「たった一晩だけですが、虹治さまと共に過ごしました……その、虹治さまがどなたでも、私の感じたことは変わらないかと思います……」
「へぇ?」
「他ならぬ雲の上のお方であるはずの帝が、こんなに親しみやすいお方なのですから……その、悠祈様が……陛下が帝でも帝でなくても、貴方様の心根は変わらないのでは?」
悠祈は驚いたように和泉を見つめる。
はっとした。
(なんて、無礼を.知ったような口をきいてしまった……!)
平伏して謝罪をしようとした、その瞬間。
「……ふふ、あはははは! これはこれは、一本取られたなぁ!」
おかしくてたまらないというように、悠祈が笑い声をあげた。
相変わらず黙っているが、虹治もなにやら毒気を抜かれた様子。
「あ、あの、申し訳──」
「いやいや……こほん、謝るでないぞ、娘。帝からの命であるっ」
「は、はいっ」
芝居がかった悠祈の口調に、おもわず笑ってしまう。
「よろしい。それにしても、輿入れした日に、さっそく夜を共にしたとは。我が友はなかなか手が早いようだ」
「……えっ」
「…………。さっきのは、そういう意味ではないぞ」
「あ、ああっ……」
やってしまった。
和泉は両手で顔を覆い、へなへなと背を丸める。
顔から火が吹いたかと思った。
◆
濃い煎茶三杯分、和やかな時間を過ごした。
「金平糖か、懐かしいねー。俺にもひとつくれよ」
「いくらでも食えばいいだろう」
「おやおや、つれないな。じゃあ、和泉に『あーん』してもらおうかなー」
「え、あの……へ、陛下」
「……やめろ」
「ははは、冗談だ!」
悠祈がいると虹治は(わかりにくいが)よく笑っていて、その横顔を見ていると心に春風が吹くような、そんな気がした。
「さてさて。そろそろお暇しようかな。あまり留守にすると、近侍がうるさいからねー」
「で、ではお見送りを……」
「いや、いいよ。送り迎えは銀夜に頼んでいるから……おーい、銀夜やー」
悠祈が銀夜を呼ぶと、どこからともなく狐面の黒紋付が姿を表した。
輿入れがどうこうに関わらず、普段から五つ紋付きを着ているようだ。
「陛下、こちらへ」
「うむうむ、いつも悪いねー」
立ち上がって、ぐぅっと伸びをした悠祈は、ふと和泉を振り返る。
「そういえば、名を聞いていなかった。無礼を許してほしい。えー……」
「唐紅和泉、でございます」
「うん、和泉か」
呼び捨てをされた。
けれど、嫌な感じもしなければ、威圧感もない。
生まれたときから高貴な身分であられる悠祈にとって、ごくごく自然なふるまいだからだろうか。
「虹治を、末長くよろしく頼む」
それは、帝としてか。
はたまた、友人としてか。
とても優しい顔で、和泉に小さく頭を下げた。
帝に頭を下げられるなど、昨日までの和泉に言っても絶対に信じられないであろう出来事に絶句する。
そのとき。
「……悠祈」
「ん?」
「おまえの言葉には、おまえが望まなくとも力が宿る。和泉さんに、無理強いをするのはやめろ」
虹治が言った。
平坦な、まるで冬の河原を吹き抜ける風のように寂しい声だ。
「和泉さんが俺を恐れるようになったときに、ここから去るときに、おまえの言葉が枷になるといけない」
「虹治さま……?」
「……明日は、満月だ」
満月。
それが、何か問題なのだろうか。
「なるほどな」
悠祈は中折れのハットを被りながら呟く。
その声色からも、「満月」というのには、どうやら何か意味があるようだ。
「ともあれ、君たちの幸いを祈っているよ」
そんな言葉を残して、悠祈は帰っていった。
「へぇ?」
「他ならぬ雲の上のお方であるはずの帝が、こんなに親しみやすいお方なのですから……その、悠祈様が……陛下が帝でも帝でなくても、貴方様の心根は変わらないのでは?」
悠祈は驚いたように和泉を見つめる。
はっとした。
(なんて、無礼を.知ったような口をきいてしまった……!)
平伏して謝罪をしようとした、その瞬間。
「……ふふ、あはははは! これはこれは、一本取られたなぁ!」
おかしくてたまらないというように、悠祈が笑い声をあげた。
相変わらず黙っているが、虹治もなにやら毒気を抜かれた様子。
「あ、あの、申し訳──」
「いやいや……こほん、謝るでないぞ、娘。帝からの命であるっ」
「は、はいっ」
芝居がかった悠祈の口調に、おもわず笑ってしまう。
「よろしい。それにしても、輿入れした日に、さっそく夜を共にしたとは。我が友はなかなか手が早いようだ」
「……えっ」
「…………。さっきのは、そういう意味ではないぞ」
「あ、ああっ……」
やってしまった。
和泉は両手で顔を覆い、へなへなと背を丸める。
顔から火が吹いたかと思った。
◆
濃い煎茶三杯分、和やかな時間を過ごした。
「金平糖か、懐かしいねー。俺にもひとつくれよ」
「いくらでも食えばいいだろう」
「おやおや、つれないな。じゃあ、和泉に『あーん』してもらおうかなー」
「え、あの……へ、陛下」
「……やめろ」
「ははは、冗談だ!」
悠祈がいると虹治は(わかりにくいが)よく笑っていて、その横顔を見ていると心に春風が吹くような、そんな気がした。
「さてさて。そろそろお暇しようかな。あまり留守にすると、近侍がうるさいからねー」
「で、ではお見送りを……」
「いや、いいよ。送り迎えは銀夜に頼んでいるから……おーい、銀夜やー」
悠祈が銀夜を呼ぶと、どこからともなく狐面の黒紋付が姿を表した。
輿入れがどうこうに関わらず、普段から五つ紋付きを着ているようだ。
「陛下、こちらへ」
「うむうむ、いつも悪いねー」
立ち上がって、ぐぅっと伸びをした悠祈は、ふと和泉を振り返る。
「そういえば、名を聞いていなかった。無礼を許してほしい。えー……」
「唐紅和泉、でございます」
「うん、和泉か」
呼び捨てをされた。
けれど、嫌な感じもしなければ、威圧感もない。
生まれたときから高貴な身分であられる悠祈にとって、ごくごく自然なふるまいだからだろうか。
「虹治を、末長くよろしく頼む」
それは、帝としてか。
はたまた、友人としてか。
とても優しい顔で、和泉に小さく頭を下げた。
帝に頭を下げられるなど、昨日までの和泉に言っても絶対に信じられないであろう出来事に絶句する。
そのとき。
「……悠祈」
「ん?」
「おまえの言葉には、おまえが望まなくとも力が宿る。和泉さんに、無理強いをするのはやめろ」
虹治が言った。
平坦な、まるで冬の河原を吹き抜ける風のように寂しい声だ。
「和泉さんが俺を恐れるようになったときに、ここから去るときに、おまえの言葉が枷になるといけない」
「虹治さま……?」
「……明日は、満月だ」
満月。
それが、何か問題なのだろうか。
「なるほどな」
悠祈は中折れのハットを被りながら呟く。
その声色からも、「満月」というのには、どうやら何か意味があるようだ。
「ともあれ、君たちの幸いを祈っているよ」
そんな言葉を残して、悠祈は帰っていった。