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あっという間に、義嵐さまと…あんなに賑わいを見せていた山犬の皆様の姿は、境内から消え失せてしまいました。
わたしの足元には、ぼんやりと夜闇に浮かぶ提灯の群れ。入り口の大鳥居から、拝殿、そして、本殿…狗神御殿の千本鳥居へと続く、朱色の灯りの道。山の奥深くへと迷子を誘うような、妖しい美しさがあります。
そしてそれは、わたしが進むべき道を示しているようにも思えたのです。
「………っ。」
胸の前で両手を強く握り合い、決心しました。
物見櫓の急な梯子をゆっくりゆっくり降り、提灯の灯りの道を辿ります。山犬達の足音で崩れた屋台を避け、拝殿を過ぎ、その裏手へと。
拝殿の裏にはさらに山の上へと続く階段があり、階段に沿って、朱色の千本鳥居が長く長く続いています。
奥を覗いても、気の遠くなるような鳥居の道が続くばかり。先は見通せません。
提灯の赤い灯りに照らされた千本鳥居は、神聖な物のはずなのに、どこか不吉な予感を抱かせました。
ーーーもしかすると仁雷さまも、この先に…?
わたしはごくりと生唾を飲み、ゆっくりゆっくりと、階段を登っていきます。
「………。」
ただ前方だけを見つめ階段を登り続け、程なくしてのことでした。
「ーーー早苗さん!」
背後から、わたしは名を呼ばれたのです。
忘れようはずもありません。その優しいお声を。
「…じ、仁雷さま…?」
振り返れば、鳥居の階段を足早に登って来る、仁雷さまの姿があったのです。
紅潮した、どこかとても嬉しそうなお顔。
「早苗さん、よく此処へ来てくれた!
そうだ。俺はずっとこの鳥居で、早苗さんを待っていた。貴女が恐れず、狗神へ目通ろうとしてくれることを信じて…!
おめでとう、これで狗祭りの…いや、全ての試練達成だ!本当によく頑張ってくれたね!」
仁雷さまは興奮冷めやらぬ様子で、わたしの手を強く握りました。こんなに嬉しそうな仁雷さまを見たのは初めてです。何より、
「…わ、わたし、本当に?試練を達成したのですか…?」
「ああ、その通り!早苗さんならやり遂げられると信じていた。」
とうとう試練をやり遂げた。
感動が、わたしの奥底から湧き上がって来るのを覚えます。
仁雷さまの嬉しそうなお顔…それが見られただけでも、この長い道程を歩いてきた価値が大いにあると思うのです。
「ああ、早苗さん…!」
「っ!」
すると、仁雷さまはわたしの体を強く抱き締めました。
突然のことにわたしは驚き、同時に恥ずかしさで体を固くしてしまいます。仁雷さまは落ち着かせるように、優しい手つきで、わたしの頭を撫でてくださいました。
「……早苗さん、貴女も知っての通り、狗神の元へ行くということは、死を意味する。
これまでの旅で…貴女も、俺も、それを分かった上でここまで来たはずだ。」
「はい………。」
仁雷さまの手が止まります。
不思議に思ったわたしが見上げると、まるで熱に浮かされたような、苦しそうな仁雷さまのお顔があるばかりなのです。
「……仁雷さま…?」
「………さあ、早苗さん。
もう終わったんだ。
俺と一緒に、“狗神の山を出よう”…。」
その言葉は、わたしの体を一層硬直させました。
狗神様の山を出る。それは、巡礼からの逃避に他なりません。
仁雷さまのお顔に、冗談めいた色は見られません。とても真剣な様子が窺えました…。
「………でもっ……わたし、狗神様に…。」
「…早苗さんは充分すぎるほどの勇気を示してくれた。狗神もそれを分かってくれたよ。ずっと見守っていたからな…。
俺と、早苗さんの深い絆を認めてくれた…。
もう狗神の呪いに縛られなくていい。
俺達二人で、外の世界で、新しい人生を歩んで行けるんだ。」
狗神様が、わたしを見ていてくださった?
仁雷さまと、わたしを認めてくださった…?
「……そうで、あれば……、」
ーーーこんなに、幸せなことはありません。
「俺は早苗さんが大切なんだ…。
何があっても俺が護ると誓うから、どうか…俺と一緒に来てくれ…。」
仁雷さまの綺麗な瞳。
それが真っ直ぐにわたしを映す。
「…………仁雷、さま…。」
夢のよう。仁雷さまと一緒にこの先を歩んでいける。そんな未来が、わたしに許されるだなんて…。
本当に、夢のよう。
「……………あなた……っ、」
そう、そんなのは夢に過ぎないのです。
「あなたは…仁雷さまじゃない…っ。」
わたしは精一杯の力で彼の胸を押し、抱擁から逃れました。
驚き、見開かれる琥珀色の目。
「……わたしの知る仁雷さまは、決してお役目を違えず…、わたしの決心を尊重してくださる、真摯な方です…!それに…っ、」
ーーー仁雷さまから、これほどまでにわたしの欲しい言葉をいただけるなんて、有り得ないことだもの…。