森の中を歩いている自分がいる。
何度見たか分からないその光景が夢だと、フィリカはもう知っていた。これから何が起こるのかも。
……森の、見張りに当たっていた夜だった。
国軍所属の兵士は、特別な理由がない限り全員、二月ごとに交替で森林地帯側の国境監視任務に当たることとなっている。不法な入出国者を取り締まるのが主な目的だ。フィリカを含む約百名は半月前、現在の監視兵の半分と交替するため、森の国境に到着した。
配属された隊にレシーが危惧する人物はいなかったので、取り越し苦労だとは思っていたものの多少はほっとした。ウォルグ・ロンデール──イルゼ卿の三男。位は侯爵ながら、イルゼ家は王家に次ぐ古い家系の一つである。
現当主夫妻が、上の二人とは歳の離れた末息子を溺愛しているとの話は、訓練生になってすぐに耳にしていた。イルゼ家は代々軍の幹部を輩出する家柄で、遠からず末息子も訓練生になると噂されていたからだ──両親が手放すのを惜しんだ結果か当人の意志かは分からないが、ウォルグ・イルゼが実際に訓練生入りしたのは三年後、十九歳の時だった。
当初からウォルグの問題行動は知れ渡っていた。軽い規則違反は数えきれず、謹慎処分に至ったことも数回。立場が上であっても格下の相手はあからさまに軽んじ、弱い立場の者は遠慮なくいたぶった。
除籍に至らなかったのは引退した父親が元将軍職だったからであり、故に、ウォルグの言動は軍入隊後も改善されはしなかった。
昨年の秋のある日、フィリカは、取り巻きとともにウォルグが下級兵を虐待している現場に行き会った。軍入隊では同期だったが、訓練生は入隊後すぐに小隊の副長職に就くため、下級兵にとってウォルグは上官であった。
何が理由だったのかは知らない。おそらく、ほぼ確実に些細なことであったのだろうが、フィリカが現場を通りかかるまでに、下級兵はすでにかなりの暴行を受けたようだった──顔がひどく腫れて額からは血が流れ、半ば倒れ伏していた。
その上にウォルグが、懐から取り出した鞭で打とうとしたため、割って入ったのだ。部下の躾に口を挟むなとうそぶくウォルグに、これは躾ではなくただの私刑でしかないと言い返した。
直後、周辺に集まり始めていた数人の兵士の間からざわめきが上がった。その声に、フィリカの恐れのなさに驚きながらも同意の響きが少なからず混ざっていたことに、ウォルグは間違った自尊心を傷つけられたらしい。矛先をフィリカに向け、代わりに罰を受けるならこいつは許してやってもいいと、下級兵を指し示しながら尊大に言った。
フィリカはためらわず上着を脱ぎ、背中を向け膝をついた。周囲は再度ざわめき、取り巻き連中は息を呑んだようだった。ごく控えめに「このへんで止めた方が──」と進言する声も聞こえたが、ウォルグはうるさいと一蹴し、宣言通りに鞭をふるった。