「――金庫は、この先ですわ」
「そっか。ところで、鍵はどうなってる?」
「普段なら閉まっていますけど、こればかりは行ってみないと……」
俺たちは地下への階段を下りながら、小声でそう情報を共有する。
先ほど倒した男たちからは情報を引き出せなかった。その代りといっては何だが、アカネがどこからか取り出した縄で縛る時に、武器をごっそりと奪った。
ナイフに拳銃、そして驚いたのは手榴弾まであったこと。
誤爆しないように気をつけながら持ち歩く。
「やっぱり、ここにもいるか。そりゃそうだよな……」
音を殺すようにして進むこと10分弱。
金庫があるという地下に辿り着くと、そこには先ほどと同様に黒服がいた。
それでも、部屋が狭いこともあってか人数は2人。しかし今までと異なるのは、その男たちの体格だった。一目見て、近接戦では勝てないと分かる。
もしかしたら、防弾仕様の何かしらを身に着けているかもしれなかった。
そう考えると無策に突っ込むのは、あまりに下策といえるだろう。
だとしたらどうするか。俺はふとアカネを見た。
そして……。
「――――あ」
ある秘策を、思いついた。
◆◇◆
「いや、まさか上手くいくとは思わなかったな」
「………………」
「それにしても、騙されやすい相手で良かった」
「………………」
「アカネもありがとうな。良い反応だったな!」
「………………」
「んー? アカネさん? どうしましたかー?」
作業をしながら、俺は無言のアカネに問いかけた。
すると彼女は小刻みに震えながら、涙目になって――。
「…………どうしましたか――じゃ、ありませんわよ!?」
そう、叫んだ。
地下室の中に響き渡る甲高い声。
耳にキーンとくるそれに、俺は思わず身を縮めた。
「ど、どうしたんだよ。なにを怒ってるんだ……!?」
「怒るに決まっているでしょう!? なんの相談もなしに、あんなこと!!」
そして目を白黒させながら訊ねると、そんなリアクション。
どうやらマジで怒っていらっしゃる様子だった。
「いや、たしかに相談なしでやったのは悪かった! でも――」
「分かってますわよ! 本気だと思わせないと、意味ないですものね!?」
がーっと、捲し立てるように。
アカネはその綺麗な顔を般若のように歪めながら、詰め寄ってきた。どうやら『アレ』が最善の手だと理解しながらも、本気で怖かったらしい。
まぁ、たしかに――。
「予告なし、人質作戦――ってのは、刺激が強かったか」
◆
俺はアカネの側頭部に銃を突き付けながら、男たちの前に立っていた。
引き金に指をかけて、相手が少しでも動けば彼女を殺せる、そんな状態で。それを見た男たちは明らかに動揺していた。しかし、どこかまだ余裕もあるようにも見えた。その理由がなにかは、俺にも分かっている。
なので――。
「ここまで、ありがとうな。アカネ」
そっと、彼女の耳元でそう囁いた。
すると今までキョトンとしていたアカネさん。
一気に青ざめて、警備の男たちに向かって声を荒らげた。
「お前たち、今すぐここから立ち去りなさい!? わたくし、ここで死にたくはありませんわ!! ――死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない!?」
それは真に迫った演技――ではなく。
心の底からの、生への執着というやつだった。
◆
そんなこんなで、今に至るというわけで。
アカネはげっそりとし、大きく肩を落としながらこう言った。
「冗談ではなく、寿命が10年は縮みましたわ……」
「あぁ、それは大丈夫。縮みようがないから」
「どういう意味ですの……」
俺の切り返しに半眼で睨んでくる彼女。
そんな視線を無視して作業を進めること、さらに数分ほど。まるで部屋の入口のようで、されど重厚な造りがされた金庫の扉に、手榴弾のセットが終了した。
「あとは、起爆するだけ――と」
「貴方、本当に肝が据わってますのね」
俺が一つの手榴弾を手に額の汗を拭うと、アカネが疲れた声で言った。
肝が据わってる、と言われても首を傾げるしかない。俺はあくまで、ミレイのことを救いたい一心で動いているだけだったから。
「そんなことどうでも良いから、離れよう。そうしないと、本当に死ぬぞ?」
「断 固 拒 否 致 し ま す わ !!」
てなわけで、移動である。
そして階段の中ほどから、俺は起動した手榴弾を一つ放り込んだ。
すると、数秒の間を置いてから――。
「うおおおおっ!? 思ったよりもやべぇ!!」
「死にたくない死にたくない死にたくない!!」
轟音が鳴り響いた。
御堂邸全体が揺れたのではないかと錯覚する。
それほどの衝撃だった。だが、どうやら上手くいったらしい。
「開いてる、な。よし行こう」
金庫には、大きな穴が開いていた。
俺は自分の寿命を確認して、慎重にその中へと足を踏み入れる。
果たして、中にいたのは……。
「……ミコト、くん?」
「ミレイ! それに、アレン……!」
寿命の短い、最愛の少女。
そして、血まみれで意識を失ったアレンだった。
俺は即座に金庫内部の状況を確認した。
金品などはなく、5メートル四方の薄暗い空間が広がっている。爆破した入口から差し込む明かりで、ほんの少しばかり奥が見える、という程度だった。
そこにミレイとアレンの姿がある。
彼らは身を寄せ合って、しかしアレンの方はもう意識が朦朧としている様子だった。それでも先ほどの衝撃から彼女を守ろうとしたらしい。
その身をミレイの前に投げ出していた。
「ミコト、か……?」
「アレン喋るな! ミレイは大丈夫だから、安心しろ!」
掠れた声でこちらに話しかける彼を、俺は制止する。
ミレイは大丈夫――嘘っぱちだ。何故なら現時点でアレンよりも、ミレイの寿命の方が圧倒的に短いのだから。しかし、彼の寿命も決して長いとは言えなかった。
現状で一番、生存の目が大きいのは俺だ。
ならば、俺にできることはなにか。
考えるんだ。冷静になれ。この状況でまず、することは――!
