「てっちゃん。宿題は終わったの?」
「うん、もう終わったよ」
「じゃあ、お風呂に入りなさい」
「わかった。この本、読み終わったら入るよ」


 母親が部屋から出て行くと風見 哲二は本をしまい、ベッドに寝転んだ。
 彼、風見 哲二はつい一年前までは闇組織マザーのナンバー1と言われた冬の蝉の保護システムでもあり、側近的役割を持ったエリートであった。
 だが、それもマザーの中での話で逃亡中の彼は実在の小学生の体内に潜り込み、人間として生きていた。

 保護システムは自分で体を形成することもできれば、普通の人間の体内に寄生して、その人間の体をのっとることもできる。
 これには個々の能力によって多少異なる部分もあるが、基本的に彼らはオリジナルの体を持たない生物で幽霊のようなものに近い。
 彼らを消滅させる方法は二つある。
 一つは彼らの中にあるコアを潰すこと、コアは彼らで言う心臓のようなものでこういうところは普通の人間と変わらない。
 もう一つの方法は彼らを創った主を滅することである。
 つまり、マザーシステムで彼らを創った人間が死ねば、保護システムも死ぬのだ。


 主と使いは生命という糸で繋がっている。
 これが彼らにとって最大の弱点でもある。
 コアを創った主を殺せば、例え、何十もの保護システムがいても全て消滅してしまう。

 冬の蝉の右腕であった風見 哲二は今、悲しくも小学生という姿で日々を送っている。
 これが守には滑稽に見えたのだろう。
 考えてみれば、無敵を誇った保護システムが公園で携帯ゲーム機を使ってモンスターを交換するというのも可笑しい。

「おい、いい加減出てきたらどうだ?」
 哲二は誰もいないはずの自分の部屋に呼びかけた。
 すると、一人の少年が呻き声を上げて、部屋の窓から入って来た。
「くっ……哲二。大変なことになった……」
 哲二はその少年の姿を見て驚いた。

「た、卓真! どうしたんだ! その腕は」
 卓真の右腕はひしゃげ、肉から骨が突き出ている。今にもちぎれそうな状態だ。

「ううう……哲二、あ、綾香がやられた。FXシリーズの奴に……」
「な、なんだと! 綾香が……あの綾香がFXごときにやられたというのか!」
「奴はSSSを持っていた……しかも、赤の剣だ」
「五宝剣を! マザーも本気になったか。とにかく、腕をどうにかしよう」

 そう言って今まで自分が寝ていたベッドに卓真を寝かすと部屋を出た。
 救急箱を取りに行こうと忍び足で階段を降り、一階のキッチンまで来ると哲二の背中がブルッと震えた。

「こ、この感じは……」
 キッチンには異様な雰囲気が漂っていた。
 彼の保護システムとしての危険信号が頭の中で騒ぎだす。
 哲二は救急箱を取りに行くのを止め、テレビの音が洩れてくるリビングへと向かった。
 リビングに来ると彼は凍りついた。

「か、母さん!」
 そこには人間、風見哲二の母がソファーを血で赤に染め変え、ぐったりと倒れた姿があった。
 母の頭は真っ二つに割れ、その割れた隙間からは血液と混じって脳漿と脳片が流れ出てきている。

「ビンゴ!」

 その男は無様な姿で眠る母の隣のソファーでニヤニヤと笑いながらこっちを見ていた。

「き、貴様!」
「よう、冬の蝉の保護システムさん。死神がお迎えに馳せ参じました」
「お前がFXシリーズの追手か?」
「ああ、ハイ・エンドってんだ。よろしくな」
「き、貴様……待っていろ。必ず地獄に送ってやる」
 哲二の声は怒りのあまり、震えていて聞き取れない。

「おうよ。さっさと始めようぜ」
 ハイ・エンドはケンカでも始めるような余裕の顔で立ち上がり、短剣サイズの赤の剣を取り出した。
「待て! 哲二、こいつには借りがある。ここは僕が」
「卓真、お前大丈夫なのか……」
 青く腐った右腕を左手で押さえた卓真が哲二の隣に立っていた。

