中学二年生の夏休み。
一週間で終わらせた宿題のせいで、暇を持て余していた。
ゲームをしても、テレビを見ても心が満たされることはなかった。
なにかが足りない。
結局、自室に籠り、ギターを弾く。
ゲームをするより、テレビや漫画をみるより、ギターを弾いているほうが自分自身をだせている感じがあった。
この時も今も弾いている曲は90年代のバンドの曲。
当時は、本当にそのバンドが大好きだった。
そして、たまに小学校の頃の友人たちと遊ぶ。
彼らとは、古本屋に行ってもう中学二年生だというのにトレカで遊んだり、ソシャゲで通信対戦をしたりしていた。
それは傷付いた僕の心を幾分か楽にしてくれて、年齢なんて関係なく自分のしたい事をしていいと言ってくれているようだった。
彼らとは僕は未だに仲が良く、今も遊んでいる。
夏休みはどうせ、暇だろうと思っていた。
何もなくただ生きているだけの生活を歩むと思っていた。
だけど、そんな生活を遊び心が変えてくれた。
心の底から感謝するよ。
僕の友達になってくれてありがとう。
感情とは、気が付いたら収集がつかなくなるものだ。
例えば、怒り。
一年目、野球部であった出来事がよい例だろう。
アイツのひと言によって、僕の怒りを貯めていた箱は溢れ、怒りの欠片は結晶となり、気がつけば感情を支配していた。
そうして、僕はアイツを傷付け、自分も傷付いた。
そして、恋心。
この感情はいつも微熱を帯びている。
そして、異性の甘い言葉によってその熱の温度をあげる。
夏休みが終わり、二学期になった。
それからというもの、僕はおかしかった。
空を睨んでいたと思えば、いつのまにか目であの子を追っていたり。
そして、休み時間ではあの子がいる比較的僕が話しやすいグループに混じって会話をしていたり。
あのコロコロと変わる笑顔が可愛くて、ロングもショートも似合う髪を撫でたくて、小さくて触れればすぐに壊れそうな華奢な体を抱きしめたくて。
そして、何よりも。
その笑顔を一番近くで見たくて。
僕は必死になって、あの子と仲良くなっていった。
……仲良くなろうとした。
だけど。
幻のように儚くて。
何度も帰ったあの道が恋しくて。
独りよがりの自分勝手な物語に置き換えていたから、傷つけてしまったのだろう。
……恋なんてしなければよかった。
あの時間は全て無意味だったのかな。
人生は取捨選択の連続だ。
どちらか一方を選ぶなら、片方を犠牲にしなければいけない。
もし、その片方を選べば、どんな未来が待っていたのだろうか。
僕には、中学二年生の夏頃から彼女と呼べる存在が出来た。
その子は、ひとつ下の後輩の女の子で、笑顔が似合う子だった。
その子とは、塾が一緒で良く二人で帰っていた。
そのときから僕はあの子の事が好きだったから、彼女は正直に言うと、眼中になかった。
けど、向こうから告白されれば、少しは気にする。
「先輩、私と付き合ってください」
そう言われ、僕は返事に困った。
他の好きな人がいるのに、付き合っていいのだろうかと少し考え、数日後に僕とその子は付き合う事になった。
それを、親友に話すと、秒速でバラされ、少し本気になって怒った。
でも、親友のおかげでこれから救われるのだから、なにも言えない。
僕はこのとき、中途半端な気持ちで付き合っていたから、結局年が明ける頃には別れる。
どうして本気にならなかったのかと今でも少しへこむときがある。
彼女にも、あの子にも申し訳ない。
そして、ここからきっと歯車が噛み合わなくなったのだろう。
自身の彼女という存在を捨て、好意をあの子に向けた。
ちょうど、あの子がその頃にいた彼氏と別れたという会話を何度目かの帰り道に聞いたからかも知れない。
もし、僕が彼女という存在を捨てなかったら。
この未来はなかったのだろうか。
恋は盲目。
人は、恋に落ちると理性や常識を失ってしまうという意味だ。
僕も、そうなった一人であり、そのせいであの子の笑顔も、彼との友情もなくなった。
もし、盲目じゃなくて。
ちゃんとした距離感であの子と居れたら。
僕らはまだ友達でいれたかな?
