
ダースは……。
「あらら。うふ、冗談に決まっているじゃない?」
俺に腕を押さえ付けられながら、そう笑った。
そんな彼を見て、俺は――。
「馬鹿か!? 冗談じゃなかっただろ! 何考えてるんだ!!」
怒りを吐き出した。
間違いなく、ダースはここで死のうとしていた。
こちらが止めに入らなければ、間違いなく、命を絶っていたのである。
「ここまでしないと、ミコトちゃんは信用しなさそうだから?」
首を傾げるダース。
そこには、いつもの笑みが浮かんでいた。
全身に冷や汗をかいている俺とは、まるで真逆。涼しい顔だった。
「でも、これで信じてもらえるかしら」
「…………分かったよ」
大きく肩を落とす。
銃を受け取って仕舞うと、思い出したようにダースはこう言った。
「あぁ、そうね。ミコトちゃんには、これを渡しておこうかしら」
「ん……? なんだ、これ。写真……?」
「えぇ、私とボス。それと――」
懐かしそうに、目を細めながら。
「ミレイお嬢様の、お母様よ」
受け取った写真に目を落とすと、そこには仲睦まじい3人の姿があった。
肩を組んで、本当に幸せそうに……。
「……はぁ。本当に、お前はバカかよ」
俺は思わずそう漏らした。
最初から、この写真を見せれば良かったのに、と思う。
これほどまでに、幸せな関係を見せられたらすぐに、信じたはずだった。
「うふふ。これはね、他の人には絶対に見せない宝物なの」
それでも、ダースはそう笑う。
なんだろうか。肩の力が、一気に抜けていく感があった。
「そう、ね。ミコトちゃんには伝えておこうかしら――」
だが、その時。
おもむろに、彼は俺の耳元で囁くのだ。
そして、それは――。
「アレンの動向には、注意しておきなさい」
俺の身体を凍らせるには、十二分なものだった。
――アレンの動向に注意しなさい。
俺の頭の中では、その言葉がぐるぐると回っていた。
ダースの可能性も捨てたわけではないが、それでもあの行動と寿命の変化を見れば、その線は薄いと考えるのが普通。そのため、身近な誰かというのがアレンになるのも、自然な推測だと思われた。思われるのだが……。
「なんだ、この違和感は……」
どうしようもない、違和感が拭えなかった。
仲間を疑いたくはないという気持ちが先行しているのか。それとも、あのような拷問を受けていたアレンを、そしてハジメを殺した彼を疑うことへの疑問なのか。
考えれば考えるほどに、思考は泥沼の中に沈んでいった。
ならば『裏切り者』がいるということさえも、嘘なのではないだろうか。
「いや、それはない」
そこまで考えてから、仕切り直すように俺は首を左右に振った。
何故なら、あの状況でアカネが嘘をつくとも思えないから。虚言を口にしたところで、アカネに旨味などないのだ。だから、彼女の忠告は重要な情報だった。
そうなると『スパイ』であるダースを『裏切り者』と称したのか。
つまりは、アカネの勘違いだ。
「………………」
だがそれも違うように思われた。
それとなると、ダースの口にした言葉の意味が分からなくなる。
だとすると、つまり――。
「――だーっ!? どういうことだよ!!」
そこで俺の脳みそは悲鳴を上げた。
教室内の飾りつけをしながら、俺はついついそう叫ぶ。
「いや、お前がどういうことだよ」
「…………すまん」
すると、隣で作業をしていた田中にツッコまれた。
肩を落として謝罪する。すると、
「お前、さっきからブツブツ何か言ってたけど、疲れてるんじゃないか? ここは俺がやっておくから、あっちで休んでこいって。ずっと働き詰めだろ」
「……うい。そうする」
そう提案されたので、素直に従うことにした。
学園祭の準備は大詰めを迎えており、いよいよ高校に寝泊まりしての作業である。一部の生徒と交代で、今日は俺とミレイ、そして田中などが参加していた。
というか、俺に至っては毎日なのだが……。
「それなら、心配されても当然か」
「お疲れ様です。ミコトくん! お茶をどうぞ」
「あぁ。ありがとう、ミレイ。そっちも今、休憩か?」
さて、廊下に出て休憩用の椅子へと向かうとミレイと遭遇した。
俺の表情を見た彼女は、すぐに飲み物を提供してくれる。
「はい、そうです。衣装の方は、あと少しで完成しそうです!」
「そっか、お疲れ様!」
受け取って、嬉しそうに答える少女を見ていたら、なんだかこっちも嬉しくなってきた。俺は思わずそんな彼女の頭を撫でる。
幸い他の生徒は作業中らしく、廊下には俺たちしかいない。
共に椅子に腰かけると、ミレイは自然とこちらに身を預けてきた。
「ふふふっ。なんだか、不思議な気持ちになりますね……」
「……そう、だな」
ふわりと香るシャンプーのそれに魅惑されながら、俺は短くそう答える。
