リセから引退したい、という衝撃の告白をされてから一か月が経った。新曲は無事リリースされ、初日のPVは6000万回を突破。ReMageのありとあらゆる所で流れている。現実世界も同じ状況だそうだ。
つくづく、とんでもない才能と一緒に仕事をしているのだと思い知らされる。彼女は僕の作るAIあってこそと言ってくれるけど、僕の感覚では逆だ。仮想世界最高の歌姫に見出してもらわなければ、僕は今も闇AIを作ってセキュリティに追い回される毎日だったろう。
歌姫は、相変わらず辞める気満々でいた。80日あった猶予は、すでに50日弱まで目減りしている。僕は彼女の注文通り、引退後に雨夜星リセの名を受け継ぐであろうAIボットの作成しつつ、彼女の決意を覆すことが出来ないか模索していた。
「ツアーをやろう」
「は?」
星空をちりばめた半球状のスタジオで僕が提案すると、新しいステージ衣装を試作していたリセが、いぶかしげな顔をしてきた。
「キミの引退ライブツアーだよ。ReMage内の各所を巡りながら、ライブをやっていくんだ。残りの50日で」
「何いってんの、そんな暇ないでしょ?」
「AIボットに読み込ませるライブデータが必要なんだよ」
いくらイメージが具現化する世界だといっても、影武者一人を丸ごと作るとなると、僕の想像力には限界がある。そもそもAIボットは、多人数参加型ゲームの受付や、アイテム販売店の店員といった、限定されたシチュエーションで働くことを想定しているもので、人気絶頂アーティストの仕事すべてを再現するなんて運用は普通しない。ライブや動画配信などに限ったとしても、膨大な教師データが必要となる。
教師データとは、AIが判断材料とするデータのことで、今回の場合は生身の人間が操作している「雨夜星リセ」の行動記録すべてだ。ごく原始的なAIに、写真に写っている物を判定したり、その被写体を自動的に加工したりする、画像解析AIがある。あれも何千万枚という写真を教師データとして読み込み、そこに写っているものを「教師」として、被写体の形状を判定をしているのだ。
「だから、少しでも生身のリセに近づくよう、あらゆる記録をこのボットには搭載したいんだ。特にライブに関してはね」
僕は、AIの存在を視覚的に示すCGの球体を見つめていた。その表面には過去にリセが行ったライブの映像や、彼女の発言のテキストなどが投影されている。もちろんAIとは実態がある存在じゃないから、この球体はAIそのものではない。僕が、AIを育てていくためのイメージとして用意した仮の姿だった。この球体は完成に近づけば近づくほど雨夜星リセの姿に近づいていくだろう。
「ふぅん。そういうもんなのね」
「これは僕の、AIメイカーとしての集大成だ」
一人のアーティストが活動するためは様々なAIが必要になる。衣装モデル構築AIにダンス制御AI、歌唱力補正AI……五年前にリセからもらった新しいアカウントで、僕はAIメイカーの資格を正式に取得した。僕はライブステージに必要なAIをひとつずつ、リセの思考の癖に合わせてチューニングし、彼女のパフォーマンスを最大限に活かす専用AIをいくつも作ってきた。それが僕のプロデューサーとしての仕事のほとんどすべてといってよかった。この球体は、そんな僕の全てを盛り込むことになるだろう。
「それでさ、データ最終のために必要なライブがこれだけあるんだけど」
僕は空中で右手をひらひらと動かす。その動きに呼応して、ReMage世界の全体マップが表示される。その各所に赤い光点が輝いていた。
「この光ってるところ全部で、ライブやれって?」
彼女の呆れるような声音で言った。
「うん。あらゆる環境でのデータを取りたいからね」
光点の数は両手両足の指を使っても数えきれない。50日後に引退するなら、2~3日に1回以上はライブをしないと、すべての場所を周れない計算になる。
「過去イチの酷使だねこれ……」
「その後は長い長い休みが待ってるんだ。最後のひと月半くらい我慢してよ」
「キミ、時々メチャクチャ言うよね。まぁ、アタシが言えた義理じゃないけど……」
「だからこそ、あの時僕を誘ってくれたんでしょ?」
僕はワールマップに輝く光点のひとつを指差した。オリオン街。リセが初めて僕と出会い、その翌日に初めて僕に曲を披露した場所だ。僕はこの街をツアーのスタート会場にするつもりだ。
「わかったよ。テオが必要だっていうなら、何でもやる」
「ありがとう!」