「アカネ、アレンの治療を――」
「アカネ……? 御堂アカネ、か!?」
傷の手当てが最優先。
そう思ったのだが、どうやら地雷を踏んだようだった。
「きゃ……っ!?」
さすがは素早い。
傷だらけであるにも関わらず、アレンは即座に立ち上がるとアカネを拘束した。羽交い絞めにして、少し力を込めれば首の骨を折れる状態まで持っていく。
アカネは短く悲鳴を上げて、身動きを取れなくなった。
考えてみれば、こうなるのは必然にも思える。
アレンも馬鹿ではない。敵の情報はある一程度、頭に入れているはずだった。その可能性を考慮しなかった俺の失策。
「ちっ……!?」
腕時計で時間を確認した。
すると、分かる。アカネの寿命は、もうすぐだった。
つまりこのまま放置すれば、アレンはアカネを殺すということ。それだけは避けなければならない。彼女もまた、俺にとっては大切な仲間だった。
「落ち着くんだ、アレン。アカネは――」
「落ち着いているさ。この女が御堂財閥の娘であることは知っている――それならば、ここで始末するのが正しいだろう」
「くそ……っ!」
説得しようと試みるが、どうやらアレンは正気ではなかった。
それも当然だろう。このような大怪我を負って、精神を摩耗して、正常な判断をしろという方が無理な話だった。
敵の娘は敵だ、と。
そこだけで思考が完結していた。
――どうする?
どうしたら、そんなアレンの説得ができるのか。
考えろ、考えろ考えろ考えろ。まだ諦めるようなところではない!
「……そうだっ!」
その時だ。俺は、一つの策を思い付く。
彼がアカネを敵だと認識しているなら、それを逆手に取ればいい。もちろんリスクのある手段ではあったが、なにもせずに見殺しにするよりは可能性があった。
だから、一つ深呼吸をして俺は――笑みを浮かべる。
「アレン。それじゃ、損だ」
「な、に……?」
そして口にした。
一か八かの、提案を。
「そいつは敵の娘だ。だったら、人質とした方が価値が出る」――と。
そうそれは、俺も彼女を殺すつもりだという素振りを見せること。
これならばアレンの混乱した思考でも、アカネを生かすことへの納得が得られるかもしれなかった。失敗する可能性もあったが、成功の可能性も十分にある。
果たして、この作戦は――。
「……なるほど、な。たしかにそうだ」
上手くいった。
彼女の寿命は延長され、その拘束も緩められる。
アカネ自身は生きた心地がしない表情を浮かべていたが、俺は胸を撫で下ろした。こうなれば、あとは一つ。何よりも優先しなければいけないことだけだった。
「ミレイは、あと――」
最愛の女の子の寿命は、残り30分。
俺はゆっくりと息をついた。
ここからの展開は、まるで読めない。
誰が、どうやってミレイのことを殺すのか。
「おやおや。部下がやられたと思えば、相手は子供一人でしたか」
だが、その答えは向こうからやってきた。
「誰だ……!?」
俺は声のした方を見る。
地下室の入口――そこに立っていたのは、1人の初老の男性だった。
口髭を蓄えており、身に着けているのは金の細いラインが入った黒のスーツ。眼鏡をかけたその顔立ちは、優しげな印象を受けた。
微笑みをたたえたその男性は、余裕をもって言う。
「初めまして。私の名前は、御堂ハジメ――御堂財閥の頭取だよ」
自分こそが、キミたちの敵である、と。
そう宣言するようだった。
「お父様……!?」
「おやおや、アカネもいるのか。今日は寝ていなさいと言ったのに、悪い子だ」
そんな父の姿に、思わず声を上げたのはアカネだ。
彼女は悲喜交々といった表情で彼を呼ぶ。しかしそんな娘を見て、薄ら寒い笑みを浮かべた御堂ハジメ。芝居がかった口調と仕草で、少女のことを嘲笑った。
俺は一目見て理解する。
こいつには、娘に対する情というものがないのだ、と。
「これは、どういうことですの!? 『イ・リーガル』は、わたくしの命を狙っていたと、そう仰っていたではありませんか! それなのに――」
「あぁ、本気で信じていたのかい。それとも薄々、勘付いていたのかな」
「それって! どういう、意味ですの……?」
「分かっていて訊くのかい?」
娘の必死な訴えに、クツクツと嗤うハジメ。
そして、おもむろにこう語り始めた。
「金銭についての話があったのは本当だよ? ――『イ・リーガル』から、ね」
「それは、どういうことだ……?」
そう切り出した彼に、割って入ったのはアレン。
霞む目で必死にハジメを捉えているのか、瞬きが多く、呼吸も荒かった。
そんなアレンの体力の消耗に気付いているらしい。まったく脅威ではないと、そう言わんばかりに財閥頭取はこう口にした。
「末端は知らないのかな。我々、御堂財閥と『イ・リーガル』が密な関係であること――そして、今のボスの娘を殺す手助けをしている、ということをね」
それを聞いた、その場に居る全員が息を呑んだ。
その宣言は間違いない。自分たちもまた闇の世界の人間であり、マフィアと癒着関係にあるということ、それの自白だった。
