あっけないほどに、とんとん拍子に話は進んだ。
その朝は、雨が降っていた。
二月の末、うるう日が輿入れの日として選ばれた。

「……」

振袖を纏って、迎えの籠を待つ。
いつものボロのほうがましなように思われた。
髪や肌の手入れなど何もしていない、痩せこけた自分には似合わないのだから。


「あら、なんだいあれ。気味が悪いねぇ……面なんてつけて」


和江の声に顔をあげると、雨の中、しずしずとこちらにやってくる籠が見えた。
籠の担ぎ手が二人と、先導の者がひとり。
いずれも黒紋付に、狐の面をつけている。

あきらかに、尋常な様子ではない。
そもそも。
これから嫁ぐというのに、相手はおろか、行き先すら知らされていないのだ。
どうでもいい、ごみ同然の娘である和泉。
しかし、戸籍のうえでは唐紅家の『令嬢 』だからこそ、このような縁談に申し入れができたし、お相手も申し入れを受け入れてくれたのだろう。


「申す」


唐紅家の門の前で籠がとまり、先導の男がよく通る声で口上を述べた。
菊次郎が気圧されながらも返答し、和泉は籠の前に進み出る。

「唐紅和泉でございます」

深々と、頭を下げる。
礼儀作法など習ったことがないが、せめて、無礼のないように。

狐面をつけた先導の男が、小さく息を呑んだような気がした。
きっと、あまりのみすぼらしさに呆れてしまったのだろう。

心底、面倒くさそうな義理の家族に、「今までお世話になりました」と頭を下げる。
吐き捨てるように、和江が、

「本当にね」

と呟いたのを聞いても、もう何も思わない。
狐面の先導が懐から目録と小さな包みを取り出し、朱塗の盆にのせて菊次郎にうやうやしく差し出す。

「結納金でございます」
「おお……!」

菊次郎がぎょろりと目を剥いた。

「此度の縁談が破談となりし折にも、この結納金をお返しいただく必要はございませぬ」
「なんと!」

ほんとうに、相手はたいそうな金持ちなのだろう。
あるいはこれは口止め料という意味合いもあるのかもしれない。
このような妙な花嫁探し、裏があるに決まっているのだから。

和泉の心だけを置き去りに、すべてが滞りなく行われた。
いよいよ、出立である。


「子どもたちのこと……どうか、おねがいします……」


たった一言。
どうにか絞り出した和泉の願いは、すげなく無視された。

(あぁ……どうか、あの子たちだけは……)

失意の中、和泉は籠に乗り込む。
籠の中は、今まで嗅いだことのないような、上等な香が炊き染められていた。


「…………」


ゆっくりと籠が動き出す。
小さな窓からぼぉっと外を眺めていると、憐れむような町の人々の顔が見えた。

輿入れにともなう喜びも、幸せもない。
ただ、諦めだけが渦巻くなかで、ある声が聞こえた。

「ねぇちゃーん!」

聴き慣れた声と、必死にかけてくる小さな足音。

「和泉ねぇちゃーっ!」
「和泉ねぇ! 和泉ねぇっ!」
「……っ、みんな……」

おもわず、窓に齧り付く。
みつ子をおぶった一弥のあとに、次郎とふたばが続いている。

唐紅和江の意地悪により、たくさんの仕事を押し付けられ、和泉の輿入れに参加することも許されなかった救児院の子どもたち。
彼らが、どうにか都合をつけて、和泉を見送りにきてくれたのだ。
ああ、どんなに大変だっただろう。
これから、どんなに心細かろう。

「ねぇちゃん、和泉ねぇちゃん! 幸せになってね!」
「そうだよー! しあわせにねー!」


(みんな……だめよ、私だけが幸せになんてなれるはずない)


涙が溢れてくる。
婚礼のために塗りたくった化粧を台無しにしてしまうとわかっているのに、止められない。

籠の小窓にかじりつき、声の限りに叫ぶ子どもたちの顔を目に焼き付ける。


「しあわせになんて……なれないよ……」


しずしずと進む籠は、やがて町はずれの川を渡った。
向こう岸から、いつまでも、いつまでも、子どもたちの声が聞こえるような気がして、また涙が溢れてきた。