中学校生活に希望を持っていた僕に今は疑問を覚える。
なぜ、無責任に楽しいと思えたのか、あんなにはしゃいでいたのだろうか。
本当に、この中学校生活になにを期待していたのだろうか。
きっと一番は、恋愛感情が生まれたからだ。
当時の僕は恋愛に対して異様なほど憧れを持っていた。小学生で付き合っている子がいたから、自分も中学校では付き合えたりするとでも思っていたのだろう。
三月下旬。小学校の卒業式なんてすぐに忘れて、中学校に期待の熱を持っていた。
その熱が自分の想像以上に大きすぎたから、結局は漫画やアニメで見るキラキラしている生活を自分も送れるなんて期待していたから、きっとこうなった。
バカじゃないか。
高校生になった今、僕は本当につまらない人間になった。
いや、今までが幼すぎただけなのかもしれない。
毎日毎日、春休みの間は彼らを傷付けた後悔が頭をよぎり、傷付けて責められる場面の夢ばかりを見る。
寝るのも億劫になるくらいだ。
なにが悪かったなんてもう分かっている。
今はただ、自分の人生の目標である、《傷付けない・傷付かない》を守ればいいだけ。
それは変わりない。
あの日も、今も、この先も何が起きるかなんて誰にも分からない。
だから人生に迷いがでた時、この気持ちを思い出せるように書き記しておきたい。
これは、僕が経験した最低で忘れてはいけない物語だから。
──このときはまだ、なにも知らなかった。
入学式というのは、とても残酷なものだ。名前もなにも知らない子たちとお互いなにも分からないまま、時間が過ぎ去るのを待つしかできないのだから。
そのときの自分が何を考えていたかは覚えていないが、一番記憶に残っているのは、全然分からない校歌を斉唱しなければいけないときに、キョロキョロと辺りを見渡していたことだ。
疑問符をいっぱい付けながら辺りを見渡していたことはよくなぜか記憶に残っている。
体育館は僕らが入学前に工事していたらしく、新鮮なヒノキの匂いが新しい季節の期待を僕に埋めていた。
部活動はどんなものなのか。
上手く勉強に追い付いていけるのか等。
まさしく、『不安と期待を胸に抱く』。新入生の代表の挨拶のテンプレの言葉である。
まぁ、それを僕が言ったわけじゃなく、もしそれを言えるなら、もっとしっかりしていて、人を傷つけることなんてするわけがない。
それから、入学式は滞りなく終わった。
クラス対面式をするため、僕らは自身の教室に向かった。
新しいクラスに僕はやはり期待を持っていた。
僕の自己紹介は誰かの興味を引く趣味も面白さもなく終わったと思う。
記憶から薄れていっているから鮮明には思い出せないけど。
こうして、僕の愚かな一年目が始まった。
期待なんて、しなければいいのに。
──部活動とは、僕が思っているよりしんどく辛いものだった。
入学して約一週間が経った僕は、部活動を決めるのに悩んでいた。
もし、今の僕の記憶を維持したまま過去に戻れるなら、入部届けをすぐに捨てると思う。
別に部活動を否定している訳ではない。
たった一年間だけとはいえ、持続的に毎日なにかを続ける力をおかげで手にいれたし、体力もそれなりにはついた。
漫画やアニメで部活は青春だの、生き甲斐だのと言われているし、本当にそれを頑張っている人もいるから、僕がなにかを言う人間じゃないことは分かっている。
ただ、ここで自分がなんでも出来ると思っている人間だったから慢心だったからそんな感情をすぐに消すべきだったのだと反省している。
人というのは、初見の態度をその人間の全てだと思い込むクセがある。もちろん、例に漏れず僕もそうだった。
部活動体験の期間を終えて、入部届けに書いたのは野球部の文字。
入部の理由は野球が好きだったこと、そしてこれは中学校一年生の時の自分の人生の目標である《バカにされない人間になる》ということが作用した結果だと思う。
そうして、野球部に入部した僕は四人の同級生と九人の先輩達と支え合い、笑い合い、時にぶつかる……なんて漫画のような日々を描いていたのだ。
僕の中学校では、毎年五月に体育大会がある。