おそらく御堂財閥に依頼したのは、反体制派だろう。
しかし、その相手が反抗集団であることは重々承知であると、ハジメの目は語っているような気がした。罪悪感を抱いている様子は、微塵も見られない。
その証拠に、彼はこうも語った。
「私たち御堂財閥は、反体制派に金銭の援助をする。その代りに事が上手く運んだ場合に、相応の報酬を得ることになっているんだ。さらに今、そこには莫大な金が転がっている――赤羽ミレイという、何千億という価値ある命がね!」
それはもう、腐りきった言葉。人の命を軽んじたもの、外道のそれだった。
こいつの目には、頭の中には、金のことしかない。人の心など、どこかに置き去りにした。その証拠に優しげだった笑みはいつの間にか、邪悪な色を帯びている。
吐き気がした。
こんな、ここまでの屑が生きていることに。
「お、父様……」
そんな父の本性を見たアカネは、感情のない表情で大粒の涙を流していた。
そしていよいよ許容範囲を超えたのか、その場にへたり込んだ。
アレンはそれを支えて、優しく肩に手を置く。
「う、うぅ……!」
少女のすすり泣く声が、金庫の中に響いた。
しかしそんな娘など気にも留めず、ハジメは銃を取り出して構える。不自然に首を傾げながら、ケタケタと笑った。そして、
「いやぁ、実に愉快だね。何も知らないキミたちを見ているのは!」
俺たち全員を小馬鹿にする。
銃口をゆっくりと、ミレイの方へと向けて――。
「まさか『あんな近くにいる裏切り者』に気付かないなんて、ね」
言って、引き金に指をかけた。
その瞬間だ。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」
「なっ――!?」
完全にこちらから目を切った、その時。
俺は全速力で、一直線に、ハジメへと突進した。そして――。
「ふざ、けんなああああああああああああああああああああああっ!!」
渾身の力を込めて、その綺麗な顔をぶん殴った。
そこには、冷静さなどない。そこには、計算などもない。
ただただ怒りを込めて。ただただこの男が許せなくて。ただただ、アカネの心を傷付けたコイツが、ムカついて仕方なかった。
この行動が正解かなんて、分からない。
それでも、俺はもう我慢の限界だったのだ。
「てめぇ、自分が何を言ってるのか、分かってんのか!?」
馬乗りになって、ハジメへと拳を振り下ろす。
まるで想定していなかった事態に、彼は防戦一方になった。
そんな外道に、何度も何度も何度も、俺は全力の拳を叩きつける。だが――。
「やめて、ミコト――っ!」
「な――!?」
声が聞こえた。
それは、父を守ろうとする娘の叫びだった。
その懇願に、俺は思わず動きを止めてしまう。すると、
「……良い子だ、アカネェッ!」
当然に、隙が生まれた。
ハジメは銃を俺の脇腹に宛がうと、迷うことなく引き金を引く。
「かはっ……!?」
直後に、発破音と共に激痛。
そして全身から、脂汗が噴き出した。俺はどうしようもなく――。
「ミコトくんっ!!」
ミレイの悲鳴を聞きながら、その場に横倒しになった。
「あはははははははははははははは!! 馬鹿なガキめ! あんな小娘の悲鳴ごときで隙を見せるなんて、甘ちゃんにも程がある!!」
立ち上がったハジメは、こちらを見下ろしそう罵声を浴びせてくる。
俺はそれを忌々しげに睨み上げた。しかし、身体に力は入らない。幸いなことに急所は外れているらしく、出血は思ったほどではなかった。
それでも、弾が貫通したことによる痛みは恐ろしい。
前にも喰らったことはあったが、やはり意識が飛びそうになる。
「ぐっ……!?」
だが、ここで気を失うわけにはいかない。
諦めたらすべてが終わりだった。だから俺は唇を噛み、目を見開く。
口の中に鉄の味が広がった。心臓は早鐘のように脈打ち、呼吸はそれに応えるように上がっていく。それでも思考は止めなかった。
相手は拳銃を持っているが、たった1人だ。
慢心か油断、はたまたその両方か。部下を引き連れている様子はなかった。
だがしかし状況は圧倒的に不利。傷だらけのアレンは、ミレイに銃口を向けられていることで動けなくなっていた。アカネは――ついに気を失ったか。
俺は身動ぎ一つに相当な体力を使う。
少しでもなにかをすれば、意識が飛んでしまいそうだった。
「まだだ、考えろ――!」
絶望的な状況。
その中で俺が選んだのは――。
「アレン、受け取れ!!」
「ミコト……!?」
先ほど、黒服から奪った拳銃をアレンの方へと転がすこと。
これがまずは最善の第一手。そして、次に起こり得る可能性に備えて――。
「ぐ……う、おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!?」
「ミコトくん……!?」
想像を絶する痛みに、眉をしかめながらミレイの方へと駆けた。
すると、ハジメはやや慌てて行動を開始する。
それはミレイへの銃撃――!
