寿命の見える少年と幸薄少女、硝煙の香り。








 俺は即座に金庫内部の状況を確認した。
 金品などはなく、5メートル四方の薄暗い空間が広がっている。爆破した入口から差し込む明かりで、ほんの少しばかり奥が見える、という程度だった。

 そこにミレイとアレンの姿がある。
 彼らは身を寄せ合って、しかしアレンの方はもう意識が朦朧としている様子だった。それでも先ほどの衝撃から彼女を守ろうとしたらしい。
 その身をミレイの前に投げ出していた。

「ミコト、か……?」
「アレン喋るな! ミレイは大丈夫だから、安心しろ!」

 掠れた声でこちらに話しかける彼を、俺は制止する。
 ミレイは大丈夫――嘘っぱちだ。何故なら現時点でアレンよりも、ミレイの寿命の方が圧倒的に短いのだから。しかし、彼の寿命も決して長いとは言えなかった。
 現状で一番、生存の目が大きいのは俺だ。

 ならば、俺にできることはなにか。
 考えるんだ。冷静になれ。この状況でまず、することは――!


「アカネ、アレンの治療を――」
「アカネ……? 御堂アカネ、か!?」


 傷の手当てが最優先。
 そう思ったのだが、どうやら地雷を踏んだようだった。


「きゃ……っ!?」


 さすがは素早い。
 傷だらけであるにも関わらず、アレンは即座に立ち上がるとアカネを拘束した。羽交い絞めにして、少し力を込めれば首の骨を折れる状態まで持っていく。
 アカネは短く悲鳴を上げて、身動きを取れなくなった。

 考えてみれば、こうなるのは必然にも思える。
 アレンも馬鹿ではない。敵の情報はある一程度、頭に入れているはずだった。その可能性を考慮しなかった俺の失策。

「ちっ……!?」

 腕時計で時間を確認した。
 すると、分かる。アカネの寿命は、もうすぐだった。
 つまりこのまま放置すれば、アレンはアカネを殺すということ。それだけは避けなければならない。彼女もまた、俺にとっては大切な仲間だった。

「落ち着くんだ、アレン。アカネは――」
「落ち着いているさ。この女が御堂財閥の娘であることは知っている――それならば、ここで始末するのが正しいだろう」
「くそ……っ!」

 説得しようと試みるが、どうやらアレンは正気ではなかった。
 それも当然だろう。このような大怪我を負って、精神を摩耗して、正常な判断をしろという方が無理な話だった。
 敵の娘は敵だ、と。
 そこだけで思考が完結していた。

 ――どうする?
 どうしたら、そんなアレンの説得ができるのか。
 考えろ、考えろ考えろ考えろ。まだ諦めるようなところではない!

「……そうだっ!」

 その時だ。俺は、一つの策を思い付く。
 彼がアカネを敵だと認識しているなら、それを逆手に取ればいい。もちろんリスクのある手段ではあったが、なにもせずに見殺しにするよりは可能性があった。

 だから、一つ深呼吸をして俺は――笑みを浮かべる。

「アレン。それじゃ、損だ」
「な、に……?」

 そして口にした。
 一か八かの、提案を。



「そいつは敵の娘だ。だったら、人質とした方が価値が出る」――と。



 そうそれは、俺も彼女を殺すつもりだという素振りを見せること。
 これならばアレンの混乱した思考でも、アカネを生かすことへの納得が得られるかもしれなかった。失敗する可能性もあったが、成功の可能性も十分にある。

 果たして、この作戦は――。



「……なるほど、な。たしかにそうだ」



 上手くいった。
 彼女の寿命は延長され、その拘束も緩められる。
 アカネ自身は生きた心地がしない表情を浮かべていたが、俺は胸を撫で下ろした。こうなれば、あとは一つ。何よりも優先しなければいけないことだけだった。

「ミレイは、あと――」


 最愛の女の子の寿命は、残り30分。


 俺はゆっくりと息をついた。
 ここからの展開は、まるで読めない。
 誰が、どうやってミレイのことを殺すのか。


「おやおや。部下がやられたと思えば、相手は子供一人でしたか」




 だが、その答えは向こうからやってきた。

 






「誰だ……!?」

 俺は声のした方を見る。
 地下室の入口――そこに立っていたのは、1人の初老の男性だった。
 口髭を蓄えており、身に着けているのは金の細いラインが入った黒のスーツ。眼鏡をかけたその顔立ちは、優しげな印象を受けた。
 微笑みをたたえたその男性は、余裕をもって言う。

「初めまして。私の名前は、御堂ハジメ――御堂財閥の頭取だよ」

 自分こそが、キミたちの敵である、と。
 そう宣言するようだった。

「お父様……!?」
「おやおや、アカネもいるのか。今日は寝ていなさいと言ったのに、悪い子だ」

 そんな父の姿に、思わず声を上げたのはアカネだ。
 彼女は悲喜交々といった表情で彼を呼ぶ。しかしそんな娘を見て、薄ら寒い笑みを浮かべた御堂ハジメ。芝居がかった口調と仕草で、少女のことを嘲笑った。
 俺は一目見て理解する。
 こいつには、娘に対する情というものがないのだ、と。

「これは、どういうことですの!? 『イ・リーガル』は、わたくしの命を狙っていたと、そう仰っていたではありませんか! それなのに――」
「あぁ、本気で信じていたのかい。それとも薄々、勘付いていたのかな」
「それって! どういう、意味ですの……?」
「分かっていて訊くのかい?」

 娘の必死な訴えに、クツクツと嗤うハジメ。
 そして、おもむろにこう語り始めた。

「金銭についての話があったのは本当だよ? ――『イ・リーガル』から、ね」
「それは、どういうことだ……?」

 そう切り出した彼に、割って入ったのはアレン。
 霞む目で必死にハジメを捉えているのか、瞬きが多く、呼吸も荒かった。
 そんなアレンの体力の消耗に気付いているらしい。まったく脅威ではないと、そう言わんばかりに財閥頭取はこう口にした。


