百円ショップの玩具売り場で見かけたアヒルの水鉄砲を買い終え店を出た時、ようやくハッとした。


俺は何故ここにいるのか。長谷なごみの訃報を聞いたあとの記憶がすっぽり消えたみたいに、気づいたら俺はここにいた。


19時までのバイトを終えたあと、どういう経路で百円ショップに来たのか。足が勝手に動いていたというのは本当にあり得ることらしい。身体が勝手にとか、気づいたらとか、衝動的な行動は俺にあまり似つかないと思っていたから、自分でも驚いた。


アヒルの水鉄砲は、昔よく風呂で弟と遊んだことがある。大きいものから小さいものまで湯船にぷかぷかと浮かばせ、大きいものは水がたくさん入るから戦闘力になるだなんだと言い、弟と互いの顔めがけて水を交わし合った。


もう古い記憶だ。それは幼少期の、俺がまだ小学生だった頃の話。

懐かしいという気持ちは、もう手に入らない過去に対して抱くものだ。またいつかが叶わない。それが、「懐かしい」という感情であると俺は思う。

今はもう弟と共に風呂に入ることはない。それは自宅の浴槽ではく、例えば銭湯や温泉だったとしても同じことが言えた。理由は簡単、俺と弟は3年前に疎遠になったからだった。もっと正しく言うならば、弟だけではなく家族と縁を切った。


双子の弟、世良遥音(はるね)はとても優秀な人だった。

有名国立大学に通っていて、脳のつくりが俺とはまるで違った。俺には到底理解できないような研究を中心に学びを深めていたらしい。まだ俺が定期的に実家に帰っていた頃、たまたま机の上においてあった論文を軽く読んでまるで外国の古文書か何かを呼んでいるのかと錯覚した。

付け加えると、遥音は単純な頭脳だけでなくコミュニケーション能力に長けていた。大手IT企業に早期採用され、大学4年の春先からすでに時間にも心にもゆとりがある生活をしていた。控えめで美人な彼女がいて、友人関係にも恵まれていた。




一方の俺、世良月音(つきね)。兄でありながら、人間としての出来は遥音とは雲泥の差があった。

大学時代は、睡眠とバイトとギターにしか触れてこなかった。講義には一応出席していたけれど、ほとんど睡眠のために行っているようなもので、試験勉強ですら友人間で回ってくる過去問をさらっと解くくらいにしかしてこなかった。

一般的な私立大学だったので、何事も適当に、及第点で生きていた。弟が将来を見据えてインターンに参加している傍ら、俺はろくに学習もせずバイトと趣味に明け暮れていた。

俺が過ごした4年間は、学費の無駄遣いとしか言いようがなかった。
双子だからと言って出来の良い弟と比べられるのは決して良い気はしなかった。


一人暮らしをしていた当時、たまに実家に帰り弟のことばかり話題にあがる夕食は毎度同じ味がした。

夜中にトイレに起きた時にリビングの電気がついている機会が多くなった。両親が焼酎片手に向かい合って話をしている。

「月音はだめだ」
「うちには遥音がいるから大丈夫よ」
「双子なのにどうしてこんなに違ってしまったのか」


出来損ないの息子は両親にとってただのお荷物にすぎない。そんなことは分かっていた。分かっていたから、誰よりも先に俺は自分を諦めた。

それから、俺は長期休暇に入っても家に帰らなくなった。


人は脆く弱い。そしてとてもわがままな生き物である。


4年の秋、名前を聞いたことすらもない会社からなんとか内定をもらった。スーツは窮屈だったし、エントリーシートに書ける長所がひとつもなかった。学生時代に力を入れたことや尊敬している人はおおろか、志望動機すら曖昧なまま。内定をくれた会社はエントリーシートの提出はなく、一度の面接で採用が決まった。大手企業が何度も選考を重ねているのに比べると、質の違いはなんとなく感じていた。


社会の渦に埋もれて早々にダメになる自分を想像するのが容易だった。

俺はダメだ、遥音みたいにはなれない。社会人になったとして、1年やそこらでやめるに決まっている。


そう思って迎えた社会人1年目、清々しいほどに予想通りのことが起きた。

サービス残業は当たり前。睡眠時間は尽く削れ、それに伴うミスが増え上司には毎日のように怒られた。身体的にも精神的にも落ちていき、入社10か月目で俺は会社を辞めた。




俺には何もない。適当に決めたブラック企業に入ったとて得られるものは何もなかった。


俺のいいところってどこだ?
人生に活かせることは?


