また鬱蒼とした獣道を歩くものと覚悟していましたが、南方へ続く道はとても緩やかな人工道でした。

昔、南の山から初めて砂金が採掘され、犬居家が採掘事業を展開した歴史があります。山の豊富な資源と、金山(きんざん)の開拓によって、犬居家は莫大な財を築きました。その頃に運搬のための道が整えられ、採れた砂金を都まで運んでいたといいます。
現在ではほとんど資源は枯渇してしまったため、この道を使う必要も無くなってしまったとか。


お日さまは天上高くに昇っています。
朝早くに出立(しゅったつ)してから歩き通し。人の身であるわたしはどうしても、すぐに足に限界が来てしまうのです。

「………はぁ、はぁ…。」

歩みが遅くなったことに気づき、仁雷さまが足を止めます。

「早苗さん、疲れたよな?
ここらで休憩しよう。」

「…はぁ、す、すみません。少しだけ…。」

少しの間、腰を下ろして休めば大丈夫…。
そう思って少し目線を先にやると、義嵐さまがこちらに手を振っているのが見えます。

「おーい!ここ!ここで一服しよう!」

義嵐さまが指差す方向を見れば、一軒の小さな茶屋があります。
ああ、嬉しい。ほんの一瞬足の疲れも忘れて、わたしは仁雷さまと駆け出します。


茶屋へ着くと、既に義嵐さまが三人分のお茶と、串団子を頼んでくださっていました。
腰掛けに座り、疲れた脚を目一杯伸ばします。

餡子(あんこ)(くる)んで焼いた、焼餡団子(やきあんだんご)。ここの名物なんだとさ。おあがり、早苗さん。」

「まあ…!ありがとうございます!
いただきます。」

お盆に乗った串団子を一本つまみます。その香ばしい匂いを胸一杯に吸い込めば、それだけでさっきまでの疲れが吹き飛んでしまいそう。

串に刺さった三つの玉のうち、一つ目を口に運びます。
口いっぱいのお団子をよく噛んでよく噛んで…、

「んん〜〜!」

餡子の甘味のなんて奥深いこと!お団子表面の香ばしさが、さらに甘味を引き立てています。
お団子をよく噛み、味わい、飲み込むまで、わたしは何かの儀式のように、ひとつひとつの動作を丁寧に行なっていました。

そんな様子がおかしかったのか、右隣に座る義嵐さまが笑います。

「ハハッ、本当幸せそうに食うなぁ早苗さんは。」

「あっ、す、すみません。夢中で…。」

ふと、義嵐さまの指が、わたしの口元に伸びました。
親指がわたしの唇を優しく拭い、そのままご自身の唇へ。

「口に餡子付いてるぞ。落ち着いて食べな。」

「あ、わ……あの、ありがとうございます…。」

わたしときたら、まるで小さい子どもみたい…。あまりに恥ずかしくて、顔が熱くなってしまいます。
義嵐さまとわたしのやり取りを目の当たりにした仁雷さまは、何か恐ろしいものを見たかのような引き攣った顔をしていました。


「………。」

義嵐さまはご自分のお団子を食べることを後回しにして、わたしの顔をじっくりと眺めています。

「………。
義嵐さま?どうかなさいました?」


「早苗さんはさ、美人(・・)だよなぁ。」

その言葉を聞いた瞬間、わたしと、そしてなぜか仁雷さまも、二人で息を呑みました。
義嵐さまがそんな言葉を口にするとは、夢にも思わなかったのです。

「そ、んなことっ!
言われたこともありませんし…、な、亡くなった母のほうがずっと…その…。」

「じゃあ、早苗さんの容貌はお母上(ゆず)りか。今はまだ幼いけど、これからもっとお母上に似て美しくなるな。」

「よ、よしてください…。」

あまりの恥ずかしさに、わたしは両手で顔を覆い隠してしまいました。急にどうしたのかしら、義嵐さま…。

「………おい、義嵐。何かの悪ふざけか?
早苗さんを困らせることを言うのはやめろ。」

「…は、はぁ?何だよ、素直に思ったことを言っただけだってのに。これからの成長が楽しみだなぁ〜ってさ。」

「お前はほんっ、本当に…っ、呑気な…!!」

「仁雷ももっと思ったことは言った方がいいぞ?減るもんじゃなし。なぁ、早苗さんなぁ?」

「そうやって彼女を巻き込むのもやめろ!」

義嵐さまと仁雷さまの掛け合いが面白くて、わたしは思わず笑ってしまいます。

「ふふ…、お二人はとても仲が良いのですね。」

瞳の色はどちらも似た琥珀色だけれど、毛色が違う。兄弟…というには、お顔もあまり似ていないような。

わたしの問いに答えたのは、興奮気味の息を整えている仁雷さまのほうでした。

「………山犬のお使いは大勢居るんだが、なぜか昔から俺達が組ませられることが多くて、自然と腐れ縁になったんだ。」

「そうなのですか。
ふふ、本当のご兄弟のように、仲良しに見えます。」

兄弟というものは少し憧れます。
わたしは一人っ子だし、本家の娘達はあくまでお世話すべき“お嬢様”でしたから。

ーーー星見さまだけは、最後にわたしを“妹”と呼んでくださったけれど…。

「早苗さんには、お母上の記憶はあるのかい?」

義嵐さまは先ほどと同じ、のんびりした様子で訊ねます。
その質問には、わたしは少しだけ答えるのを躊躇いました。

「母は…わたしが三歳の頃に亡くなったので、顔は朧げにしか覚えていないのです…。
でも、とても優しくて、狗神さまへの信仰の厚い方だったと記憶しています。」

わたしを寝かしつける時、狗神さまのお話を欠かさなかった母様。
なぜ突然亡くなってしまったのか…。幼いわたしには理由が分からず、当時のことを語る者もいませんでした。

女中達の噂で、流行り病に(かか)ってしまったと耳にした記憶があります。誰もわたしに教えてくれなかったのも、理由を知ればわたしが余計に気に病むと思って…。
もう十年も前のこと。わたしも成長して、今では大切な思い出として受け入れています。

「…そうかい。早苗さんの優しさも、お母上の教えの賜物(たまもの)かもしれないな。」

「義嵐さま…。
…ふふ、そうだと嬉しいです。」

少し、亡き母のことが思い出せて、わたしは嬉しくなりました。
不思議。義嵐さまの声を聞いていると、穏やかな気持ちになれるのです。まるでわたしのことを、心から大切に思ってくださっているかのような…不思議な安心感があります。

わたしは手元のお団子のことを思い出し、冷めてしまわないうちに、もうひとつ口元に運びます。