中学校初の体育大会は、分からないことだらけだった。
でも、体育の授業である程度練習はしていたし、小学校の運動会を思い出して、ある程度は予想はついていた。
しかし、小学校と中学校の違いは『熱意』だと思う。
小学校はヘラヘラ楽しめれば良いみたいな遊びのような感覚だったが、中学校では違った。
勝敗に重きをおいていた。特に、男子生徒と運動部。
僕が入った野球部もその例に漏れない。
その理由はやはり、モテたいからだろう。特に部活動対抗リレーなんかは、きっと先輩達も下心丸出しでいたはずだ。
めちゃくちゃ張り切っていたのを覚えている。
僕はそれほどリレーや走る競技に積極的に参加する人間じゃないので、大縄跳びやフリスピー投げといった走らない競技に参加していた。
俺tueeeが味わえなくなり、プライドが傷付くのを避けたかったためというのもあった。
結局一年目はまだ楽しい思い出となったのだ。
その後、体育大会後の疲労なんて気にさせないといわんばかりに部活動が始まる。
この時は体力なんて全然無かったからヒーヒーいいながら不格好ながらも、部活動を始めた。
ぶっちゃけ、かなり厳しかったし、しんどかった。
しかし、まだ最序盤。本当にしんどくなるのはこれからなのだ。
──人付き合いとは、時に苦痛を要する。
先輩と後輩の関係が僕は嫌いだ。たかが、ひとつやふたつ年が上というだけで敬語を使い、ペコペコしなければいけないのだから、下の立場の人間は苦痛でしょうがない。
例えば、学年成績トップだとか、県大会トップなどの肩書きがあるのならまだしもだ。
ただ、ひとつ上というだけで、下の立場の人間をいかにも自分の手駒のように使う。
僕はそんな事をする先輩の絶好の物件だった。
もうお察しの通りかもしれないが、僕は運動も人付き合いもあまりしてこなかったのに、慢心だったため、その態度を批判され、それからはその先輩とのトレーニングと称した僕の精神をズタズタにする日々が始まった。
その先輩は、僕が辞めてからも問題行動を起こしていたらしい。当時は、殺してやりたいほど憎かったが、今となってはその先輩にも問題があるのではと思い始めるようになった。
そんな僕を、同級生のアイツはその先輩に媚を売り、自身に危害が加わらないと確信したら、一緒になって僕をバカにする。
そんな最低で僕より子供じみた事を彼らはやっていた。だが、それは少し小バカにするだけ。
僕が実質的な行動を起こさせないようにしているつもりだったのだけども、そんな行動は僕の怒りを蓄積させるだけだった。
これは、一番人間関係に悩んでいた六月から後悔する出来事を起こすまで続いた出来事だ。
──別れとはその人の価値を知らせるものである。
当時の野球部は僕を含めて十三人だった。今はどうなのか知らないけれど。
夏休みなんて、運動部にはない。
毎日毎日、理不尽に怒られ、バカにされ、それでも一年間続けれていたのは理由がある。
それは、三年生の先輩たちが僕を侮辱する先輩に僕へ向ける怒りを最小限に抑えていてくれていたからだと今では思う。
しかし、その先輩たちはもう引退。
彼らの中学校の野球選手生活最期の勇姿は僕のせいで散っていった。
そう、僕らは負けた。
主に、僕のエラーによって。
僕の守備位置は右翼手だった。
自分自身、試合にでれるのならどのポジションでも大丈夫だったのでそこにいたのだけど。
ライト方面に流し打ち連発の始末。僕はゆるいフライにさえ対応できず。
ゴロはトンネルの地獄。やっとの事で攻守交代になればベンチで例の先輩に説教される始末。
「なんのためにお前は居るんだよ! なんにも出来ないならこのチームからいらない!」
この時の僕は、すぐに辞めてしまうのは邪道だと思っていたからごめんなさいとひたすら謝ることしか出来なかった。
試合には負け、三年生の先輩たちは僕の事を庇ってくれていたものの、それは先輩とアイツを調子づける事となった。
ここからが、後悔の始まり。これは、夏休みがもうすぐ終わりを迎えようとしているある日の出来事である。
──季節の変わり目は感情が不安定になりやすい。そう気がついたのは、もう後悔をした後の事だった。
