「……本当に、一度も耳にしたことはないのか」

 不知火を窘めたらしい暁に振られ、深月は弱々しく首を横に動かした。

「一度も、ありません」
「……一ノ宮 深月。先日、一ノ宮 誠太郎と祝言を挙げ、それ以前は東通りの庵楽堂で女中奉公」

 まるで並べられた綴りを音読みするかのように、暁から淡々と話されたのは深月についての情報だった。
 不知火からは、「え、あの巷じゃ有名な誠実負け妾囲い野郎と祝言?」と独り言に近い声量のつぶやきが聞こえた。

 初め「一ノ宮」の名が付いた自分の名前に疑問をもった深月だが、そういえば祝言を迎えたばかりだということを思い出す。

 先日というのは気がかりだったが、暁の言葉を止めて時間の経過を尋ねる勇気が深月にはなかった。

「庵堂楽に身を置いたのは齢十五の頃。だが、君の奉公以前の記録は何も無い。戸籍はおろか苗字登録すらされていない。かといって養成館に入所していたという情報も今のところ掴めていない」

 養成館とは、政府認可の養護施設のことだ。
 親のいない孤児や捨て子が過ごすための場所であり、特別な理由がない限り入所が義務付けられている。

 しかし、何から何まで調べられていることには深月も目を丸くした。
 
「あくまでも調査途中だが、養成館で生活したことは?」
「……いいえ、ありません」
「では、これはどういった事情がある?」
「あの、それと先ほどの話とは、どんな関係、が……」

 言いながら、深月ははっとした。
 稀血とは、人間と華月の両者の血を受け継いで生まれる存在。
 となれば、暁が焦点を当てようとしていることが自ずとわかってくる。