顔、身長、八重歯。いや違うな、それよりももっと生かせそうなもの───…ああ、音楽か?



特別秀でた音楽の才能があったわけではないが、俺は楽器が弾けた。


ギターを始めたのは高校生の時だ。かっこいいからという理由で軽音楽部に入り、担当楽器を決める話し合いで何の気なしにギターを選んだ。文化祭でパフォーマンスをしたところ、その後やたらモテた。桜司ほどではないが、何件か告白も受けた。思い返せばあの時が俺にとって最初で最後のモテキだったように思う。


深く考えずに大学でも軽音サークルに入り、3ピースのバンドを組んだ。高校時代を通しコピーバンドばかりをやってきたけれど、大学2年の夏、思い立ってはじめてオリジナル楽曲を作ることにした。拙い文章を綴り歌詞を書いた。ギターとベースとドラムで何とか音源をつくった。ままならないまま、それなりに青春を謳歌していた。


音楽なら俺はまだ輝けるかもしれない。

大学時代、サークル内でも俺が所属するバンドはわりと人気で、文化祭でもそこそこの盛り上がりを見せていたし、男女ともに受けも悪くない。もっと金と時間をかけて良いものを作り出せたら───。



「世良、疲れてんだよ。好きなことやって美味いもん食って少し休めよ」

「繁忙期終わったらまた飲み行こうや」




​───もう一回バンドやんね? 意を決して学生時代のバンドメンバーに連絡をしてみたが、俺が欲しかった答えはひとつだってもらえなかった。

俺とは違って安定した職に付いているふたりから貰う“社会へ出ることが当たり前であり音楽だけで生きていくなんて無理だからやめておけ”なんていう暗黙のメッセージほど苦しいものはなかった。



俺は逃げ道すら持っていなかったみたいだ。再三考えたが、もう一度どこかホワイトな企業に就職できる気はしなかった。知識も経験もない。



貯金が失くなる前にと俺はラーメン屋でフルタイムのバイトを始めた。


唯一俺の武器となりそうだった音楽では食っていけないとくぎを刺された。まともに生きることも向いていない。家族とは縁を切った。初めから何も持っていなかったくせに、何故かすべてを失ったような絶望感があった。




昼間とうって代わって涼しい空気を纏う夜。百円ショップのロゴが印字された袋をぶら下げ、帰路につく。


25歳になった。仕事を辞めて今の生活を始めてから早2年が経つ。


あの日から立ち止まったまま、人生には色がない。

ふと桜司と交した会話を思い出し、ポケットに入れていたスマホを取りだした。送られてきた長谷のどかの連絡先を開く。追加はせず、トーク画面を開いた。



《世良です。桜司から連絡もらった》


だからどうして欲しいとは書かなかった。どうすべきか分からなかったからだ。連絡しろと言われたからした。その後まもなく既読が付き、《明後日なら家にいますよ》と短い返事が返ってきた。

仏壇に線香をあげに来い。そういうことなのだと思う。《わかった》とだけ返事をし、トーク画面を閉じた。


昔から品揃えの変わらない百円ショップで購入したアヒルの水鉄砲が袋の中で揺れている。大中小と仲良く3匹セットだった。水を含ませて放出すると、ぴいいぃと若干耳障りな音を立てて鳴くのだ。



───アヒル(この子たち)が突然世界をひっくり返すようなメロディーを奏でてさぁ、きみを世に羽ばたかせてくれる日が来るかもしれないよね


長谷なごみの声で不意に脳内で再生された言葉に、心臓を素手で握りつぶされたかのような感覚になった。あの頃を焦がれるように空を見上げる。

不甲斐ない俺には眩しすぎるほどの綺麗な三日月が印象的な夜だった。