お猿の後を追いかけて、どれだけの時間を歩いたのでしょう。日はすっかり沈み、辺りは闇に包まれました。
手元には灯りもなく、方位を知る道具もありません。お猿の白い毛がどこを歩いているのかも分かりません。
「………はぁ、はぁ……。」
わたしは夜目が利かないものですから、辺りをいくら見回しても、ここがどこで、どのような場所なのか見当もつかないのです。
耳を澄ませば、微かな虫の音と、風に葉が擦れる音がするばかり…。歩き続けた疲れも相成って、わたしは無性に寂しい気持ちに襲われました。
「……どうしよう…。わたし…。」
山の中に一人。このまま迷い果て、いずれは獣に食べられてしまうのかしら…。
おかしな話。狗神さまの生贄となるために、とっくに死を覚悟したはずだったのに。
今のわたしはとても、“死ぬのが怖い”と思ってしまっている。
それどころか、とても人恋しい気持ちに駆られている。母さま…星見さま…、義嵐さま…、仁雷さま……。
「…どうか、…わたしをひとりにしないで…。」
寂しくてたまらない。胸に渦巻く不安を取り除きたくて、自分自身を強く抱き締めます。
それでも、感じるのは知った温もりひとつだけ。それはわたしの不安や寂しさを、さらに増長させるだけでした。
ーーーああ、わたしはなんて鈍かったのかしら。死ぬ覚悟ができたなんて、真っ赤な嘘だわ…。
自分がこんなにも弱くて、臆病だったなんて、知らなかったの。屋敷で皆から遠巻きに見られて、さみしくて、ずっと気丈に振る舞っていただけ。わたしはまだ、たった十三の子どもだったんだわ…。
わたしは大きな木にもたれ掛かるようにして、その場に座り込みます。
こんな時、年相応の子ならどうするのかしら。声を上げて泣いて、両親を呼ぶかもしれない。でも、縋れる両親もいないわたしに、同じことは出来ないわね…。
そう思うだけでだんだんと、目頭が熱くなっていきました。
…ふと、
「…………っ。」
暗闇の中で、わたしの頬に柔らかな“毛並み”が触れました。
温もりを持つ滑らかな毛並み。しかも、それはとても大きな体をしているのが分かりました。足音を殺しているけれど、大きく重い足が草を踏み締める音が耳に残ります。
「………誰…?」
わたしを導いてくれたお猿ではない。
それにこの毛並み、どこかで触れたことがあるように思えます。
獣はわたしのそばに寄り添い、腰を下ろします。近づく確かな呼吸。山の香り。ふかふかとした毛の感触は、お犬の姿の仁雷さまを思わせました。
「……仁雷さま、なの…?」
獣は答えません。
けれどその場から去ることはなく、穏やかな呼吸を繰り返します。
わたしの肌に、柔らかな苔のような感触もありました。
…仁雷さまじゃない。でもこのお犬は、きっと優しい気持ちでここに居てくれるのだわ。
「……わたしを慰めてくださるの…?」
お犬の鼻先が、わたしの頬に擦り寄ります。安心させるように。
「ありがとう。優しいのね…。」
間近の温もりに、わたしは心が解されていくのを感じました。
少しだけ、少しだけ頼ってもいいのかしら。とても疲れてしまったものだから…。
「…あったかい……。」
わたしはお犬の大きな体に身を預け、そうして目を瞑ります。
意識は、深い深い眠りの底へと、ゆっくり落ちていきました。