「世良くん、それ片付けたら上がりで」
「あ、はい」
「お疲れさまー。休憩室に置いてあるドリンク余りだから。好きなの持ってっていいからね」
「あー、あざす」


物販用に使用していた折り畳み式のテーブルを運んでいた時、感じの良い笑顔で先輩にそう言われ、俺はぺこりと頭を下げた。



時の流れは忙しないもので、夏が過ぎあっという間に冬が来た。

街中の小さなライブハウスで不定期のバイトを始めてから3か月。ラーメン屋のバイトは少しだけシフトを減らしてもらうように店長に相談し、今はダブルワークという形をとっている。



「やりたいことができたんならいいことじゃねーか。おまえ、いつもどっか元気がないような気ぃしてたからな。余計なお世話かと思って言ってなかったけど、俺ぁちょっと心配だったんだ」


シフトの相談をした日、店長は「がんばれよ」とまっすぐなエールと共に賄を作ってくれた。激辛タンメン。俺がこの店のメニューで一番好きな料理であった。

店長は寡黙な人で、少々近寄りがたい雰囲気を持っていた。フルタイムで雇ってもらった時、既存のバイトの人から「店長が怖いって辞めちゃう人が多くてさ。フルタイムまじで助かるよ」と言われたくらいだ。俺も人付き合いがあまり得意では無かったし、何より当時の俺は職を失った可哀想な人間だったので、根ほり葉ほり聞いてくるような人じゃなくて安心もしていた。


店長は、ずっと見てくれていたらしい。2年も同じバイト先に居て、店長の温かさに気付けなかったことが少しだけ悔しいとも思った。


折り畳みテーブルを片付け終えて休憩室に戻ると、学生バイトの清野(せいの)くんが帰り支度をしていた。


「世良さんもあがりっすかぁ。お疲れ様ですー」
「清野くんも」
「ドリンク貰っていいって聞きました?」
「ああ、うん。今さっき聞いた」



「そっすか」という清野くんが、テーブルの上に置いてあったコーラに手を伸ばす。炭酸か、若いな。


今日は、最近若者の間でじわじわと人気が出ているインディーズバンド二組の対バンがあった。チケットはワンドリンク別で、休憩室にはその残りのドリンクが雑に置かれていた。烏龍茶を一本貰い、鞄にしまう。



「やっぱ、ギターやってる人、かっけーっすわ」



ふと、清野くんが言葉を落とした。

清野くんはギターを弾けるんだったかな。記憶が曖昧だったのでその質問をすることはなかったが、「あと、ライブハウスの雑な反響も好き」という言葉には「わかる」と同意を示した。



「っぱ、そうっすよね!」



清野くんの表情が明るくなる。彼はきっと、たくさん音楽に救われてきた人なんだと思う。目が輝いている。


「音楽やってる人ってまじですごいと思うんすよ俺。よくダメとかクズとか言われがちだけど、実際そんなことないっていうか。やりたいことを貫くって、まじでつらいことだと思うし。だからこんなに惹かれるのかもしんないっすね」

「そうだね」

「実際のところ、音楽できる人ってモテるんすかね?」


純粋な疑問に思わず息がこぼれた。高校時代の俺と同じだ。なんかかっけーかも、モテそうかも。興味を持つ理由なんてそんなもんだ、そんなもんだから良いんだよな、多分、きっと。



「モテるかどうかはわかんないけど、自分を見ていてくれる人と出会うきっかけにはなると思う」



たとえば将来性がなくたって、世界をひっくり返すようなメロディーが奏でられなくたって、見てくれている人がいるかもしれない。


椹野さんと話した次の日、俺はなごみの仏壇にもう一度手を合わせに行った。伝えきれなかったこと、後悔していること、それからたくさんの愛と感謝を心の中で唱え、君の健やかな眠りを祈った。


なごみと過ごした日々は、俺にとって財産であり人生だった。まるで自分のことのように、俺の音楽を大切にしてくれた。手遅れであろうと、そう思わずにはいられなかった。


やりたいことが見つかったわけではない。就活は相変わらずだし、家族とは疎遠、将来性もない。ただ、それでも、決めたことがあった。


なごみが世界がひっくり返っても生まれ変わっても死んでも俺のことを好きでいると言うのなら、俺も同じだけ​──それ以上に、君を好きでいる。

覚えてるよ。忘れないよ、この先もずっと。


「えー、世良さん経験あるんすか?」
「少しだけね。楽しかったよ。鴨は鳴かなかったけど」
「え、なんの話すか?」
「俺の味方の話かな?」
「かな?って、いや何言ってるかわかんないっす全然」
「はは。じゃ、おつかれさまー」
「えぇ!?ちょ!もー、気になるって世良さん!」




清野くんを置いてライブハウスを出る。
綺麗な満月が印象的な夜だった。




完.