「末端は知らないのかな。我々、御堂財閥と『イ・リーガル』が密な関係であること――そして、今のボスの娘を殺す手助けをしている、ということをね」


 それを聞いた、その場に居る全員が息を呑んだ。
 その宣言は間違いない。自分たちもまた闇の世界の人間であり、マフィアと癒着関係にあるということ、それの自白だった。
 おそらく御堂財閥に依頼したのは、反体制派だろう。
 しかし、その相手が反抗集団であることは重々承知であると、ハジメの目は語っているような気がした。罪悪感を抱いている様子は、微塵も見られない。

 その証拠に、彼はこうも語った。


「私たち御堂財閥は、反体制派に金銭の援助をする。その代りに事が上手く運んだ場合に、相応の報酬を得ることになっているんだ。さらに今、そこには莫大な金が転がっている――赤羽ミレイという、何千億という価値ある命がね!」


 それはもう、腐りきった言葉。人の命を軽んじたもの、外道のそれだった。
 こいつの目には、頭の中には、金のことしかない。人の心など、どこかに置き去りにした。その証拠に優しげだった笑みはいつの間にか、邪悪な色を帯びている。

 吐き気がした。
 こんな、ここまでの屑が生きていることに。

「お、父様……」

 そんな父の本性を見たアカネは、感情のない表情で大粒の涙を流していた。
 そしていよいよ許容範囲を超えたのか、その場にへたり込んだ。
 アレンはそれを支えて、優しく肩に手を置く。

「う、うぅ……!」

 少女のすすり泣く声が、金庫の中に響いた。
 しかしそんな娘など気にも留めず、ハジメは銃を取り出して構える。不自然に首を傾げながら、ケタケタと笑った。そして、

「いやぁ、実に愉快だね。何も知らないキミたちを見ているのは!」

 俺たち全員を小馬鹿にする。
 銃口をゆっくりと、ミレイの方へと向けて――。


「まさか『あんな近くにいる裏切り者』に気付かないなんて、ね」


 言って、引き金に指をかけた。
 その瞬間だ。



「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」
「なっ――!?」



 完全にこちらから目を切った、その時。
 俺は全速力で、一直線に、ハジメへと突進した。そして――。



「ふざ、けんなああああああああああああああああああああああっ!!」



 渾身の力を込めて、その綺麗な顔をぶん殴った。
 そこには、冷静さなどない。そこには、計算などもない。
 ただただ怒りを込めて。ただただこの男が許せなくて。ただただ、アカネの心を傷付けたコイツが、ムカついて仕方なかった。

 この行動が正解かなんて、分からない。
 それでも、俺はもう我慢の限界だったのだ。

「てめぇ、自分が何を言ってるのか、分かってんのか!?」

 馬乗りになって、ハジメへと拳を振り下ろす。
 まるで想定していなかった事態に、彼は防戦一方になった。
 そんな外道に、何度も何度も何度も、俺は全力の拳を叩きつける。だが――。

「やめて、ミコト――っ!」
「な――!?」

 声が聞こえた。
 それは、父を守ろうとする娘の叫びだった。
 その懇願に、俺は思わず動きを止めてしまう。すると、

「……良い子だ、アカネェッ!」

 当然に、隙が生まれた。
 ハジメは銃を俺の脇腹に宛がうと、迷うことなく引き金を引く。


「かはっ……!?」


 直後に、発破音と共に激痛。
 そして全身から、脂汗が噴き出した。俺はどうしようもなく――。


「ミコトくんっ!!」



 ミレイの悲鳴を聞きながら、その場に横倒しになった。

 






「あはははははははははははははは!! 馬鹿なガキめ! あんな小娘の悲鳴ごときで隙を見せるなんて、甘ちゃんにも程がある!!」

 立ち上がったハジメは、こちらを見下ろしそう罵声を浴びせてくる。
 俺はそれを忌々しげに睨み上げた。しかし、身体に力は入らない。幸いなことに急所は外れているらしく、出血は思ったほどではなかった。
 それでも、弾が貫通したことによる痛みは恐ろしい。
 前にも喰らったことはあったが、やはり意識が飛びそうになる。

「ぐっ……!?」

 だが、ここで気を失うわけにはいかない。
 諦めたらすべてが終わりだった。だから俺は唇を噛み、目を見開く。
 口の中に鉄の味が広がった。心臓は早鐘のように脈打ち、呼吸はそれに応えるように上がっていく。それでも思考は止めなかった。

 相手は拳銃を持っているが、たった1人だ。
 慢心か油断、はたまたその両方か。部下を引き連れている様子はなかった。
 だがしかし状況は圧倒的に不利。傷だらけのアレンは、ミレイに銃口を向けられていることで動けなくなっていた。アカネは――ついに気を失ったか。

 俺は身動ぎ一つに相当な体力を使う。
 少しでもなにかをすれば、意識が飛んでしまいそうだった。

「まだだ、考えろ――!」

 絶望的な状況。
 その中で俺が選んだのは――。


「アレン、受け取れ!!」
「ミコト……!?」


 先ほど、黒服から奪った拳銃をアレンの方へと転がすこと。
 これがまずは最善の第一手。そして、次に起こり得る可能性に備えて――。


「ぐ……う、おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!?」
「ミコトくん……!?」


 想像を絶する痛みに、眉をしかめながらミレイの方へと駆けた。
 すると、ハジメはやや慌てて行動を開始する。
 それはミレイへの銃撃――!