***
『僕と付き合ってください』
メッセージアプリに、そのひと言が浮かんでは消え、浮かんでは消えを繰り返している。
いつになったら、この気持ちを消化できるか分からなくて。
数時間後、僕は送信ボタンをタップした。
この想いが届く事を願って。
願って、願って、願っ……たはずなのだけど。
想いを伝えたのにも関わらず、心が苦しかった。
翌日。
朝一番、親友が開口し、放った言葉は、僕の耳をすり抜けて、心に刺さった。
「お前、ストーカーしてんのか?」
えっ?
「あの子が言ってたぞ。アイツはストーカーだって。彼氏も話を聞いてるから確からしいけど、どうなんだ?」
すとー、かー?
何を言っているんだ。
やめて、くれよ。
そんなに怯えた目で僕を見るのは。
言葉が、心に刺さった。
それは、何よりも痛くて、辛くて、まるで、鋸挽をされているような感覚だった。
一気に殺してくれない。
授業が始まってから、誰も僕に近寄ろうとしない。
見たくなくても席の加減で見えてしまうあの子の俯いている横顔がただただ苦しかった。
悪事千里を走る。
悪い行いや悪い話は、たちまち世間に知れ渡ると言う意味だ。
人の悪い噂もそんな感じでたちまち流れ、広まる。
僕のストーカー疑惑は、学年中に広がった。
親友には、していないという事を話して、彼はそれを信じてくれている。
「そっか。嫌な噂だな。俺はこれから別に詮索もなにもしない。俺はいつも通りにお前と接するよ」
そう言ってくれて本当に心が楽になる。
だが、クラスでは、女子からのヤバイ奴という冷たい視線が集まる。
バンド仲間は僕をチラチラと見るも、一歩を踏み出せず、机の上で固まる。
「あの子が可哀想。本当にヤバイわ~! クソかよ」
「マジクソ野郎よな。なに思い込んでんの? アイツ」
「……さいってい」
人は、すぐに掌を返す。分かっていた。アイツのときみたいに、なにかが起きればこうなることは。
僕は、彼女らの中ではもう最低のクソ野郎なのだ。
結局人は、思い込みでその人の全てを決める。
あの子には、人が寄ってきて、慰めの言葉をかける。
僕には、冷酷な視線と陰口だけが心に刺さる。
こんな事になるくらいなら。
……君と出会わなければよかった。
一緒に帰らなければよかった。
恋なんてしなければよかった。
あぁ、僕は最低だよ。
それがどうした?
怒りにも似たその感情はきっと開き直りなのだろう。
僕は、最低だよ。
もう、恋なんてどうでもいい。
全てがつまらない。
このときから、僕の視界から少しずつ光がなくなっていった。
「お前がそんなヤツだとは思ってなかったよ。本当、最低だな。あの子は、俺の彼女だ。もう近付くなよ」
胸ぐらを掴まれ、僕は身動きがとれない。
最低だなんて事は自分でも分かっているんだ。
なんで、こんな状況になっているのかは、あの子の彼が僕を呼び出した事から始まった。
昔から彼とはずっと一緒だった。
幼稚園から小学校までは仲がよかった。
中学校に入ってからもたまに一緒に帰ったりもした。
『もう、慣れたか?』『なぁに、空睨んでるんだよ』『なんかあったら連絡してくれよ』
そうやって、僕はまるで兄貴のような存在の彼に憧れていた。
だけど、僕は逆にお前に騙されていたよ。
嫉妬や思い込みだと思われてもいい。
僕に何かあったら連絡してくれというなら、お前だって、僕に相談くらいしてくれたらよかっただろ。
「……ふっ、ざけるな!」
僕は、彼を突き飛ばす。
宙に浮いていた体が地面につき、彼は数歩後ろに後ずさる。
「ぼっ、僕が、こうなったのも、全部お前のせいだ。僕にちょっとくらい相談してくれてもよかったじゃないか! もういい! もう、恋なんかするかよ」
我ながら、ヤバイ開き直り方。
僕は逃げるように教室に戻った。
全部、お前らのせいだ。
僕が傷付いたのも。
お前を信じなければよかった。
あの子を好きにならなければよかった。
恋なんてもうするか。
その日の放課後。
担任の先生に僕は呼ばれた。
グラウンドから野球部の声が聞こえる。
アイツらは僕の事なんて忘れて、呑気に野球をやっているのだろう。
野球部にも、はいらなければよかった。
