「この度は、本当にありがとうございました。そしてお怪我を負わせてしまい、申し訳ございません」
「もう何度も聞いた。構わないと言っただろう」

 暁の頬や首、腕には引っ掻き傷が多くある。記憶にないのだが、これは深月がつけたものらしい。
 乃蒼が訪ねてきたこともあり改めて謝辞を述べたのだが、暁は耳に胼胝だと口角をあげる。

「……それと、あの時に言った言葉ですが、深い意味はなくて」
「…………」
「あの時は、自分でも夢中で……すみません」
「なぜ、謝るんだ?」

 肩を窄めると、暁は横から顔を覗き込んでくる。思わず仰け反ってしまう深月だが、暁は気にせず答えを待っていた。

「以前、聞いてしまったんです。朱凰様のご家族や近しい方々が華月によって殺されてしまったと」
「……不知火だな。それで?」
「私の中に流れる血の半分は、華月のものです。朱凰様にとっては、色々と複雑でしょうから。と、特別になりたいなんて、言われてご迷惑だと思いまして……」

 言葉が纏まらないまま口にしてしまい、深月は今すぐにでも穴を掘って隠れたい衝動に駆られた。

「……確かに、家族は華月に殺された。それは今でも許せない。君を初めて前にした時も、刀身の反応に左右された自覚もある。だが……君は、違う。迷惑だとも、俺は思わなかった」

 口調がわずかに変化する。
 特命部隊隊長としてではなく、女性を前にして不慣れな彼の仕草に、深月はそっと顔をあげた。

「……朱凰様、それは」
「君の言う特別は、どういった意味がある?」

 まるで少年のような面持ちで、暁は尋ねる。

「実をいうと……私もよく、わからなくて」

 深月もまた、少女のような顔をしていた。

 互いに不慣れな感情に翻弄され、しかし本当の意味ではまだ、気がついていない。

 それでも深月は思う。
 美しい顔が今までにない新たな表情を作るたび、胸が躍る。
 あの一件以来、満月が怖いと感じるようになっても、同様の色をした暁の瞳を見れば、心が穏やかになっていく。

(今は、朱凰様のそばにいられることが、ただ嬉しい……)

 この時間こそが、特別になっている。

 そう結論付け、深月が無言のまま頬を緩めると、暁は不思議そうにしながらも深くは聞かなかった。

「──よく、わからないが。君のそういった顔を見られるのは、なぜだか嬉しく思う」


 この時は、まだ想像もつかない未来。

 いつか「最愛」になるふたりが、初めての恋を自覚する前の、淡い想いを纏わせる貴重なひととき。

 窓辺に落ちた柔らかな日差しは、次の季節を予感させる。
 春は、もうすぐそこまで来ていた。


 [完]