「死ねぇ――――っ!」

 ダン、という音。
 その直後に、俺は背中に激痛を感じた。
 覚悟はしていたものの、これはかなり、きつい……。

「ミコトくん、ミコトくん……!!」

 倒れ込む俺を支えるようになったミレイ。
 彼女は涙声になりながら、俺の名前を繰り返していた。
 遠退く意識。その中で最後に見たのは、愛しい女の子の泣き顔だった。

「は――馬鹿め、これで……!」
「御堂ハジメ、これで終わりだ」

 後方で、そんな声がする。
 アレンだろう。彼はハジメを――。



 一発の銃声。



 それを耳にして、俺の意識はプツリと途切れた。

 






 ミレイの足もそれなりに治った頃。
 俺たちは、アカネの主催するパーティーに招待された。
 脇腹を撃たれた傷は生々しく痛みはするが、我慢できないほどではなくなっている。そのため俺は、着慣れない正装をして、御堂邸を訪れていた。

「あんなことがあったのに、持ち直すもの――なんだな」

 エントランスホールからダンスホールへ。
 あの事件が嘘だったように思える賑やかさに、思わずそう漏らしてしまった。

「…………頭取が死んだのに、な」

 俺の記憶は途切れ途切れになっているため、非常に曖昧だ。
 それでも、世界的に有名な財閥の頭取の死は、大きくニュースでも取り上げられていた。死因は頭部を撃たれたことによるもの。
 しかし、犯人はいまだ不明とされていた。
 第一発見者とされた御堂アカネも、調査に有益な情報を持ち合わせていない。そうしているうちに、あらゆる証拠は隠蔽され、闇に葬られていったのだ。

 俺たち『イ・リーガル』と、財閥の協力者の手によって。

「でも、そこから立て直したのは――」

 アカネの実力だろう、と。
 俺には、そんな確信に近い思いがあった。
 父の死後に彼女は、財閥内にいるハジメ派の人間を排斥。そこから全体に向けて大号令を出し、事業を見事に立て直してみせたのだ。
 いまや彼女は、社交界で知らない者はいない有名人だった。

「にしても、海晴の奴はしつこかったな……」

 そんな相手からの誘いに、我が家はざわついた。
 中でも海晴は自分も行くと言って騒ぎ、実力行使するまで納得しなかったのである。結果として俺はミレイとアレン、あの場にいた面子でここへやってきた。
 隣を歩くドレスを着たミレイが、俺の呟きを耳にしたのか小さく笑う。
 そして、こう言った。

「海晴ちゃん、私にもお願いしてきたんですよ?」
「え……? ミレイ、海晴の連絡先知ってるの?」
「はい。SNSで繋がってて、仲良いですよ」
「マジか……」

 思わぬ新事実に、俺は苦笑い。
 肩を落とし、ため息をつくのだった。

「ミコト、諦めろ。お嬢様と海晴はすでに『マブ』というやつだ」
「お前、なんでそんな変な日本語知ってるんだよ……」

 すると、所々に包帯を巻いたアレンが口を挟む。
 だが言葉のチョイスにツッコんでしまった。なんだよ『マブ』って。いや、意味は辛うじて知ってるけど、フランス人の彼が使うと違和感バリバリだった。

 さて、ダンスホールの入口付近でそんな話をしていると、だ。

「いらっしゃいですわ。3人とも」

 本日パーティー、その主催者が姿を現した。
 身に着けているのはミレイ同様にドレスなのだが、やはり上流階級の人間だ、ということなのだろう。生地や装飾の細かさ、そして微かにあしらわれた宝石の類が気品を感じさせた。元々の素材も悪くないために、アカネは周囲の視線を一身に受けている。



「本日はお招きいただき、ありがとうございます。御堂先輩」
「赤羽さんは、ついでなのですけど。諸々のお詫びもありましたから」
「お詫びだなんて。私は別になんとも思っていませんよ? ――ふふふっ」
「あらあら。そうでしたの? そう仰られるのなら、今からでもお帰りいただいて構いませんわよ? お時間取らせて申し訳ございませんですわ」
「それとこれは、話が別なのですよ――先輩?」
「あら、そうですの。ふふふっ」



 ――え……? なに、この険悪な空気。

 にこやかに言葉を交わすミレイとアカネの間には、なにやら火花が散っているように思われた。いいや、比喩ではなく明確に散っていた。
 その理由が分からずに、俺は言葉を挟むことができない。
 すると、そんなこちらに声をかけたのはアレン。

 彼はポンと優しく肩に手を置いてきて、こう口にした。


「兄弟――強く生きるんだぞ」


 ――はい? なんですか、それ。

 どこか憐れむような色さえうかがえる彼の目に、俺は首を傾げるしかなかった。
 だが、そうしていると不意にアカネがこう話しかけてくる。

「ところで、ミコト。少しお話よろしいですか?」
「え、俺だけ?」

 まさかの指名に、俺は思わず呆気に取られた。


◆◇◆


「先日は、わたくしの父がご迷惑をおかけしましたわ」

 ダンスホールを抜け出してベランダに出ると、アカネは開口一番、そう言った。
 小さく頭を下げる彼女に、俺はどこか申し訳なってしまう。

「いや、いいよ。それよりも、良かったのか?」

 だから、話題を変えた。
 それとはなにか。言葉にしなかったが、アカネは意を汲み取ったらしい。ほんの少しだけ目を伏せた後おもむろに、どこか寂しげに口を開くのだった。

「父がしたことは許されることではありません。ですから、アレンさんのことを恨んではいませんわ。その点はまず、誤解のないようお願い致します」
「……………………」

 彼女の言葉に、俺は沈黙をもって肯定する。
 だがしかし、

「そして『イ・リーガル』との関係についてですが、こちらについては今後も情報の共有を図ろうと考えています」
「アカネは、それで良いのか?」

 次に出てきたそれには、そう訊いてしまった。
 すると令嬢は、小さく微笑んでこう言う。

「良いのです。父の仕事を引き継ぐのは、娘の役目ですから。――それに、ミコトに少しでも協力したいと、恩返しがしたいと思ったのですわ」

 それは、彼女の覚悟そのものだった。
 自分は自分の責任と向き合う。それが、一族の贖罪なのだから、と。
 まだ高校3年生である少女にとって、それがいかに困難な道であるかは、少し考えただけでも分かった。だが、それがアカネの選んだ道なのなら……。

