わたしの叫び声と同時に、不思議なことが起こりました。
青衣の背後…崩壊した床板の底から、別の狒々が飛び出してきたのです。燃えるような緋色の目と、同色の毛を蓄えた、雄々しい巨大な狒々。その胸元には金の円鏡。

【…緋衣様…!!】

柿様が泣きそうな声を上げました。
緋衣様は傷ひとつ無い体で、そのまま青衣目掛けて突進しました。獣と獣のぶつかり合う音と振動は凄まじく、橋全体が大きく揺れるほど。

【緋衣、貴様!!なぜ生きておる!?】

青衣は叫びながら、鋭い歯を剥き出し、緋衣様の首元に噛み付きます。
しかし奇妙なことに、牙は見えない壁に阻まれるように停止し、緋衣様の体を裂くことは出来ないのです。

今度は緋衣様が牙を剥き、青衣の二の腕を捉えました。
痛みに絶叫する青衣。闇雲に腕を振り回し、牙から逃れようとしています。
青衣に顔を殴られようとも、緋衣様には傷ひとつ付かず、決して歯牙を離そうとはしませんでした。

【…この、化け物め!!】

青衣の振り上げた腕の筋肉が、一層太く盛り上がります。渾身の力を込めた拳を、緋衣様目掛けて振り下ろそうとしますが…、

【……ッ!!】

喉笛に“別の歯牙を受け”、青衣は悲鳴を上げることすら叶わなくなりました。

その歯牙の持ち主は、体を不気味な紋様に拘束された姿。
芒色の髪を振り乱し、まるで首だけで生きているかのように、青衣の喉笛ただ一点に、強く強く食らいついている。

仁雷さまでした。

血走った目が見据えるのは目の前の獲物のみ。強すぎる咬合(こうごう)のあまり、牙の根から血が流れても、決してその力を緩めようとはしない…。

その痛々しい姿に、わたしはひどく胸が締め付けられる思いで。

「仁雷さま…やめて……っ!!」

たまらず懇願してしまう。

そうしてとうとう、仁雷さまは青衣の喉を食い千切りました。
声の無い悲鳴を上げる青衣。その隙を狙い、緋衣様は青衣の頭を両手で掴み、勢いよく橋の床板へと叩き付けました。

「っ!」

その瞬間は、義嵐さまの手によって視界を遮られてしまったために、わたしの目には映りませんでした。