秋。三年生の先輩達が居なくなり、野球部の部員数は僕を含めて九人となった。
野球は九人でするスポーツなので公式の試合にでるのはギリギリだ。
このときにキャプテンとなった例の先輩は人数がギリギリな事に不安を抱いていたのだろう。
それのせいなのか分からないが、僕への上から目線な攻撃はエスカレートしていった。
だから、僕も、感情が少しずつ表れるようになっていった。
「はい、遅い。もう一本走ってきて」
「はっ? は、はい」
一瞬キレそうになったりした。僕らはこのとき、ベースの間をタイムを測って走るということをやっていたのだけど、あきらかにタイムは丁度もしくは少し余裕があったはずなのに、上のやり取りのような嫌がらせをしてきたりして怒りが少しずつ蓄積されていった。
十二月の話。
野球部が正月休みに入った時から、体に異変を感じた。
朝起きるとここ最近、毎日こむら返りを起こしていた。
「があぁぁぁぁぁぁ……!」
朝、それもまだ日が昇っていない五時に基本的に朝練のため目を覚ましていた僕は、痛みに静かに耐えるしか無かった。
その痛みは現在も続いており、ふくらはぎと太ももには酷いミミズ走りのような肉割れの跡がついている。
これが、身体的な傷だと思う。
──感情は、時に原動力になる。だが、その感情は消え去れば後悔に変わる。
一月。新年の幕開けは決して楽しいものなんかじゃなかった、
正月休みも終えて、学校も三学期が始まった。
このときの僕にとって学校に行くことは野球をするためだったから、授業なんてほとんど聞いていないようなものだった。
朝練に誰も来ない時間帯に行き、練習用の設備を整え、朝練が始まるまでの空き時間に少しでも練習する。
これだけが唯一の楽しみであり、自分に自信が持てる行動だった。
しかし、
「オラッ! もっと食らいつけ!」「それくらいは絶対捕れただろ!」
実践は上手くいかない。
毎朝やっていたとしても気持ちが、感情が自分の体力を向上させてくれることはない。
「くっそ……!」
苛つきながら、思いっきりボールを壁に当てるも、この野球部のなかでは最も遅い。
ぐるるるる……。
まただ。お腹が痛い。
ここ最近、冬の寒さのせいでお腹が冷えてきているのか分からないが、お腹が死ぬほど痛くなる。
だけど、動かないわけにもいかずに体を動かして投げる。
走るのも遅い。投げるのも遅い。基礎体力はゴミ以下。慢心で自意識過剰なクソ野郎。
そんな僕は、この生活に絶望しつつあった。
もう限界だった。
体力的にも精神的にも。
そして、二月十九日。
その日、僕の人生が変わったある事が起きた。
それは、許されない後悔の話だ。
──感情は全てを破壊する。自分が積み上げてきたもの、信念を。
バレンタインデーも終わって、体力作りのために色々な練習を僕らはしていた。
先輩には怒られ、アイツにはバカにされ、その取り巻き達には嘲笑を浮かべられ。
積み重なった怒りの欠片はやがて、限界を迎え、飛び出す。
二月十九日。
とある中学校で、ひとつの揉めごとが起きた。
この揉めごとは、僕の後悔となり、一生刺さる心の傷となる。
ある程度の練習が終わり、自主練習の際に僕は先輩に呼ばれた。
「まだラン走り残ってるだろ。走れ」
野球部では、勝手に決められるテストの目標点数を突破しないと目標点数から五教科の合計点数分引かれて「ラン」と呼ばれた走る回数を決められたのだ。
それはしなければいけないとは、思っていたので、十本ずつ走る事にした。
数分後、僕は、ようやく走り終えたのだけど。
アイツのあるひと言により、怒りを貯めていた箱が崩れさった。
「え、遅っ。もう一本走ったら?」
と人が走り終えて疲れているのに、無神経なことをアイツは言った。
その言葉に純粋な怒りを覚えた。
なんだと。ふざけるな。
血管が千切れたような感覚だった。
お前のなにが分かる。
心の中は飛び出した怒りの欠片が集まり、やがて結晶となり感情を支配する。
そして、頭の片隅にあったイメージ。
血だらけで倒れているアイツのイメージが脳内に浮かび上がる。
人をバカにしやがって。