「……そう、か。何かあったら相談しろよ?」

 俺には、否定する権利はない。
 だから後押しするように、優しく声をかけた。

「ありがとうございます、ミコト」

 アカネは胸に手を当てながら、にこやかに笑う。
 その胸中にどれだけの感情を抱え込んでいるのか、誰にも覚られないように。俺は思わずそんな彼女の頭を撫でていた。
 ほんの少しの抵抗はあったが、すぐに受け入れてもらえる。
 そうして、しばしの沈黙があった。

 だがそれを破ったのは、他でもないアカネ。
 彼女は一つ息をついてから、真剣な眼差しを向けて言った。

「――ミコト。貴方に伝えておきたいことが、ありますわ」



 そして、それは今後の俺たちの道に、陰を落とすもの。
 一度、目を閉じてから。ゆっくりとそれを開き、アカネはこう口にした。



「間違いありません。ミコトのすぐ傍に『裏切り者』がいます」――と。


 






 ――すぐ傍に、裏切り者がいる。
 俺の耳に張り付いて離れないその言葉は、学校生活が再開しても残っていた。
 考えたくはない。それでも、ミレイの命にかかわる情報だった。だとすれば決して、無視できる情報ではない。だからこう、クラスメイトも敵に見えて……。

「ミコトくん。どうしたのですか? すごく、怖い顔してます」
「……え。あぁ、ごめん。考え事してた」
「考え事、ですか?」

 と、そう考えているといつの間にか休み時間になっていた。
 隣の席に座るミレイが、心配そうにこちらを覗きこんでくる。小首を傾げて上目遣いに。いま最も不安であろうはずなのに、彼女はやはり、彼女だった。
 そんな少女に心配をかけないように、俺は話題を提供する。

「あぁ、そうだな――もうじき学園祭だろ? クラスの出し物、なにかなって」

 それはまさしく、ミレイの食いつきそうな話だった。
 彼女は普通の学生生活に憧れていたのだ。だからこういう風に言ってあげると、ぱっと表情を明るくする。そして、ニコニコの笑顔になって頷くのだった。

「楽しみですね! 私、こんな催しに出るの初めてなのです!」
「ははは、ホントに楽しみだな」

 その笑みに釣られて、俺も笑う。
 でも、心からの言葉だった。以前の俺なら、学園祭なんてリア充のイベントだ――滅んでしまえ、と思っていたに違いない。
 それでもミレイのこの喜びようを見ていると、そんな気持ちも引っ込んだ。

「ミレイは何がしたい?」
「そうですねぇ、色々ありますけど――」

 うーん、と。
 人差し指を唇に当てて、彼女は考え込んだ。
 そうしていると、どこか聞き覚えのある声が届いた。


「もちろん、キミたちのクラスは『メイド喫茶』に決まっている!」――と。


 声のした方を振り返った。
 そこにいたのは――。


「き、貴様はまさか……!」
「ふっ、驚いているようだな我がライバルよ!!」


 タイガだった。
 彼は格好つけて構えながら、最後は髪を掻き上げる。
 しかし、俺はそれに対して……。

「いや、そんなに驚いてない」
「急に冷めた対応するのはやめてくれ! 友よ!!」
「いつから友になったんだよ。ライバルはどこに行ったんだよ」

 淡白にツッコみを入れた。
 するとタイガはショックを受けて涙目になる。
 ――が、すぐに気を取り直したのか。一つ息をついてこう言った。

「こういった際には、メイド喫茶だと相場が決まっているだろう?」
「どこの相場だよ。さては、最近ラブコメにハマってるな、貴様」
「ふふ。そこに気付くとは、さすがは我が盟友だ……!」
「どんどんグレードアップしていく……!?」

 いやいや。
 こんな馬鹿なやり取りをしている場合ではなかった。

「……それで、どうしてメイド喫茶?」

 俺が訊ねると、おもむろにタイガは肩に腕を回してくる。
 そして、ミレイには聞こえない小声で熱っぽく語った。

「キミは見たくないのか? ――赤羽さんの、メイド姿が!」
「そ、それは……っ」



 ――――見たいっす。



 いや、もうね?
 そんなの見たいに決まっているじゃないですか。
 好きな女の子のメイド姿。ヲタク男子としては夢ですよ、たぶん。

「い――いや、しかし。無理矢理に着させるわけには……!」

 だが、そこで自制心が働いた。
 そんな時だ。俺の耳元で悪魔が囁いた。

「逆に考えるんだ。無理矢理だからこそ、いいじゃないか、と!」
「…………っ! タイガ、お前!」

 全身に電流が流れる。
 驚いて見れば、そこにはタイガのしたり顔。

「ふふん。その目は、どうやらイメージが降りてきたようだな」

 彼は俺の表情すべてから感じ取ったらしい。
 俺の、敗北を……!

