どうなることかと思っていた特命部隊本拠地での日々。
 本拠地といっても他の隊員がいるのは別邸の建物。深月が寝泊まりするこの場所は、暁と蘭士、そしてごく稀に急用を伝える隊員が一瞬出入りするぐらいだった。

 なにか問題が起こることもなく、呆気なく半月が経つ。
 当初言われていた通り、湯浴みと睡眠以外の時間を、深月は常に暁と行動している。

 就寝時、手枷と寝台を鎖で繋げて不自由を強いられていた深月だが、今は両手首の枷を鎖で繋げるだけになり、随分動きやすくなった。

 このまま自分は無害だと断定されればいいのだが……
 この先のことを漠然と考えながら、窓の外に浮かぶ半輪の月を眺めていた時である。

 深月は、外が騒がしいことに気がついた。

(……なにかあったのかな)

 しばらくすると、今度は廊下から話し声が聞こえてくる。

(……朱凰様?)

 深月が耳を済ませた途端、扉が唐突に開け放たれた。
 入って来たのは、負傷した暁である。

「アキ! 動くなって言ってんだろうが!」
 
 続いて蘭士が凄まじい形相で入ってきた。
 訳が分からず立ち尽くしていると、ふらりと上体を傾かせた暁が虚ろな目を向けてくる。

「部屋を、間違えた……」
「そうだよ! つーか、手当するって言ってんのになに逃げてんだ!」
「俺より先に、隊員をなんとかしてくれ……この程度の傷、自分でどうにかする」
「一番の重傷者が何言ってんだ」
「……っ」
「朱凰様!」

 深月は目の前で体勢を崩した暁に駆け寄り、前から支えた。

「一体なにが……」
「正気を失った華月にやられたんだ。咄嗟に隊員を庇ってこのざまだよ」
「蘭士……俺は、いいから。早く、部下の手当てを」

 状況は理解した。
 暁はどうしても自分より部下の治療に蘭士を行かせたいらしい。
 この会話をする時間すら惜しいと考えた深月は、手当ての補助を申し出る。

「あの、医療箱なら前に置いていかれたものがあります。私が朱凰様の手当てを手伝いますから……」

 深月の意図を汲み取った蘭士は、数秒迷った末に、暁に向けて舌打ちを鳴らした。

「ほんっと、困った隊長さんだよ。稀血ちゃん、とにかく肩の止血を強めに頼む! 他はかすり傷だから!」

 荒い足音を響かせ、蘭士は部屋を後にした。
 深月は言われた通りに処置を進める。

(……血)

 ほんの一瞬、血の香りが鼻腔を伝って頭がくらりとした。
 奇妙な感覚を振り払うように、深月は暁の手当てをすべて終わらせる。

「朱凰様、大丈夫ですか」

 ひとまず床に暁を寝かせ、反応を確かめた。

「おま、え……いい加減」
「はい……?」
「稀血じゃなく……深月、だろう」

 彼の口元に耳を寄せていた深月は、不意打ちで呼ばれた名前に力が抜けてしまう。
 どうやら意識が混濁しているらしい。
 暁の頭では、まだ蘭士との会話が続いているようだ。

 いつも「君」としか言われていないため、びくりと胸が驚き震える。
 それに、口調も少し違っていて、おそらく素の話し方をしている暁につい狼狽えてしまった。

(耳が、熱い……)

 こんな時に、何を意識しているのか。
 名前を呼ばれたくらいで、なにを。


「……部下の手当て、終わったぞ!」

 それから程なくして、蘭士が駆けつける。
 しっかり止血された状態を診ると安堵の表情を浮かべ、深月に礼を言った。

「巻き込んで悪いな。今夜は月の光が強かったせいか、高揚する華月が多かったんだよ」
「朱凰様、大丈夫でしょうか」
「今は呼吸も安定してるし、ひとまずは問題ねえだろう。まあ、ここまで歩くだけの元気はあったんだ。丈夫な奴だよ」

 それを聞いて深月は胸を撫で下ろす。
 血だらけで部屋に入ってきたときは、どうなる事かと思った。

「無茶しやがる。いくら自分側の人間を華月に傷つけられるのが許さねえからって」

 どこか含みのある言い方だ。
 その時、深月が思い出したのは、暁と出会った夜のことである。

 刀身が赤く輝く様子を確認した暁は、あの瞬間だけ憎悪を込めた瞳で深月を見据え、切っ先を向けてきた。

「朱凰様は、華月となにか……」

 その先を言うのが躊躇われる。
 自分が聞くべきではないと考え直したとき、蘭士はつるりと口を滑られた。

「殺されたんだよ、狂人化した華月に。父親、母親、弟に妹。屋敷の使用人まで。だから、こいつの華月に対する憎しみは生半可なもんじゃない」

 ずしりと深月の肩に重りがのしかかる。
 正体不明なそれは、深月の内側に流れる血を思い出させ、動揺を誘った。

(私の中には、この人の大切な人たちを殺した華月の血が、流れているんだ)