「まだそんなことを言っているんですか。暴行は立派な刑事犯です」
 大田が肘で、三沢を抑えた。
「根津のアパートにおられたことはあるんですか?」
「ええ、しばらく」
「フリマサイトの商品を詰めてある押し入れの部屋は誰の部屋ですか?」
「主人のです」
「ということは、お嬢さんの部屋は?」
「その隣の6畳間です。わたしと二人で使ってました」
「お嬢さんは、フリマをよくやっていたんですか?」
「いいえ、娘の名前を使って主人がやってました」
「そのことを、お嬢さんもご存知で?」
「ええ、いやがってました。あるとき、名古屋の大学の准教授がういろうを持って訪ねて来て、娘に会いたいって。主人が娘の名前で学術書を売ったんで、研究熱心な女子学生と勘違いしたみたいで。ストーカーみたいなやつで、東京で学会のあるたびにやってきて、『会いたくない』って言っても、いつもお土産のういろうを玄関先に置いてゆくんです。主人はその対応を娘に押し付けて、逃げまわってました」
 大田がひざをポンとたたいた。
「お仕事中、お邪魔して申し訳ありませんでした。何か思い出すことがあったら名刺の電話番号に連絡を」
 帰りがけに三沢が立ちあがりながら訊いた。
「ご主人は何でお嬢さんの名前を使っていたんですか?」
「派遣社員になる前の職場で、副業が禁止されていたんです。フリマでの出品が副業になるかどうか分かりませんが、主人は解雇されることをひどく恐れていたんです」

 署に向かいながら、大田が、
「母親の家出は、事件とは関係がなさそうだな」
「操子が母親の浮気相手を知っていたので、口封じでやった?」
「その程度じゃ、ひとは殺せない。巨額の金が絡んでいれば別だが、父親も母親も大した金を持っていそうもない。カネの線はなさそうだ」
「とすると、怨恨」
と三沢は車窓を流れるビル群につぶやいた。
「そうだ、通り魔はニュースにはなるが、殺人全体のごくわずかだ」
「空振りばかりですね。大した金額ではないけど、交通費の請求がむなしいですね」
「捜査は、99パーが空振りだ。最後の1パーで事件が解決する。お宮入りもあるが、ごくわずかだ。99パーの空振りがなければ事件は解決しない」
 帰署してから、三沢はフリマの受注3件を見ることにした。2件は古書の注文、のこり1件は絵画だ。