背の高い有馬新太郎の姿はすぐに見つかった。その前を行くのが藍染屋だろう。風花は人波に紛れて気配を消し、息を殺して少しずつ距離を詰める。すると、有馬新太郎が突然足を止めた。

「しまった、今日はこれから予定があるのだった」

 有馬に続けて藍染屋も足を止める。

「おや、本当ですか?」
「あぁあぁ、なじみの女に会いに行く約束をしていたのだった。すまないが日を改めていただけますか?」
「えぇ、それは構いません」
「それではまた」

 そんな会話が聞こえたかと思うと、風花は誰かに腕をつかまれ、そのまま来たばかりの道を戻る形になる。見れば自分の腕をつかんでいるのは、藍染屋とたった今別れの挨拶を交わしていた有馬新太郎その人だった。

「尾行とは、行儀が悪い」

 そう言って不敵な笑みを浮かべる。一瞬驚きで目を見開いてから風花はふいと顔を背けた。

「尾行などしておりません。忘れ物を届けに来ただけですよ」
「へぇ、どんなものだい?」

 風花は咄嗟に小さな印籠を取り出した。 ほかにそれらしいものを持っていないのだから仕方がない。父が肌身離さず持っていた印籠。これを持っていたから、その遺体が変わり果てた父だとわかった。
 
 有馬新太郎は一瞬わずかに目を見開いた。それから先ほどと同じように不敵な笑みを浮かべる。

「俺のじゃないな」
「そうですか、ではほかの方の――」

 有馬新太郎は印籠を持った風花の手を強く握る。

堺屋(さかいや)の風花といったな」
「そうです」
「見事な演奏だった。愛想はないが、俺はそういうのが嫌いではない」

 時折こういう変わった客がいることもある。愛想のない風花を好んで座敷に呼ぶ客だ。だが、そういう客は難癖をつけては風花を殴ってくる。音を上げない風花の様子を面白がっているのだ。

 だが、有馬のそれは確かな好意に感じた。その眼差しに、思わず顔が赤くなる。こんなにもまっすぐな好意を向けられるのは初めてのことだ。

「また行くよ。君を指名して座敷に呼ぶ」

 「じゃぁね」と有馬新太郎は笑みを見せてから風花の手を離した。その姿はあっという間に人の波にのまれ、見えなくなる。

「あぁ!」

 しばらくしてから、風花は印籠を取られたことに気が付いた。亡き父の形見だ。どうしたって返してもらうしかない。

「信じられない! 人の物を盗るなんて!」

 風花は大きな声で悪態をつくと、仕方なく店に戻る。次の座敷に遅れるわけにはいかない。有馬が去った方を睨んでから踵を返した。

 その夜、石田藤左ヱ門の遺体が柳川に浮かんでいたという。