甘い香りが鼻を掠める。
深月の横には、いつの間にか樺茶色の背広を纏う青年が立っていた。
中折れ帽子の下から覗いた蒼色の瞳が深月を見捉えると、にっこり笑みを浮かべる。
「キミって肌が白いし、目鼻立ちもいい。大きな一輪の花のほうが魅力的じゃない?」
そう言って青年が手にしたのは、真っ赤な色をした花の髪飾りだった。
「知ってる? これはね、薔薇という名前の花。ふふ、キミにぴったりだ」
謎の青年は、暁が挿したところと同じ箇所に髪飾りを添える。
「ほら、似合っているね」
帽子で陰る青年の顔は、酷く青白い。
絵画の中から出てきたように美しく繊細な顔立ちは、まるでそこに実在するのかを疑いたくなる違和感があった。
「どなた、ですか」
距離を縮める青年から一歩退いた深月は、警戒を露わにする。
「僕はただの通り過ぎりの、愉快な一般人だよ」
なんとも胡散臭い発言だ。
それが顔に出ていたのか、蒼眼の青年はくすくすと笑みをこぼす。
「会えてよかったよ。キミは、唯一の光だから。またね、深月」
「どうして私の名前をっ」
深月の言葉を遮るように、突風が吹き荒れる。
視界が奪われ、風が止む頃には、青年の姿は忽然と消えていた。
(いったい、なんだったの……?)
そうして呆気に取られた深月の元に、暁が素早い足取りで戻ってくる。
「今誰か、ここにいなかったか」
妙な気配を感じ取ったという暁に、深月は謎の青年のことを告げ、外出はおかしな空気のまま終了となった。
邸に戻った深月は鈴蘭の簪を渡され、その後暁は急用が出来たからと忙しなく部屋を出ていった。
気分転換にはなったものの、深月は最後に現れた青年が気掛かりで仕方がなかった。
どこか浮世離れした存在の青年は、なぜ自分の名前を知っていたのだろう。