「くそっ、そんな誘惑に勝てるわけねぇじゃないか……!」
「いいや。友よ、これは敗北ではない」
「タイガ……?」

 こちらが肩を落としていると、それを励ますようにタイガは言った。
 そう、これは勝ち負けではなく――。



「大いなる、第一歩だ」――と。



 俺はこの時に初めて、九条大我という人間を人生の先輩だと思った。
 覚悟を決めて立ち上がり、ミレイの方を見て、

「ミレイ、いいかな?」
「はい……?」

 ゆっくりと、こう提案した。




「メイド服、着てくれるかい?」




 真っすぐに、円らなその瞳を見つめて。
 すると彼女はどこか、恥じらいを見せながらこう答えた。



「………………はい」



 消え入るような、そんな声で。


 俺とタイガは無言で向き合い、手を掲げた。
 そして、力強くハイタッチを交わすのであった……。



 





 果たして、普段は目立たない俺の熱弁によって、我がクラスの出し物は『メイド喫茶』となった。主に女子から反発があったが、ねじ伏せることに成功。ミレイからの賛成を得られていたことが、最終的な決定の鍵になったりもした。
 いまやクラスの――学校の人気者である彼女の言葉だ。
 さすがだ、と。その一言に尽きた。

「でも、諸々の準備は坂上がやりなさいよ~?」
「分かってるっての」

 女子生徒からのそんな声に、俺は逆ギレしつつ答える。
 準備の指揮を執ることになるというのは、ある程度は覚悟していた。だから特別に嫌というわけでもなく、淡々と物事を前に進めていく。
 幸いに男子生徒は協力的だったため、どんどんと仕事は終わっていった。
 だが、時には問題も発生するわけで……。

「なぁ、肝心のメイド服はどうするんだ?」
「あぁ、それか。学校の方針で、外注するのは禁止だったな……」

 田中が問題提起をして、俺は考え込んだ。
 裁縫が得意な男子はもちろん少ない。だとすれば女子に、となるが……。

「あ、あの! 私にやらせていただけませんか?」

 そう思っていたら、ミレイが手を挙げた。
 少しだけ緊張した様子で、しかしどこか嬉しそうに。

「いいけど、ミレイは裁縫とか得意なのか?」
「はい! コスプレの衣装は、ほとんどが自作でしたので!」



 ――あ、そうだった。
 ミレイも大概にヲタなのだった。



 それなら、きっと問題なく作れるだろう。
 しかし人手は多いに越したことはない、ということで……。

「女子に頭を下げてくるか……」

 俺はそう言って、サボりまくってる女子のもとへと行こうとした。
 だがそれを止めたのは、ミレイ。

「私がお願いしてきます!」
「え、でも……。結構、骨が折れると思うぞ?」
「大丈夫ですよ。だって――」

 彼女は笑顔を浮かべて、こう言った。



「せっかくのお祭りなんですもん! みんなの思い出になった方が嬉しいです!」



 無邪気に、それこそ子供のように。
 そこにあったのは、今まで得られなかった時間を享受することに、心の底から歓喜している少女の姿。その背中を見送りながら、俺は自然と笑みをこぼしていた。
 その時だ。

「ミレイお嬢様も、ずいぶんと前向きになられたのね」
「…………なんでいるのさ」

 ダースが出没した。
 たしかに今は放課後ではあるものの、関係者以外は入れないはず。
 俺は苦笑いを浮かべながら見ていたが、彼はなんてことはない、といった風にウインクをしながらこう言った。

「大丈夫よ。ここまで誰にも見つからないよう、スニーキングしてきたから!」
「それって、ただの不法侵入じゃねぇかよ!?」

 サムズアップするダース。
 俺はほぼほぼノータイムでツッコんだ。
 クラスメイトは何事かと、少しだけ俺たちを見たがすぐ作業に戻る。お前らいいのか、明らかに怪しい人間が1人、ここにいるぞ……?

「なーんてね? ちゃんと警備員のオジサマに声をかけてきたわよ。ミレイお嬢様に差し入れがしたいのですけれど、ってね」
「いや。それはそれで、簡単に通すのはどうなのさ。我が校よ……」

 先日の体育祭で不審者騒ぎがあったのに、だ。
 結果的に死者は出なかったが、警戒をするべきだと思うのだが。なんだったら、担任伝手にでも校長にアプローチをかけた方が良いのかもしれない。
 俺は学園祭準備とはまったく関係ないことで、頭を抱えるのだった。
 そんな様子を見て、ダースはくすりと笑む。

「ミコトちゃんのお陰、かしらね」
「え……?」

 そして、そんなことを言うので俺は首を傾げた。
 彼はミレイを見ながら、目を細めて言う。

「ミレイお嬢様は色々な国で、命を狙われ続けてきたの。だから、天真爛漫だった性格も、次第に暗く大人しくなっていった」
「………………」
「頼る人が私とアレンしかいない、というのも辛かったのでしょうね。精神的に追い詰められていくのが、目で見て分かるほどだったのよ」
「……そう、だったのか」

 俺はふっと息をついて、最初の頃のミレイを思い出した。
 たしかに、どこかよそよそしくて、今よりもかなり大人しかったように思われる。初めてデートをした時も、笑い方がぎこちなく、遠慮がちだった。
 それもこれも、過酷を極める生い立ちゆえだったのか。
 今さらながらに、胸が締め付けられた。

「でも、それもミコトちゃんと関わるうちに解けていったわ。帰ってくると決まって話すのは貴方と、学校でどんな会話をしたのか、ということばかり」
「え、マジか……!?」
「貴方ずいぶんと、うちのお嬢様にアプローチをかけてるそうね?」
「……………………」

 ダースの微笑みに、背筋が凍った。
 不明瞭な返答で濁すか、黙ることしかできない。

 ちょっと待ってねミレイさん。保護者に話すって、小学生ですか……!