すると彼女は嬉しそうに、しかし静かにこう続ける。
「こんなに楽しいのは、本当に初めてです」
それは心の底からの言葉だと、俺には分かった。
ミレイにとって、普通の学生らしく過ごすことがどれほど貴重なのか。
そのことを一番知っているのはいま、もしかしたら俺だけなのかもしれない。いいや、アレンやダースも分かってるとは思うのだが……。
「ぜーんぶ、ミコトくんのお陰です」
きっと、この時を過ごせるのは俺だけだから。
彼女の眠気を誘うような甘い声色に、同調するように頷いた。
「ミレイも普通の女の子だもんな。それを俺は、知ってるよ」
「ありがとうございます。ミコトくん……」
「いいや、こちらこそ」
静かに時が流れていく。
こんな時間をあと、どれくらい享受できるのだろうか。
俺は自分の寿命のことを思い出す。体育祭のあとに確認したそれは、残り5年を示していた。だが昨日の夜に見ると、また短くなっていて――。
「あと、半年――か」
さすがに、少しだけ肝が冷えた。
このように幸せな時間も、あと6か月を経過すれば消滅する。
その後はどうなるのだろうか。ミレイは、果たして無事なのだろうか。どうにもそれだけが気がかりで、不安になって泣きそうだった。
でも、だからこそ。
いまできる最大限を、ミレイのために使おう。
毎夜のように悩むのだが、最終的な結論はいつも同じだった。
「なぁ、ミレイ?」
「どうかしましたか、ミコトくん」
そう考えていると、自然と俺は――。
「……いいや、なんでもない」
しかし俺は寸前で、言葉を呑み込んだ。
きっと、この言葉は口にしてはならないと、そう思ったから。
もしかしたら、半年後にはミレイを苦しめる言葉になりかねなかったから。
「むぅ……」
「ん? どうしたんだよ、ミレイ」
と、考えたのだが。
なにやら、俺の肩に頭を乗せた彼女は不満げにうなった。
その理由がまったく分からずに、俺は首を傾げる。すると――。
「ミコトくん、いけずです……」
上目遣いに、潤んだ瞳でこちらを見て。
熱のこもった声色で、ミレイはそう言った。
「へ? ――え?」
「……ここから先を、女の子に言わせるんですか?」
膨れっ面になって。
そんな文句を口にするのだった。
「え、いや――ごめんなさい?」
「もういいですっ!」
反射的に、意味も分からずに謝罪する。
でも、少女はそれで満足できなかった様子だった。
ミレイはまるで子供みたいにいじけて、そっぽを向いてしまう。チラチラとこっちを覗きながら、なにか言葉を待っている様は小動物のようで、可愛くもあった。
でも、今はそれを楽しんでいる場合ではない。
「なぁ、ごめんって。ミレ――」
早く機嫌を取らなければ、と。
そう思って、彼女の肩に触れようとした時だった。
「――――――!?」
息を呑んだ。
また、ミレイの寿命は――。
「おーい、坂上。そろそろ休憩終わりにしてくれないかー?」
「なっ――――!?」
いいや違う。
今回は、話が違った。
「ん、どうしたんだ? 坂上」
「ミレイ、だけじゃない……!?」
俺は田中の頭上を見て、驚愕する。
そう。何故なら――。
「もしかして……!」
俺は慌てて、手鏡で確認した。
そして、
「なんだよ、これ……!?」
思わずそう口にする。
またもや大きくミレイの寿命は短縮されていた。
だが今回はそれだけではない。
教室内に駆け込む。
それで、予感は確信に変わった。
「……嘘、だろ?」
ミレイだけじゃない。
俺も、田中も、クラスメイトも。
その全員の寿命が、まったく同じ時を示していた。
俺たちの寿命は学園祭の当日、その終わり頃だった。
なにが起きるのかは予想もつかないけれども、ただ一つ確信をもって言えることがある。それは『イ・リーガル』の反体制派が関与している、ということだった。
最初は災害関係の線も疑いはしたが、他のクラスの生徒などの寿命は変化していない。そうとなれば、やはり組織が動いている可能性が高い。
それが、俺の導き出した答えだった。
「それとなると、警戒するのは――」
俺は寿命の変化を確認したその日から、行動を開始した。
なにかと問われれば、監視だ。誰を監視するのか、と問われれば――。
「やっぱり、アレンだよな」
ダースの可能性が低くなった以上、アレンを見張るというのが普通だろう。
そんなわけで俺は彼の動向を追っていた。だが、しかし……。
「結局、不審なところは今日までなかったか……」
学園祭の当日を迎えるまで、アレンが怪しい行動を取ることはなかった。
もしかしたら、今回のことには関係ないのかもしれない。
そう思い始めた時だった。
「それじゃ、行ってくるよ」
「行ってきますね、アレン」
俺はいつも通り、公園でミレイのことを預かる。
