一歳が言った通り、鬼憑きはまだあのスポーツジムの中にいた。鬼憑きであっても人間らしい。建物の裏の方でその鬼憑きを待っていると、鬼憑きは一人の女性と共にジムの中から出てきた。
 二人、楽しそうに話をしている。あの女性は、自分の会話の相手が鬼憑きであることを知らない。

「おい、氷月。お前、結界は使えるか?」

「結界?」

「ああ」

「わからない」
 卯月に教えてもらっていないから、わからない。

「お前の能力(ちから)は面白い。これに烏賀陽は気付いていないのか? まあ、いい。結界の張り方を教えてやる。結界さえ使えれば、昼間のような失態はしないぞ?」

 この男は昼間のことをどこまで知っているのだろう。氷月は驚いて一歳を見上げた。すると、額に一歳の右手の人差し指が刺さった。

「あっ」

 頭の中に様々な映像がががっと流れ込んできた。今まで感じたことのない気持ちと共に。

「やっぱり、お前はこっち側の人間か」
 一歳のその呟きの意味がわからない。
「あいつらが人気のないところまで移動したら、お前が結界を張れ。やり方は、言わなくてもわかるな。今、見せたから」

 一歳の言葉に素直に頷く。

「お前が鬼を視ることができなくても、鬼は俺が封じてやる」

「あの。姉が一人、昼間にあの鬼に咬まれて、その、呪われてしまったのですが。あなたが鬼を封じたら、姉の呪いは解けますか?」

「姉? 相変わらずだな、あのおっさん」
 そう一歳が口にした意味がわからない。
「わかった。その呪いについても考慮はしてやる、しっ」

 少し前を歩いている鬼憑きと女性は、駅までの近道をするためか、公園の中を突き抜けていくようだ。夜の公園なんて、いかにも鬼が好みそうな場所。

「おい、氷月。今だ、結界を張れ。あの鬼憑きを中心に半径二十メートル」

 一歳の言葉に従い、今見せられた映像の通り、結界を張る。それが氷月にとって初めての行為であっても、すんなりとできてしまったから不思議だった。

「やっぱり、俺が見立てただけのことはあるな」

 あの鬼憑きたちは、周囲に結界が張られ、あちらとこちらの世界が分離されてしまったことに気付いていない。

「いいか、氷月。俺が合図を出したら、お前はあの女を連れて結界の外側まで逃げろ」

「一歳さんは?」

「その隙に、俺があの鬼を封じる」

「鬼に憑かれた人間は?」

「もちろん、助ける」
 もちろんと言い切ってしまうところが、なぜか氷月の心にぐさりと刺さった。

「氷月、今だ。あの女性の手を引いて、向こう側に走れ」
 よくわからないけれど、この人の言うことを聞いていれば大丈夫と、そんな気にさせられた。そして走り出した氷月は、まごまごとしている女性の手を引き、二言声をかけて一緒に走り出す。
 それを見届けた一歳は、ふっと鼻で笑ってから鬼に対峙した。