僕はほっと息をついた。AIボットを作るために必要なデータ取り、それは間違いじゃない。けどその裏に、もう一つの目的がある。雨夜星リセは、ライブを愛している。人前で歌うことを、きらびやかな衣装で美麗な演出を施したステージに立つことを、神業的なダンスを披露することを。そして何より、自分のステージを見て喜ぶファンたちを見ることを。今回はそんな歌姫としての喜びをリセに再確認してもらうためのツアーでもあるのだ。何度も何度もステージに立って歌う楽しさを噛み締めてほしい。そして願わくば……思い留まって欲しい。
「あ、そうだテオ。ここにもう1箇所、会場追加してもいい?」
「え? 別にいいけど、どこかやりたい場所があるの?」
「んーとね、マチュピチュ」
「は?」
僕の脳裏に1枚の写真が思い浮かぶ。雲の上の高山に残る、今は滅び去った文明の遺跡。
「でなければ、ヴェルサイユ宮殿でもいいよ? ピラミッドでも。ああ、グランドキャニオンでも可。あとは……世界遺産ではないらしいけどウユニ塩湖も外せないよね!」
どれも行ったことはないけど名前も景色もよく知っている、世界各地の景勝地だ。確かに、Remageのサブコンテンツの中には、家にいながら海外旅行を楽しめるサービスもあるけども……。
「なんでそんな所でやるんだ? 今用意している会場にも似たようなところはいくつでもあるだろ?」
ReMage世界の雄大な景色や幻想的な街並みは、現実の景観をモチーフにしたものも多い。マチュピチュやグランドキャニオンをモデルにした断崖絶壁に建つ空中都市や、ヴェルサイユを百倍豪華にしたような大宮殿、無数のピラミッドや神殿が鎮座する古代神話都市。そう言ったものは各所に存在する。わざわざ現実を再現しただけの、ReMage世界の基準で考えるなら地味としか言いようのない場所でライブを開くというのは、イマイチ理解できなかった。
「わかってないなぁ。もしアタシが現実世界のシンガーだったとしても、あんな所でライブなんて出来ないでしょ?」
「そうかもしれないけど……」
でも、それよりも絵になるステージをいくらでも作れる。それがReMageの良い所じゃないか。
「ホントわかってない! リアルな場所だからこそやりたいんだって! マチュピチュに立ってるって実感が欲しいの」
「実感、ねぇ……それなら、引退した後旅行でもしてくればいい。お金には困ってないだろ?」
「はぁ……もういいわ」
リセは深くため息を付いた後、拗ねたような感じでそっぽを向いてしまった。この時は突然の提案に戸惑い、思った事をべらべらと喋ってしまったけど……僕は少し後に、このときの無神経さを心の底から後悔することとなった。
つくづく、とんでもない才能と一緒に仕事をしているのだと思い知らされる。彼女は僕の作るAIあってこそと言ってくれるけど、僕の感覚では逆だ。仮想世界最高の歌姫に見出してもらわなければ、僕は今も闇AIを作ってセキュリティに追い回される毎日だったろう。
歌姫は、相変わらず辞める気満々でいた。80日あった猶予は、すでに50日弱まで目減りしている。僕は彼女の注文通り、引退後に雨夜星リセの名を受け継ぐであろうAIボットの作成しつつ、彼女の決意を覆すことが出来ないか模索していた。
「ツアーをやろう」
「は?」
星空をちりばめた半球状のスタジオで僕が提案すると、新しいステージ衣装を試作していたリセが、いぶかしげな顔をしてきた。
「キミの引退ライブツアーだよ。ReMage内の各所を巡りながら、ライブをやっていくんだ。残りの50日で」
「何いってんの、そんな暇ないでしょ?」
「AIボットに読み込ませるライブデータが必要なんだよ」
いくらイメージが具現化する世界だといっても、影武者一人を丸ごと作るとなると、僕の想像力には限界がある。そもそもAIボットは、多人数参加型ゲームの受付や、アイテム販売店の店員といった、限定されたシチュエーションで働くことを想定しているもので、人気絶頂アーティストの仕事すべてを再現するなんて運用は普通しない。ライブや動画配信などに限ったとしても、膨大な教師データが必要となる。
教師データとは、AIが判断材料とするデータのことで、今回の場合は生身の人間が操作している「雨夜星リセ」の行動記録すべてだ。ごく原始的なAIに、写真に写っている物を判定したり、その被写体を自動的に加工したりする、画像解析AIがある。あれも何千万枚という写真を教師データとして読み込み、そこに写っているものを「教師」として、被写体の形状を判定をしているのだ。
「だから、少しでも生身のリセに近づくよう、あらゆる記録をこのボットには搭載したいんだ。特にライブに関してはね」
僕は、AIの存在を視覚的に示すCGの球体を見つめていた。その表面には過去にリセが行ったライブの映像や、彼女の発言のテキストなどが投影されている。もちろんAIとは実態がある存在じゃないから、この球体はAIそのものではない。僕が、AIを育てていくためのイメージとして用意した仮の姿だった。この球体は完成に近づけば近づくほど雨夜星リセの姿に近づいていくだろう。
