氷月が鬼の角を手にして戻ってきたときに、睦月は驚いて一歩退いた。だがそれを乱暴に奪い去ると、調合室へと消えていく。
 氷月は小さく息を吐いてから、自室へ戻った。
 一歳と繋いだ掌が熱い。そして、心がぽわぽわとしている。なぜかはわからなかった。お風呂に入らなきゃという思いもあったけれど、一日が濃すぎてものすごく気疲れしてしまった。だから、そのままベッドで横になると、夢の世界へと誘われてしまった。

 そのまま夢の世界で暮らせればいいのにな、と思って目が覚める毎日。
 目が覚めて目の前に父親の顔があったのなら、余計にそう思ってしまう。

「氷月。何を呑気に寝ている。さっさと起きろ」
 布団を引きはがされてしまった。
「着替えもせずに寝たのか」
 ふん、と(はじめ)は鼻息荒く言う。
「お前に確認したいことがある。着替えたら、道場に来い」

 ああ、これは朝ごはん抜きかもしれない、と、小腹が空いた氷月は思った。だけど父親の命令は絶対である。しかも道場に来い、着替えてから来い、と言われたということは。
 烏賀陽の鬼遣いとしての正装をしろ、ということだ。
 面倒くさいなと思いながら、着ている服に手をかけた。

 烏賀陽の正装。それは白装束。

「烏賀陽氷月、参りました」

「氷月、そこに座れ」

 同じように父親も装束姿だった。何が起こるのか、というのが氷月の率直な想い。
 朔の言葉に従い、氷月は彼と向かい合って正座をする。

「昨日、お前は鬼の角を持ってきたな」

「はい……」

「皐月の熱は下がった。つまり、鬼の呪いは解けたということだ」

「はい……」
 皐月が無事だった、それを知ることができただけでも良かった。

「鬼の姿を視ることができないお前が、なぜ鬼の角を手に入れることができたのだ? 鬼を封じたのか?」

 確認するということは、疑っているということ。氷月が鬼封じをした、ということを。そもそも氷月は鬼を封じたとは一言も報告していない。ただ、睦月にその鬼の角を手渡しただけ。

「いいえ……。お父様もご存知の通り、私には鬼の姿を視ることができません。ですから、封じてはおりません」

「なら、なぜ鬼の角を持っていたのだ? 他の兄弟を連れていったのか? そのような報告は受けていないが?」

「姉さまたちも、兄さまたちも、関係はありません。全ては私一人で行ったことです」

「なら、今までのお前の話と矛盾がするだろう。鬼を視ることのできないお前がどうやって鬼を封じることなく鬼の角を手に入れたのだ? 鬼がはいそれと角だけ手渡したわけではないだろう?」

 父親は間違いなく疑っている。そこに第三者の介入があったことを。

「日永田の、鬼遣いと……」

「この恥さらしがっ」
 氷月が全てを言い終わらぬうちに、朔の平手打ちが飛んできた。そしてそのまま氷月は横に倒れた。
「日永田の鬼遣いの力を借りたのか。氷月。お前には絶望した。いや、元々お前に期待などしていなかったのだが。この烏賀陽の恥さらしがっ」

 唾を飛ばす勢いで、いや、実際にまき散らしながら朔は言い放つ。

「氷月。お前は氷月失格だ」

 氷月失格。その言葉の意味するところを知らない。

「自害しろ」

「え?」

 思わず氷月から漏れた言葉はそれ。目の前には道場に飾られていた刀が転がっている。いつの間に。

「介添えは俺がしてやる。父親として、最後の義務を果たしてやる」

 ふっと笑う朔の目が赤く光ったようにも見えた。

「自害?」
 つまり、この父親は娘に向かって死ね、と言っているのだ。

「お前が氷月としているかぎり、新しい氷月を迎えることはできない。昔から烏賀陽の鬼遣いは十二人と決まっている。一人が死ねば一人が増える。そういうものだ」

 つまり、氷月ではない誰かを氷月とするために、氷月に死ねと言っているというわけだ。

 バン、と道場の扉が勢いよく開いた。そのようなことをされてしまったら、父親の怒りは頂点へと達してしまうというのに。

「お父様」
 現れたのは声から察するに皐月だ。鬼に呪われ、その命を奪われるかもしれないとされていた皐月だ。この道場に来ることができるくらいまで、体力は回復したのだろう。

