その父がいなくなった以上、フィリカにはもう、上を目指す理由は何一つなかった。出世も名誉も、それ自体には何の興味も感じていなかったから、それらに繋がるものは全部断ってきた。
 訓練生を経てきた者は、最初の数年は連続して昇進するのが普通である。実際、同期のレシーなどは現在、国軍第二中隊の副長の一人だった。フィリカが属する小隊のさらに上だから厳密には上官に当たる。だが彼にしつこく懇願されたこともあり、二人だけの時は今も、敬語を省いて会話している。
 二人部屋である自室に入ると、同室者が戻った様子はあったが、姿はない。そういえば宿舎内食堂での夕食時間帯だと思い当たったが、急ぐ考えは起きなかった。
 ──今はまだ、一人でいたい気分だったから。
 上着を脱ぎ、自分用の寝台に少し勢いを付けて寝転がった時、微かに背中に痛みが走った。その拍子に数週間前のことが頭に浮かび、連想で先程の会話を思い返す。
 ……レシーが、心底から自分を気遣ってくれているのは分かっている。その気持ちが、昔馴染みだからという理由だけのものではないことも、ずいぶん前から気づいていた。
 彼のことは、決して嫌いではない。同世代の子供と親しくなる機会のなかったフィリカにとっては、レシーは唯一の友人、のような存在と言っても良かった。
 昔から、そして今でも、フィリカがどれだけ素っ気なく接しても、愛想を尽かすことなく話しかけてくる。その根気強さは尊敬に値するとさえ思っているし、感謝して然るべきだとも考えている。
 だが、彼と話していると、時々どうしようもなく苛立ちを覚えてしまう自分がいる。先程のように踏み込んだことを言ってくる時も確かにあるが、普段はむしろ、深入りは避けようとしてくれているにもかかわらず。
 そう感じるのは、彼が時折あからさまに見せる、同情心のせいだろうと思う。子供の頃からの知り合いなだけに、フィリカの家庭環境も、どんなふうに育ってきたかも、大筋のところは知られてしまっている。本人は無意識なのかも知れないが、レシーがこちらに向ける視線にはたびたび、同情が色濃く混ざっていた。
 フィリカは自分を「可哀相」とは思っていない。正確に言うなら、そんなふうに考えるのはとうの昔にやめた。今さら、ましてや他人にそう思われることには、屈辱に近いものすら感じてしまうほどだった。レシーが純粋な感情から、フィリカの境遇を気の毒がっているのだとしても。
 だから、申し訳ないと思いながらも、彼の気遣いや好意は時々、重く鬱陶しく感じるのだった。全く裏などないと分かっていても──否、だからこそ、レシーの気持ちに応える気にはなれない。
 根本的にそういう対象としては考えられなかったし、異性として特別に感じたとしても、彼と特別な関係になることは思いもよらない。その先に確実にある、結婚して家庭に入るという未来が、フィリカには受け入れ難いのだった。