「死ねぇ――――っ!」
ダン、という音。
その直後に、俺は背中に激痛を感じた。
覚悟はしていたものの、これはかなり、きつい……。
「ミコトくん、ミコトくん……!!」
倒れ込む俺を支えるようになったミレイ。
彼女は涙声になりながら、俺の名前を繰り返していた。
遠退く意識。その中で最後に見たのは、愛しい女の子の泣き顔だった。
「は――馬鹿め、これで……!」
「御堂ハジメ、これで終わりだ」
後方で、そんな声がする。
アレンだろう。彼はハジメを――。
一発の銃声。
それを耳にして、俺の意識はプツリと途切れた。
ミレイの足もそれなりに治った頃。
俺たちは、アカネの主催するパーティーに招待された。
脇腹を撃たれた傷は生々しく痛みはするが、我慢できないほどではなくなっている。そのため俺は、着慣れない正装をして、御堂邸を訪れていた。
「あんなことがあったのに、持ち直すもの――なんだな」
エントランスホールからダンスホールへ。
あの事件が嘘だったように思える賑やかさに、思わずそう漏らしてしまった。
「…………頭取が死んだのに、な」
俺の記憶は途切れ途切れになっているため、非常に曖昧だ。
それでも、世界的に有名な財閥の頭取の死は、大きくニュースでも取り上げられていた。死因は頭部を撃たれたことによるもの。
しかし、犯人はいまだ不明とされていた。
第一発見者とされた御堂アカネも、調査に有益な情報を持ち合わせていない。そうしているうちに、あらゆる証拠は隠蔽され、闇に葬られていったのだ。
俺たち『イ・リーガル』と、財閥の協力者の手によって。
「でも、そこから立て直したのは――」
アカネの実力だろう、と。
俺には、そんな確信に近い思いがあった。
父の死後に彼女は、財閥内にいるハジメ派の人間を排斥。そこから全体に向けて大号令を出し、事業を見事に立て直してみせたのだ。
いまや彼女は、社交界で知らない者はいない有名人だった。
「にしても、海晴の奴はしつこかったな……」
そんな相手からの誘いに、我が家はざわついた。
中でも海晴は自分も行くと言って騒ぎ、実力行使するまで納得しなかったのである。結果として俺はミレイとアレン、あの場にいた面子でここへやってきた。
隣を歩くドレスを着たミレイが、俺の呟きを耳にしたのか小さく笑う。
そして、こう言った。
「海晴ちゃん、私にもお願いしてきたんですよ?」
「え……? ミレイ、海晴の連絡先知ってるの?」
「はい。SNSで繋がってて、仲良いですよ」
「マジか……」
思わぬ新事実に、俺は苦笑い。
肩を落とし、ため息をつくのだった。
「ミコト、諦めろ。お嬢様と海晴はすでに『マブ』というやつだ」
「お前、なんでそんな変な日本語知ってるんだよ……」
すると、所々に包帯を巻いたアレンが口を挟む。
だが言葉のチョイスにツッコんでしまった。なんだよ『マブ』って。いや、意味は辛うじて知ってるけど、フランス人の彼が使うと違和感バリバリだった。
さて、ダンスホールの入口付近でそんな話をしていると、だ。
「いらっしゃいですわ。3人とも」
本日パーティー、その主催者が姿を現した。
身に着けているのはミレイ同様にドレスなのだが、やはり上流階級の人間だ、ということなのだろう。生地や装飾の細かさ、そして微かにあしらわれた宝石の類が気品を感じさせた。元々の素材も悪くないために、アカネは周囲の視線を一身に受けている。
「本日はお招きいただき、ありがとうございます。御堂先輩」
「赤羽さんは、ついでなのですけど。諸々のお詫びもありましたから」
「お詫びだなんて。私は別になんとも思っていませんよ? ――ふふふっ」
「あらあら。そうでしたの? そう仰られるのなら、今からでもお帰りいただいて構いませんわよ? お時間取らせて申し訳ございませんですわ」
「それとこれは、話が別なのですよ――先輩?」
「あら、そうですの。ふふふっ」
――え……? なに、この険悪な空気。
にこやかに言葉を交わすミレイとアカネの間には、なにやら火花が散っているように思われた。いいや、比喩ではなく明確に散っていた。
その理由が分からずに、俺は言葉を挟むことができない。
すると、そんなこちらに声をかけたのはアレン。
彼はポンと優しく肩に手を置いてきて、こう口にした。
「兄弟――強く生きるんだぞ」
――はい? なんですか、それ。
どこか憐れむような色さえうかがえる彼の目に、俺は首を傾げるしかなかった。
だが、そうしていると不意にアカネがこう話しかけてくる。
「ところで、ミコト。少しお話よろしいですか?」
「え、俺だけ?」
まさかの指名に、俺は思わず呆気に取られた。
◆◇◆
「先日は、わたくしの父がご迷惑をおかけしましたわ」
ダンスホールを抜け出してベランダに出ると、アカネは開口一番、そう言った。
小さく頭を下げる彼女に、俺はどこか申し訳なってしまう。
「いや、いいよ。それよりも、良かったのか?」
だから、話題を変えた。
それとはなにか。言葉にしなかったが、アカネは意を汲み取ったらしい。ほんの少しだけ目を伏せた後おもむろに、どこか寂しげに口を開くのだった。
「父がしたことは許されることではありません。ですから、アレンさんのことを恨んではいませんわ。その点はまず、誤解のないようお願い致します」
「……………………」
彼女の言葉に、俺は沈黙をもって肯定する。
だがしかし、
「そして『イ・リーガル』との関係についてですが、こちらについては今後も情報の共有を図ろうと考えています」
「アカネは、それで良いのか?」
次に出てきたそれには、そう訊いてしまった。
すると令嬢は、小さく微笑んでこう言う。
「良いのです。父の仕事を引き継ぐのは、娘の役目ですから。――それに、ミコトに少しでも協力したいと、恩返しがしたいと思ったのですわ」
それは、彼女の覚悟そのものだった。