「氷月は、鬼の角を持って帰ってきました。そのおかげで私は助かりました。どうか、命を奪うのだけはやめていただけませんか?」

「皐月。お前はこの父に意見するというのか?」

「いえ。懇願です」

「命を助けてもらっただけで、絆されやがって」
 ふん、と父親は皐月の頬をピシャリと叩いた。だが、それはいつも氷月が受けているものよりも弱い。

「懇願するくらいなら、そこで氷月の最期を見届けろ」

「お父様」

「氷月、刀を取れ」

 ああ、自分はもう人として扱われていないのだな、という思いが氷月の中に駆け巡った。鬼遣いとして認めてもらえなかっただけでなく、人として生きることさえも奪われてしまった。できることなら、鬼遣いとしてではなく人として死にたかったな。

 氷月は黙ってその刀を手にした。道場にこの刀が飾られていたのは、こうやって鬼遣いを始末するためか、ということを改めて感じた。
 よくわからないけれど、最期に一歳に会いたいな、と思った。きちんと礼を伝えていなかったから。だからだろうか、口からぽろりと彼の名が零れてしまったのは。

「助けて……」

 一筋の光。それが、一歳(ひととせ)の真名。
「呼ぶの、(おせ)ーよ」

 いつの間にか黒装束に身を包んだ一歳の姿があった。いや、一歳だけではない。他に十二人の日永田の鬼遣いたち。

「なぜ、日永田の鬼遣いがこの烏賀陽の道場にいる?」
 刀を手にした朔がじろりと一歳を睨みつける。

「鬼退治のためだな」
 は、と一歳が笑った。
「いや、鬼封じか」
 どうやら相変わらずのようだ。

「皐月。こちらの鬼遣いたちを呼べ」
 朔の目はギラリと怒りに満ちている。だが、皐月はその言葉に従うようなことはせず、じっとその場に立ち尽くしているだけ。
「皐月。私の声が聞こえなかったのか」

「聞こえております」

「なら、さっさと呼んでこい」

「父上。我々なら、先ほどからこちらにおりますよ」
 これは卯月の声だ。その声のした方に氷月が視線を向けると、こちらも白装束を身に纏った十人の烏賀陽の鬼遣いたち。
 烏賀陽と日永田。こうやって鬼遣いが勢ぞろいすると壮観だな、と氷月は呑気にそんなことを考えていた。
 卯月がすっと刀を抜いた。その刀は人を斬るための刀とは少し異なる、鬼を封じるための刀。

「卯月、貴様。父に刀を向けるのか」

「どうやら、烏賀陽の頭領は耄碌爺のようだ」
 ははっと、一歳が笑う。
「人を斬る刀と鬼を封じる刀の見分けさえつかなくなったのか」

「なんだと?」

「氷月、結界を張れ。範囲はこの道場内」

「え」

「下手すると、この屋敷が吹っ飛ぶぞ。明日から家無しになってもいいのか。お前ら全員、家無しだ」
 氷月だけであれば家無しになっても困ることはないのだが、この屋敷に住まう他の者たちまでも家無しになるのは困るな、と氷月はのんびりと思った。だから、一歳の命令に従い、道場内に結界を張る。
 その行為に驚いたのは、烏賀陽の鬼遣いたちだけではない。日永田もまた然り。

「頭領」
 日永田の一人が呟く。
「見つけたのですか?」

「ああ」

「氷月。あなたはこちらに来なさい」
 皐月に呼ばれ、結界を張り終えた氷月は呼ばれた方へとタタタと駆けていく。
「皐月姉さま。ご無事、だったのですね」

「ええ、あなたのおかげ。ありがとう」

「いえ」
 いろいろ皐月に言いたいことはあるのに、言葉が出てこなかった。その間に、鬼遣いたちは朔を取り囲んでいく。

「皐月姉さま。お父様はどうされたのですか?」

「お父様は鬼に憑かれたわ。鬼憑きとなったの」

「え?」

「以前からその兆候はあったのだけれど。お父様に憑いた鬼は狂鬼(きょうき)よ」

 鬼遣いの烏賀陽の頭領が鬼に憑かれた。これは恥ずべき事案である。
 一歳の合図で、白と黒の鬼遣いがそれぞれに動き出す。何かと戦っているように見えるのだが、鬼の姿を視ることができない氷月には彼らがただ暴れているようにしか見えない。
 そうやってしばらく眺めていたが、立っていた父親がふらりと倒れたことだけは見届けた。と同時に、氷月も気を失った。
 気が付くと、自室のベッドに寝かされていた。