適当に言葉を交わして、その場を後にしようとした。すると、
「……待て、ミコト」
「ん……?」
突然に呼び止められる。
振り返ると、アレンはどこか考え込むようにしていた。
その姿に思わず首を傾げてしまう。いったい、どうしたのだろうか。普段ならばこのように声をかけてくることはなかった。
もしかしたら、俺たちの寿命について、有益な情報だろうか。
そんな期待が僅かに生まれた時だった。
「学園祭、オレも行くからな」
ピリッとした緊張が、肌を刺す。
そして直後に、目を疑う結果となった。
「アレンじゃ、ないのか……?」
震えた声で、俺はそう呟く。
それが分かった理由は、一つしかなかった。
アレンの頭上にある数字が、俺たちのそれと同じ時刻に切り替わったのだから。
◆◇◆
「だとしたら、誰なんだ……?」
学園祭開催直前、俺は1人でポツリとそう漏らした。
最後の最後、書類関係の処理を行っているのだが頭に入ってこない。これまでの予想と対策が、完全に水の泡となったのだから、仕方のないことだろう。
しかしここで終わりというわけではない。
アレンの寿命が短縮されたということ、それは彼へひとまずの信用を寄せても良い、ということを示していた。もっとも、全幅の信頼、というわけにはいかないが。それでも、自らの死を選ぶような作戦を決行するなど――ゼロではないが、可能性は低い。
そうなってくると、今回は身内以外の行いである可能性が高かった。
それこそ、体育祭の日に起きた事件のような。
「そういえば、あの時の男を殺したのは――口調からして、女か?」
俺はふと思い出した。
そういえば何かを被っているのかくぐもったそれだったが、相手は女である可能性が高かった。もっとも決めつけることは危険だが、それとなると……。
「ダースとアレンは、限りなく白に近い……か?」
顎に手を当てて考え込む。
そうなってくると、また色々と再考しなければならない。
面倒なことになってきたな、と。一つ大きくため息をついた、その時だ。
「ミコトくんっ! 見てくださいっ!!」
更衣室の方から、明るいミレイの声が聞こえてきたのは。
「ん、どうした? ミレ――」
俺は重たくなった頭を持ち上げて、声のした方を見た。
そして……。
「ぐはっ…………!?」
完全にノックアウトを喰らった!
今まで考えてきたこと、すべてが遠く彼方へホームラン!
「どうですか? 似合ってます?」
「いや、あの、うん……似合ってりゅ……」
呂律が回らない。
それほどまでの破壊力だった。
だって、ミレイのミニスカメイド姿だぞ!?
しかも猫耳付きで!!
ふわふわなフリルをふんだんに使用したスカート。
彼女が動くたびに、宙を舞う。
駄目だ、上手く表現できない。
鼻から血が出てきた……。
「えへへっ! ミコトくんには、一番にお見せしたかったのです!」
「あ、ありがとう……」
俺はティッシュを鼻に突っ込みながら、サムズアップ。
何はともあれ、致命傷で済んだ。仰げば尊死、とならなくてよかっ――。
「いいえ、お褒めいただき感謝なのです! ――『ご主人さま』!」
そこからしばらく、俺の記憶はない。
さて。短い気絶から目覚めると、いよいよ営業開始だ。
俺は受付と客引きを担当していた。いまのところ、問題らしい問題も起きていないので、順調といっていいだろう。
ミレイも楽しそうに仕事をしているし、文句なしだ。
そして時刻も12時に近づいて、いよいよ客の数も増えてきた頃合い。
「やぁ、我が親友よ。赤羽さんは指名できるかな?」
「残念ながらお客様、当店は指名制ではございません。そして、勝手に親友にしないでいただきたいのですが、言っても聞かないのは分かっています」
「ははは! ミコトっちも、最近ではなかなか話が分かるようになったじゃないか! ボクは一人の先輩として、嬉しいことこの上ないよ」
「うるせぇ、黙れ。いい加減にしないと、頭撃ち抜くぞ」
タイガがやってきた。
意気揚々と、ミレイへの贈り物であろう花束を手に。
俺は思いっ切り入店拒否をかまそうと思ったが、どうにもコイツは女子人気が高いとのこと。それを考えると、俺が対応を間違えればミレイの友人関係にも影響が出かねなかった。そんなわけで、不承不承ながら店内に案内する。
「お、おぉ……! これは、まさしくヘヴン!」
すると、タイガは大仰にそう言うのだった。
たしかにメイド喫茶というものは、比較的田舎なこの街にはない。そのことを考えれば、女好きであろう彼が歓喜するのは道理と思われた。
まぁ、喜んでもらえること自体は、悪い気はしない。
「それで、どんなオプションがあるのかな?」
「女子に少しでも触れたら、その手を切り落とすからな。マジで」
――でも、絶対にミレイには接客させないからな……!?