自分は自分の責任と向き合う。それが、一族の贖罪なのだから、と。
まだ高校3年生である少女にとって、それがいかに困難な道であるかは、少し考えただけでも分かった。だが、それがアカネの選んだ道なのなら……。
「……そう、か。何かあったら相談しろよ?」
俺には、否定する権利はない。
だから後押しするように、優しく声をかけた。
「ありがとうございます、ミコト」
アカネは胸に手を当てながら、にこやかに笑う。
その胸中にどれだけの感情を抱え込んでいるのか、誰にも覚られないように。俺は思わずそんな彼女の頭を撫でていた。
ほんの少しの抵抗はあったが、すぐに受け入れてもらえる。
そうして、しばしの沈黙があった。
だがそれを破ったのは、他でもないアカネ。
彼女は一つ息をついてから、真剣な眼差しを向けて言った。
「――ミコト。貴方に伝えておきたいことが、ありますわ」
そして、それは今後の俺たちの道に、陰を落とすもの。
一度、目を閉じてから。ゆっくりとそれを開き、アカネはこう口にした。
「間違いありません。ミコトのすぐ傍に『裏切り者』がいます」――と。
――すぐ傍に、裏切り者がいる。
俺の耳に張り付いて離れないその言葉は、学校生活が再開しても残っていた。
考えたくはない。それでも、ミレイの命にかかわる情報だった。だとすれば決して、無視できる情報ではない。だからこう、クラスメイトも敵に見えて……。
「ミコトくん。どうしたのですか? すごく、怖い顔してます」
「……え。あぁ、ごめん。考え事してた」
「考え事、ですか?」
と、そう考えているといつの間にか休み時間になっていた。
隣の席に座るミレイが、心配そうにこちらを覗きこんでくる。小首を傾げて上目遣いに。いま最も不安であろうはずなのに、彼女はやはり、彼女だった。
そんな少女に心配をかけないように、俺は話題を提供する。
「あぁ、そうだな――もうじき学園祭だろ? クラスの出し物、なにかなって」
それはまさしく、ミレイの食いつきそうな話だった。
彼女は普通の学生生活に憧れていたのだ。だからこういう風に言ってあげると、ぱっと表情を明るくする。そして、ニコニコの笑顔になって頷くのだった。
「楽しみですね! 私、こんな催しに出るの初めてなのです!」
「ははは、ホントに楽しみだな」
その笑みに釣られて、俺も笑う。
でも、心からの言葉だった。以前の俺なら、学園祭なんてリア充のイベントだ――滅んでしまえ、と思っていたに違いない。
それでもミレイのこの喜びようを見ていると、そんな気持ちも引っ込んだ。
「ミレイは何がしたい?」
「そうですねぇ、色々ありますけど――」
うーん、と。
人差し指を唇に当てて、彼女は考え込んだ。
そうしていると、どこか聞き覚えのある声が届いた。
「もちろん、キミたちのクラスは『メイド喫茶』に決まっている!」――と。
声のした方を振り返った。
そこにいたのは――。
「き、貴様はまさか……!」
「ふっ、驚いているようだな我がライバルよ!!」
タイガだった。
彼は格好つけて構えながら、最後は髪を掻き上げる。
しかし、俺はそれに対して……。
「いや、そんなに驚いてない」
「急に冷めた対応するのはやめてくれ! 友よ!!」
「いつから友になったんだよ。ライバルはどこに行ったんだよ」
淡白にツッコみを入れた。
するとタイガはショックを受けて涙目になる。
――が、すぐに気を取り直したのか。一つ息をついてこう言った。
「こういった際には、メイド喫茶だと相場が決まっているだろう?」
「どこの相場だよ。さては、最近ラブコメにハマってるな、貴様」
「ふふ。そこに気付くとは、さすがは我が盟友だ……!」
「どんどんグレードアップしていく……!?」
いやいや。
こんな馬鹿なやり取りをしている場合ではなかった。
「……それで、どうしてメイド喫茶?」
俺が訊ねると、おもむろにタイガは肩に腕を回してくる。
そして、ミレイには聞こえない小声で熱っぽく語った。
「キミは見たくないのか? ――赤羽さんの、メイド姿が!」
「そ、それは……っ」
――――見たいっす。
いや、もうね?
そんなの見たいに決まっているじゃないですか。
好きな女の子のメイド姿。ヲタク男子としては夢ですよ、たぶん。
「い――いや、しかし。無理矢理に着させるわけには……!」
だが、そこで自制心が働いた。
そんな時だ。俺の耳元で悪魔が囁いた。
「逆に考えるんだ。無理矢理だからこそ、いいじゃないか、と!」
「…………っ! タイガ、お前!」
全身に電流が流れる。
驚いて見れば、そこにはタイガのしたり顔。
「ふふん。その目は、どうやらイメージが降りてきたようだな」
彼は俺の表情すべてから感じ取ったらしい。
俺の、敗北を……!
「くそっ、そんな誘惑に勝てるわけねぇじゃないか……!」
「いいや。友よ、これは敗北ではない」
「タイガ……?」
こちらが肩を落としていると、それを励ますようにタイガは言った。
そう、これは勝ち負けではなく――。
「大いなる、第一歩だ」――と。
俺はこの時に初めて、九条大我という人間を人生の先輩だと思った。
覚悟を決めて立ち上がり、ミレイの方を見て、
「ミレイ、いいかな?」
「はい……?」
ゆっくりと、こう提案した。
「メイド服、着てくれるかい?」
真っすぐに、円らなその瞳を見つめて。
すると彼女はどこか、恥じらいを見せながらこう答えた。
「………………はい」
消え入るような、そんな声で。
俺とタイガは無言で向き合い、手を掲げた。
そして、力強くハイタッチを交わすのであった……。
果たして、普段は目立たない俺の熱弁によって、我がクラスの出し物は『メイド喫茶』となった。主に女子から反発があったが、ねじ伏せることに成功。ミレイからの賛成を得られていたことが、最終的な決定の鍵になったりもした。