傷付いただけだ。
「とりあえず、ここに座ってくれる?」
生徒指導室のソファーに座る。
ちょうど去年のこのくらいの時期に、野球部のあの日が起きた。
久しぶりの感覚に懐かしさは覚えたものの、それすら不快だった。
「あのね、恋する事は悪くないよ」
担任の女先生は、開口一番に恋愛について語ってくれた。
「でも、想い過ぎた気持ちは人を傷付けてしまう」
言葉のひとつひとつが重くて。
僕はそれを聞くだけで涙が溢れてきた。
泣きたいのは、あの子や彼だろうに。
「僕は」
感覚が無くなりつつある中で口を一生懸命動かす。
「あの子が本当に好きでした」
「自分勝手な物語を作って、傷付けてしまいました。そして、たまたまそこに居たからストーカーと思われたかもしれません」
「本当に、ごめんなさい」
謝っても、意味の無いことだと分かっている。
「彼女は、謝罪を求めていないよ。彼女が求めているのは──」
この先、あの子より良い人がいるかもしれない。
高校には居ないけど、大学にもしかしたら居るのかもしれない。
この先の事は誰にも分からない。
僕が、過去をやり直せるなら──
「──これからの態度だよ。どんな距離感で人と関わるのかを見ているはずだから」
──適切な距離で人と関われる人間に今からでもなりたい。
中学校三年生の始まりの四ヶ月間は、今猛威をふるっているウイルスによって、強制的に白紙と化した。
自粛期間に僕は考えた。
今のこの考えが僕を創っていると言っても過言ではない。
僕は、野球部から離れる際に誰も傷付けないと言った。
だが、結局はあの子を傷付けてしまった。
彼女は心の傷を負ってか、あれから、学校に来なくなる日が多くなった。
今では傷付けたという後悔が僕の心を支配しているものの、高校の国語教師のある言葉によって、少しずつ後悔を浄化していっている。
その言葉のひとつが、
『忘れるんじゃない。後悔を受け止めてあげるんだ。傷付いたけどその分手に入れた能力は大きい』
という言葉が僕を成長させてくれている。
まぁ、このとき僕はそんな言葉をかけてくれる人は居なかったから新たな人生の目標を決めていた。
《傷付けない・傷付かない》
という人生の目標を定め、最後の一年こそ誰も傷付けない日々を送る。普通の人なら当たり前のことだ。でも、人生のレールはふとした瞬間に外れることがある。それを僕は誰よりも知っている。
それでよかったのかなんて今の僕には、分からない。
だけど、僕は最後の一年の過去に満足している。
最後の物語は、これから始まる。
空白から始まる最低の物語。
これは、他人を傷付けてしまった僕が、一度はどうでもいいと全てを投げ捨てた人間が、過去への償いとまだ諦めていない輝く未来を目指す後悔の物語だ。
あれから、学校が再開して、二ヶ月が経った頃。
親友とはまたもや同じクラスになれず、あの子もその彼もアイツも違うクラスで、唯一バンド仲間と同じクラスになった。
普通にありがたい事だったし、もしバンド仲間が居なかったら、僕は修学旅行を楽しめていたか分からない。
それくらいバンド仲間は僕に影響を与えていた。
ある日の休み時間にバンド仲間とこんな事を話していた。
「……修学旅行楽しみだね」
「うん。本当に行けるようになってよかったよ。レクリエーションどうする?」
「……決めてないよ。なにしよう」
口では決めていないと言っていながら、頭に思い付いたのはひとつだけだった。
「……ライブ、しよう」
「俺も同じこと思っていた。いいね。どんな曲を弾く?」
色々と候補を出しあったものの、その時間では決まらず、結局その日は決まることがなかった。
結論からいうと、僕が好きな九十年代の曲と世界にオンリーワンの花の曲を僕らは演奏したのだけど、最終決定したのが、修学旅行二週間前の事なのだから、本当に危なかった。
少しずつ、練習して、二年生の頃も担任だった女先生からGOサインをもらって、本番に向かうのだけど、その話は少ししてからにしよう。
これが、学校が再開し、修学旅行に向かうまでの話だ。
このときは頭の中からアイツやあの子の事は少し抜けていた。