「まぁ、ミコトちゃんにお願いしてるのは私たちだから。それくらいは役得だと思ってくれていいわよ? ――アレンは、どう思ってるか知らないけど」
「はい。以後、気をつけますね」

 帰り道で、これからは背後に気をつけよう。
 本気でそう思った。

「あぁ、それじゃ。私はそろそろお暇するわね? これ、お嬢様に……」
「そうだ、ちょっと時間あるか? ダース」
「……? なにかしら」

 と、そこで帰ろうとした彼に訊ねる。
 首を傾げる相手に、俺は自分たちにしか聞こえない声量でこう伝えた。

「少し、話がある」


◆◇◆


 体育館の裏は、本当に人気がない。
 秘密の会話をするには、もってこいの場所だった。

「それで、話って? まさか、本命は私だ――」
「安心してくれ。それだけは、絶対に、なにがあってもあり得ない」

 冗談を口にするダースに、冷めたツッコみを入れる。
 しかし、お遊びはここまでだ。

「なぁ、ダース? 正直に答えてくれ」

 俺は呼吸を整えつつ、静かにこう訊ねた。





「『裏切り者』は、お前で間違いないよな」――と。


 






「あら、どうしてそう思うのかしら?」

 俺の言葉にダースは微笑む。
 理由を訊ねるその声には、どこか冷たい色があった。
 まるでこちらを殺さんとするような敵意を向けたそれに、固い唾を呑み込む。しかし出てしまった言葉は、もう戻らないのだ。俺は真っすぐに受け止めて、

「理由はいくつかあるけど――」

 そう切り出した。

「一番おかしいって思ったのは、ミレイが誘拐された時だよ」
「……そう。あの時、私も怪我をしていたけれど?」

 ダースは首を傾げる。
 そんな彼に向かって俺は、深呼吸1つ、こう続けた。

「怪我をしていたとかは関係ないんだ。おかしいんだよ。敵がわざわざ、ミレイをどこに連れ去ったかを話すわけがない。それなのに、ダースはミレイがどこに連れ去られたのか、断言してみせた。事実そこにミレイはいた。けれどもそれを知っているってことは、つまり――」

 俺は拳銃を取り出し、こう宣言する。


「内通者以外に、あり得ない」――と。


 凶器を向けて。
 ダースは笑みを崩さずにそれを聞いていた。
 なるほどね、と。小さく頷いてから、こう言った。

「たしかに、その可能性はあり得るわ。私が御堂財閥に情報を流していたかもしれない。――でもね、ミコトちゃん? こうとも考えられないかしら」
「……それは、どういう意味だ?」

 余裕を持った声色で、彼はそれを口にする。


「私はあえて御堂に情報を流した――『スパイ』だ、ってね?」


 そして、それは俺に迷いをもたらした。

「どういう、ことだ……?」
「ここまでバレてるなら、もうハッキリ言うわ。ミコトちゃんの言う通り、御堂に情報を流したのは――他でもない、私よ」
「………………」

 沈黙していると、ダースはさらに続ける。

「私は御堂財閥と『イ・リーガル』の反体制派が、繋がっている情報を得ていたの。そして、そこに大きな金の流れがあることも掴んでいた。だから――」
「あえて、ミレイを危険な目に遭わせた、ってのか!」
「それは申し訳ないことをしたわ。あそこまで相手が早く動くとは、思っていなかったの。でも、結果として御堂財閥から反体制派への金の流れは止められた」
「結果論じゃダメだろ! 彼女の命がかかってるんだぞ!!」
「………………」

 彼の主張に俺は声を荒らげた。
 信じられない。そんな危険を冒すなんて、信じられなかった。
 何よりも守らなければならない女の子の命を、組織を守ることと天秤にかけるなんて。少なくとも、俺には思いつきもしない考えだった。

 俺の怒りにダースは沈黙する。
 そのままの状態で、しばしの間が生まれた。

 どれほどの時間をそうやって過ごしただろうか。
 不意に、ダースはこう言った。

「ミコトちゃんは、ミレイお嬢様のことが好きなのよね?」

 それは、あまりに場違いな質問。
 俺は思わず呆気に取られて、銃を下げてしまった。

「私はね、実はボスのことが好きなの。心から敬愛している」

 それを見て、彼はこちらに歩み寄りながら語り始める。

「だから、そんな方の娘であるミレイお嬢様を殺めるなんて、できないの」

 ダースは、俺の手から銃を取った。
 そしておもむろに、自らの側頭部に銃口を突き付ける。

「これは、絶対の忠誠よ。でも、もしそれが間違いなのだとしたら――」


 彼はまた、優しく微笑んで引き金に指をかけた。



「私はここで退場するわ」



 目を疑った。
 俺には分かった。
 彼が本気なのだと、俺には分かった。

「ダース……!?」

 何故なら、彼の寿命が一気になくなっていったのだから。




 一発の銃声が、体育館裏に鳴り響いた。




 心臓が張り裂けんばかりに、脈打っている。
 呼吸が荒くなっていた。
 ダースは……。


「あらら。うふ、冗談に決まっているじゃない?」


 俺に腕を押さえ付けられながら、そう笑った。
 そんな彼を見て、俺は――。

「馬鹿か!? 冗談じゃなかっただろ! 何考えてるんだ!!」

 怒りを吐き出した。
 間違いなく、ダースはここで死のうとしていた。
 こちらが止めに入らなければ、間違いなく、命を絶っていたのである。

「ここまでしないと、ミコトちゃんは信用しなさそうだから?」

 首を傾げるダース。
 そこには、いつもの笑みが浮かんでいた。
 全身に冷や汗をかいている俺とは、まるで真逆。涼しい顔だった。

「でも、これで信じてもらえるかしら」
「…………分かったよ」

 大きく肩を落とす。
 銃を受け取って仕舞うと、思い出したようにダースはこう言った。

「あぁ、そうね。ミコトちゃんには、これを渡しておこうかしら」
「ん……? なんだ、これ。写真……?」
「えぇ、私とボス。それと――」

 懐かしそうに、目を細めながら。

「ミレイお嬢様の、お母様よ」

 受け取った写真に目を落とすと、そこには仲睦まじい3人の姿があった。
 肩を組んで、本当に幸せそうに……。

「……はぁ。本当に、お前はバカかよ」

 俺は思わずそう漏らした。
 最初から、この写真を見せれば良かったのに、と思う。
 これほどまでに、幸せな関係を見せられたらすぐに、信じたはずだった。

「うふふ。これはね、他の人には絶対に見せない宝物なの」

 それでも、ダースはそう笑う。
 なんだろうか。肩の力が、一気に抜けていく感があった。

「そう、ね。ミコトちゃんには伝えておこうかしら――」


 だが、その時。
 おもむろに、彼は俺の耳元で囁くのだ。
 そして、それは――。






「アレンの動向には、注意しておきなさい」






 俺の身体を凍らせるには、十二分なものだった。


 