いまやクラスの――学校の人気者である彼女の言葉だ。
さすがだ、と。その一言に尽きた。
「でも、諸々の準備は坂上がやりなさいよ~?」
「分かってるっての」
女子生徒からのそんな声に、俺は逆ギレしつつ答える。
準備の指揮を執ることになるというのは、ある程度は覚悟していた。だから特別に嫌というわけでもなく、淡々と物事を前に進めていく。
幸いに男子生徒は協力的だったため、どんどんと仕事は終わっていった。
だが、時には問題も発生するわけで……。
「なぁ、肝心のメイド服はどうするんだ?」
「あぁ、それか。学校の方針で、外注するのは禁止だったな……」
田中が問題提起をして、俺は考え込んだ。
裁縫が得意な男子はもちろん少ない。だとすれば女子に、となるが……。
「あ、あの! 私にやらせていただけませんか?」
そう思っていたら、ミレイが手を挙げた。
少しだけ緊張した様子で、しかしどこか嬉しそうに。
「いいけど、ミレイは裁縫とか得意なのか?」
「はい! コスプレの衣装は、ほとんどが自作でしたので!」
――あ、そうだった。
ミレイも大概にヲタなのだった。
それなら、きっと問題なく作れるだろう。
しかし人手は多いに越したことはない、ということで……。
「女子に頭を下げてくるか……」
俺はそう言って、サボりまくってる女子のもとへと行こうとした。
だがそれを止めたのは、ミレイ。
「私がお願いしてきます!」
「え、でも……。結構、骨が折れると思うぞ?」
「大丈夫ですよ。だって――」
彼女は笑顔を浮かべて、こう言った。
「せっかくのお祭りなんですもん! みんなの思い出になった方が嬉しいです!」
無邪気に、それこそ子供のように。
そこにあったのは、今まで得られなかった時間を享受することに、心の底から歓喜している少女の姿。その背中を見送りながら、俺は自然と笑みをこぼしていた。
その時だ。
「ミレイお嬢様も、ずいぶんと前向きになられたのね」
「…………なんでいるのさ」
ダースが出没した。
たしかに今は放課後ではあるものの、関係者以外は入れないはず。
俺は苦笑いを浮かべながら見ていたが、彼はなんてことはない、といった風にウインクをしながらこう言った。
「大丈夫よ。ここまで誰にも見つからないよう、スニーキングしてきたから!」
「それって、ただの不法侵入じゃねぇかよ!?」
サムズアップするダース。
俺はほぼほぼノータイムでツッコんだ。
クラスメイトは何事かと、少しだけ俺たちを見たがすぐ作業に戻る。お前らいいのか、明らかに怪しい人間が1人、ここにいるぞ……?
「なーんてね? ちゃんと警備員のオジサマに声をかけてきたわよ。ミレイお嬢様に差し入れがしたいのですけれど、ってね」
「いや。それはそれで、簡単に通すのはどうなのさ。我が校よ……」
先日の体育祭で不審者騒ぎがあったのに、だ。
結果的に死者は出なかったが、警戒をするべきだと思うのだが。なんだったら、担任伝手にでも校長にアプローチをかけた方が良いのかもしれない。
俺は学園祭準備とはまったく関係ないことで、頭を抱えるのだった。
そんな様子を見て、ダースはくすりと笑む。
「ミコトちゃんのお陰、かしらね」
「え……?」
そして、そんなことを言うので俺は首を傾げた。
彼はミレイを見ながら、目を細めて言う。
「ミレイお嬢様は色々な国で、命を狙われ続けてきたの。だから、天真爛漫だった性格も、次第に暗く大人しくなっていった」
「………………」
「頼る人が私とアレンしかいない、というのも辛かったのでしょうね。精神的に追い詰められていくのが、目で見て分かるほどだったのよ」
「……そう、だったのか」
俺はふっと息をついて、最初の頃のミレイを思い出した。
たしかに、どこかよそよそしくて、今よりもかなり大人しかったように思われる。初めてデートをした時も、笑い方がぎこちなく、遠慮がちだった。
それもこれも、過酷を極める生い立ちゆえだったのか。
今さらながらに、胸が締め付けられた。
「でも、それもミコトちゃんと関わるうちに解けていったわ。帰ってくると決まって話すのは貴方と、学校でどんな会話をしたのか、ということばかり」
「え、マジか……!?」
「貴方ずいぶんと、うちのお嬢様にアプローチをかけてるそうね?」
「……………………」
ダースの微笑みに、背筋が凍った。
不明瞭な返答で濁すか、黙ることしかできない。
ちょっと待ってねミレイさん。保護者に話すって、小学生ですか……!
「まぁ、ミコトちゃんにお願いしてるのは私たちだから。それくらいは役得だと思ってくれていいわよ? ――アレンは、どう思ってるか知らないけど」
「はい。以後、気をつけますね」
帰り道で、これからは背後に気をつけよう。
本気でそう思った。
「あぁ、それじゃ。私はそろそろお暇するわね? これ、お嬢様に……」
「そうだ、ちょっと時間あるか? ダース」
「……? なにかしら」
と、そこで帰ろうとした彼に訊ねる。
首を傾げる相手に、俺は自分たちにしか聞こえない声量でこう伝えた。
「少し、話がある」
◆◇◆
体育館の裏は、本当に人気がない。
秘密の会話をするには、もってこいの場所だった。
「それで、話って? まさか、本命は私だ――」
「安心してくれ。それだけは、絶対に、なにがあってもあり得ない」
冗談を口にするダースに、冷めたツッコみを入れる。
しかし、お遊びはここまでだ。
「なぁ、ダース? 正直に答えてくれ」
俺は呼吸を整えつつ、静かにこう訊ねた。
「『裏切り者』は、お前で間違いないよな」――と。
「あら、どうしてそう思うのかしら?」
俺の言葉にダースは微笑む。
理由を訊ねるその声には、どこか冷たい色があった。
まるでこちらを殺さんとするような敵意を向けたそれに、固い唾を呑み込む。しかし出てしまった言葉は、もう戻らないのだ。俺は真っすぐに受け止めて、