「力の使い過ぎだ、ボケ」

 起きた瞬間、耳に届いた言葉はそれ。

「あ、一歳さん……。おはようございます」

 呑気に朝の挨拶を交わそうとする氷月を見た一歳は、ふっと鼻で笑った。

「お前が無事で良かったよ」

「ええ、私もまさか生きているとは思いませんでした」

「相変わらずだな、お前は」

 氷月がベッドの上で身体を起こそうとすると、なぜか一歳が背中に手を添えてきた。

「起きられるか?」

「ええ。何も、問題はありません」

「そうか、それは良かった」
 一歳は、勝手にベッドの足元の方に座る。

「氷月。お前、俺の元に来い」

「え?」

「俺はお前が欲しい」

「ですが、私は烏賀陽の人間です。日永田の元に行くことはできません」

「それも違う。お前は朝陽の娘で、日永田の人間だ。だから、今、鬼を視ることができない」

「え?」
 一歳の言っていることに、氷月はついていけない。

「日永田の人間が烏賀陽の訓練を受けても、鬼を視ることはできないんだ。だから、日永田の鬼遣いとしてお前を鍛え直す。しかも、貴重な結界使いだ。俺がお前を手放すわけがないだろう」

「それは、鬼遣いとして?」

「いや、一人の人間として。お前は覚えていないのか? まあ、いい」

 覚えていない? 何を。
 一歳は気になることしか言わない。そして気になるだけ気にならせて、答えは与えてくれない。

「とりあえず、だ。お前の姉たちがお前に厳しくしていたのは、この烏賀陽の家から追い出すためだ。だからって、お前を疎んでいたとか、そういうわけじゃないぞ? 細かい話はお前の姉たちから聞いたほうがいいな」
 なんとなくわかったような、わからないような。そして、それに加えて兄たちからの同情の視線から推測するに。
 恐らく、氷月はここにいてはいけない人間だったのだろう。まして烏賀陽の人間でないとするのであれば。

「氷月。お前の真名を教えろ」

「それは日永田の頭領としてのご命令ですか?」

「いや、俺の個人的な願い。お前を手に入れたいから、だな」
 困ったような一歳の顔が、思っていたよりも幼く見え、氷月はくすりと笑みを漏らしてしまった。

「前も言っただろう。お前はそうやって笑っていた方がいい。ついでに言うと、髪型もなんとかしろ。今どき三つ編みおさげの女子高生なんてド田舎の高校にだっていないぞ?」
 言うと、一歳は氷月の髪に手を伸ばし、そのおさげを解く。
「ああ、やっぱり。俺が思っていた通りだ」

「……っ」
 小さく、氷月は名を呟いた。それは、氷月が氷月になる前に使っていた名前。烏賀陽の人間になってからは捨ててしまった名前。

「そうか、いい名だな。そういう名を娘につけたところが、朝陽らしいな。よし」
 そこで一歳は氷月の真名を呼ぶ。
「俺と結婚しろ。俺の隣にいろ。俺と共に歩め」

「え?」

「お前の真名をもらった。お前に拒否権は無い」

「私。まだ高一なんですが」

「お前が大人になるまで待ってやる」

「いや、そもそも、一歳さんはおいくつなんですか?」
 ここで一回り以上も年が離れていたらどうしようとか、氷月は不安になっていた。
「なんだ? 俺の年が気になるのか? 俺だってまだ学生だ」

「え?」
 この顔でこの態度で、そして日永田の頭領であるにも関わらず。学生という言葉には驚きしかない。

「老け顔?」

「お前。人が気にしていることを」
 と笑いながら一歳は顔を氷月に近づけ、そっと優しく口づけた。
「お前に拒否権は無い」

【完】

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