「ところで、君はなぜそのような格好を?」
「外出時はこうするのが……その、癖になっているんです」
深月は邸を出たときから、手ぬぐいを頭に広げて吹き流しのように被っていた。それを暁は奇妙に思っていたようだ。
(庵楽堂ではなるべく顔を見せずに出歩けと言われていたから、つい手ぬぐいを借りてしまったわ)
麗子は深月を周囲に認知されることを頑なに許さなかった。使いの時は必ず顔を隠すように言いつけられていたため、その癖が出たのだ。
「私の顔は、周囲を不快にさせると」
その目が気に入らない、辛気臭い顔をしているなど、麗子には容赦ない罵声を浴びせられた。
(……っ、私はなにを言っているの。こんなこと話されても困るだけなのに)
要らぬことを言ってしまったと、深月が様子を窺えば、見下ろす暁の視線と交差した。
「君の顔を不快だと、思ったことは一度もない」
歩みが止まり、じっくりと見据えられる。
もう半月近く一緒にいたというのに、改めてその顔を目にすれば鼓動が高鳴った。
「……そもそも、室内では常に顔を晒していただろう。それは構わないのか」
「確かに、そうですね」
「人の顔の善し悪しを当人以外が決めること自体、私は好きじゃない」
それは軍人としてではなく、暁の本心なのだろう。
ここまでの道のりで多くの女性たちの視線を虜にするほど美貌に優れた人物だが、彼は全く気にした素振りを見せず、そういった意識が根底にあるからこそ出た言葉なのだと思った。
「一体誰に、言われたんだ」
「麗――」
会話の流れで言ってしまいそうになるが、告げ口のような気がして途中で思い留まる。
深月は開きかけた唇を結び、左右に小さく首を振ると、ふっと笑った。
「ありがとうございます、朱凰様」
「何に対する礼なんだ?」
「いえ、ただ……言いたくなってしまって」
麗子の目があるうちは、あのような考えを持てないでいた。
しかし、暁に「人の顔の善し悪し」を言われた瞬間、確かにそうだと納得したのだ。
それがなんだか、尊く、貴重な瞬間のように感じた。
「……そうか」
少し吹っ切れた様子の深月に、暁は何も言わず目を細める。
深月の心の機微を見透かすような瞳は、ふと、通りの店に向けられた。
店先に置かれた台には、不用心にも多くの簪や髪飾りが並んでいる。
「君には、無地の手ぬぐいよりも、こちらのほうが似合いそうだ」
暁の声と共に、耳の裏を冷たい感触が掠った。
しゃらん、と耳障りの良い音がして、深月は台の上にあった鏡を覗き込む。
「これは……」
鏡の中に映る深月の髪には、真っ白な鈴蘭の花を模した簪が挿さっていた。
「手当ての礼をしたらどうかと、不知火からも言われていたんだ。これは、どうだ?」
「だけど、簪は……」
「簪が、どうかしたのか?」
古い言い伝えに、簪は生涯添い遂げたいと思う女性に男性が贈るという風習があったらしい。
女性間では有名な話なのだが、暁は知らないのだろうか。
「……朱凰様には、大切な人などいらっしゃらないのですか」
聞くところによると、特命部隊本拠地の邸は暁の家の持ち物だという。ということは、暁は上流階級の人間である可能性が高い。
邸の規模から鑑みて、婚約者などがいてもおかしくはない話だ。
だとすれば、問題を避けるためにも簪を頂くのは遠慮したい。
「いない。私は、大切な人間を作るつもりもない」
深月の問いに「なぜそんな質問を?」と言いたげに目を見開いた暁は、ふと影を落として静かに言い放った。
「……無駄なことを言った。気にしないでくれ。それより中に入ろう、その簪は君によく似合っている」
鈴蘭の簪がそっと髪から抜かれ、暁は何事も無かったように店の中へ入っていく。
言いようのない感情が胸に広がっていく感覚に、深月は思わず足を止めてしまう。
「――僕は、こっちのほうが似合うと思うけどなぁ」
その時、すぐ横で軽快な声が聞こえた。