「ふぅん。そういうもんなのね」
「これは僕の、AIメイカーとしての集大成だ」
一人のアーティストが活動するためは様々なAIが必要になる。衣装モデル構築AIにダンス制御AI、歌唱力補正AI……五年前にリセからもらった新しいアカウントで、僕はAIメイカーの資格を正式に取得した。僕はライブステージに必要なAIをひとつずつ、リセの思考の癖に合わせてチューニングし、彼女のパフォーマンスを最大限に活かす専用AIをいくつも作ってきた。それが僕のプロデューサーとしての仕事のほとんどすべてといってよかった。この球体は、そんな僕の全てを盛り込むことになるだろう。
「それでさ、データ最終のために必要なライブがこれだけあるんだけど」
僕は空中で右手をひらひらと動かす。その動きに呼応して、ReMage世界の全体マップが表示される。その各所に赤い光点が輝いていた。
「この光ってるところ全部で、ライブやれって?」
彼女の呆れるような声音で言った。
「うん。あらゆる環境でのデータを取りたいからね」
光点の数は両手両足の指を使っても数えきれない。50日後に引退するなら、2~3日に1回以上はライブをしないと、すべての場所を周れない計算になる。
「過去イチの酷使だねこれ……」
「その後は長い長い休みが待ってるんだ。最後のひと月半くらい我慢してよ」
「キミ、時々メチャクチャ言うよね。まぁ、アタシが言えた義理じゃないけど……」
「だからこそ、あの時僕を誘ってくれたんでしょ?」
僕はワールマップに輝く光点のひとつを指差した。オリオン街。リセが初めて僕と出会い、その翌日に初めて僕に曲を披露した場所だ。僕はこの街をツアーのスタート会場にするつもりだ。
「わかったよ。テオが必要だっていうなら、何でもやる」
「ありがとう!」
僕はほっと息をついた。AIボットを作るために必要なデータ取り、それは間違いじゃない。けどその裏に、もう一つの目的がある。雨夜星リセは、ライブを愛している。人前で歌うことを、きらびやかな衣装で美麗な演出を施したステージに立つことを、神業的なダンスを披露することを。そして何より、自分のステージを見て喜ぶファンたちを見ることを。今回はそんな歌姫としての喜びをリセに再確認してもらうためのツアーでもあるのだ。何度も何度もステージに立って歌う楽しさを噛み締めてほしい。そして願わくば……思い留まって欲しい。
「あ、そうだテオ。ここにもう1箇所、会場追加してもいい?」
「え? 別にいいけど、どこかやりたい場所があるの?」
「んーとね、マチュピチュ」
「は?」
僕の脳裏に1枚の写真が思い浮かぶ。雲の上の高山に残る、今は滅び去った文明の遺跡。
「でなければ、ヴェルサイユ宮殿でもいいよ? ピラミッドでも。ああ、グランドキャニオンでも可。あとは……世界遺産ではないらしいけどウユニ塩湖も外せないよね!」
どれも行ったことはないけど名前も景色もよく知っている、世界各地の景勝地だ。確かに、Remageのサブコンテンツの中には、家にいながら海外旅行を楽しめるサービスもあるけども……。
「なんでそんな所でやるんだ? 今用意している会場にも似たようなところはいくつでもあるだろ?」
ReMage世界の雄大な景色や幻想的な街並みは、現実の景観をモチーフにしたものも多い。マチュピチュやグランドキャニオンをモデルにした断崖絶壁に建つ空中都市や、ヴェルサイユを百倍豪華にしたような大宮殿、無数のピラミッドや神殿が鎮座する古代神話都市。そう言ったものは各所に存在する。わざわざ現実を再現しただけの、ReMage世界の基準で考えるなら地味としか言いようのない場所でライブを開くというのは、イマイチ理解できなかった。
「わかってないなぁ。もしアタシが現実世界のシンガーだったとしても、あんな所でライブなんて出来ないでしょ?」
「そうかもしれないけど……」
でも、それよりも絵になるステージをいくらでも作れる。それがReMageの良い所じゃないか。
「ホントわかってない! リアルな場所だからこそやりたいんだって! マチュピチュに立ってるって実感が欲しいの」
「実感、ねぇ……それなら、引退した後旅行でもしてくればいい。お金には困ってないだろ?」
「はぁ……もういいわ」
リセは深くため息を付いた後、拗ねたような感じでそっぽを向いてしまった。この時は突然の提案に戸惑い、思った事をべらべらと喋ってしまったけど……僕は少し後に、このときの無神経さを心の底から後悔することとなった。