「理由はいくつかあるけど――」
そう切り出した。
「一番おかしいって思ったのは、ミレイが誘拐された時だよ」
「……そう。あの時、私も怪我をしていたけれど?」
ダースは首を傾げる。
そんな彼に向かって俺は、深呼吸1つ、こう続けた。
「怪我をしていたとかは関係ないんだ。おかしいんだよ。敵がわざわざ、ミレイをどこに連れ去ったかを話すわけがない。それなのに、ダースはミレイがどこに連れ去られたのか、断言してみせた。事実そこにミレイはいた。けれどもそれを知っているってことは、つまり――」
俺は拳銃を取り出し、こう宣言する。
「内通者以外に、あり得ない」――と。
凶器を向けて。
ダースは笑みを崩さずにそれを聞いていた。
なるほどね、と。小さく頷いてから、こう言った。
「たしかに、その可能性はあり得るわ。私が御堂財閥に情報を流していたかもしれない。――でもね、ミコトちゃん? こうとも考えられないかしら」
「……それは、どういう意味だ?」
余裕を持った声色で、彼はそれを口にする。
「私はあえて御堂に情報を流した――『スパイ』だ、ってね?」
そして、それは俺に迷いをもたらした。
「どういう、ことだ……?」
「ここまでバレてるなら、もうハッキリ言うわ。ミコトちゃんの言う通り、御堂に情報を流したのは――他でもない、私よ」
「………………」
沈黙していると、ダースはさらに続ける。
「私は御堂財閥と『イ・リーガル』の反体制派が、繋がっている情報を得ていたの。そして、そこに大きな金の流れがあることも掴んでいた。だから――」
「あえて、ミレイを危険な目に遭わせた、ってのか!」
「それは申し訳ないことをしたわ。あそこまで相手が早く動くとは、思っていなかったの。でも、結果として御堂財閥から反体制派への金の流れは止められた」
「結果論じゃダメだろ! 彼女の命がかかってるんだぞ!!」
「………………」
彼の主張に俺は声を荒らげた。
信じられない。そんな危険を冒すなんて、信じられなかった。
何よりも守らなければならない女の子の命を、組織を守ることと天秤にかけるなんて。少なくとも、俺には思いつきもしない考えだった。
俺の怒りにダースは沈黙する。
そのままの状態で、しばしの間が生まれた。
どれほどの時間をそうやって過ごしただろうか。
不意に、ダースはこう言った。
「ミコトちゃんは、ミレイお嬢様のことが好きなのよね?」
それは、あまりに場違いな質問。
俺は思わず呆気に取られて、銃を下げてしまった。
「私はね、実はボスのことが好きなの。心から敬愛している」
それを見て、彼はこちらに歩み寄りながら語り始める。
「だから、そんな方の娘であるミレイお嬢様を殺めるなんて、できないの」
ダースは、俺の手から銃を取った。
そしておもむろに、自らの側頭部に銃口を突き付ける。
「これは、絶対の忠誠よ。でも、もしそれが間違いなのだとしたら――」
彼はまた、優しく微笑んで引き金に指をかけた。
「私はここで退場するわ」
目を疑った。
俺には分かった。
彼が本気なのだと、俺には分かった。
「ダース……!?」
何故なら、彼の寿命が一気になくなっていったのだから。
一発の銃声が、体育館裏に鳴り響いた。
心臓が張り裂けんばかりに、脈打っている。
呼吸が荒くなっていた。
ダースは……。
「あらら。うふ、冗談に決まっているじゃない?」
俺に腕を押さえ付けられながら、そう笑った。
そんな彼を見て、俺は――。
「馬鹿か!? 冗談じゃなかっただろ! 何考えてるんだ!!」
怒りを吐き出した。
間違いなく、ダースはここで死のうとしていた。
こちらが止めに入らなければ、間違いなく、命を絶っていたのである。
「ここまでしないと、ミコトちゃんは信用しなさそうだから?」
首を傾げるダース。
そこには、いつもの笑みが浮かんでいた。
全身に冷や汗をかいている俺とは、まるで真逆。涼しい顔だった。
「でも、これで信じてもらえるかしら」
「…………分かったよ」
大きく肩を落とす。
銃を受け取って仕舞うと、思い出したようにダースはこう言った。
「あぁ、そうね。ミコトちゃんには、これを渡しておこうかしら」
「ん……? なんだ、これ。写真……?」
「えぇ、私とボス。それと――」
懐かしそうに、目を細めながら。
「ミレイお嬢様の、お母様よ」
受け取った写真に目を落とすと、そこには仲睦まじい3人の姿があった。
肩を組んで、本当に幸せそうに……。
「……はぁ。本当に、お前はバカかよ」
俺は思わずそう漏らした。
最初から、この写真を見せれば良かったのに、と思う。
これほどまでに、幸せな関係を見せられたらすぐに、信じたはずだった。
「うふふ。これはね、他の人には絶対に見せない宝物なの」
それでも、ダースはそう笑う。
なんだろうか。肩の力が、一気に抜けていく感があった。
「そう、ね。ミコトちゃんには伝えておこうかしら――」
だが、その時。
おもむろに、彼は俺の耳元で囁くのだ。
そして、それは――。
「アレンの動向には、注意しておきなさい」
俺の身体を凍らせるには、十二分なものだった。
――アレンの動向に注意しなさい。
俺の頭の中では、その言葉がぐるぐると回っていた。
ダースの可能性も捨てたわけではないが、それでもあの行動と寿命の変化を見れば、その線は薄いと考えるのが普通。そのため、身近な誰かというのがアレンになるのも、自然な推測だと思われた。思われるのだが……。
「なんだ、この違和感は……」
どうしようもない、違和感が拭えなかった。
仲間を疑いたくはないという気持ちが先行しているのか。それとも、あのような拷問を受けていたアレンを、そしてハジメを殺した彼を疑うことへの疑問なのか。
考えれば考えるほどに、思考は泥沼の中に沈んでいった。
