男は狂気そのものといっても遜色なく、深月の血を眺めては声高々に叫んでいた。

「俺のだ、稀血、稀血は俺の、俺の!」

 誠太郎の時と同様、男は刀に付着した深月の血を舐めあげようと舌を出す。
 滴る血は鍔にまで流れ、舌先がその小さな血溜まりに触れようとする――瞬間のことだった。

「悪鬼よ、眠れ」

 空気が変わり、影が落ちる。
 静寂を連れた声が、この阿鼻叫喚と化した一室に染み渡った。

「ぐっ!? がああっ!!」

 突然、狂気な男は膝から崩れ落ちるように倒れ込む。

「……あ」

 それを目のあたりにした深月の唇からは、空気を含んだ短い声がこぼれた。
 

(帝国軍の、制服……)

 月明かりに照らされ現れたのは、軍服を身に纏う、呆けるほどに秀麗な青年だった。

「討伐、完了」

 生々しい音を立て、青年は倒れた男の肩から刀を容赦なく引き抜いた。
 その場で刀身を振ると、さらに畳に鮮血が散った。

 さきほどから血ばかりの光景に目眩がしそうだ。
 故に目もおかしくなってしまったのか、青年が手にするその刀は、薄ら赤く輝いて見えた。

「……あ、の」

 深月は、血が止まらない腕を強く押さえながら声をかける。

「あなた、は……」

 頭が混乱して続く言葉が見つからない。誠太郎が部屋に入ってきてから今までのこと、それらはすべて夢なのではないか。

 もしや、すでに夢を見ているのではないか。
 そう現実から逃避してしまいたくなる深月だが、この焼けるような刀傷の痛みは本物だ。


「――君は」

 青年の注意が男から深月に逸れる。

 部屋に流れ込んだ夜風に、すっくと立つ青年の胡桃染の髪が靡く。
 少しだけ目にかかった前髪の隙間からは、満月を彷彿とさせる淡黄の瞳がこちらを覗いていた。

「……」

 青年の視線が、深月から一瞬だけ自身の刀に移る。
 なにかを確かめるように動いた眼差しが深月のほうへ戻ったとき、青年の表情は険しいものへと一変していた。

「いや」
「っ!」
「……お前は、なんだ?」

 あろうことか青年の刀の切っ先は、深月の喉元に寸分の狂いなく向けられていた。
 助けられたと勘違いをし、なりを潜めていた深月の焦りと恐怖がそっと鎌首をもたげる。

「あ……え……?」

 問われたことの意味がわからず、情けない声を出すしかなかった。

(なんだって、言った? なんだ? それこそ、この状況をなんだと言いたいのだけれど)

 今こうして刀を向けられていることについても弁明がほしい。

「気配が妙だ。お前は人間か、それとも――華月(かげつ)か」
(華、月……? ああ、だめ、頭が……)

 探りを入れる青年の声を最後に、深月は自分の意識が遠のいていくのがわかった。