それは下校中のこと。
 俺は例によって、ミレイを公園まで送り届けていた。
 送り届けるとはいっても、寿命に気を割いてさえいれば普通に帰っているのと変わりない。護衛をしている感覚より、好きな子と一緒に帰る、そんな一つのイベント染みた感覚に近かった。

「ところでミコトくん。体育祭は、何に出るか決めましたか?」
「あぁ、そうか。明日それ決めるんだっけか……」

 その最中、ミレイがそう話題を振ってきた。
 俺はそれを聞いて、ようやく体育祭の存在を思い出す。
 我が校ではいくつかの競技に立候補して、参加しなければならないことになっていた。そこには強制力があり、帰宅部である俺などには辛いもの。
 最大限、体力を使わないそれの取り合いに勝利しなければならなかった。
 しかしミレイの手前、大声でそれを口にするのははばかられる。

「……ミレイは、なにに出るつもりなんだ?」

 なので、ここはあえて質問を返してみた。
 すると彼女は特に気にする様子もなく、小さな唇に人差し指を当て、空を見上げながら考える。そして、一つ頷いたかと思えば、満開の花を咲かせて言った。

「私は学年対抗リレーに参加したいです! あとは、借り物競争!」
「ずいぶんと落差があるな。それって、花形競技とお遊び競技じゃないか?」
「えへへっ! 日本のアニメとか見てると、借り物競争は楽しそうだったので! 学年対抗リレーは、クラスの女の子に推薦されているんです!」
「へぇ、推薦されるってことは――ミレイって結構、足速いの?」
「運動神経には、それなりに自信がありますよっ!」

 えっへん、と。
 小ぶりな胸を張って、子供っぽく笑う彼女。
 俺はそんな姿を見て微笑ましく思った。そうしていると、だ。

「ミコトくんも、学年対抗リレー出ましょう?」
「えぇ……?」

 不意にそんな提案をされた。
 思わず変な声が漏れる。ミレイはそんな反応をした俺に、

「どうされたんですか?」

 きょとんとした顔で、上目遣いにそう訊いてきた。

「えー……? いや、俺はちょっと、ね」

 目を逸らす。あまりに無垢な表情に、要らぬ意地が出てきた。
 こんな顔をされて、運動神経に自信がないのでやめておく、なんて口にできるだろうか。そのため俺は苦笑いをして頬を掻きながら、答えを濁した。

「いや、うん。考えておくよ……」

 ぶっちゃけ、俺が出場する可能性はゼロ。
 何故なら学年対抗リレーは、我が校一番の花形競技だからだ。
 俺が立候補した時点で、目立ちたがり屋の運動部員のブーイングに消されてしまう。というか、立候補すらさせてもらえないかもしれないが……。
 そんなわけだから、今はこの答えで十分だろう。

「そうですね! では、また明日に!」
「あぁ、気をつけてな」
「はいっ!」

 そうこうしているうちに、公園に着いていた。
 そこにはアレンが迎えにきており、彼にミレイのことを任せる。
 俺の役割はここまで。あとは、ゆっくりと自宅へ帰れば今日は終わりだった。

「……やあ。キミが――坂上命くん、だね?」
「ん……?」

 そう思っていたのだが、ミレイと別れた直後に声をかけられる。
 歳若い男性のそれに振り返ると、そこにいたのは同じ高校の上級生だった。胸の学生バッジの色が青だから間違いないのだが、なんだろうか。
 この上級生、どこかで見たような気がした。

「自己紹介がまだだったね、僕の名前は――|九条大我(くじょうたいが)。気軽にタイガとでも呼んでくれると嬉しいかな」
「はぁ、タイガさん、っすか」

 彼――タイガはふっと笑い、金に染めた短い髪を掻き上げる。
 長身で細身のように見えるが、腕や脚はしっかりと鍛えられている印象を受けた。なにかしらの運動部に所属しているのだろうか。
 顔立ちは整っており、パッと見は王子様系というか、そんな感じ。
 まぁ、そこまで興味は持てなかったけど。

「あぁ、よろしくね。ところで――」

 だが、不意にタイガは目を細める。
 そしてこう言った。


「坂上くんは、赤羽ミレイさんと……どういう関係なのかな?」


 とても冷たい声色で。
 それは威嚇するようなもの、だったのかもしれない。
 だが俺はとくに気にかけずに、少しの間を置いてこう答えるのだった。

「んー……今は、仲の良い友達、ですかね?」
「へぇ、なるほど。『今は』――ね」
「…………?」

 すると、どういうわけかニタリと笑うタイガ。
 そこに至ってようやく、俺は相手の様子がおかしいことに気付いた。首を傾げていると、彼は一歩、こちらへと歩み寄ってくる。そして、耳元で……。


「大怪我をしたくなかったら、赤羽ミレイさんとは関わらない方が良い」


 そう囁くのだった。

「え……、なんだって?」

 訊き返すと、タイガは少し距離を取ってこう言う。

「僕の知り合いには、この辺り一帯を占めているセンパイがいてね? キミみたいに弱々しい人間一人くらいだったら、簡単に沈められるんだ」

 その意味は、言わなくても分かるよね? ――と。
 タイガは爽やかな笑みを浮かべて語った。ここまで言われたら、頭の悪い俺でも意味が分かる。これは要するに脅しだった。ミレイを渡せ、というそれ。
 自分のバックには怖い人間がたくさんいるから、彼女から手を引け、と。
 しかし俺は、そこでまたも首を傾げてこう言ってしまった。




「はぁ、それで……?」――と。




 あまりにも間の抜けた声で。
 すると、タイガはきょとんとした。
 まさかの返答だったのだろう。しばしの沈黙が生まれた。

「キミは、馬鹿か……?」

 数十秒の間を置いてから、ようやく彼はそう口にする。
 しかし俺がさらに首を傾げると、どこか焦った様子で続けた。

「いいか? もう一度言っておくが、僕にはキミなんかすぐに殺せるような――そんな知り合いがたくさんいるんだ。怖くないのかい? 怖いだろう……?」
「…………いや、別に?」
「………………」
「…………?」

 またもや沈黙。
 俺は暇を持て余し、頬を掻いた。
 怖いはずがなかった。何故なら、それよりも怖い相手と、俺はすでに会っているから。それと比べてしまえば、不良グループの一つや二つ、なんてことない。

 しかし、それを知らないタイガは目を丸くしていた。
 話が決まると踏んでいたのだろう。しばらく、何かを考えていた。

 そして、おもむろに口角を歪めてこう言うのだ。

「いいだろう。キミの胆力は良く分かった」
「さいですか」
「それなら、こちらも正々堂々勝負しようじゃないか!」
「はぁ、それで?」

 俺は完全に生返事。
 そんなこちらに、タイガはこう宣言した。


「体育祭の、学年対抗リレーで勝負だ! 赤羽ミレイさんを賭けて!!」


 あまりにも一方的に。
 俺はそれを聞いて、改めてこう答えるのだった。



「……はぁ」――と。



 まったく、関心のない声で。