ならば『裏切り者』がいるということさえも、嘘なのではないだろうか。
「いや、それはない」
そこまで考えてから、仕切り直すように俺は首を左右に振った。
何故なら、あの状況でアカネが嘘をつくとも思えないから。虚言を口にしたところで、アカネに旨味などないのだ。だから、彼女の忠告は重要な情報だった。
そうなると『スパイ』であるダースを『裏切り者』と称したのか。
つまりは、アカネの勘違いだ。
「………………」
だがそれも違うように思われた。
それとなると、ダースの口にした言葉の意味が分からなくなる。
だとすると、つまり――。
「――だーっ!? どういうことだよ!!」
そこで俺の脳みそは悲鳴を上げた。
教室内の飾りつけをしながら、俺はついついそう叫ぶ。
「いや、お前がどういうことだよ」
「…………すまん」
すると、隣で作業をしていた田中にツッコまれた。
肩を落として謝罪する。すると、
「お前、さっきからブツブツ何か言ってたけど、疲れてるんじゃないか? ここは俺がやっておくから、あっちで休んでこいって。ずっと働き詰めだろ」
「……うい。そうする」
そう提案されたので、素直に従うことにした。
学園祭の準備は大詰めを迎えており、いよいよ高校に寝泊まりしての作業である。一部の生徒と交代で、今日は俺とミレイ、そして田中などが参加していた。
というか、俺に至っては毎日なのだが……。
「それなら、心配されても当然か」
「お疲れ様です。ミコトくん! お茶をどうぞ」
「あぁ。ありがとう、ミレイ。そっちも今、休憩か?」
さて、廊下に出て休憩用の椅子へと向かうとミレイと遭遇した。
俺の表情を見た彼女は、すぐに飲み物を提供してくれる。
「はい、そうです。衣装の方は、あと少しで完成しそうです!」
「そっか、お疲れ様!」
受け取って、嬉しそうに答える少女を見ていたら、なんだかこっちも嬉しくなってきた。俺は思わずそんな彼女の頭を撫でる。
幸い他の生徒は作業中らしく、廊下には俺たちしかいない。
共に椅子に腰かけると、ミレイは自然とこちらに身を預けてきた。
「ふふふっ。なんだか、不思議な気持ちになりますね……」
「……そう、だな」
ふわりと香るシャンプーのそれに魅惑されながら、俺は短くそう答える。
すると彼女は嬉しそうに、しかし静かにこう続ける。
「こんなに楽しいのは、本当に初めてです」
それは心の底からの言葉だと、俺には分かった。
ミレイにとって、普通の学生らしく過ごすことがどれほど貴重なのか。
そのことを一番知っているのはいま、もしかしたら俺だけなのかもしれない。いいや、アレンやダースも分かってるとは思うのだが……。
「ぜーんぶ、ミコトくんのお陰です」
きっと、この時を過ごせるのは俺だけだから。
彼女の眠気を誘うような甘い声色に、同調するように頷いた。
「ミレイも普通の女の子だもんな。それを俺は、知ってるよ」
「ありがとうございます。ミコトくん……」
「いいや、こちらこそ」
静かに時が流れていく。
こんな時間をあと、どれくらい享受できるのだろうか。
俺は自分の寿命のことを思い出す。体育祭のあとに確認したそれは、残り5年を示していた。だが昨日の夜に見ると、また短くなっていて――。
「あと、半年――か」
さすがに、少しだけ肝が冷えた。
このように幸せな時間も、あと6か月を経過すれば消滅する。
その後はどうなるのだろうか。ミレイは、果たして無事なのだろうか。どうにもそれだけが気がかりで、不安になって泣きそうだった。
でも、だからこそ。
いまできる最大限を、ミレイのために使おう。
毎夜のように悩むのだが、最終的な結論はいつも同じだった。
「なぁ、ミレイ?」
「どうかしましたか、ミコトくん」
そう考えていると、自然と俺は――。
「……いいや、なんでもない」
しかし俺は寸前で、言葉を呑み込んだ。
きっと、この言葉は口にしてはならないと、そう思ったから。
もしかしたら、半年後にはミレイを苦しめる言葉になりかねなかったから。
「むぅ……」
「ん? どうしたんだよ、ミレイ」
と、考えたのだが。
なにやら、俺の肩に頭を乗せた彼女は不満げにうなった。
その理由がまったく分からずに、俺は首を傾げる。すると――。
「ミコトくん、いけずです……」
上目遣いに、潤んだ瞳でこちらを見て。
熱のこもった声色で、ミレイはそう言った。
「へ? ――え?」
「……ここから先を、女の子に言わせるんですか?」
膨れっ面になって。
そんな文句を口にするのだった。
「え、いや――ごめんなさい?」
「もういいですっ!」
反射的に、意味も分からずに謝罪する。
でも、少女はそれで満足できなかった様子だった。
ミレイはまるで子供みたいにいじけて、そっぽを向いてしまう。チラチラとこっちを覗きながら、なにか言葉を待っている様は小動物のようで、可愛くもあった。
でも、今はそれを楽しんでいる場合ではない。
「なぁ、ごめんって。ミレ――」
早く機嫌を取らなければ、と。
そう思って、彼女の肩に触れようとした時だった。
「――――――!?」
息を呑んだ。
また、ミレイの寿命は――。
「おーい、坂上。そろそろ休憩終わりにしてくれないかー?」
「なっ――――!?」
いいや違う。
今回は、話が違った。
「ん、どうしたんだ? 坂上」
「ミレイ、だけじゃない……!?」
俺は田中の頭上を見て、驚愕する。
そう。何故なら――。
「もしかして……!」
俺は慌てて、手鏡で確認した。
そして、
「なんだよ、これ……!?」
思わずそう口にする。
またもや大きくミレイの寿命は短縮されていた。
だが今回はそれだけではない。
教室内に駆け込む。
それで、予感は確信に変わった。
「……嘘、だろ?」
ミレイだけじゃない。
俺も、田中も、クラスメイトも。
その全員の寿命が、まったく同じ時を示していた。