◇◇◇
早苗さんが攫われた。
何者だ?なぜ突然、よりにもよって彼女を?
俺はなぜもっと早く反応出来なかったんだ。
俺達に助けを求めた、早苗さんの怯えた顔…。
居ても立っても居られず、あの大男が走り去った方向を目指し、俺もまた走り出した。
人の姿じゃ遅すぎる。芒色の山犬の姿となって、力の限り脚を回す。
【早苗さんっ、早苗さん…!!】
だが…俺がどれだけ走ろうと、あの大男に追いつくことはなかった。
広くどこまでも続く街道の彼方に、二人の姿は消えてしまったのだ。
全速力の脚も、もう追いつけないと悟ったとたん、力が抜けていく。
次第に速度が落ち、やがて…、
「…くそ…っ!!」
俺は人の姿で、その場に立ち尽くしてしまった。
「ーーー仁雷!」
後から追いついた義嵐には目もくれず、俺は早苗さんが連れ去られた方角を睨む。
「…何なんだ、あいつは。何者なんだ?なぜ、早苗さんを…?」
「…落ちつけよ、仁雷。」
「…っ、状況が分かってるか、義嵐!!
俺達は早苗さんの護衛だろう!それなのに…っ、みすみす連れ去られたんだ!
奴がもし彼女の命を狙っているとしたら…!」
自制が効かないほど、俺は追い詰められていた。
義嵐に当たったところで何にもならない。頭では分かっているのに。
「……俺が、もっと注意深く彼女を見ていれば…。」
自分自身が憎い。いくら責めて罵っても足りない。
そんな俺を鎮めるのはいつだって、義嵐の役目だ。
「何者にせよ、奴は早苗さんが犬居の娘であることを知ってた。巡礼に関係しているのは間違いない。何か必要があって連れ去ったんだとしたら、無闇に命を奪ったりはしないだろ。
幸い早苗さんは焼き団子を食べてたから、匂いが強く残ってる。それを辿れば、居所なんてすぐに分かるさ。」
言うが早いか、義嵐の体が大きく盛り上がり、見慣れた炭色の山犬に変化する。
【そら、泣いてる暇はないぞ。さっさと走れ仁雷!】
「……な、泣いてない。お前こそ、脚を緩めるなよ!」
次いで、俺も元の芒色の山犬に変化する。
そうだ。立ち止まってる暇なんてない。今こうしている間にも、早苗さんは脅威に晒されている。
雨や風で匂いがかき消されないうちに、俺達は早苗さんの連れ去られた方角を目指し、走り出す。
【あの男……見つけたら必ず喰い殺す…!!】
【…仁雷、仁雷。顔が恐い。】
今度は、自分の中に湧き立つ“怒り”を抑えることが出来なかった。