俺は大きくため息をついて、ひとまずこの変質者を席に案内した。
彼のファンらしき女子に接客は任せて、再び受付に戻る。その途中で、聞き覚えのある男性の声が聞こえてきた。なにやら、店の外で揉めているようだが……。
「って、アレは――」
俺は思わず苦笑いを浮かべてしまった。
そして、何やら小太りな男性を外国語で罵っている人物に話しかける。
「なにやってるのさ、アレン……」
その人――アレンは相手の首根っこを掴んだまま、こちらを振り返った。
彼は俺を認めると、小さく頷く。そして、
「あぁ、ミコトか。少しこの男の挙動が怪しかったのでな、詰問していたんだ」
「いやいや。平和な学園祭で、キナ臭いことしないでくれな?」
「だが、この男のスマホを確認してみてほしい」
「スマホ……?」
俺へと男性のスマホを放り投げてきた。
すると、顔を真っ青にする男性。その様子を見て、俺も違和感を覚えた。
なので若干の罪悪感はあったものの、スマホを起動させてみる。どうやら直前にカメラを使用していたらしい。そんなわけで、撮ったものを見てみると……。
「………………盗撮、ね」
そこにはミレイの写真がズラリ、と。
中には、下着が見えそうな角度のものもあった。
「ち、違うでゴザルよ!? せ、拙者は依頼されただけで――」
「盗撮の依頼って、なんだよ。てか、否定はしないんだな」
「ほ、本当でゴザル!! まずは話を――」
「なぁ、ミコト。少しいいか?」
「ん? どうした」
男性の弁明を無視していると、アレンが声をかけてきた。
見ると彼は懐に手を突っ込んでいる。そして、
「日本でなら、盗撮の現行犯を殺しても構わないよな?」
ポツリ、そう言った。
「どの国でも駄目だと思うよ!?」
俺は思わず声を上げてしまう。
いや、この盗撮犯を擁護するつもりではないが。
それでも事を荒立てる必要はない。適度に、爪を一枚ずつ剥ぐとか、その程度の私刑で構わないと思われた。なので、ひとまずアレンに落ち着くよう言う。
「まぁ、その男の処遇はミコトに任せよう」
「あー、うん。とりあえず担任の先生に任せてくるから、待ってて」
すると、意外と素直に従ってくれた。
俺は職員室へ出向き、先生方に事情を説明して男を預けることにする。だがその道中で、何やら男は不思議なことを言っていた。
「拙者が撮ってたのは『女の子だけじゃない』でゴザル……」――と。
――いや、それ認めてるじゃん。
俺は心の中でツッコみを入れたが、どこか違和感も抱いていた。
「女の子『だけじゃない』って、どういう意味だ?」
職員室に男を任せてから、頭を悩ます。
なにか、大きな見落としをしているような気がした。
「少し、調べてみるか」
◆◇◆
「ミコトくん、どうしたんです?」
「いや、ね。ちょっとばかり気になっていることがあって……」
俺は教室に戻ると、少しだけ客払いをしてから調査を開始した。
調べるのは、あの男が撮っていた写真、そこに映しだされていた場所。気のせいかもしれなかったが、クラスメイトおよび俺たちの寿命が、一向に戻らないのも問題だった。
もしかしたら、もしかするかもしれない。
最悪のケースを想定しながら、慎重に記憶を手繰っていった。すると――。
「マジかよ……」
本当にあった。
みんなの寿命を縮めていた原因が。
「ミコト。これって、もしかして……!」
「あぁ、そうだな。十中八九、その予想通りだと思う」
アレンも俺の手元を覗き込み、眉間に皺を寄せた。
彼に同意して、俺は固い唾を呑み込む。そして、思わずこう漏らした。
「時限爆弾なんて、映画の中だけにしてくれよ……」
刻一刻と進む、タイマー。
そこからは配線が伸びており、黒い塊に繋がっていた。
「ミコト。ここは任せろ、爆弾の解体なら覚えがある」
冷や汗を流すこちらに、アレンはそう告げる。
それなら安心だ、と。俺は彼に、
「あぁ、それなら任せ――」
「動くな! 全員、その場に伏せろ!!」
「なっ――!?」
委ねようとした、その時だった。
黒い服に目出し帽を被った集団が、教室の中に雪崩れ込んできたのは。そしてその集団のリーダーらしき者が、声高に宣言するのだった。
「この場所は、我々『イ・リーガル』が占拠した!」――と。
「そんなバカな話って、あるかよ……!」
俺は思わずそう叫んでいた。
こんな状況は想定外で、どうしようもなかった。
爆弾を発見した時点で今回も乗り越えたと、そう確信していたが、そうではない。むしろそこまでがスタートラインで、終わりの始まりだった。
「くっ……八方ふさがり、というやつか」
「そんな話じゃねぇよ、アレン。こいつら――」