 ――アレンの動向に注意しなさい。
 俺の頭の中では、その言葉がぐるぐると回っていた。
 ダースの可能性も捨てたわけではないが、それでもあの行動と寿命の変化を見れば、その線は薄いと考えるのが普通。そのため、身近な誰かというのがアレンになるのも、自然な推測だと思われた。思われるのだが……。

「なんだ、この違和感は……」

 どうしようもない、違和感が拭えなかった。
 仲間を疑いたくはないという気持ちが先行しているのか。それとも、あのような拷問を受けていたアレンを、そしてハジメを殺した彼を疑うことへの疑問なのか。
 考えれば考えるほどに、思考は泥沼の中に沈んでいった。

 ならば『裏切り者』がいるということさえも、嘘なのではないだろうか。

「いや、それはない」

 そこまで考えてから、仕切り直すように俺は首を左右に振った。
 何故なら、あの状況でアカネが嘘をつくとも思えないから。虚言を口にしたところで、アカネに旨味などないのだ。だから、彼女の忠告は重要な情報だった。

 そうなると『スパイ』であるダースを『裏切り者』と称したのか。
 つまりは、アカネの勘違いだ。

「………………」

 だがそれも違うように思われた。
 それとなると、ダースの口にした言葉の意味が分からなくなる。

 だとすると、つまり――。


「――だーっ!? どういうことだよ!!」


 そこで俺の脳みそは悲鳴を上げた。
 教室内の飾りつけをしながら、俺はついついそう叫ぶ。

「いや、お前がどういうことだよ」
「…………すまん」

 すると、隣で作業をしていた田中にツッコまれた。
 肩を落として謝罪する。すると、

「お前、さっきからブツブツ何か言ってたけど、疲れてるんじゃないか? ここは俺がやっておくから、あっちで休んでこいって。ずっと働き詰めだろ」
「……うい。そうする」

 そう提案されたので、素直に従うことにした。
 学園祭の準備は大詰めを迎えており、いよいよ高校に寝泊まりしての作業である。一部の生徒と交代で、今日は俺とミレイ、そして田中などが参加していた。

 というか、俺に至っては毎日なのだが……。

「それなら、心配されても当然か」
「お疲れ様です。ミコトくん! お茶をどうぞ」
「あぁ。ありがとう、ミレイ。そっちも今、休憩か?」

 さて、廊下に出て休憩用の椅子へと向かうとミレイと遭遇した。
 俺の表情を見た彼女は、すぐに飲み物を提供してくれる。

「はい、そうです。衣装の方は、あと少しで完成しそうです!」
「そっか、お疲れ様!」

 受け取って、嬉しそうに答える少女を見ていたら、なんだかこっちも嬉しくなってきた。俺は思わずそんな彼女の頭を撫でる。
 幸い他の生徒は作業中らしく、廊下には俺たちしかいない。
 共に椅子に腰かけると、ミレイは自然とこちらに身を預けてきた。

「ふふふっ。なんだか、不思議な気持ちになりますね……」
「……そう、だな」

 ふわりと香るシャンプーのそれに魅惑されながら、俺は短くそう答える。
 すると彼女は嬉しそうに、しかし静かにこう続ける。

「こんなに楽しいのは、本当に初めてです」

 それは心の底からの言葉だと、俺には分かった。
 ミレイにとって、普通の学生らしく過ごすことがどれほど貴重なのか。
 そのことを一番知っているのはいま、もしかしたら俺だけなのかもしれない。いいや、アレンやダースも分かってるとは思うのだが……。

「ぜーんぶ、ミコトくんのお陰です」

 きっと、この時を過ごせるのは俺だけだから。
 彼女の眠気を誘うような甘い声色に、同調するように頷いた。

「ミレイも普通の女の子だもんな。それを俺は、知ってるよ」
「ありがとうございます。ミコトくん……」
「いいや、こちらこそ」

 静かに時が流れていく。
 こんな時間をあと、どれくらい享受できるのだろうか。
 俺は自分の寿命のことを思い出す。体育祭のあとに確認したそれは、残り5年を示していた。だが昨日の夜に見ると、また短くなっていて――。








「あと、半年――か」








 さすがに、少しだけ肝が冷えた。
 このように幸せな時間も、あと6か月を経過すれば消滅する。
 その後はどうなるのだろうか。ミレイは、果たして無事なのだろうか。どうにもそれだけが気がかりで、不安になって泣きそうだった。

 でも、だからこそ。
 いまできる最大限を、ミレイのために使おう。
 毎夜のように悩むのだが、最終的な結論はいつも同じだった。

「なぁ、ミレイ?」
「どうかしましたか、ミコトくん」

 そう考えていると、自然と俺は――。

「……いいや、なんでもない」

 しかし俺は寸前で、言葉を呑み込んだ。
 きっと、この言葉は口にしてはならないと、そう思ったから。
 もしかしたら、半年後にはミレイを苦しめる言葉になりかねなかったから。

「むぅ……」
「ん? どうしたんだよ、ミレイ」

 と、考えたのだが。
 なにやら、俺の肩に頭を乗せた彼女は不満げにうなった。
 その理由がまったく分からずに、俺は首を傾げる。すると――。




「ミコトくん、いけずです……」




 上目遣いに、潤んだ瞳でこちらを見て。
 熱のこもった声色で、ミレイはそう言った。

「へ? ――え?」
「……ここから先を、女の子に言わせるんですか?」

 膨れっ面になって。
 そんな文句を口にするのだった。

「え、いや――ごめんなさい?」
「もういいですっ!」

 反射的に、意味も分からずに謝罪する。
 でも、少女はそれで満足できなかった様子だった。
 ミレイはまるで子供みたいにいじけて、そっぽを向いてしまう。チラチラとこっちを覗きながら、なにか言葉を待っている様は小動物のようで、可愛くもあった。

