「早苗さん、しばらくぶり。
すっかり見違えちゃったね…。怪我は?」

「いえ…大丈夫です。」

失礼を承知で、着物の上から彼女の体に触れ、痛むところが無いかを確かめる。
…良かった。擦り傷や小さな切り傷はあちこちにあるが、命に関わる怪我は無さそうだ。

「義嵐様もご無事で何よりです。遅くなってしまって、申し訳ありません…。」

「いいや、よく助けに来てくれたね。
仁雷とは(はぐ)れたか…?」

「…はい、山の中で…。青衣に、囚われてしまったと…。」

早苗さんの気丈の仮面が崩れかける。
しかし、それを奮い立てるのも彼女自身。
早苗さんは滲みかけた涙を、泥んこの袖で拭い去り、真っ直ぐな目でおれを見た。

「義嵐さま。どうかわたしと一緒に、仁雷さまを助けて…。」

「……早苗さん……。」

一緒に、かぁ。
あんなに小さくてか弱かった娘にここまで言われちゃ、おれも腹を括らないわけにはいかないよな。

「たくさん頼りなよ。
必ず早苗さんを護り抜く。もちろん仁雷の奴も。」

その言葉を受け、早苗さんは心底嬉しそうに笑ってくれた。

ーーーああ、やっぱりその笑顔。

おれはどうしたって、この笑顔を護りたくて仕方ないんだ。


「早苗さん、出立前に体と着物を清めておいでよ。そのままだと気持ち悪いだろう?」

「あっ……う…いいえ。嬉しいお言葉ですが、今はお役目を早く果たしたいので、……に、においが気になると思いますが…このままでいさせてくださいませ。」

女の子にとって、今の状態は決して気分良いはずがないのに。
それでも、自分に課せられた責務を全うしたいという想いが、早苗さんの行動を決める。
ならばおれは、尊重するだけ。

「……わっ…!」

彼女の小さな体をヒョイと抱え上げ、肩に乗せてやる。丸二日軟禁された体は、動き回りたくてうずうずしていた。

「さっさと行こう、緋衣。
あんたの待ち侘びた試練の場へさ。」

緋衣はおれと、肩の早苗さんを見つめる。
それからハアァ…と長い溜め息を吐き、傍らの白猿に命じる。

「柿!儂の(とも)をせよ!」

【緋衣様……。
は、はい、どこまでも…っ。】


緋衣は柿と同時に、真っ直ぐ社殿の外へと駆け出した。
それを追いかけ、おれ達も駆け出す。

狒々達の脚力は目を見張るものがあった。
打掛(うちかけ)の重みなど無いかのように、緋衣の身のこなしは風の如し。人の姿をしていながら、獣が山を駆るのと同じ速度で、緋衣はおれ達との距離を開いていく。
青衣に撒かれた時のことが思い出される。そして悔しげな仁雷の顔も。

「………っ!」

あまりの速さに、早苗さんがおれの頭にしがみ付く。毛を掴む手から、確かに伝わる震え。

【…大丈夫。信じてな、早苗さん。】

山犬の姿に変化し、緋衣の背中を追い掛ける。速く、速く、速く。
丸二日温存し続けた体力は、いくら脚力を振り絞っても、一向に尽きることはなかった。