アレンの漏らした声に、俺は少しだけ声を震わせる。
そして、こう口にするのだった。
「自分たちの命さえ、犠牲にしようとしやがってる」
姿を現した『イ・リーガル』の反体制派。
彼らの寿命もまた、俺たちと同じ時を示していた。
◆◇◆
拘束されながらも、俺は深呼吸をして状況を判断する。
この場にいる全員の命が尽き果てるまで、残り――――2時間。
反体制派の全員が武装しているのに対して、こちらはほぼほぼ丸腰の状態だった。俺が持つ護身用のナイフが2本と、拳銃が一丁。
相手も学生が武器を持っているとは思っていなかったのか、それらは見つからずに済んだ。しかし、後ろで手を縛られた現状ではどうしようもない。
「考えろ。思考を、止めるな――」
長く息を吐き出して、目を細める。
この状況でなにかを行動を起こすことは、確実に悪手だった。下手を打てばその場で銃殺――最悪の場合、タイムリミット前に皆殺し。
それでも、行動を起こさなければジリ貧だ。
つまり俺はここで、数少ない正解の行動1つのみを取らなければならない。
「――兄弟。少しだけ、訊きたいことがある」
「どうした、アレン」
そう考えていた最中だった。
隣に座るアレンが、おもむろにそう訊いてくる。
訊き返すと彼は、俺以外の誰にも聞こえない声量でこう言った。
「どうしてお前は、あの集団が命を懸けていると考えた?」
「……………………」
それは、俺の先ほどの発言について。
さっき思わず口にしたことを、アレンは気に留めていたらしい。
「ここに爆弾を仕掛けたのは、アイツらだと――そう思ったからだ」
しかし、俺は真偽を告げずにそうはぐらかした。
この状況ではあるが、アレンが『裏切り者』である可能性がなくなったわけではない。それに加えて、俺の力は説明しても信じられない類のそれだった。
そう思って、口を噤む。しかし彼は納得していない様子で――。
「いいや。お前がその程度の推測で、あのように取り乱すとは思えない」
「それは俺のことを買い被りすぎだ。普通の高校生だぞ、俺は」
「お前みたいな学生がいるか。なにか、あるのだろう?」
「……………………」
そう、静かに問いかけてくる。
無言を貫くと、彼は小さくふっと笑い、こう言った。
「聞かせてほしい。ミコト、お前の見ているものをな……」
一度、言葉を切り。
「同じ女を愛する男として、な」――と。
それを聞いて、俺はハッとした。
驚いてアレンの顔を見ると、冷や汗をかきながらも口元には笑みを浮かべている。やや緊張感をもった呼吸に、サングラス越しの瞳には、嘘を感じられなかった。
その眼差しは反対側で気を失う――ミレイに向けられている。
「アレン、お前……」
「さて、兄弟。ここから先は大きな賭けになるかもしれない」
彼は、声のトーンを落として言った。
「乗るか、はたまた乗らないか。――どっちを選ぶ?」
まるで俺のことを試すかのように。
それを耳にして、俺は自然と笑みを浮かべていた。そして、迷いなく――。
「今さら、そんな賭け――屁でもないさ」
その波に乗ってやることにした。
『へい、そこの元兄弟――少し、話をいいか?』
『ん、お前は……』
アレンは母国語で、反体制派のリーダー格に話しかけた。
どうやら2人は顔見知りらしく、リーダー格はニタリと笑みを浮かべたように思われる。そして、どこかアレンを小馬鹿にしたようにこう言うのだった。
『お前はついて行く相手を間違えたな。本当に、昔から情に流されやすい奴だ』
『ずいぶんな言いようじゃないか。まぁ、否定はしないが――』
『どうした、話しかけたということは命乞いか?』
『いいや? 少しだけ、報告したいことがあってな』
『報告したいこと、だと……?』
だが、彼の言葉に声色を変える。
どうやら、相手の興味を引くことに成功したようだった。アレンは挑発的な笑みをその綺麗な顔に浮かべ、リーダー格を見つめてこう口にする。
『このままだと、お前たちも死ぬことになる――と言ったら、どうする?』
『なん、だって……?』
◆◇◆
「アレン、上手くやってるかな。いいや――信じよう」
俺は人気のない廊下を走り、職員室へと向かっていた。
目的はあの盗撮男が使っていたスマホの確保。おそらくだが、爆弾は1つだけではなかった。複数個所に設置されていると考えるのが適当だろう。
だから、アレンが隙を作っている間に俺は教室を抜け出したのだ。
そしてこの作戦を実行するためには――。
「驚くよな、そりゃ……」
彼に、俺の力を説明する必要があった。
どうして反体制派が命を懸けて、この作戦に挑んでいると思ったのか。その裏付けとなる証拠として、話さざるを得なかった。
