夕飯の支度がほぼ終わったころ、玄関から「ただいまー」という声が聞こえてきた。

 鍋の火を止めてリビングから顔を覗かせると、義父(ちち)が靴を脱いで上がってくるところだった。

「おかえりなさい、健吾くん。早かったね」
「あー、うん。今日は思ったよりも早めに仕事が片付いたから」

 わたしは、義父のことを《健吾くん》と意図的に名前で呼んでいる。そのことを母や健吾くんから咎められたことは一度もない。
 母も健吾くんも、わたしが父親になった彼のことを「お父さん」と呼ぶのが気恥ずかしいのだと勘違いしているからだ。

「沙里、夕飯は?」
「今からだよ」

 ジャケットを脱いでネクタイを緩める健吾くんの後ろを、跳ねるようについて歩く。着替える前にキッチンに足を踏み入れた健吾くんが、コンロにかけていた鍋のフタを開けて「今日、肉じゃがだ」と、嬉しそうに頬を緩ませた。

「沙里が作る肉じゃが、うまいよな。腹減った。すぐ着替えてくるね」
「うん、あっためて、すぐに食べれるようにするね」
「ありがとう」

 健吾くんが目尻を下げて笑いながら、わたしの頭にぽんっと手をのせる。健吾くん本人は無自覚にやっているのだろうけれど、わたしは彼に触れられるたびにドキドキして仕方がない。

 仕事用のスーツを着替えに行く健吾くんの広い背中を見送ってから、わたしはコンロの火を点けた。