深月が意識を取り戻した晩のことである。

 暁から告げられたのは「安全が確認できるまでの間、この邸で身柄を保護する」というものだった。

(それは、いつまでなんだろう)

 安全の確認、そして身柄の保護。
 その二つの言葉は、ひどくあべこべな気がした。

(私が、あんなふうに(・・・・・・)ならないかを、確かめたいんだ)

 慣れない西洋造りの寝台の上で、手首を覆う枷に目をやる。
 起きてから一度も外されることがなかった拘束具は、深月を警戒してのものだろう。

(私が、人間と、華月の血を引く……どちらでもない存在だから)

 後から説明を受けたが、深月が今いる場所は、主に華月関連の事件や問題を扱う『帝国軍特命部隊』の本拠地だという。

 つまりは、監視するにはうってつけの環境であり、深月が拒否したところで状況が覆ることもない。

(縁談が白紙になっていたのには驚いたけれど。もう私には、帰る場所もないんだ)

 ふっと息が漏れた唇が、虚しく弧を描く。
 ならばいっそ、このまま流れに任せてしまえばいいのではと思考を投げた。
 どうせすぐに軍から解放されることもないのだから、自分の気持ちはあっても邪魔なだけ。

(……そうだ、組み紐。明日にでも、聞いてみないと)

 初夜の際に切れてしまった組み紐のことを考えながら、深月は柔らかな枕に頭を預ける。

 布団とはまったく違う寝心地が落ち着かず、寝返りを打てばギシッと軋む音が鳴った。

 

 ***



 翌日、暁に呼び出された深月は、多くの書物が並ぶ広い洋室に案内された。

「本日から、昼の間はここで過ごしてもらう。部屋の外に出る以外は好きにして構わない」

 昨日とは違い軍帽を外した暁は、自身の執務机に腰掛けて書類に目を通している。
 その紙の束の多さに驚愕しながらも、深月の視線はきょろきょろと多方向に動く。

(好きにして構わないと言われても)

 この部屋に連れてこられ、手首の枷を外されて小一時間が経過しようとしている。
 深月は肩を縮こませながら、西洋の調度品が立ち並ぶ空間に硬直するほかなかった。

(それに、用意された着物も……これ、とても高価なものだし)

 街の娘たちの間で大流行している西洋風の花柄模様の着物。初めての装いに深月は萎縮してしまう。

(ああ、それにしても……組み紐のことを尋ねたかったのに。機会を逃してしまったわ)

 ちらりと横目に暁の姿を確認する。
 書類に判を押したり、なにか書き加えたり、その手は常に動いて忙しくしていた。

(私が保護対象だから、常に誰かが傍についていないといけないというのは分かったけれど。息が詰まって仕方ない……)

 庵楽堂にいたときは、日が昇るより早くに起床し、寝るまでずっと雑事に追われていた。
 それなのに今は、ただ地蔵のように固まっている。苦痛であった。

(だけど、どうやら職務中のようだし……ずっと真剣な顔をしているし)

「なにか、私に言いたいことがあるのか」

 不意に声が届き、深月はパッと横を向く。
 書類を手にした暁と目が合った。
 静かな双眸に見つめられ、深月は遠慮がちに口を開いた。

「組み紐のことを、お聞きしたくて……」
「組み紐……ああ」

 暁は思い当たったように立ち上がると、深月に近寄って小さな木箱を差し出してきた。

「今朝方、戻ってきた。こちらで間違いないか」

 深月はそれを受け取り、蓋を開ける。
 箱の中には、硝子石が嵌め込まれた深月の組み紐があった。

「はい、間違いありません。あの、ありがとうございます」
「礼はいらない。すでに調べがついたものだ」
「調べる……これを、ですか?」

 深月が疑問を口にすると、暁は一瞬だけ執務机に目を向けた。
 その後、何事もなかったように深月の前にあるテーブルを挟んで正面に置かれた椅子に座る。

「あ、お仕事の邪魔をしてしまい、申し訳ございません」
「構わない。今しがたそれについての報告書に目を通し終わったところだ。君の耳にも入れておくべきだろう」

 職務を中断してしまったかと不安になったが、暁は嫌な顔ひとつせず深月に向き合う。

「軍で調査した結果、君の組み紐には、特殊な石が使われていることが判明した。どうやら、稀血の気配を断つ効果のある加工石らしい」
「気配を断つ……?」
「稀血が分泌する香りを消す、と言ったほうが正しい」

 ただの硝子石だと思われていたものは、別名「日照り石」と呼ばれる特殊加工石であることがわかった。
 日照り石は特命部隊隊員が所持する刀剣などの武具にも使用されている。

 初夜の時、深月は誠太郎と揉み合った際に、首筋を爪で引っ掻かれて怪我をしていた。
 それと同時に組み紐が引きちぎられ、そのため無防備に稀血の香りが流れてしまったと考えられる。

「だから、あの人が室内に入って来たということですか? たったこれだけの傷で」

 深月は首筋に手を当てる。もう傷は、ほとんど塞がっていた。

「それと、これはただの見解だが……」

 深月の膝に置かれた木箱を目にした暁は、思案するように目を細める。

「その組み紐を授けた人は、君の身を案じていたのかもしれない」

 少しだけ和らいだ声に、深月はハッとした。

 稀血による影響のことばかりに頭がいってしまったが、そんな考え方もできるのか。

 暁の言葉を受け、張り詰めていた緊張の糸がわずかに緩んだような気がした。