アレンは一瞬だけ呆けた顔をしていた。
しかし、少しだけ笑った後にこう言ったのだ。
「信じるぜ、兄弟」――と。
その上で、彼はある予想を立てた。
それというのは、あの反体制派が『爆弾の存在を知らない』というもの。
アレンの話によると、いくら組織に忠誠を誓っているとはいえ、そのような馬鹿げた作戦を決行するのはあり得ないということらしい。
すなわち、彼らもまた騙されており、捨て駒ということだった。
「結果としてその予想は正しかったわけだ。アレンが話しかけたら、明らかに動揺していたからな。――なに言ってるかは、分からなかったけど」
俺は手持ちのナイフで縄を切り、反体制派の隙を突いて抜け出したのだ。
あとはアレンが時間を稼いでくれているかどうかだが、ここからはもう信じる他ないだろう。彼が『裏切り者』である可能性は捨てきれないのが苦しかった。
それ故に、これは一種の賭け。
しかし何もしなければどの道、俺たちの寿命は尽きるのだ。
それならば、乗らないわけにはいかない。他でもない、かけがえのない――。
「ミレイを助けるためには、これしかない……!」
誰もいない職員室に到着する。
そしてしらみつぶしに物色して、俺は見つけた。
「よかった、あった……!」
盗撮男のスマホ。
俺はそれを起動して画像フォルダを確認した。
すると分かったのは、画像は全部で8枚だということ。そして、
「ん、どこかに画像を送信している?」
あの男が、どこかにメールで画像を送っていたことだった。
「宛名は――『Mr.dollar』」
おそらくは、偽名だろう。
しかし、俺の中には確信に近いものがあった。それは――。
「こいつが、きっと……」
『裏切り者』に、違いないという確信が。
◆◇◆
『く、くくくっ――アレン、お前も嘘が下手な奴だ』
『な、に……?』
ミコトが教室を出て行った後に、リーダー格の男がそう言った。
アレンは眉をひそめる。そんな彼の様子を見て、男は僅かに覗く目を細めた。
『オレ様はそんなチンケな嘘にかかるほど、馬鹿じゃないぜ? ――このミッションを達成すれば、組織の中でも有数のポストと金を約束されてるんだ』
そして、おもむろに銃口を――ミレイに向ける。
気絶する彼女は身動きが取れず、その他のクラスメイトは悲鳴を上げた。
『それじゃ、サヨナラだ――アレン』
『くそったれ……!』
間髪を入れずに銃声が鳴り響く。
直後に、教室の中は静寂に包まれた。
「……悪いな。あいにく一撃で殺せるほど、射撃は上手くないんだ」
――静寂を打ち破ったのは、俺のそんな一言。
ふくらはぎを撃ち抜かれて倒れ込むリーダー格に、息を整えてからそう告げた。
クラスメイトは俺の方を見て、皆一様に呆然と口を開いている。それは当然だと思えた。陰キャな俺が、どこかへ消えたかと思えば、いきなり銃を持って現われたのだから。しかも、人を撃ったし……。
「この、ガキ……っ!?」
目出し帽から覗く蒼い眼差しは、明確な敵意を滲ませていた。歯を食いしばりながら注意をこちらに向けている。それなら、ここからは彼に任せよう。
俺は照準をリーダーへと合わせたまま、こう叫んだ。
「アレン、あとは頼む!」
「――任せろ、兄弟!!」
するとすぐに、アレンが立ち上がって銃を構える。
意識を取り戻したらしいミレイを庇いながら、総勢10余名の敵へ――。
「悪いな。俺は弟分のように、下手くそではないんだ」
そう言って的確に、反体制派の手元を撃ち抜いていった。
クラスメイトは悲鳴を上げる。たしかに普通の学生にとっては、刺激が強いだろうと思えた。中には意識を失う者もいたが、こればかりは仕方ないか。
「ふぅ……」
制圧されていく集団を見て、俺は今後について少しだけ考えた。
アレンは俺の兄貴分で、俺はマフィアの一員で。
それはもう、隠しようのないことだった。それならせめて、ミレイだけはこの場から切り離さなければならないだろう。
これから続いていく、彼女の学生生活のために……。
「アレン、お疲れ様」
俺は、まるでいつものことのように彼にハイタッチを求めた。
するとこちらの意図を理解したのだろう。アレンは一つ頷いてから手を掲げた。そして小気味の良い音を鳴らし、同時に俺は高校生活に別れを告げる。
身動きを取れなくなった反体制派を縛り上げて、他の学生たちに言うのだ。
「みんな、元気でな」――と。
もう戻れない。
その覚悟をもって、笑いながら。
◆◇◆
学生を外へと解放し、教室に残ったのは俺とアレン、そして反体制派だけ。