「ハハハッ、なんだ、お前? てめぇがこの仲間の家に逃げ込んでいくのを俺がつけていたせいで、こいつの母ちゃんが死んじまったんだぜ。なに、英雄面してんだよ?」
「う、うるさい! お前さえいなければ、僕達は……人間の世界で平穏に暮らしていれたんだ!」
 卓真は泣き叫び、ちぎれかけていた腕を自ら引きちぎった。
「な、なんつーことを……」

 呆然としているハイ・エンドを前にして卓真は胸から湧き出る怒りを一点に集中し始めた。
 ちぎられた腕のつけ根の部分から赤い血が噴出する。
「なに、やってんだよ? 自殺でも始める気か?」
「お前に斬られた腕を……汚された血を流しているんだ」
 噴出していた血は次第に色を変えていく。
 赤い血が緑の液体へと変わっていき、その液体が消えたはずの右腕を修復していく。

 右腕を取り戻した卓真は更に変化を遂げていく。
 少年の細い腕は腫れ上がったような厚い筋肉を帯び、それが全身にまわっていく。
 そこにはもう少年の姿はなかった。卓真は人間の体を捨て、灰色熊のような巨漢へと変身していたのだ。

「ヘッ、とうとう、正体を現しやがったな。保護システムが!」 
「うるさい! 綾香は僕の大切な人だったんだ。お、お前なんか! お前なんか! お前なんかぁぁぁぁぁぁぁ!」
 狂ったように叫び続ける卓真の声は既に少年の声のそれではなく、低く荒い悲痛な声は男そのものであった。
 全身の力を両腕に込めてハイ・エンドに襲い掛かった。

 この時の卓真の力は以前、ハイ・エンドと対峙していた時のものとは比べようもないほどの怪力でハイ・エンドの両腕を掴むと軽々と持ち上げ、そのまま突進していった。
 ハイ・エンドはリビングの壁に強く頭を叩きつけられ、余りの力に目が回った。
 リビングの壁が打ち破られ、気がつくと戦いの場は家の庭へと移動していた。

「お前なんか、潰してやる!」
 卓真はハイ・エンドの頭を左右から押し潰そうと、圧力をかけた。
 更に、親指はハイ・エンドの両目にあった。
 ハイ・エンドの瞼は痙攣を始める。
 外から圧力がかかるため、眼球が必死に逃げ場を探そうとしているのだ。
 案の定、彼の右目はつぶれ、視神経が絶たれた。血の涙が体の異常を訴える。

「ふざけやがって……いてぇじゃねぇか!」
 目から血を垂れ流したハイ・エンドは持っていた赤の剣を赤く光らせ、剣に古代文字が浮かび上がるのを、残った片目を見開いて確かめた。  
 これがこの赤の剣が発動した証なのだ。
 危機を悟ったハイ・エンドは発動させた赤の剣を卓真の口に突っ込む。口の中で剣は更に光を増し、卓真の体から赤い光りが漏れる。

「うぜぇんだよ、てめぇ!」
 卓真の体から漏れる赤い光りは庭の暗い闇を包み込み、辺り一面が昼間のように明るくなった。
 その光りはただの光りではない。レーザー光線に勝るとも劣らない高熱で全てを焼き尽くすのだ。
 赤の剣が吐き出した光りは一瞬にして標的の頭を黒焦げにさせた。

 だが、ハイ・エンドの反撃はまだ終わらない。
 煙をあげる卓真の口に突っ込んだまま、赤の剣の形態を変える。
 剣はハイ・エンドの力に呼応すると、両端が伸びて卓真の後頭部を突きぬけ、ドリルのように物凄い速さで回転した。
 卓真の頭はもう人間のそれではない。庭にはミキサーでバラバラになった脳片と血液が芝生に付着している。
 司令部を失った体は動きを停止する。
 ハイ・エンドは冷たくなった卓真の太い腕から逃れ、地面に着地した。


「ざけやがって……右目がイカれちまったか」
 頭を左右に振りながら意識を保たせ、無残な姿になった巨体を地面に蹴り倒す。
 すると、ズシンと大きな地響きが庭中に伝わった。