「那央くん」
「岩瀬?」

 近付いて声をかけると、那央くんが振り向いて僅かに目を見開いた。

「どーしたの? 彼女とケンカした?」 

 あまり深刻にならないように。わざと戯けて訊ねると、那央くんが濡れた前髪を掻き上げながら苦笑した。

「あー、見られてたか」
「見ちゃった。ていうか、あんなふうに駅前で言い争ってたら、みんな見るよ」
「そうか」
「那央くん、いったい何したの? 浮気?」
「どうして、俺が何かした前提なんだよ」
「だって、美人な彼女のことあんなに怒らすなんて、那央くんが何かしたとしか思えないじゃん」
「ひでぇな」

 那央くんが、唇を歪めて自嘲気味に笑う。濡れた髪から顔に伝って落ちてくる水滴が那央くんの涙みたいに見えて、胸の奥が苦しくなった。

「那央くん、大丈夫?」
「何が?」
「……、濡れてるから」

 なんだか、泣いてるみたいだから。本当はそう思ったけど、口に出す直前に言い方を変えた。

 何があったのかはわからないけど、那央くんは大人だから、子どものわたしにプライベートな弱音なんてきっと吐かない。

「岩瀬だって濡れてるじゃん。岩瀬はここで何してたの?」
「あ、うん。買い物したあと、そこのレンタルショップに行ってた。店出ようとしたら、雨降ってきちゃって……」
「ふぅん。傘ないなら、送って行こうか?」
「いいの?」

 普段なら、ラッキーだと思って遠慮なく乗り込むところだけど。那央くんが彼女のケンカしているのを見てしまったあとだから、躊躇ってしまう。