爆弾の処理は、思いの外スムーズに終わった。寿命も元通りになって、一息つく。窓の外を見ると、どうやら警察や機動隊が突撃の準備を進めているようだった。
クラスメイトの一部はマスコミから質問を受けているようで、しかしそれを教員たちが庇っている。騒然とする向こう側とは異なり、こっちは静かなものだ。
「良かったのか、ミコト」
「ん、なにが?」
そんな中で、不意にアレンがそう訊いてきた。
俺が首を傾げると、大きなため息が聞こえてくる。
「なにが――なんて、馬鹿なことを言うな。お前はミレイお嬢様のために、自らの平穏を投げ捨てた。普通の学生であることをやめて、こっちの世界を選んだ」
「…………あぁ、そうなるな」
「辛くないわけがない。今なら――」
「アレン。こんなの今さらなんだよ、ホントに」
机に腰かけて、窓の外を眺めたままで。
俺はこう続けた。
「俺のすべてはミレイのために。そんなの、ずっと前に決めてたんだ」
そう、その決意はあの日。
ミレイのことを初めて抱きしめた、あの朝からずっと。
「ミコト……」
「だから、さ! お前やミレイ、それにダースが気に病むことじゃないんだ。俺は俺のまま、きっと『サイゴ』の時まで笑っていると思うよ!」
だから、胸を張ってそう言えた。
笑いかけると、アレンは静かに視線を逸らす。
「――って、なに泣いてるんだよアレン!? 恥ずかしいな、おい!」
「本当に、お前はバカな男だな。どうしようもない……っ!」
目頭を押さえて、涙声で語る彼に俺は苦笑いを浮かべた。
そして同時にこう思う。こんなに人情に篤い男が、裏切るわけがない、と。
「それなら、残る可能性は――」
俺は自分の頬を叩いて、気合を入れた。
そして、窓に映る自身の寿命を確認して呟く。
「俺にはもう、時間がない」
――残り2週間。
それが彼女の未来を切り開くため、俺に許された時間だった。
――日本の高校を海外マフィアが占拠。
このニュースは、世間を大きく賑わせることになった。テレビでは連日のようにこれを取り上げていたし、フランスの『イ・リーガル』とはどんな組織で、目的はなにか。有識者が見当違いな話をしているのは、ある種でどんなバラエティーよりも面白かった。
だが、それと同時に取り上げられるのは――俺のこと。
事件当日から行方不明となった男子高校生。マスコミは俺の家を囲んで、家族から事情を聞き出そうとしていた。泣き崩れる海晴に、両親。
その姿に胸は痛んだが、それでももう戻ることは出来なかった。
迷惑をかけている。
それでも、これが俺の選んだ道なのだから……。
「俺の家族には、被害が及ばないようにしてくれたか?」
「あぁ、当然な。これはオレの義務の一つだ」
「そっか、ありがとう――アレン」
俺はとある一室の窓際に立つアレンに訊ねた。
すると彼は、すぐにそう頷いてくれる。感謝しかなかった。
せめて海晴たちは『イ・リーガル』と無関係であってほしい、と。それが日本の学生であった俺の、最後の願いだった。
もっとも、海晴は俺がどうなったかに感付いてそうだが。
寿命を見る限りは、無理をすることはなさそうだ。
「それで、兄弟――お前の寿命について、だが」
「あぁ、あと1週間だよ。それまでに、一連の事件に決着をつけないとな」
なんてことない、と。
そう思って答えたのだが、アレンは少し沈んだ表情になった。そして、
「……オレは、お前と出会えてよかったと思っている」
静かに、そう口にする。
その言葉は本心からのものだろう。
今にも泣き出しそうなアレンの声に、俺は――。
「ありがとうな、兄弟」
ただただ、感謝を込めて。
「さて。それじゃ、もうそろそろ作戦を決行しますか!」
俺は勢いよくソファーから立ち上がった。
ここからは、本当に一か八かの選択が続く修羅の道。
そのことを理解しているからだろう。アレンは最後にこう訊いてきた。
「ミレイお嬢様には、なにも伝えないのか?」――と。
それは、微かに俺の胸を揺さぶる。
しかし小さく微笑んで、こう伝えるのだった。
「大丈夫。この気持ちは『最期』まで――」
――胸の中に、仕舞っておくから。
「さぁ、行こう!」
俺はあえて、それを呑み込んで歩き出した。
「悪いな、アカネ。変なことに巻き込んで……」
「構いません。むしろ、ここで手を貸さなければ気が済みませんわ。それに、わたくしも無関係ではないですから、ね」
実家を離れた俺は御堂邸に身を寄せていた。
それはミレイやアレン、そしてダースも同じくだ。少しばかりの気後れはあったが、素直に甘えさせてもらうことにする。
あのまま同じ場所に留まっていては、いつ襲撃を受けるか分からない。
