二日後のこと。黒のTシャツにカーゴパンツを履き、全体的にゆるやかなシルエットの服で俺は長谷なごみの実家に来ていた。この家に来るのは2年ぶりだった。それも今はもう懐かしい過去の話になった。
「どーぞ?」
「…お邪魔しゃす」
インターフォンを押すと、長谷のどかが顔を出した。2年前に見かけた時は長かった髪の毛はバッサリ顎のラインで切ってあり、ブリーチを何度かしたようで白に近い金髪のボブヘアーになっている。驚いて目を瞬かせる。そんな俺に、長谷のどかは ふ、と軽く笑った。
「ハイトーンも似合うでしょ」
「あ、うん」
「って、お姉ちゃんにしか興味無いですよね、世良さんは昔から」
皮肉だ、そんなことを言うのは。
返す言葉がなく、俺はふいっと目を逸らす。
「どうして別れちゃったんですか?お姉ちゃんはなんも教えてくんなかったから、あたし未だに謎なままなんですよ」
どうして別れたのか。そんなの俺が聞きたかった。
───2年前、長谷なごみに別れを切り出されたのは俺だ。
あまりに突然のことで脳が処理しきれていなかった。振られた理由を、俺も詳しく知らない。大切にしていたつもりだった。想い合っていたはずだった。何処で間違えた、何がダメだった? 会社を辞めた時、俺に音楽の道を照らしてくれたのはなごみだ。
何もわからないまま2年が経った。ギターを部屋の隅に追いやった時期となごみを失った時期はほとんど等しくて、俺はあの頃を思い出すことが苦痛だった。
のどかの口から盛大な溜め息がこぼれる。言えることがなにもなく、虚しくて情けなかった。
「お姉ちゃんが言ってました。『もしいつかわたしが死んだら、どうにかしてでも月音には一報入れてほしい』って」
廊下を渡り仏壇に通され、写真の中で笑う彼女と目が合った。なごみ。まだ俺が君を下の名前で呼んでいた頃、俺は何度君の言葉に救われたか。何度、その屈託のない笑顔に恋をしたか。
うちの風呂場の鴨が鳴くことはなかった。世界をひっくり返すようなメロディーは、この2年で一度たりとも舞い降りてこなかった。ぴいいぃと鳴くしか脳がないアヒルの水鉄砲は、なごみに別れを告げられた時に燃えるゴミに出した。一昨日新調するまで、俺の家の風呂場には色がなかった。
なごみと過ごした日々を思い出すのが辛かった。才能の欠けらも無い俺の音楽を天才だと謳うなごみに合わせる顔がない。俺はずっと逃げてばかりで、闘う方法を知らなかった。
それでも、そんな俺でも良いとなごみだけが言ってくれた。
就活が上手く行かなかったときも、なんとか内定をもらった時も、その会社を辞めると決めた時も、音楽をまた初めてみようと思った時も───いつだってそばにいてくれたのはなごみだったのだ。
好きだった。君のことが、俺は大好きだった。なごみだけが救いだった。
それなのに、俺は。
「桜司くんが世良さんの連絡先持ってて良かったです。お姉ちゃんも安心してるんじゃないですかね」
きみが死んだことすら、一昨日まで知らなかった。