 でも、今はそれを楽しんでいる場合ではない。

「なぁ、ごめんって。ミレ――」

 早く機嫌を取らなければ、と。
 そう思って、彼女の肩に触れようとした時だった。

「――――――!?」

 息を呑んだ。
 また、ミレイの寿命は――。


「おーい、坂上。そろそろ休憩終わりにしてくれないかー?」
「なっ――――!?」


 いいや違う。
 今回は、話が違った。

「ん、どうしたんだ? 坂上」
「ミレイ、だけじゃない……!?」

 俺は田中の頭上を見て、驚愕する。
 そう。何故なら――。


「もしかして……!」


 俺は慌てて、手鏡で確認した。
 そして、



「なんだよ、これ……!?」



 思わずそう口にする。

 またもや大きくミレイの寿命は短縮されていた。
 だが今回はそれだけではない。


 教室内に駆け込む。
 それで、予感は確信に変わった。


「……嘘、だろ?」


 ミレイだけじゃない。
 俺も、田中も、クラスメイトも。
 その全員の寿命が、まったく同じ時を示していた。

 






 俺たちの寿命は学園祭の当日、その終わり頃だった。
 なにが起きるのかは予想もつかないけれども、ただ一つ確信をもって言えることがある。それは『イ・リーガル』の反体制派が関与している、ということだった。
 最初は災害関係の線も疑いはしたが、他のクラスの生徒などの寿命は変化していない。そうとなれば、やはり組織が動いている可能性が高い。

 それが、俺の導き出した答えだった。

「それとなると、警戒するのは――」

 俺は寿命の変化を確認したその日から、行動を開始した。
 なにかと問われれば、監視だ。誰を監視するのか、と問われれば――。

「やっぱり、アレンだよな」

 ダースの可能性が低くなった以上、アレンを見張るというのが普通だろう。
 そんなわけで俺は彼の動向を追っていた。だが、しかし……。

「結局、不審なところは今日までなかったか……」

 学園祭の当日を迎えるまで、アレンが怪しい行動を取ることはなかった。
 もしかしたら、今回のことには関係ないのかもしれない。
 そう思い始めた時だった。



「それじゃ、行ってくるよ」
「行ってきますね、アレン」

 俺はいつも通り、公園でミレイのことを預かる。
 適当に言葉を交わして、その場を後にしようとした。すると、

「……待て、ミコト」
「ん……?」

 突然に呼び止められる。
 振り返ると、アレンはどこか考え込むようにしていた。
 その姿に思わず首を傾げてしまう。いったい、どうしたのだろうか。普段ならばこのように声をかけてくることはなかった。
 もしかしたら、俺たちの寿命について、有益な情報だろうか。
 そんな期待が僅かに生まれた時だった。


「学園祭、オレも行くからな」


 ピリッとした緊張が、肌を刺す。
 そして直後に、目を疑う結果となった。

「アレンじゃ、ないのか……?」

 震えた声で、俺はそう呟く。
 それが分かった理由は、一つしかなかった。
 アレンの頭上にある数字が、俺たちのそれと同じ時刻に切り替わったのだから。


◆◇◆


「だとしたら、誰なんだ……?」

 学園祭開催直前、俺は1人でポツリとそう漏らした。
 最後の最後、書類関係の処理を行っているのだが頭に入ってこない。これまでの予想と対策が、完全に水の泡となったのだから、仕方のないことだろう。

 しかしここで終わりというわけではない。
 アレンの寿命が短縮されたということ、それは彼へひとまずの信用を寄せても良い、ということを示していた。もっとも、全幅の信頼、というわけにはいかないが。それでも、自らの死を選ぶような作戦を決行するなど――ゼロではないが、可能性は低い。

 そうなってくると、今回は身内以外の行いである可能性が高かった。
 それこそ、体育祭の日に起きた事件のような。

「そういえば、あの時の男を殺したのは――口調からして、女か?」

 俺はふと思い出した。
 そういえば何かを被っているのかくぐもったそれだったが、相手は女である可能性が高かった。もっとも決めつけることは危険だが、それとなると……。

「ダースとアレンは、限りなく白に近い……か?」

 顎に手を当てて考え込む。
 そうなってくると、また色々と再考しなければならない。
 面倒なことになってきたな、と。一つ大きくため息をついた、その時だ。



「ミコトくんっ! 見てくださいっ!!」



 更衣室の方から、明るいミレイの声が聞こえてきたのは。

「ん、どうした? ミレ――」

 俺は重たくなった頭を持ち上げて、声のした方を見た。
 そして……。


「ぐはっ…………!?」



 完全にノックアウトを喰らった!
 今まで考えてきたこと、すべてが遠く彼方へホームラン!

「どうですか? 似合ってます?」
「いや、あの、うん……似合ってりゅ……」

 呂律が回らない。
 それほどまでの破壊力だった。

 だって、ミレイのミニスカメイド姿だぞ!?
 しかも猫耳付きで!!

 ふわふわなフリルをふんだんに使用したスカート。
 彼女が動くたびに、宙を舞う。

 駄目だ、上手く表現できない。
 鼻から血が出てきた……。

「えへへっ! ミコトくんには、一番にお見せしたかったのです!」
「あ、ありがとう……」

 俺はティッシュを鼻に突っ込みながら、サムズアップ。
 何はともあれ、致命傷で済んだ。仰げば尊死、とならなくてよかっ――。



「いいえ、お褒めいただき感謝なのです! ――『ご主人さま』!」



 そこからしばらく、俺の記憶はない。