その点で御堂邸なら、セキュリティも整っているし、最適だった。
「それで、あの話は本気ですの……?」
「あぁ、本気だよ。本当はこんな手を取りたくはないけど――学校が休校になってる間に片付けないと、ミレイの生活に支障も出る」
「本当に、赤羽ミレイが基準なんですのね。ミコトは」
「ははは、それほどでも!」
「褒めてはいませんわ……」
だだっ広いリビングで今後について話し合っていたのだが、何故か呆れられてしまった。俺の話はそんなに変だったのか、自分では分からずに首を傾げてしまう。
そうしているとアカネが咳払い一つ。
真剣な表情で、こう言うのだった。
「でも、もしかしたらミコト自身が危険な目に遭うかもしれませんわよ?」
それは俺の覚悟を問うようなもの。
昨夜遅くに、俺はアカネにある作戦を伝えた。その内容を驚きをもって迎えた彼女は、最後にそう確認する。
不安が大きいのだろう。
しかし、それを打ち消すように俺は笑ってみせた。
「大丈夫だよ。きっと、後悔はしないから!」
そして、そう告げる。
もう迷いなんてなかった。あるはずがない。
俺の命はあの日から、あの子のために捧げられているのだから。
◆◇◆
――御堂邸の正門前。
ダースは、そこで番をしていた。
集中を切らさない彼に、労うように俺は声をかける。
「お疲れ様、ダース」
「あら。ミコトちゃん? どうしたのかしら」
すると、彼はその顔にいつもの優しい笑みを浮かべ、こちらを出迎えた。ミレイも彼のことは母親代わりだと、そう語っていたが、偽りはないように思われる。
慈愛に満ちたその表情は、マフィアである以前に、一人の人間としてのそれだ。
そんなダースに、俺はやや遠慮がちにこう言う。
「いや、ちょっとだけ。ダースと話をしておきたいと、そう思ってさ」
彼にはたくさん訊きたいことがあった。
ミレイのこれまで、そして彼女の両親のこと。さらには、あの日に見せてもらった写真に映る光景について。たくさんの、知りたいが詰まっていた。
今日はその中でも、最も重要なことを訊ねることにする。
「ダースにとって、ミレイはどんな存在なんだ?」
「ミレイお嬢様のこと、ね」
それは、彼の娘といっても過言ではないミレイについてのこと。
ダースはあの子のことを、どう思っているのか。
俺はそれが知りたくて仕方なかった。
「そう、ね――」
彼はこちらの質問に、少しだけ悩んだ後にこう答える。
「敬愛するボスの愛娘。最初は、そう思っていたわ」――と。
ゆっくりと、言葉を選んで語り始めた。
「以前に写真を見せたけど、私たち――ボスとお嬢様のお母様、そして私は学友だったの。中でもボスと私は幼馴染みでね? 彼の家のことは、昔から知ってたわ」
そこで一度、言葉を切ってから彼は目を細める。
昔を懐かしむように。そして――。
「そんなある時に、あの人が留学してきた。色々あって、仲良くなるにはそれほど時間は必要なかったのよ。それと同時に、ボスが彼女を好きになるのも、ね?」
「いまの俺が、ミレイを好きになるみたいに?」
「ふふふ。ミコトちゃんほど、急激ではなかったけどね」
そんな彼に問うと、冗談めかしたように笑った。
でもすぐに、深く息をついて続ける。
「私が二人を守ろうと思ったのは、自然な流れだったわ。ただ、ある抗争の中で彼女は亡くなって――産まれたばかりのお嬢様と、失意に暮れるボスが残された。それから、少しずつ『イ・リーガル』の内部がギクシャクし始めて、私たちは逃げることになったの」
――だから、お嬢様はご両親の顔をほとんど知らないの、と。
少し寂しそうに、胸に手を当てて。
「でも、こうやって日本にやってきて良かったと思うわ」
「ん、それってどういう……?」
話はそこで終わりかと、俺は話しかけようとした。しかし、不意に笑顔を向けられて首を傾げる。するとダースは、頬に手を当てて呆れた。
そしてふっとため息をついて……。
「これは、お嬢様も大変ね」――と。
そんな、よく分からないことを言うのだった。
頭上に疑問符を浮かべるこちらを、彼はくすくすと笑う。
「いつか分かればいいの。それが、いつかにもよるけど、ね?」
さて――と。
話はここまで、といった風にダースは口にした。
どうやら、そろそろ本題に入ろうと、そういうことらしい。
「それで、ミコトちゃん? ――例の作戦は、今夜なのね」
声のトーンを落として、真剣な表情になりそう言った。
俺はその言葉に頷く。そして、こう告げた。
「あぁ、今夜こそ決着をつける。『裏切り者』は――」
固唾を呑んで、その名を口にする。
「アレンだ」――と。